3-22 チート禁止令
マクラウド中尉を恩人と慕うユル・ススが、一連の事件について耳にしたのは、その日の夕刻であった。
仕事を済ませたユル・ススが未成年用の控室へとやってくると、熊のヌイグルミを抱えたナターシャが懇切丁寧にピアソン大尉が口止めしたはずの事件のあらましについて教えてくれた。アンドロビッチ船長が溺愛している姪っ子のナターシャは、またオベロン号のありとあらゆる場所に出没しては、面白そうな事件には鼻を突っ込まずにはいられない好奇心の塊のような少女であった。
(マクラウド中尉を勝たせよう)
クイン大尉とマクラウド中尉の対決について知ったユル・ススは、即断即決でそう企んだのだが、口に出してはこう呟いただけだった。
「マクラウド中尉に勝ってほしいなあ」
「別にいいけどハッキングするつもりだったら止めなさい。マクラウド中尉が死んじゃうわよ」
ナターシャがさりげない口調で釘を刺してきた。ずばりと図星を指されたユル・ススがギョッとして、目を瞠った。
「なぜ?」
「やっぱりそのつもりだったのね」とナターシャはため息を漏らしつつ、ユル・ススに忠告してやった。
「止めなさい。マクラウド中尉の為にならないわ。バレたら、それこそ中尉は大恥かくわよ」
「バレやしないよ」ユル・ススが唇を尖らせた。
「船長の姪っ子の君には気の毒だけど、3時間あったら僕はこの船の全機能を掌握できるよ」
指を少し動かして、オベロン号の航路情報や乗客リスト、各非常ロックの開閉機能まで表示してみせた。ログレス式プログラムを学習して、ユル・ススのハッキング能力は短期間で大幅に向上していた。
「勿論、重要な機構を乗っ取ろうとしたら、すぐさまにバレて電脳的、物理的に反撃がくるだろうけど、ちょっとシミュレーターの命中判定を誤魔化すくらいバレっこないよ。法律でも船のシミュレーターの一時的な誤魔化しだから大して重罪じゃない。運良く中尉が勝ったふうに演出するのは簡単だよ」
最悪でも罰金刑だしと高をくくったユル・ススが胸を張ると、ナターシャは救いようがないとでも言いたげに深々とため息を漏らして見せた。
「貴方ねえ。よく考えなさい。全力でぶつかり合って死なないのは訓練だからなのよ」
「うん」とユル・スス。
「あんたが命中判定をちょっと誤魔化せば確かに中尉さんは勝てるかも知れないわね。でも、恥をかいてもなによ。死ぬわけじゃないわ」とナターシャが言葉を続けて指摘した。
「だけど、ここであんたがチートして彼を勝たせてご覧なさい。マクラウド中尉は自分の実力を勘違いしたまま、本物の海賊と戦うのよ。そん時には、神様は中尉のために命中判定をごまかしてくれないのよ」
沈黙したユル・ススにナターシャは顎をツンとそらしてみせた。
「それにバレたら罰金じゃ済まないわよ。中尉があんたをどう思うかしらん?」
「……どう思うと思う?」不安そうにユル・ススは尋ねた。
「知らないわ。安い男なら感謝するかも知れないし、誇り高い男なら激怒してあんたを絶対に許さないかも知れないわね」言ってニヤリとした。
「……じゃあ、どうすればいいんだい」唇を尖らせたユル・ススに、ナターシャは即答した。
「見守るのよ」
ナターシャのしたり顔に、ユル・ススは不満そうな表情となった。
「大人の事情に子供が顔を突っ込むものでもないわ」とナターシャ。
「君はしょっちゅう、おじさんに口答えしているじゃないか」数日付き合えば、ユル・ススとてナターシャがどんな娘かは理解できる。
「あら、私はいいのよ。大人に心配をかけるのが子供の仕事だもの。わたしを嗜めることで、おじさんは幸せになっているのだわ」何故か偉そうなナターシャ。
「君の言ってることが理解できないよ」ぼやいてから、ユル・ススは自分の髪をかき回した。
「兎に角、僕は中尉のためになにかをしてあげたいんだ」
頭を抱えて廊下をウロウロしているマクラウド中尉の行動を、近くにある監視カメラの映像を繋げて熱っぽい視線で眺めながら、ユル・ススはつぶやいた。
