第八話
「それでわかったんだ。二重に施されて、持ち主を、ええっと……二、三回? まあ、いいや。何回か変わってあの露店商が預かることになったんだって」
大きく口を開けて、鶏の香草焼きと穀物パンを頬張るシェルフ。
朝からでもどんな時でも盛大にある食欲にカンタータは感心するしかない。ただ、それは一緒に旅するようになってからだった。
「そんなことまでわかるの? 術が口を持って喋るの?」
「流れてくる情報を整理して組み立てたら、だいたいわかる」
「それは憶測、推測、かもしれない、って言うことよ」
そう言うとシェルフは肩をすくめて口を閉ざした。もう喋りたくないということだろう。
だが、情報を得たのであれば、それが憶測や推測だとしても報告しなければならない。なんとしても口を開いてもらわないといけない。どうやってその口から言葉を紡いでもらおうかと気だるげにコーヒーを飲む。胃が重すぎる。
カンタータとしたら朝食は摂るつもりもなかった。大食らいの異名を掲げつつあるシェルフが頑として聞き入れなかったのだ。
あんなに帰国を急がせていたというのに、胃が空っぽな状態がどうしても嫌らしい。
それともフェツ皇国の料理が口に合ったのだろうか。
カンタータが知らない故郷の味に近いのだろうか。
単純に帰国する前に回収を強制されることを視野に入れての行動だろうか。
いろいろと思い、考えて、目の前に座るシェルフを眺め見る。
「他には何かわかった? 報告には上げないし、口出しせずに聞くから」
「ここの人たちは術で会話するのが好きみたいだ。共通語なんかよりも洗練されて、思いの丈を存分に話させると思っているみたいだね」
嬉しそうに頬張る様はまるで子どものようだと感じる。
そこがカンタータにとっては憎めないし、モント公国のみならず普段からの単独行動を上に報告しきれない点でもあった。
また、コンセルジュカウンターで問い合わせたところ、列車の始発は後一時間もあるようだった。
現在の時刻は午前八時。乗り換えを考えても夜の深い時刻に帰国だろう──カンタータはそう計算した。
他の手段を選ぶにしてもすぐにはいかない時間帯で、優雅にしているべきだろうと諦めた。
急な変更につぐ変更は眉を顰められるだけだろう。速達処理した伝言板では短い文しか返してこなかった。それはルクレツィアが報告に走り回らねばならないからだった。普段の仕事、大学教授という立場と組織内での最重要幹部としての顔を兼ね合わせているとこういう時は大変だろうと客観的に見てしまう。
「失礼。ミス・ロトロ? ヴァッテンフォーラ博士の御友人だとか?」
声を掛けてきた相手を見上げる。カンタータが傍仕えとして居た期間に知った顔ではなかった。何故、名前を知っているのだろうか?
「ええ、羽伸ばしにと言われまして。ええっと……」
「クセロと申します。どうぞお見知りおきを、ミス・ロトロ」
礼儀作法は第三大陸のものであろう。身を屈めるようにして話し方──それも女性相手だけに──、手には何も脅威を感じさせないように手のひらを上にし続けている点からもそうだと感じる。
「こちらこそどうぞよろしくお願いいたしますわ、ミスター・クセロ。こちらは親戚のシェルゥ。シェルゥ? ヴァッテンフォーラ博士のお知り合いのミスター・クセロよ」
胡散臭そうにしているシェルフに挨拶を仕向けた。
カンタータにとってはこんな時が一番難儀する。だから、ルクレツィア名義で宿泊するだとかどこかを利用することはあまりしたくない。シェルフも同じ気持ちだから、普段の緊急度でも避けて通ることだった。
「どうも。博士とは仕事がらみですか?」
シェルフの問いが、大好きな親戚のお姉ちゃんを取ろうとしている子どものやきもちと取られたのか大きな笑みがクセロの顔に広がった。
「そうですよ、ちょくちょく調査を受けておりましてね。私の仕事は家系図やそれを主張する方々の持ち物を鑑定する仕事なんです」
仕事の話をするとシェルフは面白いぐらいに好奇心を全身に迸らせた。
「ミーヌ調査事務所?」
不躾な問い方だとカンタータはシェルフを睨むように見た。
会って間もない相手に、それもルクレツィア関係の知り合いだと本人は眉をひそめるだろう。
面倒事は何個も抱えたくはない。仕事関連で懇意にしている相手で、カンタータの名前を把握しているとなれば特に厄介事になったときに叱責されることは目に見えている。
だが、クセロは嬉しそうにしていた。
「よくご存じで。よろしければ名刺をお渡ししても?」
「ありがとうございます。よければお掛けになって頂けると嬉しいですわ」
「ああ……! 不躾にもお食事の時間に失礼してしまいました。とても魅力的なお申し出ですが……もうそろそろ依頼人との時間が迫っておりまして。これからのご予定は?」
シェルフは忘れ去られたカンタータが頼んだコーヒーに添えられていた堅焼きの甘いクッキーを頬張っていた。
カンタータはシェルフには片眉を上げて、クセロには困った顔を向けた。こちらが非礼しているというのに、クセロは低姿勢だった。
何処からも目にするように設計された時刻盤に目をやり、申し訳なさそうにしている。その態度に好感を抱くが、カンタータもシェルフも作られたものに感じた。挨拶だけに立ち寄っただけにしてはどうしても眇めてみてしまう。
「これから一時帰国しますので、ご名刺に連絡してもよろしいですか」
だから、シェルフは先手のようにしてクセロに申し出ていた。
たぶん、シェルフの頭の中でぱちんとはまったピースがあったのかもしれない。それとも良い手札を手にできたのか。
「残念だ……始発に乗られるのですか?」
そう言葉にも表情にも出しているが、クセロの心では違った顔をしていることがどうしてだかわかった。
カンタータの脳内で黄色信号が点滅しだした。それはクセロの顔、その表情筋には決まりきったものをそのままなぞっている際の人間の動きを認めたからだった。