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3-24 良心の値段

買おうと思ったローグ・ワンのDVDが近所で売り切れていた。許せませんよ。これは。


 3107人。ギディオン・ニーソンが此れまで惑星ダリュムで購入した奴隷の数だ。

 ニーソンは、そのうち4割強をリゴン星へと連れ帰った。性格に難がなく勤勉な性質の持ち主たちは、自由民よりはきつい仕事を割り振られつつつも、リゴンの一般的な人々とほぼ同水準の暮らしを送っている。土地、家、車、家畜、リゴンで私有財産を取得することも可能で、利子無しでおおよそ8万£をニーソンに払うことで奴隷身分から解放され、同時にリゴンでの永住権も取得可能となる。早いもので5年、遅くとも30年で自らの自由を買い戻せる金額は貯まり、その後にどうするかは彼ら次第だが、殆どのものが其の儘、リゴンに居住することを選んだ。


 買い付けた奴隷の内、さらに4割ほどは契約で異星人経営の農場や工業、鉱山や宇宙艦艇に貸与した。彼らが如何な生活を送っているのかをニーソンは知らないが、給与の一部は今も彼へと支払われている。ニーソンに8万£、経営者に8万£。ログレス法での契約のもと、無利子で支払い終われば彼らは自由の身となる。労働者を使い潰されては堪らないので、一応、場所を選んで送り出してはいるが、責任が持てるわけでもない。自殺したり、失踪したりする者も出る。人手を雇って労働環境や労働者の状況を報告してもらっているが、ニーソンがこのビジネスを始めてからの短期間で己を買い戻した者はさほど多くはない。自由民となった半数は其の儘、借り主の元で働き続けることを選ぶようだが、残り半数は同業他社へもっといい条件で転職するか、さもなくば異星人の下で働くことにうんざりしたのだろう。契約終了後に何処かへと姿をくらましてしまう。ニーソンは彼らに手紙を送って、謝礼付きで近況の報告を求めもした。新たな労働者を送るのに相応しい環境か否か、たとえ他人の人生を食いつぶす奴隷商人であっても、その程度のことを気にしても罰は当たるまい。


 残りの2割弱は、旅費を捻出するのに売却した。商売である以上、幾らかは短期間で収益を上げる必要があった。見目よいもの、特殊な技能を持つもの、養子向けの子供。できるだけ良心的な扱いをする取引先を選んだニーソンだが、時として定価の3倍以上の価格を提示された時には評判の良くない売却先を選ぶこともあった。定価の3倍から5倍が、おおよそのニーソンの良心の値段だった。

 世の中は儘ならないものだ。ニーソンがそうしなくても、悪意や落とし穴は何処にでも転がっている。 結果的に不幸になるものが出るのは仕方のないこと、どうしようもないことだとニーソンは自分に言い聞かせた。惑星リゴンには、ログレス£が必要だった。機械が足りない。兵器が足りない。医薬品も必要だし、技術者や傭兵だって雇う必要があった。辺境で機械類を買い求めるには、いずれかの大国の信頼性の高い通貨が絶対に必要だったし、貴重なログレス£と引き換えに出来るような商品はリゴンにはなかった。葛藤を覚えつつも、ニーソンはそれが必要な時、冷徹な奴隷商人として振る舞うことを覚えた。


 奴隷のうちには気力や知性に欠ける者もいて、顧客には単純で単調な作業に人手を欲しがる工場主などもいた。ニーソンにとっても大した利益とはならないが、需要があるだけマシだろう。そうした低技能保持者は、恐らく生涯を奴隷で過ごすことと為るだろうが、しかし、ニーソンが購入時に契約を固めているので、一般的な文明惑星の低所得者程度の生活を送る事は出来る。


 だが、中にはどうしても使い物にならない奴隷もいる。不服従と敵意を抱いた奴隷をニーソンはけして見逃さないし、また商品として取り扱うこともなかった。リゴンに連れて帰ることはなく、騙して誰かに売りつけることもない。ニーソンは顧客を大切にした。だから、使い物にならない極一部は処分してきた。


