3-27 United Kingdom of Great Logres and Magellanic Clouds
ログレス王国。正式名称は、ログレス銀河系及びマゼラン星雲連合王国※5の始まりは、地球は西欧の島国出身の密輸業者や貿易商、金融業者、傭兵、さらには宇宙海賊と奴隷商人※6の連合体だと言われている。星の海で順調に勢力を蓄えていたログレス人たちが、やがて国家としての対面を欲するようになり、そうなると文明国としては必然的に国王が必要となるのは自然の摂理である。
※注釈その5
此の宇宙海賊の末裔共は、早い時期から我らの住む銀河系をログレス銀河系と呼び習わしていた。一体、どういう誇大妄想なのか。しかし、彼らをあざ笑うことの出来た往時の人々は幸いである。将来的に我らが銀河系がログレス銀河系と呼ばれる可能性は現状、けして低くない。
※注釈その6
宇宙海賊、及び奴隷、麻薬販売事業については、ログレス人は当時から出来る限りの合法性の皮と他者からの雇用を装っていた為に、その正確な規模を算出することは不可能である。後ろ暗い商売の代表を巧みにコントロールしつつ、一時的同盟者や手先を代表の名義とすることでログレスは自らは汚名を被らずに巨利を貪っていた。また中期は奴隷・麻薬販売ネットワークの大半を切り離しつつ、広大な領域から航路通行料を徴収するシステムを構築することで、もはや手を汚さずに後ろ暗い商売から搾取することを可能とした。
--本文
伝説では、ある日、海賊の襲撃を受けた宇宙客船をログレス人が救出したところ、偶々※7、ログレス人の遠い祖先の出身である地球は西欧の某島国の某王家の血筋を引き、かつ求職活動中である一人の若い女性が乗り合わせていたそうだ。
此れを神の啓示※8と受け取ったログレス人たちは、彼女に素晴らしい就職先を紹介した。即ち、ヴィクトリア・ログレスが初代国王として戴冠し、此処にログレス王国が開闢することとなったのだ。
※注釈その7
ログレス人はあくまで偶然だと主張しているが、当時の著名なジャーナリスト、D・ストークスの調査に拠れば事実はもっと散文的なものであり、英国在住、かつ王家の遠戚である数名の人物の近所には、いずれもログレス人が経営する店舗が設けられており、偶々、人生に悩む該当の女子大生が好みのお菓子を買った時に、偶々、くじが仕込まれており、偶々、宇宙旅行券が当たり、偶々、乗り込んだ豪華客船が海賊の多いルートを横断し、偶々、海賊に襲撃され、偶々、ログレス人傭兵が間に合うように駆けつけたのに加えて、偶々、留守中の彼女の家に泥棒が入り、偶々、一切合切をその日のうちに盗み取って、偶々、闇市場に流れたそれを偶々、ログレス人が買い取って、偶々、彼女の監禁先の惑星に運び込まれていた。此れを全て偶然と言い張るならば、世の中には陰謀など存在しないとは件のジャーナリストの指摘であるが、当時のログレス人たちは、初代女王ができるだけ快適に過ごせるように尽力した上で、あくまで建国を神意であると主張した。
※注釈その8
D・ストークスの主張に対しては、海賊の自作自演説の部分に対してログレス人は明確に否定している。襲撃した海賊はいずれも本物であり、D・ストークスは些か想像力が過剰な人物であるとログレス人は評したが、「陰謀を企む時、肝心な部分には嘘をついてはならない」とのログレスの格言からするに、海賊が自作自演という部分以外は全ての指摘が当たっていると見做す向きもある。その場合、ログレス人は情報操作によって海賊を使嗾した後、用済みになった道具を始末した可能性も残っており、さらに悪辣である。
--本文--
此れほどの偶然(に頼る作戦の成功)が重なったからには、神が神意によって人民に戴くべき王を知ろ示されたに相違ない。(とログレス人はそう考えた)まさに奇跡であろう。実際にログレス国教会でも、王国最初の奇跡と認定されている。おお、神よ。ログレス王国と女王を守り給え!
