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3-30 Schadenfreude 昏い歓び

 ロロは、コンクリートに似た素材の冷たい床に転がされていた。殴られすぎて頭がくらくらした。周囲にはロロと同様、攫われたと思しきメルト人が数人転がって呻きを漏らしていた。殆んどはメルト自由軍の下部構成員。つまり資金源として働いている販売員で知った顔ぶれだが、二、三人ほどは自由軍に属していない者たちも混ざっている。

 つまるところ、縄張りを荒らしたメルト人の物売りを手近なところから手当たり次第に拉致してきたのだろう。先刻、ロロが目覚めた時にメム・リルは連れて行かれた。怯えながらも、ロロを守ろうとしたメム・リル。ただ一度の恩とも言えない恩のためにロロを庇って。ロロの頬を涙がこぼれ落ちる。 

 ああ、メム・リル。どうなったのだろう。どうか、どうか無事で。ロロはただただ、少女の無事だけを祈っていた。


「こいつ、可愛い顔をしているなぁ」くもぐった声がロロの耳に響いた。

 誰かが無造作にロロの髪の毛を掴んで顔を上げさせる。背の低いトートメンだった。

 ガスマスクで性別は分からないがガッチリした体型だった。多分、男。饐えたような体臭が鼻孔を刺激した。

「原住ダリュムの餓鬼には、時折、性別未分化タイプがいる。在る種の魚類のようにな」

 ナイフを磨いているトートメンが、淡々とした口調で己の学識を披露した。宇宙開拓時代の黎明期、地球を旅立った星間移民たちは、数千年、或いは数万年を掛けて宇宙船で旅をしながら世代交代を重ねていった。数億年の歳月を掛けて星々の海へと散っていった地球人類の末裔たちは、いまや同じ人類でありながら遺伝的に大きく変異し、見た目が同じでも枝分かれしている事例も少なくない。遺伝子操作や環境、心理的な影響が与える変化から、虫型や植物、機械の肉体など、外見を全く人類以外へと変貌させてしまった地球系人類の末裔も銀河系には少なからず散らばっている。

 背の低い男は、家畜を扱うような手荒な動作でロロのおとがいを掴んで左右に動かした。

「ああ、それでやたら綺麗なのがいるのか」と杖みたいなライフルを持ったトートメンが口を挟んだ。

「金持ちがよく買い漁っている。メルニックの通販ユーザーレビュー読んだが、性別を超えた天使っぽい雰囲気がお勧めです、だとよ」とナイフ。メルニック社は、辺境第七管区の【人材派遣会社】では業界最大手企業であるが、一方で黒い噂が耐えることがない。メルニック社の奴隷販売は辺境においては半ば公然の秘密で、ログレスの王立海軍や役人たちも手出しできずにいる。


 一口にログレス領域と言っても、旧世界領域、中央領域など古くから銀河帝国の領土で実際にログレス人が統治に当たる星域もあれば、外縁部や辺境など一応、ログレス連邦に属してはいるが、実質は同盟国の勢力圏であったり、連邦加盟国が統治する領域も少なからずあって、幾つかの勢力は、ログレス人と同盟を結びながらも、法律も、生活習慣も、全く異質な理解しがたい価値観や文化を持って社会を形成していた。


 外縁領域第七辺境管区にも、ペルセポネやレドワーン、ヴィシュレノス、ガルテヴィスなど幾つかの連邦加盟国が存在しており、各々が勢力を広げるべくせめぎ合っていた。

 銀河系最大の商業網を領有し、一見、広大な版図を有するログレスも領域の各所に虫食いのように敵対勢力や中立地帯、未踏領域を抱えており、仮に統治勢力で色分けすれば、同じ銀河帝国領域であってすら、直轄領と属領、同盟国、条約加盟国などがモザイク模様に入り混じっているのが理解できるだろう。

 これら同盟国の大半はログレスと比すべくもない小国であるが、外縁領域第七辺境管区において銀河帝国が抑えている領域は、星間航路上の重要な中継地を除けば幾つかの低開発惑星に過ぎず、ログレス陣営の有力な有人惑星の大半は、ログレス連邦コモンウェルスを構成する同盟国であった。

