第二話
ホテルに着くなりカンタータは伝言板に暗号化された文字を展開させていく。
速さは並み程度の、凡庸さ。公役人、私役人、使役人などを問わず、机に向かっている人間であればもう少し早く展開させることができるだろう。
それこそカンタータのあるじであり、送った相手であるルクレツィアのように。もうすでに一瞬で開読表示をし、文字を送ってきた。
展開された文字に眉を顰めて、これはどう伝える方がカンタータにとっての負担が軽くなるのか考えた。
どんなに頭を使って、言葉を選んでも口論、諍い、無言の拒否のいずれかになることは必須だった。
そうしてすっぱりとストレートに言う方が精神的にも疲労が少ないと学んでしまっていた。
「帰国しなければならないわ。それと回収指示が一件」
モント公国では寒さが唸りながら増す時期になっているせいで、外で温かい食事をと感じなかった。
だから、ルームサービスを頼んで湯気立つスープにシェルフが気に入った甘さと辛さを混在させたチキンの煮込みを食べられるようにテーブルの中央に置いた。
カンタータは何気なさを作れる技を日々、磨いていると何とも言えない笑みが内心で広がった。
シェルフはといえば装い──黒一色のその恰好──を解かずにツインベッドの片方に寝転がっていた。この国のどこかの街角の売店で買った小説を読んでいる。第三級品の紙質にインク。増えていく私物は第三級品ばかりになっている。
カンタータが言った内容に反応して、途端に嫌そうな表情と態度を見せる。
だけれど、慎重に本を取り扱っていた。人間にはそんな気配りを見せないのに、と少しだけ苦い味が広がっていく。
それもどこでも買える軒先販売だって街角、駅売店などで見かける本だとしても。傷まないように薄い紙の栞を挟んで閉じる手つきに魅入らされる。
ただ、その口からは表情通りの言葉が出てくる。
「カンタータだけって書いてない?」
「どこにも。シェルフの顔を見たいって女王も仰っているそうよ」
カンタータは上手く回避できたことの笑いを呑み込んで、表情を引き締めておく。
そうしないとこの弟妹はまた、単独行動をしてしまう。
そして、言葉に聞くのすら憚れる毒々しいものがシェルフの口から放たれている。カンタータはやれやれと思いながら、明日はお互いの手首に紐を括っておかなければならないかもしれないと幾度目かの溜息を盛大に漏らした。
カンタータとシェルフは相互監視に近い役割で、一緒に仕事をすることが強制されている。
ある日、シェルフという異物が入り込んだ瞬間から属する組織の中でカンタータの役割のようなものが決まった。
それまではただのお荷物状態だった。ただ、ルクレツィアの側仕えという名目はあったけれど、それ以下でも以上でもないようなものだった。
ようやく与えられた役割に老父は安堵の溜息と心配した表情をしていた。
どちらかがしくじれば、お互いに破滅するのだから。
それでもカンタータは浮かれた表情と手にした役割を誇らしげにしてみせた。
「実績を築いて、誰にも手出しできない場所までのし上がるわ。見てて、お父さん」
そう声を掛けた。そうすればすべてはただの憂いでしかないのだと思わせるように──思えるように。
「ああ、大丈夫だとも。お父さんの自慢の子どもだからね」
老父も微笑むことで心配事を遠ざけることができると信じ込もうとしていた。
カンタータと老父は第一大陸の宗教国から亡命してきた。
それは老父が引き起こしたきっかけがあったわけでもなく、カンタータの母親が引きがねに手を掛けたことによる。
内容は知らされていないし、公にもされていない。
国にとっては好ましくない、おもしろくないことだったのはわかる。当事者である母親は行方不明になり、カンタータと老父は祖国を追われた。
追われたという言い方には少し語弊が生じる。国が手引きした形の亡命が正しいかもしれない。
どっかでひっそりと死んでくれれば良いという処置だった。
老父は宗教学者だったけれど、有名でもなく無名でもない。
また、派閥を組んでいるわけでもない。属している派があったものの、毒にも薬にもならない存在として認識されていた。
それでも妻──カンタータの母親は有名すぎる人物だった。
呪術研究の新鋭として、室内での研究ではなく呪術を日常的に使う国、町、一族、グループなどに直接赴き、一緒になって生活をして信頼を勝ち取り、それを論文にしていた。
それ以外にも有名だった。カンタータの父親からすれば不名誉でもあるような意味でも。
だからこそ、国としては亡命という手段を選ばせた。
聡い父親は決められた手順以外にも国に迷惑を掛けないように、姿を隠し、消し、ある国にまでたどり着いた。カンタータはそれにただ付き従った。
亡命当時のカンタータは十三歳になったばかりだった。
カンタータは車いすに生活の大半をゆだねるまでになった父親の残りの時間を穏やかなものにするべく奮闘してはいる。
だが、いろいろと湧き出る感情を抑えられないことが大きく口を開ける瞬間には、実直に学問に向かい合っている背中を思い出すようにしている。
逃げにもなり、支えにもなる。そうすることでシェルフとの仕事も、組織内での自分を見失わないでいられるのだ。