3-19 One hundred million ships
今回は説明回だぞ
ログレスに関して無知な人物の目から通した社会構造
ニア・ススは、先刻の出会いに恐怖していた。背筋を震わせ、メルト人居住区を足早に通り過ぎると、いらだちと当惑に爪を噛んだ。
老人は明らかに狂気に陥っていたように彼女には見えた。そして信じがたいことだが、周囲にいる青年たちは老人の妄想を完全に信じ切っているように思える。いったいどのような経緯で、個人の狂気があそこまで集団に伝染するのだろうか。
そこまで考えてから、ふと小さな不安がニア・ススの胸を過ぎった。妄想……老人の言葉は、果たして妄想なのだろうか。
考えてみれば、私はまったくログレスのことを知らないではないか?もしかして老人の言葉のほうが正しいのでは?
老人の自信満々な態度を見せられたニア・ススは、幾らか老人の言葉に流されそうになっていた。
そもそも彼女を含めた殆んど全てのメルト人たちは、ログレス帝国を伝聞でしか知らないのだ。
ただ、それでもニア・ススは、裏を取ってから判断しようと考える程度には理性を持ち合わせていた。
幸いというべきか。このオベロン号内部には、多種多様なエイリアンたちが滞在していた。中には言葉が通じるのかすら怪しい相手もいたが、兎に角、話を聞いてみることは出来るだろう。そしてログレスが幻想ならよし。大国であるなら、やはり老人たちの無謀な行動を止めなければなるまい。
だけど、その方法があるだろうか。ニア・ススは渋い顔をする。
老人たちは、何か良くないことを目論んでいる気がする。
何とか阻止しなければならない。だけど、どうやって?彼女自身は、ただの小娘に過ぎない。
ログレス軍にでも密告するか?しかし、現時点でメルト自由軍のした事といえば、ケチな強請り集りに過ぎない。
なんと言えばいい?メルト人の一部が誇大妄想を抱いています。彼らが貴方たちに対して何か良くないことをするかも知れません。とでも言えばいいのか?
誇大妄想は行き過ぎにしても、偉大さへの執着や幻想を抱いていない民族がいるだろうか?
ニア・ススが警告したとして、運が良ければログレス人も多少の警戒はするだろうか。だが、具体的に大した悪さをしていない集団に対して拘禁など予防的措置を取るかは疑問だった。分からない。ログレス人がどんな性質を持つのか、ニア・ススは全く知らないし、そもそも伝手もないのだ。
もしかしたら、メルト人たちを全員始末して片づけてしまうかも知れないではないか。
まして、頭のおかしい奴なんて世の中に有り触れている。このオベロン号の内部だけでごまんと見かけるほどだ。
裸で天井に一週間も張り付いていたトカゲ人。扇風機のAIに延々と愛の告白を話しかけていた両性人。小さな箱から出てこないガイコツみたいな猫、喋れるのにメモ帳を介してしか意思の疎通を取らない人間、ログレス王の親戚だと名乗ってる人類が3人もいたし、昨日はナポレオンの生まれ変わりにも会った。この世界が量子コンピューターによるゲームだと信じて、天井に向かって延々とチートをくれと力説している黒尽くめの少年もいたし、下着が寄生型エイリアンで人類を監視していると演説してる奴、落ちていたネジが宇宙船の爆発の予兆だと思い込んで怯えている奴までいた。
仮にニア・ススが、何とかログレス人に連絡を取ったとしよう。
「ログレス帝国が実在していないと信じている頭のおかしい連中が、貴方たちを狙っています!」
「ほう?では我々は何者なのかね?」
