3-23 艦長の心得
本日2回め
2019/2/01はローグ・ワンが放送されるぞ。
水兵たちも私が勝つとは思っていないか。足早に廊下を進みながら、マクラウド中尉は屈辱に体を震わせた。
ピリピリと神経が張り詰めているのを自覚して、些か乱暴な足取りで自室へと戻ったマクラウド中尉は、ソファにドカッと腰を下ろした。神経を鎮めようと水差しの冷たい水をコップに乱暴に注いで、一息に飲み干すと、カッカした怒りは収まらないまでも、どうにか抑制できるまで気持ちは落ち着きを取り戻した。
椅子に座り込んだ彼は、額を抑えて部屋の壁を睨みつつ唸りを上げる。
難しい局面であった。ジェームズ・マクラウドにとってまさに正念場であろう。
ピアソン大尉は、わたしにどうしろと言うんだ、どうすればいい!くそっ!いきなり勝負などと……なぜこんなことに。わたしは勝てるのか。いや、勝たねばならん。
デスクに置かれたコンピューターを開いて戦術理論を纏めようとするも、集中力が湧いてこない。
なにかが足りないのは分かるが、それが自分では気づけない。もどかしい。ドツボにはまっている感覚に頭を抱えて唸っていると、扉にノックが響いた。
「誰だね?」マクラウド中尉が噛み付くように言うと、高くか細い声が呼びかけてきた。
「中尉」
「なんだ?」噛み付くように言ってから、マクラウド中尉はそれがユル・ススの声だと気づいた。
「ああ、君か」扉を開けて入ってきたユル・ススは、背中に手を回してモジモジとしていた。
「あの……お話聞いたよ。クイン大尉と対決するのでしょう」
「……ああ」正直、今は相手をしていられないので、マクラウド中尉は短く頷いた。
「頑張ってね」と、ユル・ススの声に、マクラウド中尉は不機嫌そうに黙り込んでいる。
「あのね、サンドイッチ作ったんだ」とユル・スス。包を取り出した。
「ああ、すまない。ありがとう。そこにおいておいてくれるかね」
マクラウド中尉は、会話を打ち切ってデスクへと振り返った。
メルト人の子供は、立ち去らない。
「あの……根を詰めすぎると」
「静かにしてくれ!気が散る!」
マクラウド中尉の怒鳴り声にユル・ススが立ちすくんだ。
じわっと涙が浮かぶと、ポロポロと頬をこぼれ落ちる。
「ご、ごめんなさい」謝ると扉から脱兎のごとく飛び出していった。
しまったと、マクラウド中尉は頭を冷やした。
子供に当たるとは。慌てて立ち上がり、廊下へと飛び出すが、影も形もない。辛うじて足音だけが右の廊下から響いてきている。
(ここで放っておけないから、私は弱いのだろうな)
思いつつ、追いかけるがメルト人の少年は足が速すぎる。
数百メートルほど追いかけたが、途中でとっくに見失っていた。
……済まない。傷つけるつもりはないが、今の私は余裕がない。
汗を拭いながら、マクラウド中尉はユル・ススへとメールを送った。
しかし、明後日は、どうしても負けられない勝負だった。ユル・ススのことは心配だったが、マクラウド中尉にも優先しなければならないことが在るのだ。
ため息を漏らしたマクラウド中尉が踵を返した。考えながら、戦術についての思索に耽っていると、先刻よりはマシな案が幾つか浮かんできた。電脳に書き込みながら、ゆっくりと自室に戻る途中、トレーニングルームでソームズ中尉を見かけた。
ソームズ中尉は160センチほどの凹凸の少ない肉体に漆黒のタンクトップとパンツを纏っていた。
体に負荷をかける特殊な環境力場の中、特別に頑丈に作られた床の上でバーベルを繰り返し、ダンベルのように上下させていた。
「散歩かね」マクラウド中尉に声をかけてきた。
「気持ちの余裕を保とうとするのは大事なことだな」とソームズ中尉が前を向きながら、素っ気なく言った。
マクラウド中尉が言葉に詰まると、ソームズ中尉はバーベルを床に落として、背後の巨大なトレーニングマシンに組み付いて、スクワットの姿勢を取った。