ログレスは奇跡認定を受けようと、バチカンに莫大な黄金を寄贈したが、法王庁は黄金をありがたく受け取った上で(これら人さらいの海賊どもに対して)厳しい非難声明を出した。そのため、ログレスはローマ・カソリックと断交して国教会を立てた。神よ。ログレス王国と女王を憐れみたまえ!
最初は自らの立場を嘆かれた女王陛下であったが、やはりログレスに誘拐された同郷の男性と出会ってからは互いに支え合い、慰め合いつつも、運命を受け入れて立派に務めを果たされるようになった。ちなみに後に王配となった彼の男性は、偶然にも、女王陛下の近所に住んでいた初恋相手※9であったそうだ。此れこそ神の御心のなせる奇跡であろう。これからも末永く、ログレス王国と女王陛下に神の祝福のあらんことを!
(注釈その9 陰謀に関してのログレスの手の長さについては、もはや語るまでもないだろう)
(A・E・ベンジャミン著 『ログレスの黎明』 英国翻訳版より)
英国翻訳版は、注釈に拠って厚みが原本の2.5倍となっている。
ログレス王立海軍の紋章は、ログレス王家の発祥に遡る伝統的な謂れから、父祖の国章の流れを組んだ伝統ある獅子に星々をあしらったデザインとなっている。
今を遡ること数ヶ月前に、惑星ダリュムの首相官邸上空に浮遊していたストーム戦闘艇の側面にも、燦然と輝く獅子と星の紋章が刻まれていた。ログレスの各有人惑星に数十機から百機。中央セクターの主要惑星ともなれば、5万機とも10万機とも言われる数が配備され、数の力で大型艦と戦う雑兵との印象が強いストーム戦闘艇だが、それはあくまで列強や大国相手の大規模戦争の話であった。王立海軍でこそ最弱の戦闘艦艇と評されるストーム戦闘艇であるが、一隻当たり50億£の戦闘艇は、価格に見合う戦闘力を有している。12基の防護力場発生装置を兼ね備えた宇宙戦闘艇は、生半なエネルギー投射や物理攻撃など物ともしない。電磁投射砲や極超音速誘導弾の直撃でも防護力場を幾らか削るのが関の山であろう。強力なレーザーは、戦闘機や戦車を一撃で破壊する。メタルブラックの巨大な機体は、強烈な威圧感を放射して、首都の市民たちに強烈な圧力と不快感を与えていた。
反重力装置を搭載した帝国軍の空中戦艦も、市街地を睥睨するように官庁街や金融街を上空から監視しており、市民には面白くないと思う者も少なくない。
ログレス辺境軍が運用する軽快なモス戦闘艇や反重力艇が、我が物顔で上空を飛び交っている光景は、首都を訪れたギディオン・ニーソンにオギュトス解放軍が壊滅した日を嫌でも思い出させてくれた。
主要幹線にはログレスの地上軍兵士が検問を設置して、通行人を取り調べている。
「随分と物々しいな」地上軍兵の検問を通り過ぎたニーソンは、苦々しい表情で呟いた。
通りかかった裏路地では、一人の男性が声を枯らして演説していた。
「ダリュム!!此の差別のない開かれた世界を、横暴なログレスから守らなくてはならない!自由と平等を護るため、全てのダリュム市民は立ち上がり、キャメロットの貪欲な暴君に対して……」
少なくない市民が頷いている演説の光景を目にしたニーソンは、唇を歪めた。彼は、ログレス人に対するのと同じ程度にしか、ダリュム開拓民に対して好意を抱いていない。
本音のところでは、彼はむしろ原住民に対して同情的だったが、しかし、より一層の富と権力を獲得するため、二度と踏み躙られないため、新しい故郷リゴンを護るために大宇宙で自らを守る力のない原住民を食いものにすることに躊躇いは覚えなかった。なぜなら、彼。ギディオン・ニーソンが生きている銀河系では、彼が食い物にせずとも、弱者はいずれ他の誰かによって食い物とされるからだ。
奴隷の数が集まり、仕入れに一段落ついた頃、ニーソンとシンプソンは、惑星ダリュムの宇宙港、元は先住民が建設した軍用港近くに住む知り合いの奴隷商人からメールを受け取った。
