第三話
モント公国中央駅構内は、そこそこの人並みだった。
寒さを和らげるほどはあったけれど、石を削って作られた椅子は腰から体温をいつか奪い尽くしてやろうというくらいの寒さがあった。
シェルフは気にもしないのか、そんな世界を巡れる列車の待合室の椅子で船ガイドを熱心に読んでいた。
そこに書いてある言葉を一語一句漏らすまいと食い入るように読む姿にカンタータは微笑した。
まるで子どものような熱心さと世界への興味が尽きることのないその姿勢。
シェルフの背景はごくわずかしかカンタータは知らない。
でも、こういう姿を見るとどうしても、置き忘れた自分を埋めるかのように見える。
それでもシェルフの出で立ちに目をやると、頭が固いカンタータになってしまう。
全身真っ黒。差し色なのかも怪しい程度に白いシャツを選択する日があるというだけ。
ルクレツィアとは対照であり、カンタータとも違う色合い。
街ゆく人々に何度も見られることにはもう慣れた。シェルフはその視線から逃れようと距離を開ける。それを目で追うという付加業務は増していくばかり。
「ママぁ~? どうして船で行かないの? あんなに約束したのに」
すぐ後ろのベンチで小さな女の子が母親に列車への不満を口にしていた。
カンタータはすぐ傍の誰かと重なって見てしまった。苦笑しつつ、案内アナウンスを聞き洩らさないように雑音のボリュームのピント調節をした。
「船なんかよりも列車の方が快適だし、なによりも高いのよ? そんなことばかり言うなんて、もったいないことをしたわ!」
見てしまうくらいに大きな声で、母親はそれだけ言うと女の子から何を言われても口を閉ざしたままに徹した。
たしかに列車はおいそれと乗れるものっではない。
世界魔術師協会が運営し、どんな天候や気温、妨害にも耐えうる性能を持っている。
魔力を一定以上消費し、安定供給するという点で世界魔術師協会以外のどこにも真似できないものだった。
世界魔術師協会の実態を知る者はごくわずかだが、その名を知らない者はこの世界には居ないだろう。少数民族ですらその名を知っており、エンブレムや公式の場で着用する制服をぼんやりとだとしても口にすることができる。
また、世界横断列車が敷設されたとき、声を大にして非を唱えた者を裏から黙らせたことも有名だ。その列車に乗ることは誰しもが容易いわけではない。
だが、誰でも乗れる。条件があるというだけのことだ。
世界魔術師協会が出した条件とは、数々の審査を経なければならない。
一番の難所は書類審査に費やすものだろう。
識字率が世界ではバラバラな上に、国によっては提出する書類が違ってくる。
小金を持っている庶民でもそこでギブアップするだろう。
申請書を出しても出しても終わらない国、申請書の記入様式がよくわからない状況の国だとか、専門家に頼らないといけないなどのことがあるからだ。
世界魔術師協会はそこには関与しない。誰しもが乗れる箱と道は作るが、政治的なものには一切関わらない。としている。
「ママぁ? 列車ではお食事と飲み物はあるの~?」
先ほどの親子のやりとりはいまだに続いている。
カンタータはふとシェルフの動きが止まっていることに気が付いた。横目で見るとガイド本のページは繰られることなく、半開きになっていた。本がするりと零れ落ちるみたいに閉じようとしていても、気にしないような様でもあった。
──まずい。
カンタータはとっさに何かを感じ取った。対処方法としてルクレツィアの口を割らせて手にしたシェルフの情報の中の一つにくすぐってしまったのだろうか。振り払うようにしてシェルフの手を取って、立ち上がって場を離れようとする。
「シェルフ? ちょっとあっちに行きましょう?」
声を掛けて移動を促す。あとで抗議を受けるかもしれないからとガイド本に栞を挟み、手を握って立ち上がるようにしても腕が伸びるばかりだった。
「いい? シェルフ? 果実入りの炭酸水を飲みましょう?」
普段であれば子ども扱いするような言い方に憤慨するのにも関わらず、シェルフは黙っていた。項垂れた頭部の伸び切った前髪をかき分けながら、目線を同じにするために膝をついた。
「シェルフ。大丈夫よ、ここには強制されることなんてないのよ」
片頬を撫でながら、真っ白を通り越して真っ青になっている顔色に生気が戻るように念じる。さらにこれがトラブルにならないようにと祈りながら──なってしまえば、ルクレツィアに連絡するしかなくなるだろう──シェルフの頭を胸に抱き寄せた。
現在居る第二大陸では風紀に目を光らせている。
夜間時は寛大さを見せるが、こうして身体接触を公の目に晒すことを良しとしない。
まだ家族の証拠があれば別だが、成人しているであろう人間二人がこうして触れ合っていれば追及されかねない。
だが、誰もが見ないふりをしているようだった。カンタータは安堵をするとともに辺りを警戒しておく。あの親子はまるで腫れもののようにして傍を離れていった。
どうしてだか、カンタータには母親が子どもに見せないようにして離れたのではないような気がした。まるでその子どもが持っている荷物が何よりも大事なものであるか。そんな気がした。
「ねえ、あまぁいお菓子は?」
視界の隅に行ってしまった親子をなおも観察していると、ようやく声を頭の中で処理できたシェルフがそう言う。
その言葉に自分たちもこの場を離れないと要らぬ誤解──今は人目を引いていないがその内に咎められるかもしれない──を受けると察した。シェルフが意図したわけではないのかもしれないが、気が付かせてくれたことに感謝をしつつ迅速に行動する。
「買ってあげるわ。少し先の売店に行きましょう」
あの親子の背中が気になりながら、売店にシェルフを誘った。売店には世界の歌姫が手招きするかのように大きなポスターの中に収められていた。