 評判の芳しくない企業と言えども、同盟国の複数の有力者が出資しているのであれば、そのいかがわしいビジネスに対して一定の目こぼしをせざるを得ない。

 銀河帝国の法律も、軍隊も、由来、ログレス人の財産と身命を守るために在る。中央領域でログレス人が100人も海賊に攫われれば、LBCはトップニュースで報じ、海軍本部はその日のうちに百万隻の宇宙艦隊を動かすだろう。だが、遠い外縁部の辺境管区で同盟を結んだ蛮族が名も知れぬ野蛮人を何億、何十億と奴隷にしようとも、基本的に他人事であり、ログレス人はなんら痛痒を感じない。

 仮に銀河帝国が辺境での悲惨な奴隷制度に人道を口実に介入するとしても、それは他者の命を重んじたが為の倫理的な理由ではなく、介入することに何らかの利益が見込めるか、或いは安全保障上の脅威を潰すためなど現実的な理由が動機であろう。


「よく分からねえ趣味だな、俺だったら胸のでかい女のほうが嬉しい」ライフルのトートメンが肩をすくめる。

「どう変化するんだ?」背の低いトートメンが尋ねた。

「思春期に好いた相手に合わせて性別が変化する」仲間の言葉に背の低いトートメンが笑ったような気配を漏らした。

「じゃあ、俺が女の子にしてやるぜ」

 そいつはロロを押さえつけると、のしかかってきた。甲高い、悲痛な絶叫が聞こえた。絶叫は、ロロ自身の喉から迸っていた。叫び声は遠く自分の声ではないようにも思えた。多分、罰だ。ロロはそう思った。


 オベロン号の倉庫区画から60階ほど上方へ位置している上客向けの会食場では、4人の人物が偵察用カメラを通して倉庫での一部始終を観察していた。

 ユル・ススの見つめる先、幼馴染のロロが倉庫の冷たい床に転がっている。友人。いや、単なる知己のロロが髪の毛を手荒に引っ張られていた。血の気の失せた蒼白な表情に唇が半開きになっており、涎の糸が口の端から垂れている。力のない四肢は弛緩しているようだ。

 ユル・ススは、監視カメラを通してロロの身に降り掛かった悲劇を息を飲んで見つめている。

 ロロが穢されようとしていた。自分と同じように……

 見たくないようなつらい気持ちを覚えると同時に、奇妙な暗い歓びが胸に湧き上がって、ユル・ススは微かに戸惑いを覚えていた。


 幼馴染の苦痛に対して、奇妙な期待感と高揚を自覚して、ユル・ススは興奮を抑えようと僅かに目を閉じた。今日まで他人の苦痛を喜んだことはなかったが、身体の中心に奇妙な熱っぽさを覚えて、軽く唇を舐める。

(なんだろう、変な気持ちになってきてる。自分が痛めつけられた時はあんなに辛かったのに。ロロが痛めつけられているを見て興奮している。変な性癖が芽生えたかな?でも、ロロだよ?)

 ロロとの口づけを想像してみるが、ユル・ススはヘドを吐きそうになった。軽く指を噛んで吐き気に耐えてから、マクラウド中尉の料理の匂いと記憶を思い出して心の口直しをすると、既にロロへの感情が嫌悪の範疇に属していることを再認識して改めて思考を整理してみる。

(だったら、なんでだろう?他人の不幸を喜んでいるのかな、これは?最近、よくない気分になることがどうも多いよ)

 泣き叫んでいるロロから目を転じて隣の画面を眺めると、いよいよメルト自由軍のメンバーたちが奇襲を仕掛けようとしている映像が映し出されていた。


 オベロン号には、無線電波を遮断する区画や防壁が数カ所に渡って設置されている。敵の侵入及び反乱に備えて相手の指揮系統を撹乱する為の仕掛けであり、艦内の有線連絡網を掌握しない限り、通信は行えないようになっているが、強襲揚陸艦から客船になってより数世紀。防衛システムを管理すべきオベロン号の乗組員たちが既に軍用艦時代の警備体制を維持するだけの意味もマンパワーもないと考え、自らの手で警戒を緩めていた。その為、メルト自由軍がさして重要ではない無人区画の通信網を把握しようと工作を行っても、常の故障か、さもなくば住み込んだ連中が勝手な工作を行っているのであり、後で見回って戻しておけばさほど問題ないと判断してしまっていた。