 元々、ギディオン・ニーソンが冒険商人の一党を率いて数千光年の彼方へと赴いたのは近年、新たに発見された惑星ダリュムで原住民が破格に安く購入できるからと聞きつけたからであった。

 リゴン宇宙港の酒場に屯する宇宙放浪者や採鉱者たちが、ダリュムの先住民族ダリュムリアンは、奴隷として最高である。人類種であり、幾らかの科学技術の素養を有しており、さらには値段の割に使い出があると口々に噂しているのは前々から耳に入っていたが、噂だけを当てに数千光年を離れた未知の惑星まで赴くのは、交易商人であるニーソンにも不安が残った。

 それでも、ニーソンが出資者を募って奴隷貿易に赴いたのは、開拓地である惑星リゴンが深刻な人手不足に悩まされていたからであった。ニーソンに先立ってトウィステル星団へと向かった交易商人や冒険者が良質な奴隷を買い付けて一儲けしているからには、惑星ダリュムが実在していることにもはや疑いはない。ニーソンの友人であり、著名な冒険家であるシンプソンも、幾度となく惑星ダリュムへと赴いているそうだった。

 銀河系の大航路には蛮族や宇宙海賊、高重力帯などの危険が絶えることはないが、リゴン人たちは臆することなく、小さな宇宙艦艇で往復一万光年の奴隷貿易の旅へと乗り出した。


 無名の惑星ダリュムを探し出すのには些かの時間がかかったが、先住ダリュミリアンは噂通りに申し分のない優秀な奴隷であった。特に安価なのが素晴らしい。品数も豊富で、なるほど三千光年離れた惑星でも評判になるはずだと納得し、かつ感心して、リゴン人開拓民たちは先住ダリュミリアンたちにお褒めの声を掛けてやった。

「マシーンを操作するために生まれて来たような奴だ!お前は、まったく最高の奴隷だぜ!」

 誤解がないように言うと、此れはリゴン人開拓民たちにとって本当に褒め言葉だった。

 辺境の人間にとって、すぐに自由を買い戻せるだろうという称賛と励ましの意であったが、しかしながら奴隷制が完全に撤廃された文明人にとっては、当然のようにお前たちは奴隷の立場がお似合いだという侮辱として受け取られた。


 リゴンの開拓民のみならず、辺境領域で暮らす人民にとって奴隷は身近な存在だった。自由民が蛮族や海賊に捕らえられて奴隷に転落し、また這い上がって自由を買い戻し、或いは脱走して自由民に戻ることは普通に起こり得ること。朝と昼が交互に訪れ、季節が夏と冬に変化するように自然なことだった。とうの先住ダリュミリアンにとっては、主人の称賛がさしたる慰めにはならなかっただろうが、それでもニーソンは、部下たちには奴隷を親切に扱うように通達し、またダリュミリアン奴隷たちに対しても、金銭的報酬を約束し、自分の身を買い戻す希望が残っているのだから、けして自棄にならずに運命を受け入れるように勧めた。


 ニーソンの一党は、奴隷貿易に慣れるに従って、一度の航海で最大の利益を得るべく取り扱う商品の量を増やしていった。その一方で、資金獲得の一環として、リゴン人を監督としてつけた上で買い取った奴隷たちを現地での短期労働へと駆り出し、自らの食い扶持を稼がせもした。報酬の一部を実際に奴隷たちに還元しつつも、そうやってさらなる奴隷を買い求めるリゴン人たちで在ったが、ダリュミリアン奴隷の人数が増えるに従って、監督の目が行き届かなくなるのは自然な成り行きであったし、またそれに乗じてなんとか自由を取り戻そうと考えるダリュミリアンが出るのもまたごく当然の話であった。