「皮肉ではないぞ。冷静さを失ってないようで、安心したよ」
ソームズ中尉がトレーニングマシンの巨大で柔らかな素材の重りを持ち上げる。
トレーニングマシンの負荷に250と表示される。
起重機みたいだな。マクラウド中尉は場違いに思った。
「ピアソン大尉と私がいないものと考えなさい」とソームズ中尉が言った。
「はっ、それは勿論」マクラウド中尉がうなずくと、ソームズ中尉は首を振るう。
「違う」
「君は艦長として為すべきことをしたか?」とソームズ中尉が尋ねてきた。
当惑するマクラウド中尉に、ソームズ中尉が重ねて尋ねる。
「君がもし新任の艦長として赴任したら、その艦艇で最初にすべきことは?」
マクラウド中尉は、少し考えてから応えた。
「士官下士官たちとの顔合わせと打ち合わせ。序列の確認。連絡手段の確保。指揮系統の一本化ですね」
「部下たちと手順をもう一度確認したまえ。漠然とではなく、ピアソン大尉の代理としてではなく、君の部下としてだ」と少し息を切らしながら、ソームズ中尉が告げた。
「えっ、あ、はい」
マクラウド中尉の覇気のない返事が副艦長には不満だったのか。
「どうにも優柔不断な向きがあるな」ソームズ中尉は顔をしかめた。
「責任ある地位を避ける傾向があるぞ。君の悪い癖だ。違うか?」
「いえ。自分はけして……」流石にマクラウド中尉が否定しようとするが、ソームズ中尉はトレーニングに励みながら、淡々と呟いた。
「誤解するな、君の仕事ぶりに不満がある訳ではない」
さらに重さが足される。起重機に近い軋んだ音がトレーニングマシンから響いてきた。300という数字が表示された。ソームズ中尉は幾度もスクワットを繰り返している。
「君は良い士官であることを既に証明した。しかし、責務(Duty)については……」
ソームズ中尉は、なにかを言いかけ、躊躇い、表現を変えた。
「王立海軍の士官は時として給料以上の仕事が求められる」
ソームズ中尉が巨大なトレーニングマシンの重りを持ち上げた。400という数値が浮かんだ。
マクラウド中尉は真剣に聞いていたが、一瞬だけ、数字はポンドだろうか。或いはキロかもしれないなどとどうでもいいことが脳裏を過ぎった。
「戦う時だ。マクラウド君。君が第一人者なのだ」
ソームズ中尉がマクラウド中尉をじっと見つめた。マクラウド中尉は、息を呑んだ。
「2等海尉とは、十分に艦長が回ってくることが有り得る地位だ。ピアソン大尉と私がいなくなったら、諦めて艦艇の乗組員全員を道連れに沈むかね?それとも、いっそミュラ君に責任をおっ被せるか?」
「わたしは……」
マクラウド中尉は、顔を伏せた。彼は、忠実、かつ誠実な人格の持ち主であり、冒険心と勇敢さを持ち合わせていたが、有能な艦長の元で働く海尉の一人であることに満足していたし、艦長となった自分を想像したこともなかった。
先任士官、それが彼の野心の限界で、明らかにそれ以上の地位を望んだことはなかったのだ。
ソームズ中尉が、ゆっくりとマシンから離れた。タオルで汗を吹きながら、マクラウド中尉を見つめる。ソームズ中尉の床へと滴り落ちる汗からは、甘い芳香が漂ってきている。
「なにを恐れている?敗北か?」
「私が敗北しては、ピアソン大尉は……体面を失うでしょう。それが恐ろしいのです」とマクラウド中尉。
「負けたからと言って、彼は君を責めるような男ではない」ソームズ中尉がぴしゃりと言った。
「体面を失うことも、面白くはないだろうが。彼にとっては織り込み済みだ。部下の為とあらば、苦味も飲み込むさ」近くにあった経口補水液のストローを口に含んで、ソームズ中尉の視線がマクラウド中尉を射抜いた。
「それも含めて、君がベストを尽くすことを期待している。逃げるな」