「まあ、ストーカーになりかかってるわよ、貴方」
鼻を鳴らしたナターシャが、ユル・ススに人指し指を突きつけた。
「いいこと。今、一番大事なのは邪魔をしないことよ」
船内のありとあらゆる事象に通じようとするかのごとくバイタリティ溢れた少女が、物知り顔で偉そうに嗜めてくる態度にユル・ススは半信半疑だった。
「放っておけないよ」
「放っておいてあげなさい。貴方のそれは自己満足だわ」とナターシャ。
「違うよ。僕はマクラウド中尉のことを考えて、幸せを祈ってるもの」頬を膨らませて抗議するユル・スス。
「あなたは自分の為に中尉のことを考えているでしょう。中尉は、貴方の為に貴方のことを考えているわ」ナターシャの言葉に、ユル・ススは苦い顔となった。
「男の人にはそういう時があるものよ。ほら、あの噛みつきそうな顔。絶対に近寄っては駄目だわ。おじさんが仕事でイライラしている時にそっくりなんだから」ナターシャがゾッとしないとでも言いたげに首を振った。
夕食時の兵員食堂では、ジョニー・Gが分厚いチキンステーキを切り刻んでいた。
1枚250グラム。柑橘類と醤油を使ったタレは悪くない。全く悪くない。モラレスの作った猟奇的な鶏の乾燥死体とは天地の差だ。モラレスは料理人ではなく、古代エジプトで木乃伊職人になるべき男だった。
だが、3枚目ともなると流石に飽きが来た。次は、オニオンときのこを食うとしよう。そうしよう。
ジョニー・Gは、頑丈な歯でパリパリに焼かれた皮ごと咀嚼し、柔らかな鶏肉を舌で存分に堪能してから嚥下する。レモンと砂糖をぶち込んだジンのお湯割り(グロッグ)を一息に飲み干すとジョニー・Gの胃がカッと燃え上がった。
熱い吐息を漏らしてから、ジョニー・Gは、オニオンソースにきのこを添えた分厚いチキンステーキに取り掛かる。
「お前の胃袋は底なしだな」グロッグを味わいながら、エドが呆れたように言った。
「飯を食わなきゃ力が出ねえ」皿のソースを拭ったパンを口に放り込みながら、ジョニー・Gが唸った。
「食事が美味いのは良いことだよ」船匠見習いのキャバノーが口元を拭いながらうなずくと、向かいのテーブルについているワッツが歌うように告げた。
「カペーの最良の艦長は、自分と同じ美食を乗組員に振る舞い、カペーの最悪の艦長は、自分だけ美食を取る。そして王立海軍の最悪の艦長は、自分と同じ粗食を乗組員に振る舞う」
「なんだい、それは?」キャバノーが尋ねるとワッツはニヤリとした。
「古くから宇宙艦艇乗りの間で囁かれている警句さ。全く水兵で外れの艦長を引くことほど辛い人生はないからな」冗談めかしていったワッツに、しかし、古参の部類の水兵たちが苦笑を浮かべた。
「最近、食事の時間が楽しみになってきたよ」
そう呟いた航海士の老ハラーが、焼いた人参や南瓜やらをつまみながら、オニオンのコンソメスープでパンをボソボソと食べていた。
「爺さん、なに食っているんだい?」物珍しげに眺めたエドが尋ねた。
「蕎麦だ。蕎麦のパンさ」応えたハラーは、下士官相当の航海士であった。立場上はエドの上官となるが、艦艇暮らしも長い老人は不慣れな強制徴募兵たちの面倒をなにかと見てやっており、エドも親しげな態度を取りつつ、命令にはきっちりと従っている。
「そんなうまいもんじゃねえぞ」ハラーが付け加えた言葉に、エドは頷いた。
「………野菜とパンばっかりだな」
「この歳になると肉を食うのも億劫でな。体が受け付けねえ」とハラー。
「あれだ。若返らねえのか?王立海軍には、千年だか現役の水兵もいるらしいじゃねえか」エドが尋ねた。
「ありゃあ、好きじゃねえ」老ハラーは吐き捨てた。
「人間は歳を食って二百歳くらいでポックリいくのが自然ってもんよ。ただ長生きしてもよ、辛いだけよ」
老ハラーにワッツが笑って言葉を返した。
「モラレスのオートミールを食わされる人生じゃ、俺だって世を儚んでいたかも知れないな」
「同じ材料で此処まで違うとはな。まったく、モー・モフが来なかったらと思うとゾッとするぜ」