「ログレスのこうした大型宇宙船では、排気口は緊急時、避難経路に使えるよう設計されている」

 トートメンの屯する区画と薄い壁一枚隔てた倉庫で、メルト自由軍突入部隊のリーダーが各隊員たちの顔を見回しながら説明していた。可能であれば複数回のミーティングを重ねることで作戦を頭に叩き込んでおきたかったが、人質を獲られた状況であるため、最低限の時間的余裕しかなかった。隊員たちの眼の前には3Dマップが浮かび上がっており、各部隊の突入箇所と敵の配置が表示されていた。此れは確度の高い予想図ではあるが、実際に突入した際には異なる配置や待ち伏せがありうることも隊員たちは承知の上で聞いている。それにしても解放されてから2ヶ月足らずにも関わらず、メルト自由軍の主要構成員の面々は、ログレスの銀河文明に適応し、高水準の電子機器などをある程度だが使いこなすことに成功していたが、元々、彼らの惑星にも性能は劣るが同様の概念や機能を所持する機械類や装備は存在し、効率的に使いこなしていたのだ。


「アルファチームは、中央の地下点検口から突入。デルタチームは、壁を破って壁沿いの護衛を制圧」

 突入部隊のリーダーに班長の一人が手を上げて質問した。

「右舷倉庫との間にある壁の厚さは?」

「爆発物で充分に破壊可能だ。既に実証済み。勝手な改造はよくある事例で、船内の保安部が動くこともない」

「意外と脆いな」と隊員が呟いた。

「後から設置された仕切りに過ぎないからな。オベロン号本来の構造は、手持ちの爆発物ではとても破れん」とリーダー。

「もし破れなかった場合はどうする?」

「デルタチームは船首方向の通路に廻って倉庫を強襲。周囲のグループはスモークグレネードと牽制射撃で足止めする」突入部隊リーダーの言葉に隊員たちが頷いていた。


 メルト自由軍の隊員たちは、突入前に最後の手順確認を行っていた。作戦決行前の最終的手筈であり、この後は実行あるのみであった。

「見張りの位置は、扉の前に集中している」とリーダーの説明。

「ブラボーが閃光弾で制圧する。時間的猶予は二十秒」

 配置と遂行すべき任務を淡々と各々の頭に叩き込みながら、隊員たちは頷いた。敵に誘い出されていた場合の対応。ドローンが偽情報を掴まされていた場合は損害を出す前に一時的撤退を行う。最悪の場合に備えて、態勢を立て直せるよう後方を確保しておく。挟撃を受けないように背後の備えとして予備兵力を残しておく、など手短に最終確認を行う。

「了解。連中にサイボーグは?」できるだけの質疑応答を行っておく。

「恐らくいないと予想される。サイボーグは定期的なメンテナンスを必要とするが、連中は殆んど医師にかかってない。しかし、これも我々の科学技術を基準にして導き出した憶測に過ぎない」

 疑問に応えた衛生兵が仲間に音声を伝えた。

「ログレスには、サイボーグが通常の肉体に復帰できる技術があることが、船内の医務室で既に確認されている。これも惑星メルトでは、不可能に近いとされてきた技術の一つだ」

 緊張の面持ちを浮かべつつも、誰かが茶化した。

「昨日見たSF映画のように亜光速で動けるサイボーグも実在しているかも知れませんね」

「未開の惑星からやってきた我々には、氾濫する情報の何処までがフィクションで、何処までが現実かもまだ判断がつかない。困ったことだ」

 リーダーの冗談に、隊員たちの間から低く抑えた笑い声が漏れた。


 冗談めかした言葉とは言え、全くの戯言ではない。メルト自由軍の大半は既にログレスが広大な宙域を統べるかなり強力な帝国だと認識を改めていたし、自分たちより遥かに高度なテクノロジーを当たり前のように使いこなして構成された社会の情報を把握し、上手くやっていくために可能な限りの尽力を重ねていた。

 それ自体が一つの世界として成立している巨大宇宙船での風変わりな生活に適応するのに、試行錯誤を重ねるだけではなく、得た情報や失敗までも他のメルト人や宇宙旅行者から手当たり次第に聞き込みして廻り、手引書に纏めて他のメルト人に配布を行っている。そこには、目に見えない苦労や失敗談も数多重ねられているが、それでも危険な行動を廃し、一刻でも早くメルト人が新世界で生きていく為の基礎を築かなければならない。だからこそ、いち早くログレス社会に適応したユル・ススの協力は不可欠だと踏んでいたが、どうにも初期のコンタクトに誤解があったらしく、距離を取られている。