……難しいな。そもそも聞いてくれるかしらん?メルト自由軍が何をするか分からないし、ログレス人がなにを考えているのか。ニア・ススは全く知らない。そもそも伝手もない。彼女は頭を抱えた。
頭を悩ませながらも、ニア・ススは第3格納庫へとやってきた。
取りあえずは、仕事を探さなければならない。船客たちには、メルト人に対して同情的な人々も少なからずいた。例え、それが強者の余裕であろうとも、或いは、同病相憐れむの類であろうとも、単純に同情であろうとも、兎に角もニア・ススに仕事の機会を与えてくれるのであればどうでもよかった。
彼女にはお金が必要だったし、移住先のザラの情勢に関する情報も必要だった。だから、兎に角、飛び込んでいった。
何をできるかを聞かれるが、ニア・ススは何もできなかった。畑を耕せる。メヴー牛の乳を搾れる。木こりと大工仕事には自信がある。機を織れる。原始的な機械を修理できる。
彼女の得意とする作業は、宇宙艦艇の内部で探せる仕事には、何の役にもたたない。
通貨の種類も複雑でよく分からない。エイリアンが当たり前に使っているお金の種類や違いもよく分からないし、レートや手数料も複雑だった。お金の距離価値や有効期限、使用回数、償却期限とまで言われても、騙しているのか、正直に教えてくれてるのか、見当もつかない。
「ログレス£(ポンド)プリーズ」兎に角、銀河系の万能通貨の一つを覚えたことは収穫だろう。うん。
正直、ニア・ススも、ログレス人たちに思うところはある。だけど、ユル・ススに限っては、目を掛けられている状況に偽りは見えない。騙されているのではないかと思うのは、猜疑的になっているからだろうか。
ユル・スス自体は、可愛がられているようだ。口を開けば、マクラウド中尉のことばかり。だとしても、一方でニア・ススの耳にしてきたログレスの噂には、あまりいい評判を聞かない。
リゴン人だけではない。半端仕事で雇ってもらった乗客たちも、ログレスに対しては不満が多かった。母国に軍隊が駐屯している。航路の利用料金が高い。貿易条項があまりに不平等に過ぎる。搾取されてる、と愚痴るものが多かった。
とはいえ、悪政ではないのだ。他の大国の虐殺だの、圧政だのの噂に比べれば物の数ではない。
「そこが奴らの上手いところなんだ」
雇い主である自称交易商人の痩せた中年男が、忙しく手を動かしながら愚痴っている。
「俺たちは本来、月に160時間程度働けば暮らせるはずだ。だが、ログレスの責で170時間を働いている。これはちゃんとした科学者の統計なんだぞ」
「そうだ。連中は1日に20分、俺たちを搾取してる!収入の6%を吸い取られているんだ」隣の宇宙艦艇で油まみれでインジケーターとやらを弄っていた黒目の宇宙人が叫んだ。
真正面で食事をとっていた蛸に似た宇宙人が、触手を複雑に動かした。
「だけどログレス追い出しても、もっと酷いことになった国も多いからなぁ」
翻訳機がザーザー言いながら、言葉を訳してくれる。宇宙艦艇の上部で作業着を着たトカゲが、馬鹿でかいエンジンを抱えながら、ひと声吠えて共通語を口にする。
「軍隊は地元に金落とすし、守ってくれるし」
「うちんところだと駐屯していた軍人さんがノマド相手に戦死したからなぁ。確かに、他の大国とかに支配されるよりは……」
誰も彼もが不満を覚えつつも、強大な銀河帝国の……大ログレスの支配を受け入れているようだった。そうして、少なくともログレスはここにいるエイリアンたちの半分の母星を統治下に置いているのは確かであった。