通信は、森の奥に隠れ潜んでいた先住民の一団を発見し、捕獲したとの内容であり、ニーソンに買わないかと購入を打診するものであった。奴隷商人から話を持ちかけられたニーソンとシンプソンは、ダリュム首都の裏通りにある奴隷商人の店へと顔を出した。
店舗がある店舗入り口には、安売りの奴隷たちが値札付きの吊り篭に入れられて晒されており、少し離れた場所では奴隷専門の狩人たちが焚き火を取り囲んで暖を取っていた。ライフルや電磁銃の手入れをしている連中の姿は、開拓時代の初期にはどこでも見かけた光景だったが、近年のダリュムには先住民の数も減ってきてようで、それに伴って奴隷商や狩人業も先細りしつつあった。今はまだ廃墟の街や荒野に隠れ住み、或いは放浪する原住民の集団が見つかりもするが、いずれは奥地にも開拓の手が伸び、移民たちが移り住むに連れてそうした事例も消えていくに違いない。
ニーソンは時折、今の仕事に運命の皮肉とでも言うべき奇妙な感慨を覚える。彼は、原子力時代にあった低文明惑星の出で、強力な宇宙艦隊を保有するザーン人の人間狩りに拠って故郷と民族を喪失し、今は惑星ダリュムを貪る奴隷商人の一人として活動していた。
冷ややかな大気の下、白い息を掌に吐きかけながら、炎を囲んでいる奴隷狩人たちを押しのけて、ニーソンはシンプソンと共に店内へと踏み込んだ。
取引先の顔は覚えていたのだろう。奴隷狩人たち。逞しい面構えの男女が道を開けた。俺たちのような非道な商売をしている人間は、もっと凶悪無残な顔つきになっていいとニーソンは思った。だが、実際には、彼は相変わらず翳りのあるハンサムで、シンプソンは人の良さそうな表情を保ち、奴隷狩人たちは何処か愛嬌のある素朴な顔つきの連中であって、むしろ、なんの罪もなく苦難に襲われた被害者である原住民たちこそが顔つきに険しさが刻まれ、鳥かごに似た檻の中から来訪者を翳りを帯びた陰気な眼差しで眺めていた。
ニーソンたちが建物に一歩入ると、来客を出迎えるように奥の通路から主人が姿を見せた。
「よう、シンプソン。それにニーソン。来てくれたか」
太った奴隷商人が親しげな笑みを浮かべつつ、両腕を広げて歩み寄ってくる。
「やあ、コナン。いい出物が在ると聞いたのだが」
頷いたシンプソンにコナンはうなずくと、親指で奥を示した。
「最近、田舎で狩られたばかりの連中だ。ぜひ、お前さんたちにと思ってな」
「森の中に潜んでいたか。そうなると、少し技能は劣るんではないかね?」
シンプソンがそう言うも、コナンは首を横に振った。
「いや、機械はちゃんと使えるよ。テストしてもらっても構わん」
コナンは歩きながら、しかし、奥には案内せずに、まずは挨拶とばかりにカウンターへと歩み寄った。
「見せてもらおう。丁度、欲しかったところだ。値段が折り合えばの話だが。前向きに検討させてもらうよ」
「あんたのお勧めにハズレはなかったからな。此れまでのところは、だが」
ニーソンとシンプソンの言葉に、太った奴隷商人は汗を吹きながらカウンター脇の冷蔵庫を覗いた。
「いい酒が入ったんだ。飲んでいけ。面白いうわさ話も耳にしたんだ」
奥から琥珀色のスピリッツを取り出しつつ、コナンはにやりと笑みを浮かべた。
「帝国の追ってるユスティランの密輸組織についてとかな。ええ、興味があるだろう?」
「興味ないね。あんたが話すのは勝手だが」抑制のきいた言葉でシンプソンが応じた。
「分かってるって。お二人さん。まずは再会を祝して乾杯といこうじゃないか」
3杯のグラスに琥珀色のスピリッツを注ぎながら、奴隷商人は声を潜めてにやにやと笑った。
「ログレスの支配を面白く思ってない奴は此の辺りにも多いんだよ。多分、あんたが思っている以上にな」