 自由を望む者たちにとって、監視の目が行き届かなくなった状況というのは、待ちに待った絶好の機会に違いない。特に今回、現地の基地跡で捕獲され、たたき売りされていた一部の先住ダリュミリアンは、けしていい奴隷にはなれそうになかった。

 彼らは常に不平不満を口にして反抗的な態度を隠そうとしなかったし、隙あれば仕事に手を抜いて作業を台無しにした。また、他の奴隷に自分たちの置かれている境遇は不当なものだという考えを吹き込んでは、サボタージュに同調するよう働きかけた。

 

 結果として、ニーソンの温情は裏目に出た。一滴の泥水が一樽のワインを一樽の泥水へと変えてしまうように不服従は伝染し、やがて奴隷たちの大半が不平屋となり、仕事がきついの、家族に会えないの、飯がまずいのと不満をぶつくさ垂れ流して、けして熱心に働こうとはしなくなった。

 ニーソンの部下たちも奴隷に対して高圧的に接するようになり、それに対して刺々しい反抗的な態度には、電磁ムチやゴム弾が用いられるようになった。彼らの悲鳴を聞く度に、ニーソンは、自分が昔の主人であるザーン人と同じことをしているのではないかと自己嫌悪に駆られる時もあった。

 険悪な雰囲気が充満するようになり、奴隷たちの恨みがましい怒りが込められた目つきを見る度に、この亀裂はもう修復出来ないだろうと忸怩たる思いに駆られ、先住ダリュミリアンはけしてリゴンの新しい住人にはなれずに、使い潰すしか無いだろうかと苦悩した。


 そして今回、ニーソンは託された仕事に失敗した。取扱を誤り、叛乱と脱走の機運が奴隷たちのうちに伝染し蔓延していた。下手を打てば、奴隷の大量処分という結末を迎えるところであったが、幸か不幸か。さらなる不手際から、王立海軍の介入を招いてダリュミリアンの奴隷たちは解放されてしまった。

 下手を打てば、ニーソンも奴隷商人として処罰されるところであった。ログレスにおいては、奴隷商人と海賊は、弁解の余地なく国法に基き死刑を宣告される。が、念のために用意しておいた数枚の書類。リゴン外交官の肩書と移民希望者の書式が、名誉はひどく傷つけたもののニーソン氏の命だけは救ってはくれた。

 ログレスでは法の支配が尊重されている。それは建前上の大義名分だけではなく、ログレスが銀河帝国として拠って立つ基本原則とされており、敵性勢力や外国人との取引に際しても一貫した姿勢であって、個人としては兎も角、国家としてのログレスは少々の損害を被ろうとも、法律や契約を重んじる姿勢を容易く崩したりはしない。故にログレス統治下の領域では、例え形式的であって法律的な建前を整えることは大きな意味を持っていた。


 内心では銀河帝国への隔意を抱くニーソンであったが、現状、奴隷商人として処罰される寸前であった。辛うじて命拾いしたものの、大きな経済的損害を受けたのも否めない。借りてきた人手や出資者たちのことを考えると頭が痛いが、幸い、支払いを終えても破産を免れる程度の財産は有している。今後は事業規模を縮小せざるを得ないが、それは構わない。兎も角、母なる星リゴンは熟練労働者を必要としている。どうやったとしても仕事は果たさなければならない。


 しかし、ログレス人への窃盗に拠って、図らずも自由を与えられたダリュミリアン、今は彼らが名乗るようにメルティアンとよんだほうが良いだろうか。彼らを勧誘したとしても、果たして幾人がリゴンへと来たがるだろうか。

 外縁領域の辺境の更に外れに位置する開拓惑星での生活が立ち行く保証もなければ、ニーソンやその仲間のリゴン人たちが自由を尊重する保証もない。メルト人たちとて、ニーソンに同行しても、再び、奴隷として扱われるかも知れぬと恐れても不思議ではない。