こうやって多種多様のエイリアンに混じって作業しつつも、大して役に立たないニア・ススだが、少なくとも意欲はあった。彼女はまだましな方で、残りのメルト人難民ともなると宇宙艦艇での生活に適応できない大人が大半だった。それでも、ニア・ススは教えてもらった幾つかの機械技術はものに出来た。
油やグリース、潤滑液や冷却液に塗れつつ、機械を動かして修理の腕を磨いていく。
「マシンドロイドに倣うのもいいぞ。自由商人の宇宙艦艇で育つやつらなんかは、大抵、マシンドロイドの子守で育ったものさ」と雇い主が笑っていった。
今日の仕事は、交易商人と称する痩せた頬髯の男と子供二人を手伝っての、荷物を運ぶ力仕事だった。
コンテナの小さな木箱をニア・ススは軽々と運んだ。父親が2つ、3つと運ぶ箱を、彼女は一度に五つ以上重ねて運んだ。子供たちが歓声を上げ、威厳を傷つけられた父親がへそを曲げる。
柔らかなプラスチックの箱は、落としても周囲を傷つけないように出来ていた。
指定された通りの場所に箱を移動させながら、ニア・ススは世間話を持ち掛けた。父親はザラに小型だが快速の貿易船を所持しており、これまで母方の実家で子供たちが育っている間、生活費を稼いでいたらしい。件の貿易船はけして長距離の跳躍に不向きという訳ではないが、採算が取れるだけの仕事を見つけるよりは、大型の客船で引き取りに行ったほうがいいと考えた父親は、今は船を友人に預けているとのことだった。
「惑星単位の地産地消が成立しているからなあ。精々、二~三千光年内なら兎も角、それ以上となると採算が取れるのは一部のスパイスやエネルギー鉱石くらいか。いつか扱ってみたいもんだが。よっぽど近くでなけりゃ、手紙や郵便、旅客運送なんかが手堅い仕事だな」
そう頷く交易商人にニア・ススはさりげなく尋ねてみた。
「ログレスって国にどんな印象を抱いてますか?」
「銀河系最大の海賊だな」と交易商人が即答する。
「海賊」とニア・スス。
「言い方を変えりゃあ、悪の銀河帝国!」
「ですよねぇ」
二人は顔を合わせてから、愉快そうに笑った。
「行ったことあります?」とニア・ススは、彼女にとっては大事な質問をしてみた。
「あるある。俺はこれでも銀河系の彼方まで跳んだ男だからね」交易商人は、にやりと豪語してみせた。
ここでニア・ススは一瞬、躊躇してから尋ねて見せた。
「戦列艦を見たことは?」
交易商人は直ぐには応えなかった。彼は少し考えてから用心深そうにゆっくりと返答した。
「辺境管区の大規模観艦式で一度な」
ニア・ススがじっと見つめているのに気づいて、交易商人はため息を漏らしてから言葉をつづけた。
「途方もないでかさだった。ぞっとしたよ」
交易商人は、浮かべていた笑みを消していた。
「アメジスト領域方面の何とかいうエイリアン帝国への示威行動だったはずだ……一発で惑星を消し飛ばすような巨大な宇宙戦艦が星の海を埋め尽くすみたいに並んでいた。それまで俺はログレスを面白く思ってなかった。今もそうだが……」
交易商人は、言葉を切ってからぶるりと体を震わせた。
「当時、若い頃は……反乱軍に加わってやろうなんて考えたことも正直あった。だが、あれを見たら。そんな考えは一発で吹っ飛んだ。あんな恐ろしい……数億の人間を惑星ごと抹殺できるような非人間的なシステムが何千も整然と並んでいるのを見て、俺は……」
苦い笑みを浮かべた。
「心底ぶるった。例え、帝国に故郷を滅ぼされた奴らや家族を殺された奴らでも、あの光景を見たら諦めるだろう。そんな光景だった」
ニア・ススは、大きくため息を漏らした。そんな恐ろしいシステムを指揮し、支配する人間たちとはどんな男、或いは女なのだろうか。ニア・ススには想像もつかない。