二人の客人にスピリッツを手渡しながら、ニーソンの反応を伺うように目を細めているコナンだが、此の気のいい太った奴隷商人がログレスの密偵などでないことは、シンプソンが保証してくれている。
とは言え、ログレスの張り巡らされた諜報網に対しては、絶対の保証は存在しえない。他の銀河帝国や商業連盟の諜報組織には、より恐れられている組織や規模で匹敵する組織も在るが、しかし、伝説的なログレスの諜報機関は、他の銀河帝国に比しても、なお図抜けていると見做されていた。
「俺の使っている狩人たちが仕入れてきた話なんだけどね」
前置きをおいたコナンが勿体ぶるように仕入れた噂を吹聴する。
「ユスティランの密輸業者たち。例の共和主義者の残党だよ。どうにも此の辺りの有人惑星に逃げ込んだらしい」
「スパイスの密輸ネットワークを構築したあの連中……それでか」窓の外で道路を塞いでいる装甲車とレッドコートを眺めて、得心したようにニーソンは頷いた。
スパイスのうちでも、副作用なく知性を向上させる薬の材料となるノゥアリッジスパイスは、不老長寿をもたらすアムリタスパイスと並んで、銀河帝国にとって最も重要な戦略物資の一つに指定された自然資源であり、既知世界の産出地の多くが直轄領としてログレスに占領されていた。ユスティランは元々、此のスパイスの著名な産出地であったが、数百世紀前の少数民族の独立闘争に介入したログレスに拠って、今は全土が占領されている。
十二年前、ログレス直轄のスパイス鉱山で発生した暴動を皮切りに、ユスティラン星域全土に波及した叛乱は、大方が鎮圧された今もなお散発的に続いており、その裏にはログレスの支配に対抗する全銀河的な叛乱軍の援助が在ると囁かれていた。
だが、ニーソン自身はログレスに対抗しようとする叛乱軍の存在など、ただの噂。御伽噺に過ぎないと考えている。アンドレッティにさえも叛乱軍の秘密資金が援助されていたなどと訳知り顔に囁く自称事情通も世にはいるが、少なくともニーソンはそんな代物の存在を知らなかったし、オギュトス解放軍にも最後まで叛乱軍とやらの助けはなかった。ログレスの支配を面白く思わない人々が生み出した願望、実態のない宇宙伝説に過ぎず、ユスティランでの叛乱も、スパイスの採掘権を巡る地元資本とログレス資本の対立に過ぎないと見做している。
「それで今もレッドコート共、血眼になっているよ。辺境の惑星を全部ひっくり返しても探し出す勢いだねえ」痛快だとでも言いたげに頷いたコナンが、一気に酒盃を飲み干してから上機嫌に言葉を続けた。
「しばらくスパイス交易には手を出さないほうがいいね。ログレスの取締が厳しくなっている」
ログレス嫌いのコナンは、ニーソンの出自を噂で聞いたのか。ニーソンを勝手に仲間扱いしているような所があるが、しかし、楽しげなコナンの様子とは裏腹にニーソンは内心、苦い想いを抱いていた。実際に銀河帝国に戦いを挑み、粉砕された経験のあるニーソンだが、ログレスが叛乱に手を焼いているからと言って無邪気に喜ぶ気にはなれない。追い詰められる圧迫感と苦しい戦いの日々は、彼にとってけして振り返りたい記憶ではなかった。
「あんたが勝手に話してるだけだぞ」とニーソン。
「分かってるとも。さあ、商売の話をしよう」たっぷりときこしめたコナンが赤ら顔で手をたたくと、奥へと歩き出した。
ストーム戦闘艇ピーコック号の乗員、シャーリー・ロックウェル准尉とマリアン・コッパード上級曹長は、第3格納庫をゆっくりと散策していた。オベロン号の第3格納庫には、乗客たちの小型艦艇が収容されている。乗客たちは輸送代を払ってログレスの巨大宇宙艦艇に長距離を運んでもらう。星間航行や跳躍に掛かる費用、海賊相手のリスクを秤に掛け、ログレスの大型艦艇で運ばれる方が割に合うと考えたものたちがオベロン号を利用する。