ソームズ中尉が再び、バーベルを持ち上げる。彼方を見つめながら、淡々と呟いた。
「君は海尉の一人ではなく、艦長として振舞わないければならない。だから、艦長として艦を掌握しなければならない。海尉とは自ずと視点が異なるはずだ」
マクラウド中尉の頬が電気に打たれたように痙攣した。
「大尉殿は貴方なら出来ると判断した。艦長と、それに私の期待を裏切るな」
ほうけた表情のまま、マクラウド中尉はぶるりと武者震いした。
マクラウド中尉は、なにかを言いかけ、しかし、口を閉じ、ただ敬礼した。
「……ふむ」
それ以上一言も喋らず、立ち去るマクラウド中尉の後ろ姿を見送った後、ソームズ中尉は、黙々とウェイト・トレーニングを続けた。
自室に戻ったマクラウド中尉は、随分と頭が冷えていることに気づいた。一介の海尉として使用していた連絡網を流用するのではなく、艦長であればどうすべきかという視点に立って、一から艦内の命令系統を見直して連絡手順を再構成し始めた。
ピアソン大尉のまとめたデーター。戦術面の注意と長所。練度をいかに高めるかの備考。敵の心理に関する洞察。マクラウド中尉は、ジェームズ・アーサー・ピアソンとマーシャ・ソームズの戦術上の弟子でもあった。二人の戦術について、熟知しているとは言えないまでも、クルーの誰よりも傍で見てきている。時間は少ない。あと45時間でどれだけ詰められるか。気持ちを立て直したマクラウド中尉は、再び電脳へと向き直った。今度は、まるで泉のように戦術が滾々と湧き出し、頭の中でカチリと当てはまっていく感覚があった。
オベロン号のシミュレーター室では、ミュラ少尉が機械と対戦しているピアソン大尉の背後に控えて、巨大な電脳上で再現されている宇宙艦艇同士による一騎打ちを注視していた。
高価な量子電脳のシミュレーター上では艦長や乗組員の性格や能力、疲労度、艦艇の素材や火器一つ一つの性能や状態までが数値として設定されている。その強さや戦術は、限りなく現実に近い数字にまで再現されているはずだ。
画面の中では、敵艦が斉射を繰り返している。砲門数、精度と火力、速度、運動性、防護力場。全てにおいてピアソン大尉に優っている設定をなされた敵艦は、しかし、ピアソン大尉の操る小型艦艇に有効な打撃を与えられずに一つ一つ装甲や武装を潰されては、毒が廻った巨獣のように虚空にのたうち回っている。
「D24エリア封鎖。角度42、シールド80%」
ピアソン大尉の命令に従い、雷撃艇が枯れ葉の舞い落ちるような奇妙な軌道を描いて敵艦とすれ違う。
互いの火砲が確かに相手を捉えて艦艇を揺らした。
雷撃艇は、かなり強力な防護力場を展開できるが、敵艦の火力は絶大で精度も高く、通常であれば既に八割は削られているはずだ。
しかし、ピアソン大尉の防護力場の展開と立て直しは異様に早い。人間業とも思えない。最高の量子コンピューターですら、敵の攻撃を此処まで凌げないだろう。予測も優れているが、割り切りも早い。少なくともミュラ少尉には、敵の防護力場を此処まで削りきれる自信はなかった。
「G24エリア封鎖、修繕12-31に待機」ピアソン大尉の打ち込みと口頭命令、電脳からの直接命令で画面ログは埋め尽くされている。
ミュラ少尉には、ピアソン大尉の出す指示を追うことすら困難だった。
「55番からファイア。デコイ発射。ドローン戦闘機14番、チャフ発射。電子戦用ドローン16妨害開始。12は7エリアに移動後、敵の火砲で破壊された擬態を装う」
ピアソン大尉の雷撃艇も様々な箇所に打撃を受けている。少しずつ回復する防護力場も、通常であれば、戦場で削れる速度には到底間に合わない。しかし、ピアソン大尉の場合は、回復するほうが早かった。ダメコンや修繕班の待機、必要部品の割り振り、一つ一つは、ずば抜けているが人間業の範疇では在る。しかし、それらの組み合わせが異様に上手い。歴戦の士官が最高の霊感に打たれた時のような判断を次々と下していく。彼の指示にミスはない。時折、部下に命令が伝わり損ねても、リカバリーが早い。動揺さえしない。ピアソン大尉は、人間ではなく、なにか魔物のたぐいなのではないかとさえ思えてくる。