 或いは、此れから相手取るトートメンが全く未知のテクノロジーの持ち主である可能性もあった。自分たちは鉄砲を知らない騎士たちのように無謀な突撃をしようとしているのかも知れない。それでも世界に自らの居場所を造ろうとするのであれば、メルト人たちは手持ちの札で勝負するしかなかった。

「人質がここ、通路の中央に固まっている。確保するのはチャーリーチーム」

 最終的な作戦確認。言葉に頷いたチャーリーチームの一人が、やや表情を強張らせているのに気づいて、リーダーは肩をたたいた。

「そう、硬くなるな。恋人相手と違って初めてに失敗しても恥を掻くわけじゃない。死ぬだけだ。気楽でいいだろう?」

 面白くもない冗談に兵士が乾いた笑いを発した。元はメルト自由軍と別の居留地の出身で、任務には初参加だった。奴隷狩りから仲間を守り続けてきた経験豊富なレンジャーだが、ゲリラ戦ばかりでこうした強襲部隊に参加した経験はない。


 しかし、メルト自由軍は人手が足りなかった。敵の掃討や退路の確保も重要な任務で、人質の確保に新人を廻すのもギリギリの状況でもある。同じコンテナで運ばれていたメルト人を中心にそれなりに志願者はいるが、戦闘部隊に加入できる者となると殆んど見当たらない。そもそも奴隷となったメルト人の大半は、侵略者である移民の眼を逃れて人里離れた土地や地下の暗渠に隠れ潜んでいた者たちだ。逃げるのがなかば習性ならいしょうとなっている。そうした事情で新参者の大半は、能力的に心もとないか、さもなければ人格的に信用できるかがいまだ不明瞭な者たちであり、後から自由軍への参加者の大半は、危険も少なく、自活するための資金を貯め易い船内での売り子に回されていた。

 だが、そうした後方のメンバーたちが捕らえられる。特に子供は危険が少ない通路での売り子に配したはずが、なぜか絶対に近づかないよう厳命した格納庫近くで掴まったとの第三者の目撃情報が入っていた。恐らく欲をかいて船の危険な場所まで踏み込んでしまったのだろう。呆れた話だが、相互互助組織であるメルト自由軍の大義から言っても、他のメンバーに与える心理的影響からみても、見捨てる選択は取れなかった。


 作戦における不確定要素は可能な限り廃するべきだが、同時に大きなリターンが見込めるのであれば、ときには敢えて危険を冒す価値もある。排気口は絶好の突入口であるが、移動には困難がつきまとう。

 軍艦時代の艦内セキュリティは大半が停止しているが、一部は可動しており、排気口に潜り込んだ際、侵入者を遮断、或いは排除する機構が作動する可能性もあった。

「問題は、排気口のセキュリティシステムだが。いけるか?テティ」

「オッケー」

 リーダーの問いかけに電子戦担当のデッカーは、自信満々で請け負った。

「随分と気安く請け負うものだな」とリーダー。

「13歳の子供が突破できるセキュリティでしょう?」やはり気安い返答にリーダーは僅かに不安を覚えたが、確かに船のセキュリティを年端もいかない子供がハックしている。テティの使用端末は船内での取引で入手したもので、ユル・ススが突破した時のそれより高性能な代物だった。

「詳しい話を聞きたかったがな」とリーダー。

「確保できなかったの?」と電子戦担当。

「オベロンの船長に同情されて、ボーイ見習いとして働いてるそうだ」

「狛鼠のように走り回って、船客からもチップを貰っているらしいな。今の生活には、不満はあるまいよ」

「まあ、子供が一人でも幸せになってくれるといいけどね」テティは高速で手を動かしながら、保安用パスを入手し、セキュリティを解除した。

 既に子供から犠牲者が出ていた。これ以上の犠牲者を出すのは避けねばならない。

「では、時間を合わせ。最終局面だ。できるだけ速やかに制圧せよ」

 リーダーの声が無線に流さる。

「照明を落とすと共に突入する。カウント開始」


 照明が突然に落ちた。次いで光の衝撃が襲ってきた時、ロロの意識は朦朧としていた。閃光が走り、白煙の中を火花が散り、黒い人影が走り抜ける。頭の上で何かが破裂するような音と共に生暖かい液体が降り注いだ。今まで生きてきた中でもっとも不快な体験だったが、痛みも、不快感も、どこか実感が薄く、現実離れしていて、まるで遠くの光景を眺めているような感覚があった。


久しぶりに書こうとしたら内容完全に忘れてて、読み直して物語把握するのに2週間掛かった。

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