二人も此処に私物を預けてある。スペースバイク。無重力状態でかっ飛ばす為だけの、宇宙艇に比べても非常に小さく機能も限定された玩具に過ぎない。宇宙を翔べない時はスペースバイクを整備することも、二人にとって時間を潰す楽しみの一つだった。
コンテナの鍵を空けて、工具類を取り出しながら、スペースバイクを引き出した。
「今頃、昼食会か」と特殊ジェルを差しながら、ロックウェル准尉。
オベロン号の最上層区画で開かれる昼食会には、陸上勤務や休職の王立海軍士官たちも招かれていた。野心を持つ海軍士官にとっては、現役艦長と同席する昼食会は絶好の機会だが、辺境軍所属の准士官や下士官の彼女たちが招かれるはずもなく、またつい最近までは二人共に己の職責を果たすことで満足を覚えていたのだった。
「アーツ少尉がおめかししていたな」積層式動力炉を調整しつつ応じたコッパード上級曹長の声には、わずかに揶揄する響きがあった。
「口を慎め、マリアン。アーツ艇長殿は士官学校出だぞ」
コッパード上級曹長は、ふん、と鼻で笑った。
「戦闘処女の艇長殿だね。実戦で腰を抜かさなければいいけれど」
生真面目で固い性格をしているアーツ少尉だが、マリアンは軽んじている節があった。良い傾向ではないが、ロックウェル准尉自身もアーツ少尉の指揮で戦うのはゴメンだと考えている。
アーツ少尉は、万事が杓子定規で、頭が硬すぎる。実戦を経験せずとも、敬意を払うに値する軍人はいるが、アーツ艇長には凄みもなければ、強靭さも感じられない。もっとも操艦技術については悪くない腕を誇っているのだから、まったく取り柄がない訳でもない。
自分たちが武人めいた艦長の下で共に戦いたいと願う心境になるなど、カレッジを卒業した時には、二人とも想像すらしていなかった。辺境艦隊への就職も得られる資格と給料から選んだ仕事であって、戦場に立つまでは人並みの愛国心や勇気が在るかも危ぶんでいた。それが今では、死の危険を顧みずに、海賊たちと戦い、責務を果たす機会を得ることを熱望している。
「確かに、アーツ少尉では無理かな。頭が固すぎる。ピアソン大尉のお眼鏡には叶うまいよ」
少し考えてから、ロックウェル准尉もそう論評した。ピアソン大尉には凄みと粘り強さがあった。ピアソン大尉に人を見る目があるならば、アーツ少尉は獲らないだろうとなんとなしには思った。
しかし、彼女はピアソン大尉ではないから必ずしも予想が当たるとも限らないし、なによりコッパード上級曹長やロックウェル准尉とて、採用してもらえるとは限らない。
「スラスタの2番、3番動かして」とコッパード上級曹長がバイクの下に潜り込んで言った。
「どうかな?」駆動系の回路をロックウェル准尉が操作する。
「大丈夫。問題ない」コッパード上級曹長がスペースバイクの下から出てきた。オイル代わりのジェルに汚れたバンダナを取って、額の汗と汚れを拭って、経口補水液のストローを口に含んだ。
「アーツ少尉が務まるとしても精々、操舵手がいいところだ」コッパード上級曹長の小さなつぶやきに、ロックウェル准尉は思わず笑った。王立海軍ではフリゲート艦以上の正規艦艇における操舵長が下士官であり、操舵手はその下の階級の上級兵卒待遇となっている。酷評だがアーツ少尉への評価が一致したことで、二人は妙な面白みを覚えてクスクス笑った。それから一転、ロックウェル准尉は真剣な表情を見せた。
「問題は、私たちが通用するどうかだね」
「精々、下士官だね。それも辺境軍の経歴込みで」コッパード上級曹長は浮かない顔で呟いた。見物するだけでも理解できる。王立海軍の水準は高い。もしかしたら、通用しないかも知れない。
「あと、2年か。大した実りを得られないだろう2年」