モラレスへの罪のない非難中傷が飛び交ったが、司厨士も交替済みであり、それほど深刻な罵倒でもなかった。
「別に奴に文句があるわけじゃないが。我らが愛すべきモー・モフ司厨士に乾杯だ」古参水兵の一人レッケンドルフがグロッグの杯を掲げた。
「乾杯」他の水兵も、厨房にて腕をふるっているカエル型エイリアンに杯を上げる。
「やつのさらなる昇進を祈って、乾杯」
「モー・モフが司厨長へと昇進しますように」口々に祈ってから、グロッグを呷った。
飲み干した杯をテーブルに叩きつけてから、口元を拭ったジョニー・Gが食堂を見回した。
「そういや、今日はマクラウド中尉を見ないな。モー・モフの日だってのに」
マクラウド中尉は、週に一度は兵員たちと食事を共にする。元は兵士たちの生活に不満がないか、士官が把握するためにピアソン大尉が始めた慣習だったが、食事が向上してから、ピアソン大尉は姿を見せなくなった。カエル型異星人を司厨士に任命したことで当面の問題は解決したと判断したのだろうか。ピアソン大尉は、他者を自然と服従させるだけの威風を纏った人物だが、厳格な性格から部下を過剰に萎縮させる側面も否めない。正直に言えば、水兵たちにとっては艦長の目のない場所の方が寛げるのだ。
それに比べれば、マクラウド中尉には安心感があった。人情の機微を解する中年男ならば、道理に基づいて判断してくれるだろうという人格面への信頼感を築いていたのだ。
「……例のあれがあったからな」とワッツが頷いた。
醜態、とまではいかないまでも、シミュレーションでマクラウド中尉が精彩を欠いたのは確かだった。 それでも苦境において最後まで粘り続け、兎も角も艦を沈めずに撤退させたマクラウド中尉へのクルーの評価は意外と低くない。少なくとも本人が恐れているように軽侮しているものはいなかった。ピアソン大尉は水兵たちに畏れられていたが、マクラウド中尉は水兵たちに慕われている。それだけに今後の成り行きに対して、乗組員たちも他人事ならぬ関心を寄せていた。
「どう思う?」若いスミスが口にする。声は自然と低く抑えられた。
「クイン大尉との対決か?」レッケンドルフがため息を漏らした。
あたりを見回してから、軽く頷いて応える。
「ここだけの話。艦長は、マクラウドの旦那にやらせるつもりだと見たぜ」
エドが疑問を口にする。
「なんでよ。艦長殿なら、まず勝てるだろうに」
「ビビってる……ってことは」とスミス。
「あの大尉に限ってまずないだろ」とジョニー・G。
「シミュレーションとなると、仕方ないさ。ピアソン大尉はやりたがらないだろうな」
海軍兵学校の卒業者である船匠助手のキャバノーが、食後のお茶を啜りながら肩をすくめる。
「なんか知ってるのか?」とレッケンドルフが視線を向けた。
「又聞きなんだけどね。僕の従姉妹がキャメロット郊外の士官学校に通っていて。ピアソン大尉が士官学校時代にシミュレーターで………」
何気なく口にしていたキャバノーだが、水兵たちの視線の集中に気づいて口籠った。
「言っていいのかな。これ」
「此処まで言ったんだから言っちまえよ。焦らすな」身を乗り出したエドが先を促した。
「あらかじめ断っておくけど全部、噂だよ」一言断ってから、キャバノーは言葉を続けた。
「ええっと、シミュレーターだと損害を含めた判定で点数をつけるんだよ。1700-2300、80-100みたいな感じでね。で、普通は、勝った方でも相手の2割から3割増しの得点なんだけど………」
キャバノーは少し躊躇ってから、言葉を口にした。
「ピアソン大尉はキャメロット士官学校のシミュレーターで相手を完封したんだ。3000-0、5000-0みたいな馬鹿げた点数差でね」
「まさか」とレッケンドルフが疑うような口調でいった。
「まさかってなるよな。分かってる。噂だって」とキャバノーが断りを入れた。
「レッケンドルフ、口を挟まねえでくれよ。俺は話の続きを聞きてえ」老ハラーが言うと、レッケンドルフは苦い顔で沈黙した。