 それでもニーソンは、見込みの有りそうな一部メルト人を訪れては、リゴンへとやってくるようにと勧誘を続けていた。


 ニーソンが訪れた時、オベロン号はメルト人居住区の一角にある倉庫には、酒の匂いが漂っていた。

 何処から調達したのか。倉庫の隅には、果物の空き缶が転がっている。パンのイースト菌と混ぜ合わせたか。密造酒作りはログレスの銀河帝国全土で行われている軽犯罪で、税金逃れを行う密造酒製造者とログレスの機動警察は、税金を巡って常にいたちごっこを繰り広げている。

 8名のボディーガードを廊下に待たせたニーソンは、倉庫の中央でパイプ椅子に腰掛けている壮年の男へとうなずきかけた。

「どうぞ、粗末なパイプ椅子しかないが……」

 ニーソンは、椅子へと腰掛けた。どうやら一対一で話し合えるようだ。

「ザラでは、君らは公権のない三等民にしかなれないぜ」ニーソンは腹を割った。相手のメルト人は、小集団の代表で、壮年の外見をしていたが本当のところの年齢は分からない。

「どうやったって市民権は取れっこない」

 倉庫の中には二十数名のメルト人たちが屯していた。ニーソン氏を見る幾人かには、目に鋭い敵意が宿っていたが、全員が沈黙しているのは、よく統制されている。

 ニーソンの言葉に相手は首を小さく曲げて、ふむんと微かに頷いた。

「不安を煽ってくれるな。ミスタ。リゴンなら市民権をもらえるというのかね?」

「自由民として取り扱う。市民権を取るのもそう難しくはない。特にリゴン生まれはね」

 二代目からは、リゴン人に成れると聞いても、メルト人たちの反応は薄かった。周囲に並んでいる男女は、ニーソンたちの様子をじっと窺っている。

 メルト人の代表は頭をかいてから、尋ねてきた。

「………誰が保証してくれる?うまい話を聞かされた移民が現地に行ったら奴隷扱いというのは、大航海時代からよくある話だ」

 ニーソンが唇の端を曲げた。嘘はついていないが、証明する手段がない。

「ザラには………でかい宇宙港が在る。生活の目処がつかないってことはないだろう。あんたは確かに約束は守る人間だと思うよ」

 社交辞令か、本気でそう考えたのか。代表の言葉に、ニーソンは固い表情を保ったまま沈黙した。


「信じてないわけじゃない。だが、なにしろ一生のことだ」と代表は肩をすくめる。

「ザラのことはいくらでも耳に入るが、リゴンのことは一度も耳にしない」

 言葉を続けた代表に、ニーソンは顔をなでた。

「ザラへと向かう輸送船だからな」

「ザラには、スラムがある。勝手に住み着いた連中の街があって、治安は良くないと耳にする。ログレス人にはいないように扱われると聞いた」と代表。

「そのとおりだ。ログレス人が密入国者をまともに扱うことはない」とニーソン。

「ログレス人は手助けもせず、しかし弾圧もしない」とさらに代表は言葉を続けた。

「そうだ。暮らすだけなら出来るだろうが」とニーソンが大きく頷いた。

 代表が沈黙した。口元にほろ苦い笑みを浮かべて、小さな部屋に立ち並ぶメルト人たちを見回した。

「税金だけ取って、後は無関心」メルト人代表の囁くような声が部屋に響き渡った。

「自治に委ねられているといえば、聞こえは良いがな」とニーソン。

「昔だったら、絶対に選ばない国だな。だが、今はひどく魅力的に聞こえる。苦痛に満ちた人生を体験した後は特にな」と代表の言葉に、ニーソンが苦い表情を浮かべた。

「だが、将来への展望は薄いぞ」ニーソンの言葉にも、部屋に並ぶメルト人たちの反応は鈍かった。

 此処にいるメルト人の大半が、ログレスの放置気味の統治に魅力を感じているのだろう。

 それでも、明確な拒絶はしなかった。何人かは来るかも知れない。卵を複数の籠に分けるように、ザラとリゴンに別れて、人生を上手く運んだ側が呼び寄せることもあり得るし、其の儘、暮らし続けることもあり得る。