頷いたロックウェル准尉が、気が乗らないと言った様子でぼやいた。辺境軍の訓練の水準は全く低く、何年いようとも一定以上に練度の向上は見込めないことは二人共に熟知していた。気楽な任務が今は酷く苦痛に感じられる。ピアソン大尉は、一部の人間を惹きつける武威と風格を纏った人物であり、二人は今すぐにでもピアソン大尉の元に駆けつけて海賊と戦いたかった。
未来への展望を抱くのは悪いことではないが、かと言って現状に不満を募らせるのは健全な傾向ではない。ロックウェル准尉は、話題を変えることにした。
「ピアソン大尉の元で、士官が務まるとしたら誰だろう?」
「うちの艇長は、先祖代々の海軍一家だね」とコッパード上級曹長。
「どうだろうか。あの昼行灯。性格も能力も底を見せていないが、それだけに信用できない部分があるよ」とロックウェル准尉は不満を口にした。シャーウッド艇長は、今日まで大過なく任務を遂行している。それが高い能力を必要とすることを重々承知していながらも、苛烈さに欠ける指揮官にロックウェル准尉は微かに不満をいだいていた。
「エアハンマ取ってくれ」とロックウェル准尉。
「……ん」
「かつては英才でも、錆びついているかも。全力を尽くさない人間は、信頼できない」
一度黙考して、それでも判断は変わらず、やはりシャーウッド艇長は信用ならないと結論する。
スペースバイクを整備し終わった二人は、つなぎの整備服を脱いで辺境軍の制服に着替えだした。
外に出てから、コンテナの扉に物理と電子錠を掛けている途中、並んでいる宇宙船を眺めていたコッパード上級曹長が第3格納庫の一角に停泊している一隻の小型艦艇に目を留めた。
「あれ……へい、シャーリー」相棒へと呼びかけた。
「なに」とロックウェル准尉が振り返った。
「ユスティラン・スクーナーだよ。防護力場発生装置がユスティラン形式」とコッパード上級曹長の示した方角に目を凝らして、ロックウェル准尉が頷いた。
「確かに……此の宙域では珍しいな」
「貨物船かな」視線を合わせた二人は、管制室に位置情報を送信してからゆっくりとユスティラン・スクーナーへと歩み寄っていった。
「父さん。父さんの船早く乗りたいなぁ」工具箱を両手に下げた若い娘が、宇宙船の屋根の上で整備している父親を見上げつつ話しかけた。
「おう、俺の船は早いぞ。ユスティランでも最速だ」レンチを握りながら、父親がスクーナーの外部配線系統の蓋を閉じて、頷いた。
「よっし、此れで斥力リパルサーの出力が上がる筈だ。反重力……」
唐突に言葉を切って沈黙した父親の視線を追って振り返ると、漆黒の制服を着た若い娘が二人、船首の近くの床に佇んでいた。
ログレス辺境軍の下士官と准士官。普通はもっと腑抜けた空気を纏っているが、此の二人の視線は機械のように冷たく、無感情で父親をじっと眺めていた。
「船の持ち主かな?」准士官の方が質問を投げかけてきた。
つばを飲み込んでから、父親は頷いた。
「ああ、そうだ」
若い准士官は、相棒に顎をしゃくる。下士官が開いた扉から船内へと勝手に踏み込んでいった。
「お、おい。待ってくれ」と父親は慌てて、呼び止めた。
立ち止まった下士官が剣呑な目で見つめてきた。その時、二人の若い娘の腰に大出力のブラスターが吊り下げられ、共に手を掛けている事に気づいて、父親は緊張に喉を鳴らした。
「随分と職務熱心じゃないか。だけど、船には怪しいものなんてなにもないぜ」
冗談めかした言い方に軍人たちは表情筋を毛ほども動かさなかったので、父親は慌てて言葉を付け足した。
「下の子が寝ているんだ。少し熱を出していて。頼むよ」
しかし、下士官は、ズカズカと船に乗り込んでいった。その背中を見送った父親が悲しげに肩をすくめるが、准士官の方も船を値踏みするようにゆっくりと外観を見回している。
「ユスティラン人かな」と辺境軍准士官。
「ええ、まあ」と父親。
「名前は?」
ユスティラン人の父親が頬を強張らせた。娘が不安そうに見上げてくる。愛想を良く振る舞うよりも、不安を抑えるために子供を抱き寄せることにした。