「なら、なおさらうちの大将やればいいじゃないか。やるべきだぜ」
エドの言葉にキャバノー船匠助手が首を振った。
「此れは凄いとか、そういう次元の話じゃないんだ。完封されると普通、対戦相手は、敢闘精神に欠けるとか、知性に深刻な問題が在ると看做される」
キャバノーは、テーブルに付いた面々を見回した。
「で、入学した艦長。当時はピアソン士官候補生は、最初の対戦から3人連続で完封した。結果、対戦相手の内7人が退学して2人自殺した。退学したうちの3人は、ピアソン大尉が一号生の時の2年から4年の代表」
幾人かの疑うような視線に、本人も苦笑いを浮かべてキャバノーが頷いた。
「だよなあ。リアリティがない。皆、凄いエリートだよ。それが学年ごとの代表戦で賓客を前に一号生相手に完封されたって誰が信じるんだよ」
苦い顔をしたキャバノーは、なにか言いたげなレッケンドルフに頷いてみせる。
「言っておくけど、俺も信じてる訳じゃない。ネットやら又聞きやらだ。手も足も出ないとかそういうレベルじゃないからね。そこらへんの新入生が教官を相手にしたって、幾らかは点数を上げられる筈だよ。回復不能な有効打が一回でもあればいいんだから」
「………自殺したって、誰が」誰かが尋ねて、キャバノーはため息を漏らした。
「一人は戦術担当の教官」話しすぎて喉が傷んだのか。お茶を飲もうとして空になってることに気づいたキャバノーに、ジョニー・Gがグロッグを差し出した。
「ピアソン候補生の相手をした一号生3人に退学勧告してから、4人目は自分が完封された。校長に自分が退学させた3名の復学申請をしてから、自室で拳銃で自殺した。もう一人は士官学校の双璧、ブーディッカ士官学校の代表。ロンディニウム星系の士官候補生で最強を決めるシミュレーター大会の優勝者で、キャメロット士官学校の先年代表が自主退学したから事情を調べ上げたんだろうね」
キャバノーは、手持ちの携帯を取り出すと、当時収集した噂を確かめてから頷いた。
「わざわざピアソン大尉のところへやってきて挑戦状を叩きつけた。で、負けたその日に泥酔して車道で撥ねられた。半分、自殺みたいなものだよ」
「……まじかよ」
水兵たちがざわつき、隣の者と目を合わせる食卓で、エドはポツリと呟いた。ピアソン大尉のただならぬ威風に打たれたことの在るエドは、今の話が真実であってもおかしくないと思えた。
「って噂されてる」キャバノーが付け加えた。
「噂か」冷静だったワッツが尋ねた。
「噂だよ、与太話さ」とキャバノーは肩をすくめた。
「何だ、噂か」最初から話半分だった外国人のブランドンが冷ややかに笑った。
キャバノーも皮肉っぽく笑う。
「まあ、そんな伝説が出来るくらい強かったのは確かだよ。シミュレーターの対人で殆んど負け無しってのは有名な話だからね」
「しかしよ。そうなると、ますます解せねえぜ」と海兵隊のハウが首をひねった。
「御大がでねえでマクラウド中尉にやらせるのは、ちょっと無謀ってもんだ」
「おいおい、先走るな。マクラウド中尉を出すかどうかもまだ分からんのだぜ」とジョニー・G
「そうだぜ、それに負けるとも限らねえ」と老ハラーが言い張るが、レッケンドルフが首を振った。
「そうかい?俺だって旦那に勝ってもらいてえのは山々だけどよ」レッケンドルフが一同を見回した。
「あのクイン大尉ってのは相当にやるぜ。シミュレーターを一回、見学したが、陸者の集まりを短時間で四分の一人前くらいには鍛え上げてる。試合の日までには半人前くらいに仕立ててくるかもよ、だぜ」
レッケンドルフが言った瞬間に、食堂に沈黙が舞い降りた。
水兵たちの目が背後に集中している事に気づいてレッケンドルフが振り返ると、食堂の入り口にマクラウド中尉がいた。
苛立ちを隠しきれない表情で歯を食いしばったマクラウド中尉は、テーブルの水差しを一つひったくると足早に立ち去っていった。
「期待できないかな。こりゃ」誰かの低い囁き声がマクラウド中尉の耳に遠く響いた。