第四話
うんざりするほどの暑さを肌に感じながら、第二大陸最南端に位置するフェツ皇国の首都フェルナの市場を二人は歩く。
歩きながらカンタータは思う。
列車は何度も乗車をしているせいで、目を輝かすことも物思いに深く入り込むこともなくなった。それがカンタータには残念に感じた。
乗るたびに薄れていくことが、何かをこそぎ落とす儀式のようで、またそれを思う自分にぞっとさせられていく。
フェツ皇国行きでモント公国の駅で出会った親子に再会したが、お互いに距離を取った。親子は面倒な二人が面倒事を起こすのではないかと訝しむような素振りを見せていた。
ただ、カンタータはそんな態度が逆に隠していることがあるのではないかと見えてしまった。
気のせいだ、と思い込んで荷物の入れ替えと帰国に向けて駅に着くなり送る荷物の梱包をすることにした。
その際にカンタータはフェツ皇国に合う服装に変えていたが、シェルフは相変わらず黒一色だった。
薄手ではあるが、黒いシャツにゆったりしたパンツ。第一大陸ではこれにパーカーやジャケット、コートなどを羽織っている。ズボンもぴったりとしたパンツに変わる。
それだけの変化しかない。色も黒と差し色があるだけのもの。
カンタータはシェルフの恰好にげんなりとした気持ちを抱いた。
その気持ちを和らげるかのように、通り向かいの店先に貼られた世界の歌姫のポスターがウィンクしていた。まるで挑戦しているかのような魅惑さに乗せてやろうと思ったカンタータは、シェルフを立ち止まらせた。
「あそこでご飯にしましょう」
その言葉に引き寄せられたのか、シェルフはフェツ皇国の土を踏んでから初めてカンタータを見た。シェルフもこの暑さにやられているのだろう。
「スパイシーな匂いがする」
シェルフの言葉には好奇心と期待がある。
だけれど、それを感じ取るのは至難の技でもあり、カンタータ以外の人間であれば一瞬で空気が変わるだろう。嫌がっているのか、と。
「そうね。チキンに野菜、あとは香辛料がふんだんに使われた料理が待っているわね」
周囲をざっと警戒し、それから行く先である店に不審な点がないかも窺う。異状なし。
ただ、どこかで見たような後ろ姿のそれも頭部だけの記憶しかないけれどあったような気がした。
「このまま第二大陸、それもこの国に滞在させられるとかないよね?」
がつがつと貪っているという表現が相応しいシェルフの言葉に、カンタータは持っていたスプーンの動きを止めた。目の前で骨だけの状態にする作業に忙しい相手を見た。いったん、咀嚼にキリが付いたのかなおも話を続けてきた。
「第一大陸に帰る前に回収一件。でも、それっていつだって良いものかもしれない」
それだけ言うと果実入り炭酸水を機嫌よくあおった。
香辛料と脂まみれでべたべたの指と口周り。ルクレツィアが居れば小言の一つか二つは必ず言われる。女王だったら、面白がっているだろう。
「それはあたしたちが考えて、動いても仕方がないわ」
「ディナーに出された布ナフキンと同じか」
それだけ言うとシェルフは最後のチキンを堪能しだした。
カンタータはシェルフが言った、ディナーで出される布ナフキンの表現に笑いが止まらなかった。
確かにそうだ。自分たちは使い捨てではないだろう。
だけれど、その実、一度使われたら洗浄と漂白される。
そうされないために、命令をこなしているのだ。
また、シェルフが言ったことは隠された意味もある。
誰が聞いているのかわからないのだ。
フェツ皇国に来る前に滞在した国、モント公国ではあまり会話をしようとしなかった。それに一緒に行動することを嫌っていた。
元々、単独行動を好むシェルフだったけれど、病的なほどだった。それがフェツ皇国に来た途端に友好的な態度だ。何かがあると言えるのかもしれない。
「今日の宿は決めてあるから、そこにまっすぐ行く? それとも露天を見る?」
目下の楽しみに期待を膨らませているシェルフの態度の変化がどうであれ、通常通りの態度でいるべきだと判断し、聞き流す。カンタータは堪能しきれていないフェツ皇国伝統料理である野菜煮込みにスプーンを入れる。
とろりとした汁はふんだんに使われている香辛料と野菜で、濁ることなく鮮やかさを主張していた。伝統をそのまま引き継いでいるせいか、ほどよく冷気を取り入れている店内ではすでに冷めている。
「川沿いにある本の露店販売は外せないね。別行動でもいいよ」
たぶん、シェルフは友好的だとか何かを感じ取ったとかではないのだと、この言葉でわかった。カンタータは深く溜息をついて煮込み料理をさらに味わった。
「別行動が知られたら、あたしたちにプラス一人は付くわよ」
シェルフが小さくした舌打ちを聞き逃さなかった。睨むが本人は歯に挟まったものだと言わんばかりの態度だった。
「歌姫のポスターがどこに居ても目に付く。知ってた? モント公国の駅売店にも貼ってあった。カンタータがお菓子一つを買ってくれたあの売店にもね」
「チョコレート、砂糖、キャラメルがふんだんに使ったお菓子なんだから、一つになるのは当たり前でしょう? 医術師のお世話になりたいのなら別にいいけれど」
今度は大きな音を響かせて舌打ちをした。何人かの客と店員がこちらを見たが、尾を引くような興味の視線ではなく、マナーとしてのようだった。幾分声を抑えてカンタータはシェルフに笑いかけて、釘をさすように嫌がることを口にした。
「グラーティアの声を聴きたいのかしら? ルクレツィアに言えば喜んで一緒に席に座らせてくれるわよ」
「いやだよ。長ったらしい話に、知人友人果てには顔を合わせたくもない人間リストたち。マゾヒズムを知りたくもない」
「今回は世界ツアーだから、とても有意義なものになるのに」
カンタータが含み笑いをしてみせれば、シェルフは嫌そうな顔をして席を立った。ちょうどいい時間だった。
カンタータの皿の底はまだ見えないし、ごろごろと具材が残っているがスプーンを置いた。この国のしきたりではこれがマナーであり、敬意の示し方であるからだ。
シェルフはそんなこともお構いなしにすべて平らげてしまっていた。
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