「リゴンのことを全然知らん。考えておくとしか言えない」

 その言葉を引き出せただけで上等だろうと、ニーソン氏は頷いて椅子から立ち上がった。

「返事は何時までにすればいい」ニーソンの背中に代表が問いかけた。

「ザラをその目で見て決めるといい。俺たちの船も、半月ばかり留まる」

 リゴン人たちを見送りながら、メルト人の一人が歩み寄って代表に囁きかけた。

「連中が俺たちを奴隷にしない保証はありますかね?」

「……分からん」代表は肩をすくめた。


 船内の案内板や航路図が設置された休憩所で、ニーソンが星の海の航路図を見上げていた。

 周囲のベンチでは、ニーソンの部下たちが散らばって、携帯食料のバーを咀嚼しつつ、今の交渉の顛末について評論に興じていた。


「見込みはどうかね?」と操縦士が言った。

「無理だろうよ」

 メルト人たちの屯していた回廊奥へと視線を向けながら、ボディガードの一人が肩をすくめた。

「連中は、私たちを憎んでいる。それも無理はないがね」

「連中の故郷を奪ったのは俺達かよ?ん?」と操縦士。

「そうは言っても奴隷ってのは、何かしらを憎むものだ。憎まなきゃやってられない。元々、奴隷だった身が言うんだ、間違いないよ」

 ボディガードは仲間と話しながら、端末を手に何事かをシンプソンと話し合ってるニーソンを眺めた。

「すると無駄骨かね」

「そうともいい切れん。さっきの連中は、話は聞いたしな」


「リゴンでの暮らしが天国とは言い難いが、ザラのスラムよりはなんぼかマシだと思うんだがね」

 ため息を漏らした操縦士は、船内で購入した再生水を一息に飲み干した。

 でかいフネは、再生水までが美味かった。小型艦艇での旅には味わえない宇宙での贅沢だ。

「比べようがあるまいよ。人間は環境を変えたがらない生き物だ。それに……」とボディガード。

「それに……」

「ザラは第七管区セクターの中心地の一つだ。潜り込めば、取り敢えず生きていくことは出来る」

「それもそうだな。今回は丸損かもなあ」幾らか出資している操縦士は情けなさそうな顔でうめいた。


 ニーソンが振り返って、そこで初めて口を挟んだ。

「30分休憩。食事をとっておけ。午後には、第3格納庫で放浪者の小グループを勧誘する」

「了解しました」部下たちが応じると、ニーソンはシンプソンだけを連れて、メルト人居住区の一角へ在るき出した。

「どちらへ?」と部下の一人が呼びかけた。

「野暮用だ」ニーソンの低い声に部下たちは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。

「ご執心の娘か」

「だが、連れ帰れるかね?」



 ニア・ススに割り当てられた部屋の扉には、恐らくスプレー缶でだろう。乱雑な文字で罵り言葉が描かれていた。前回、訪れた時に比べて、建物は明らかに薄汚れている。

「なんだ、これは?」呆然と呟いたニーソンだが、ハッとしたように我に返ると扉を叩いた。

「おい、いるか!?」

 反応はすぐにあった。扉のドアスコープが音を立てる。

「ニア・スス。大丈夫か」ニーソンが扉の向こう側へと呼びかけると、何時も通りののんびりした声で返答があった。

「その声は、ニーソンさん」

「ああ、俺だ。なにがあった」もどかしげにニーソンが呼びかける。

「ちょっと待ってて、今開けますよー」応えずに扉が開かれた。


 ニーソンとシンプソンを部屋に招き入れると、ニア・ススは素早く鍵を掛けた。

 室内は薄暗く、玄関のすぐ傍らには取っ手に握りやすいよう包帯を巻いた鉄パイプが立てかけられてあった。

 室内へと踏み込んだニーソンは振り返って、ニア・ススに同じ質問を繰り返した。

「なにがあった」強い口調だった。