「G24エリアを修繕せよ。12番主砲、擬態破壊を解除。すれ違いざまにファイア」
シミュレーターの敵艦は、可哀想なほどに一方的に叩かれていた。
ピアソン大尉は、ミュラ少尉ですら戦慄を覚えるほどの強さだった。ミュラ少尉もキャメロット士官学校の出だ。後輩として噂は耳にしていたが、確かに此れは対戦相手が発狂するやも知れない。
ピアソン大尉は途方もなく強い。その力は、大型艦になればなるほど。部隊が大きくなればなるほどに、発揮されるに違いない。今日までの訓練で片鱗すら出していないのは、部下がついてこれないからか。手加減してなお敵を完封しているなど、人間業とも思えない。銀河系広しと言えども、彼と戦える艦長が幾人いるだろう。
此れほどの実力なれば、なぜ、クイン大尉ごときとの対決を避けるのか。なぜ、態々、マクラウド中尉に戦わせるのか。そして、なぜ……私を戦わせないのか。
「不満そうだな。ミュラ君」シミュレーターを向いたまま、ピアソン大尉が呟いた。
「あー、はい。艦長」ミュラ少尉は素直に頷いた。咎められようと隠す気はない。クイン大尉を相手にミュラ少尉は戦意を漲らせていた。
「なぜ、マクラウド君にやらせたか分かるかね?」ピアソン大尉が淡々とした口調で尋ねた。
「わかりません。艦長」とミュラ少尉。
「君にはマクラウド中尉のような急成長は望めない」ピアソン大尉の言葉に、ミュラ少尉の眉間に雷光が走った。彼女は、自分の力量がマクラウド中尉に劣っているとは欠片も思っていなかった。
ピアソン大尉は苦笑を浮かべたようだった。画面の中でほぼ動けなくなった敵艦をばら撒いていた機雷やドローン戦闘機で撹乱し、対処能力を低下させながら、自艦は一撃離脱と遠距離砲撃を組み合わせて打撃を与えている。
時折、ドローン戦闘機や部下が勝手な行動を起こすが、それにも綺麗に対処して修正している。
「資質が劣るとは言っておらんよ。君は、戦士として既に完成している」ピアソン大尉は言った。
「これから先、さらに強くなるとしても、それは現在の君の延長上に過ぎない。別人のように変革することはないだろう。しかし、マクラウド中尉は我々とは違う。彼は一皮剥けなければならない」
「期待しているのですか?」ミュラ少尉が少し面白くなさそうに言った。
「マクラウド君は君にないものを持っている。君がマクラウド君にないものを持っているようにな」
冷ややかに告げたピアソン大尉は、一人で行っていたシミュレーターに決着もつけずに立ち上がった。
直後、画面の中で敵艦に亀裂が走った。練度A。最新最精鋭設定のフリゲートが虚空で爆散する。
シミュレーターに戦歴が表示される。
J・A・ピアソン大尉の戦歴
条件・雷撃艇 整備率80
敵条件
・練度D 海賊 強襲戦闘艇 整備率60 勝率 100% 〇
・練度C 海賊 雷撃艇 整備率80 勝率 100% 〇〇
・練度C 正規軍 雷撃艇 整備率80 勝率 100% 〇
・練度C 海賊 コルベット 整備率80 勝率 100% 〇〇
・練度C 海賊 スループ 整備率80 勝率 100% 〇〇〇
・練度B 海賊 スループ 整備率90 勝率 100% 〇〇
味方条件
条件・雷撃艇 整備率80
補助艦艇・補給艦1隻 工作艦1隻
敵条件
・練度C 正規軍 強襲戦闘艇2隻およびストーム戦闘艇6機 整備率80 勝率 100% 〇
・練度B 正規軍 強襲戦闘艇3隻およびストーム戦闘艇12機 整備率100 勝率 100% 〇
new!!