脳裏にピアソン大尉の姿が思い浮かんだ。冷たい灰色の瞳に、鋼のごとき強靭な意志が宿っているのが見て取れた。明らかに尋常な人物ではなかった。一瞬目が合っただけにも拘らず、ニア・ススは本能的な恐怖を覚えた。
あのピアソン大尉でさえ、一介の下級将校に過ぎない。だとしたら、ログレス帝国の人材の質と量はどれ程のものだろうか。そして銀河系の支配者を自負するログレス人にとっては、メルト人など。そしてリゴン人ですら人ではないのではないか。
交渉するにしても対等の立場など望みえないどころか、そもそもがニア・ススにはログレスがどんな国かの知識が欠けている。取り扱いが分からない巨大な組織を相手にしてルールも分からないのにゲームをする気にはなれなかった。耳を疑うような幾つかの銀河帝国の恐ろしい噂が真実であれば、ログレスが例外でなければ、敗北のペナルティがメルト人の一斉処分という可能性だってありえるのだ。
沈黙したニア・ススに、交易商人が気づかわしげに話しかけた。
「おい、急に黙っちゃってどうしたんだい?」
「身内がログレス人の下で……この船で働いているんです」ニア・ススはぎこちなく苦笑を返した。
「あの子きちんと働いているかしら」
その日の午後、馴れない仕事がようやく終わりを告げて、ユル・ススは安堵のため息を漏らした。
清潔で可愛らしい制服に身を包み、客室の消耗品を補充したり、ごみ掃除やメッセンジャーに道案内するのは、中々に面白い仕事だった。機械で済むところにわざわざ人手を介して非効率的なシステムや小さなミスが発生する余地を残して楽しむのが、ログレス人の流儀らしい。
ユル・ススの仕事ぶりの評判は同僚からも船客からも悪くなかった。無論、アンドロビッチ船長はユル・ススがピアソン大尉の積み荷を窃盗した件を忘れた訳ではなく、(しかし、餓えた女子供の為という理由に対しては些かの同情を覚えてもいたので、他の接客従業員に対してユル・ススの過去の罪状は暴露しなかった)一人では客室に入れず、常に接客ドロイドと相方の従業員をつけて仕事をさせたのだが、今度は怪しげなそぶりを全く見せることなく、また覚えが早くきっちりとしたその仕事振りは、同僚の信頼を素早く勝ち取ることに成功していた。
ユル・ススの働きぶりは、アンドロビッチ船長をまずまず満足させたようで、彼は年端もいかぬ年齢で波乱に満ちた人生を送ってきたこの少年に懇ろな言葉をかけてやり、休憩時間には事務室で勉強できるように取り計らってやった。
これはピアソン大尉が貸与してくれた風船みたいに浮かんでいる家庭教師型マシンドロイドから受けられる授業で、貴族用の高等教育に対応した教育プログラムが入っているからユル・ススにとって、ログレスの一般常識を学べる絶好の機会になるはずであった。
「あの男も存外、優しいところがあるわい」そう呟いたアンドロビッチ船長は、大いに肯いたものだった。
「大変にやりがいのある仕事です。外縁領域の無知な外国人に一般常識から教えるとは。それにもまして、マスターであるピアソン一族に私の存在と機能が忘れさられていた訳ではないと知って、わたしは大変に感動しておりますとも」
ユル・ススは、その不格好でペンキが剥がれかけた自称・アルゴン伯爵家開闢以来の家臣である教育ドロイドを胡散臭そうな目で見上げた。
周囲では、同年代の少年少女が教育プログラムを受けている。と見せかけて音楽を聴いているもの。寝ているもの。ゲームをしている少年少女。ユル・ススの見たところ、どうもオベロン号乗組員の子女たちは、あまり真面目な生徒ではなさそうだ。それとも今は、比較的にカリキュラムに余裕がある時期なのだろうか?