「隠しても意味がないと……孤立している」少しだけ悩んでから、ニア・ススは言った。

「それは……」

「ええ、貴方が来たからよ」とニア・ススは返答する。

 絶句したニーソンにニア・ススはクスクスと微笑んだ。

「なんて、嘘」

 言ってから、面倒臭そうに椅子に座り込んだ。

「本当は、少し揉めてしまったの」

「揉めた?」ニーソンが尋ねると、ニア・ススはうなずいた。

「メルト人にも民族主義の過激派みたいのがいて、仲間に加わるよう言われたのを断った。で、圧力を掛けられている」ニア・ススは何でもなさそうに言った。


「多分、暴力沙汰には及ばないと思うけど」

 ニア・ススは危機感がないのか。おっとりと微笑んでいた。

「もう、半月もしないうちに移民船もザラに着くから、そうしたら縁も切れるわね」

 壁際に立ったまま、ニーソンは苛立たしげに問いかけた。

「ザラについたら、どうするつもりだ」

「わかりません」とニア・スス。


 その提案を口にするのに、ニーソンは幾らかの勇気を必要とした。

「ザラでの生活の目処がつかないようなら、リゴンに来る手も在る」

「そうね」穏やかな声で応えたニア・ススは、ニーソンを見上げて謎めいた笑みを浮かべる。

 微笑みに心奪われたのか、ニーソンは息を呑んだ。ニア・ススの意図が読めなかった。此の瞬間、目前の若い娘が魔性のファム・ファタルにも思えた。俺を見透かしているのか。それとも、思惑が在るのか。


 じっと見つめ合っていた二人だが、ニーソンが歩み寄った。ニア・ススは軽く息を呑んだが、動こうとはしない。ただ、少しだけ目を伏せた。

「お前が孤立しているなら、私は……私が」

 差し伸ばされたニーソンのがっしりした手がニア・ススの腕に触れた。

 ニア・ススがニーソンを見上げる。その瞳に了承を読み取り、彼女を引き寄せようとニーソンが腕に力を込めた時、ニア・ススの肩越し。闇の中に赤い目が光って、ニーソンはギョッとして体を強張らせた。

 薄暗い部屋の中央。ログレスの地上軍歩兵レッドコートの人形が、食卓の上に置かれていた。

 白銀と蒼の優美な象嵌が施されたライフルを手にして、ニーソンに向かってじっとV字型バイザーの単眼モノアイを光らせている。

「なんだ、これは?」思わず叫んだニーソンに、ニア・ススが呆気にとられていた。

「どうしたんです?」

「なんで、こんなものが」ニーソンは不愉快そうに取り乱している。

「ユルが持ってきてくれたんです。懇意にしている軍人さんから貰ったと……なんでもキャメロットでは凄く人気がある人形らしくて」とニア・スス。

「なんて、悪趣味な……」嫌そうにレッドコート人形を眺めながら、ニーソンが忌々しげにうめいた。

 人形の視線を遮るようにニーソンが上着を脱いで人形の上に投げかけると、人形が嫌がらせのようにログレッシュ・グレナディアーズを歌いだした。

「ええい!黙らんか!なんて忌々しい人形だ!俺はその歌が大嫌いなんだ!」

 人形にはろくなAIが付いていないようで、がなりたてるように益々音が大きくなる。

「くそ!」

 ニーソンが天を仰いだ時に、ニア・ススがくすくすと笑いだした。耐えきれないと言った様子でブルブルと震えていたが、遂に大声で笑い出す。

「信じられない。子供みたい……いつもはあんなに冷静に振る舞っているのに」

 憮然としていたニーソンだが、お腹を抑えながら笑い止む様子のないニア・ススに苦笑を浮かべて、遂に自分も笑いだした。

 いつの間にか、ログレッシュ・グレナディアーズも止んでいた。


直線距離 三千光年。

往復   一万光年。


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