敵 フリゲートを撃沈しました。
フリゲート 雷撃艇
損耗率100 - 損耗率0
・練度A 正規軍 フリゲート 整備率100 勝率 100% 〇
画面を眺めたミュラ少尉はポツリと呟いた。
「損耗率0。相も変わらず、人間離れした強さだこと。どうして雷撃艇でフリゲートを撃沈できるのかしら?」
言うまでもなく海賊の標準とする乗員の練度や兵装、防護力場の性能は、列強正規軍が採用するそれに比せば大きく劣っている。が、それでも辺境警備用にカスタムされた雷撃艇で、フリゲートを撃沈まで追い込めるというのは尋常な腕前ではない。少なくともミュラ少尉には逆立ちしても不可能な芸当であったし、ソームズ中尉とて十回に一回でも出来れば良い方だろう。王立海軍広しといえども、ピアソン大尉と同じ領域で技量を競える艦長が果たして幾人いるだろうか。けして多くはない筈だ。
振り返ったミュラ少尉は、シミュレーター室から退室していく上官の背中を見つめ、そっと囁いた。
「実戦でもこの強さを発揮してくれるといいのだけれど………」
小さな少女がオベロン号の回廊を全力で駆けながら、前方に向かって「バカ!追いつかせなさいよ!」と叫んでいた。
「できないよう!」回廊の前方から泣き声混じりの叫びが返ってくる。
「この馬鹿!」なにやら罵倒しかけた少女の足が縺れて、無様にすっ転んだ。
「けぺっ!」
前方で立ち止まった足音がした。ついで恐る恐る近寄ってくる足音。
ぜえぜえと息切れしながら、ナターシャがひっくり返って天井を見上げた。
「き、気分悪いわ。運動嫌いなのに……」
「だ、大丈夫?」近寄ってきたユル・ススが、見下ろしつつ尋ねてきた。
メルト人の子供は、見かけによらず足が早いのだ。
「………大丈夫じゃないわ、話しかけないで。吐きそう」
ナターシャは目を閉じた。
汗だくになって喘いでいるナターシャの横でしゃがみ込む音がした。
「ああ、どうしよう。中尉に嫌われちゃった。もう死ぬ」
「ほんとにアンタって駄目な子ね。頭がいいのに馬鹿だわ」ナターシャが突き放すような口調でいった。
怯んだユル・ススがまた泣きそうな気配を漂わせたので、ナターシャは呆れたようにため息を漏らしつつも慰めの声をかけた。
「そんなことある訳ないじゃない。落ち着いて考えなさい。あの無害そうな中尉が、あんたを嫌ったり、傷つける訳ないじゃない。今頃、あんたを傷つけたんじゃないかっておろおろしてるわよ」
「中尉は……」ユル・ススが自信なさげに呟いた。
「あの人は善良な人よ。見てわからない女がいたら節穴だわ」ナターシャが断言する。
「そうだね」ユル・ススがうなずいた。
「それより、あんた……距離感のない子ね」
ナターシャの指摘に、ユル・ススがうつむいた。
「反省している」
呼吸が落ち着いたので、ナターシャはようやく起き上がった。まだふらつくので近くの安っぽいソファに腰掛け、ユル・ススが自販機で購入した水を受け取った。
「再生水じゃないでしょうね?」ナターシャは疑わしげに瓶を眺めた。
「ミネラルウォーターって表示してあるよ」
「まあ、いいわ」ナターシャは500mlの水を完全に飲み干してから、ユル・ススを指さした。
「あんたはあの人が好きすぎるから、近づきすぎるのよ。大人には一人になりたい時があるんだわ。それに、マクラウド中尉は、あんたがおもっているよりも強いかも知れないわよ」
「そうだと良いけれど」ユル・ススが弱気に呟いた。
「まあ、王立海軍の士官たちを、怒らせないのに越したことはないわ。
その気になれば、法的に怪しいあんたを簡単に処分できるんだからね」
ナターシャの忠告にユル・ススが頷いた。
「マクラウド中尉は大丈夫でしょうけど」ナターシャが考えながら呟くと、ユル・ススも真面目な表情で頷いた。
「分かってる。ピアソン大尉の前に出るときは……」
「むしろ、ソームズ中尉に気をつけなさい」ナターシャはぴしりと言った。
「ピアソン大尉じゃなくて?大尉のほうが恐く感じたけど」ユル・ススが戸惑ったように言った。
「ピアソン大尉は、必要ならいくらでも冷酷になれる人種ね」とナターシャは頷いた。
「でも、彼は頭がいいから、理由がなければ。こじつけではなくて、本当の意味でもっともな理由よ。そんな真似はしないわ。あんたが馬鹿な真似をしなければ、むしろ庇護してくれると思う」
ナターシャの言葉に思うところがあったのか。ユル・ススは素直にうなずいたので、ナターシャは機嫌を直した。それから、友人の顔を覗き込んで、真剣な口調で忠告する。
「でも、ソームズ中尉の目は違うわ。狂信者の目。自分が正しいと思ったことのために手を穢すことを躊躇わない人種の目ね。あたしのパパとママを処刑した秘密警察の隊長がああいう目をしていたわ」