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歯車たちは歴史を探求する  作者: ありき かい
第一章 開かれたページ、隠された文字
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第七話

 水の中、それも大きな湖や海の中に居るかのような感覚。


 シェルフには馴染みがなく、忌避している水にどうして入っているのかという思いを抱いた。

 それもつかの間、大きく息を吸い込み、日ごろから慣れ親しんだように潜る。

 コプコプと小さく空気が丸くなって出ていく。

 浮かぶ表情は必死に何かを探しているものだった。

 ずっと探している──何度だって、いつだって。そして、見つからないのはわかりきっていた。

 それでもいいのだと頷くようにさらに深く、深く潜っていく。呼吸に限界があろうとも、どうでも良いという潔さがあった。


 淀んだ緑色の水。想像するだけで身震いする。


 水中棲息の人外が恨む顔で背を向けて、シェルフに近寄らないようにどこかに行った。

 人間よりも賢く、話し合うことも生物が生まれながらにして手にしている理を解することもできない存在とは消極的な態度を見せる。

 殺しもせず、ただただ、傍観しておくだけの人外は天上に選ばれし監視者だという宗教もある。第三大陸がその総本山だっただろうか。

 先ほどの人外以外の生物はどこにも見当たらない。

 ゆっくりと体力を消耗させないように腕と脚を動かし、かつ迅速に行動する。

 一瞬でも気を許してしまえば人間などあくびするよりも簡単に終わらせることができる。そう知っている自分にシェルフは驚きながら、ある地点で周囲を見渡した。



 何かがおかしい。

 知っている場所であるはずなのに、どうしても肌にまとわりつく粘着きはこの水中にはない。

 はやく、浮上しろ──自分の中の誰かが叫ぶ。

 その声を聞き届けた瞬間には、背中に大きな衝撃があった。息ができなくなり、喘ぎが大きな丸になって吐き出された。



『ほんと、お前はダメなやつだな。泳げないなんて』



 あるはずのない背後から違った声が聞こえた。

 それは再生されたと言った方がよいようなものだった。

 変声期を終えたばかりの声は嘲笑っていた。

 いつも見上げる顔はもやがかかってはっきりと見えないし、何よりも水の中では認識できるはずもない。

 

 その水が目からのものに切り替わって、何処にでもいそうな中年の男に何かを必死に訴えていた。

 身体にも水分をまとっていて、屋内から感じられる暖では寒さがあった。陽が完全に沈んでいないし、屋内からは夕食の匂いが充満しているから夏だろう。

 ぶるぶると震える身体は、恐怖と寒さに懇願して否定される悲しみの予感から強くなっていく。



『だから、お前は兄さんを叱ってくれと言うのか?』


 震えと区別するために大きく頷く。


『兄さんに失礼だと思わないのか!? 克服するために、勉強の時間を割いてまで付き合わせておいて……よくもうまあ、ぬけぬけと。今日はそのままの恰好で寝ろ!』


 涙は止まっていた。ただ閉じられた扉をズキズキと目の奥が痛む中、見つめていた。



─ ─ ─ ─



 まるで目が覚めるように意識が浮上してくる。


 無意識の中で本と術者が造り出した世界に触れてしまっていたようだった。


 呼吸も荒くなり、空気を上手く取り入れるために大きく深呼吸をして、一旦本から切り離そうと栞を入れた。

 シェルフは座っていたオッドマンなのか定かではないソファに本を置いて立ち上がった。

 書いてあることは三分の一も理解できない。辞書を使おうともただの文字の羅列が続くばかりで、これがほんとうに新刊本なのかと首をひねる。


 体裁を整えて見栄えを良くしておき、観光客相手に売る“新刊”を掴まされたのだなと一つ、勉強をした気分で香草茶を淹れる。

 寝る前にカンタータが淹れていたものをそのまま使った。

 すでに味は飛んでおり、色がほんのりと付いている程度。香りなんてものは無い。それでもカンタータがリラックスして入眠できる香草を持ち込んでいるだけあって、気分が落ち着いてくる。



 うろうろと室内を観察して、窓辺から本を見つめる。

 何の変哲もない、第三級品の新刊二冊──一冊は第二級品の遊び本を体裁よくした可能性あり。もう一冊はロマンス小説──と第二大陸の公用語と世界共通語に訳す際に使う辞書で、モント公国に入国する前に間違って回収依頼の物と送ってしまったから出会えた時は喜んだ。


 この辞書は第三級品だとしてもかなりの金額を渡さないと手にできない。そもそもあまり出回らない。

 持っている家庭、人間は無理してでも第二級品を手にする。

 それもかなり旧いものだったりして、その人が書いた世界共通語が堅ぐるしい文章かどうかで階層がバレてしまうこともある。

 成金たちはまずは多くの辞書を揃えるという言葉があったりもする。


 シェルフは辞書に対して、顔全体で喜びを表していた。抱きしめて片時も離したくない。

 いつもであればカンタータが施す格納術でショルダーバッグに入れているが、そのままバッグの中に入れようか。そう思いながら、辞書をオッドマンに真ん中に置いて、読めない本をテーブルに置こうと持ち上げた。


 浮かび上がるイメージを与えるように、二重になっているのがシェルフには見えた。

 寝ずに読んでいたから、視力か頭が休息を求めているのか。

 そう頭を振って、目頭を揉んだ。ゆっくりと目を開けた。やはり同じ。

 ひったくるようにして本を取り、その二重の正体を確かめた。



シェルフ視点でした。

次話からはカンタータに戻ります。

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