「大丈夫だ。なにも問題ない」耳元で言い聞かせてから、返答する。
「トシュテン・フレドリクソン」
「職業はなにを?」淡々とした口調での質問。
「宇宙艦艇の操縦士」とフレドリクソン。
「身分証を拝見できるかな」と准士官。
父親は、財布をゆっくりと取り出した。士官は財布の中身の紙幣に全く興味を示さずに、身分証だけを取り出して凝視する。どうやら難癖をつけて賄賂をねだる官憲の手合ではなく、主人に忠実な猟犬の部類のようだった。
「勤務先は、フェルト&フレドリクソン貿易」そっと低く呟いてから、准士官が顔を上げた。
「フレドリクソン?」翠の瞳が観察するように鋭く細められて父親を射抜いていた。父親。フレドリクソンが頷いた。
「会社の勤務内容は?」立て続けの質問。
「ザラの運輸会社だ」とフレドリクソン。
「鉱石や日用品の輸送。旅客も扱う」
フレドリクソンの付け足しに、准士官は端末を取り出して手元の電脳を操作した。
「ザラの企業リストには乗ってない。小口かな」
「だが、宇宙船は持っている」船から出てきた下士官が告げた。
「中には特に怪しいものはない」言った下士官は、船の航海日誌を手にしていた。
「おい、あんた。勝手に……」言いかけたフレドリクソンだが、冗談の通じない二人組の軍人を前に口答えは賢明でないと考えたのだろう。娘の不安を鎮めるように強く肩を抱き寄せた。
「ザラが拠点。最近、ユスティラン領域に行ってるね」准士官が手渡された航海日誌と電脳データーにさっと目を通してから、父親をじっと見つめた。准士官の視線にフレドリクソンは落ち着かない気持ちに襲われつつも、言い訳を口にした。
「子どもたちを引き取りに。あちらは物騒だし、ザラで生活の目処が立ったからだ」
下士官がフレドリクソンの背後に廻った。
「申し訳ないが、少し詳しく話を聞きたい」と准士官。
「それは。待ってくれ。俺は別に……」フレドリクソンは露骨に狼狽する。娘の父親に縋り付く手の力が強くなった。
「別に、なにかな?」と准士官。
「俺はただの貨物船の船長だ。此の宙域で10年も働いている。例の叛乱とは関わりはないよ」
「我々は一言もそんな事を言ってないが、やけに詳しいじゃないか?」准士官は冷ややかに決めつけた。
「待ってくれ。頼む。子供がいるんだ」フレドリクソンは必死になって弁解した。占領地域におけるログレスの反乱者への締め付けは苛烈なもので、レジスタンス。ログレスに言わせればテロリストと疑われた人物が治安当局によって連行され、そのまま消息不明となるのはさして珍しいことではない。
娘が不安を感じ取ったのだろう。涙ぐんでいたが遂に震えて涙をこぼした。
冷たい目をしたまま、准士官が軽く下士官に頷いた。下士官がうなずき、電磁警棒に手をかける。二人がフレドリクソンに向かって歩きだしたところで、声が掛けられた。
「ロックウェル准尉、コッパード上級曹長」
女の声に、二人の辺境軍軍人が動きを止めた。
「なにしてる?」
フレドリクソンの船の外壁に寄りかかりながら、辺境軍士官の制服を着た女性が四人を眺めていた。
「シャーウッド少尉」
一瞬の躊躇を見せてから、二人の軍人が上官に向き直って敬礼した。二人の動作にはどことなく渋々とした気配が滲み出していて、上官を歓迎していない空気を醸し出している。
「ん。お前たち、上官にはもっと敬意を払うべきだぞ」言いながら、シャーウッド少尉が歩み寄ってきた。フレドリクソンと縋り付いている娘に視線をチラリとくれて、部下たちに声を掛ける。
「我々の職務は海賊と戦うことで、子供をいじめることじゃない」
ロックウェル准尉の手から、フレドリクソンの身分証をゆっくりと取り上げる。
「我々はただ。ユスティラン人に質問を……」言いかけたロックウェル准尉だが、シャーウッド少尉は彼女の言葉を遮った。
「職務熱心で感心感心。だけどね、そういうのは船の保安要員に任せておけばいいんだ」
娘の頭に手をおいて、クシャリと撫でてから、シャーウッド少尉は、部下を見つめた。
「我々が、追ってるのは密輸業者で、子連れの運送業者ではないよ」
「しかし」更に抗弁しようとした准士官に下士官の方が目配せした。
「シャーリー」友人に低い声でファーストネームを呼ばれて、准士官が沈黙した。ため息を小さく漏らしてから、頷く。
「了解しました」と僅かに無念さを滲ませた表情で敬礼する。
「うん」とシャーウッド少尉。
「失礼します」立ち去ろうとする部下たちをシャーウッド少尉が呼び止めた。
「あ、違う。お前たちを呼びに来たんだ」
「はい?」
招待状らしき葉書を手品のように右手に取り出す。
「ほら、昼食会の招待状」
流暢な文字で何やら記されている葉書を部下たちに差し出しながら、シャーウッド少尉は肩をすくめた。
「呼ばれたんだけど、顔を出しづらいし、でももったいないしで。代理で出てきてくれ」
「それは、よろしいのでしょうか?」とコッパード上級曹長。
「よくある話だよ。優秀な部下を伺わせると連絡はしておいた」とシャーウッド少尉が指先を振った。
「ありがとうございます」意外そうに一瞬視線を見合わせてから、二人の辺境軍軍人は敬礼し、今度こそ立ち去った。
シャーウッド少尉がパスを一瞥してから、フレドリクソンへと返した。
「どうも」受け取った船長が頷いた。
「あの子たちは少し職務熱心でね。悪く思わないで欲しいのだが」
「とんでもない」
「それは良かった」呟いたシャーウッド少尉が一瞬だけ、遠い目を見せた。以前に仲良くなった同期のペアが海賊に殺されてから、ロックウェル准尉とコッパード上級曹長からはやや暴走の気配が漂っている。
「全く悲劇だよ」
小さく呟いたシャーウッド少尉がフレドリクソンを見つめた。透明な眼差しには、敵意も疑念も友愛も感情の色は何一つ読み取れない。漣のように静かな瞳だった。
息を呑んだフレドリクソンが頷くと、シャーウッド少尉は視線を転じた。
父親の腕に縋り付いている幼い少女に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「お子さんかな?」
「ああ」とフレドリクソン。
「子供はいい。ユスティランにとっては受難の時代かも知れないが……」シャーウッド少尉は微笑んだ。
「大丈夫。法を守っていれば、ログレス軍を恐れる必要はない」
頬を軽く引き攣らせている少女にうなずきかけ、頬を撫でた。
しかし、フレドリクソンの瞳を見つめたシャーウッド少尉もまた、船長が見せかけの怯えと狼狽の下に、全く違う強靭な冷静さを秘めていることを見て取った。取り乱していたのは演技で、船長は冷静さを保っていた。持ち船のユスティラン・スクーナーも随分と改造を施されており、重武装かつ速度も増している。
ロックウェルとコッパードは、確かに良い目をしているとシャーウッド少尉は思った。だが、船長が見た目よりも胆力を有しているとしても、必ずしもテロリストとは限らない。多少、後ろ暗い部分があるとしても、軍役を務めたり、危険な領域での運輸を請け負うなどの経験は、波乱万丈の人生を生きてきた交易船の船長にはいかにも有りそうな話だった。
多少、怪しいと思えた人物を片端から検挙していては切りがない。脳裏と電脳の要注意リストにトシュテン・フレドリクソンとフェルト&フレドリクソン貿易を書き加えてから、シャーウッド少尉は微笑みを返した。
「だが、お子様のためにもしばらくはユスティラン領域には近づかないほうが身のためだろう。誤解を招くからね」
「ああ、勿論だ」フレドリクソンは娘を落ち着けるように背中をなでながら、少尉に頷いた。
「忠告に感謝するよ、少尉」