「では、初めまして。私はDD-23。リチャード71世の時代にログレス王家からアルゴン伯爵家に下賜された由緒ある教育型マシンドロイドです」ボール型ドロイドが自己紹介した。
「僕はユル・スス」支給された教科書を広げながら、ユル・ススが淡々と自己紹介した。
「では、何からお教えしましょうか?ログレス語は喋れるようですが、初等教育は終了いたしましたか?」ボール型ドロイドが尋ねてくる。
「一般常識について。近いうちにログレスの属領で暮らすことになるけど、僕はログレスについて何も知らない。特に王立海軍に関して知りたい」とユル・スス。
「知識欲旺盛なようですな。ふむ。大変、結構。しかし、王立海軍を知るには、コモンウェルスから説明しなければならないでしょう」ふよふよと浮かびながら、丸形ドロイドが壁のスクリーンに文字を投影した。
「ログレス連邦(コモンウェルス オブ ネイション)とは、ログレスを中心とした軍事同盟・通商連合共同体諸国の名称です。ログレス連邦王国は、ログレス国王を同君連合とする一連の王国群です。ログレス王国は、国王直轄領を中心としてログレス貴族諸領邦、属領、辺境管区、総督府、鎮守府、勅許会社保有領域からなる単一の王国です」
「連邦、連邦王国、王国だね。覚えた」とユル・スス。
「よろしい」気取った調子で言ったDD23が説明を続けた。
「王立海軍とは通常、このログレス王国の正規艦艇のみを意味します。かつての王立海軍は、連邦の各諸国が供出する軍隊と税金によって成り立つ雑多で烏合の衆な連合軍でしたが、現在ではログレス王国単独と航路通行料による収益で運営されています。連邦軍の戦力が拡充するにつれて年々、その重要度は低下しています」
「あ、思っていたほど大きな組織じゃないみたい」ユル・ススが、両掌を合わせてホッとしたように呟いた。中尉があんまり偉いよりも、社会的地位の差が小さいほうが嬉しかった。
「そうですね、王立海軍の保有戦力はHMSと呼ばれる6等級以上の戦闘艦艇だけで精々1億隻程度です。ちなみに6等級艦艇とは、現在の定義では800メートルから1200メートルのフリゲート級を指しています」
マシンドロイドでも、人を馬鹿にした口調で喋れるのは凄いプログラムだとは思うけれど、ログレス人はもっと違うところに尽力すべきじゃないかなとユル・ススは疑問に思った。
「ログレス軍には、この他に星系防衛艦隊および辺境管区の総督や鎮守府、地方政府の艦隊も存在します。中央域の主要星系は、300億から500億の人口を抱えています。いずれも10から12の地球型惑星と比較的小型の艦艇からなる1万隻程度の艦隊を抱えており、市民権保有者のかなりがこれら100ほどの星系に集中しています。その他、人口10億人以上の惑星だけで10万を数えます。ログレスは、斥力力場によって赤色巨星を解体し、資源を調達する採掘能力を有するに至っていますが、無秩序な人口増加は避けている模様ですね」
「想像つかないや」ユル・ススはぽつりと言った。
ユル・ススが育った土地は、惑星メルトでも人口の少ない地方で、そして物心ついた時には、開拓者から隠れ住むように森の奥深い居留地で暮らしていたので、そんな何十万もの惑星に何百兆人もの人口を抱えた一大帝国が、いかなシステムで統治されているのかも皆目、見当がつかなかった。
「そうでしょうとも」とDD23が得意げに言った。ユル・ススの周囲をくるくる回転しながら、マシンドロイドが言葉を続ける。
「とは言え、人口だけで言えば千億人が居住している惑星もそれほど珍しくありません」
「話を王立海軍に戻しますと、海軍の最高位司令官である国王艦隊卿には、非常時におけるログレス王国及びログレス連邦王国全軍の指揮権が与えられます」
マシンドロイドが再び映像をスクリーンに投射したが、銀河帝国軍の無数の艦隊や警備艦隊、防衛軍、辺境軍、地上軍、同盟諸国に傭兵や現地人部隊、民兵からまでなる巨大組織の編成を一目に理解するのはユル・ススでも不可能に思えた。
「………企業軍、現地政府軍、諸侯軍、議会軍」取り敢えずログレス社会を構成する重要な要素らしい名称だけは覚えようと呟いた。
「ログレス帝国の総兵力は不明ですが、過去にノマド大氏族を殲滅しています。ノマド大氏族は通常、最低400万乃至800万隻の大型戦闘艦を中心に構成された大兵力を擁しており、それら大氏族の下にさらに無数の小氏族が参集した連合艦隊を構成します。
このノマド大氏族の侵攻を撃退でも、防衛でもなく、殲滅したのは記録されている限り、銀河系では他に3カ国。エグザン・トゥメスト銀河帝国、レシェナキア汎銀河系共同体、ヴァリオス=キュレス二重皇国のみですので、今のところログレス帝国は銀河系最強の一角と見做して間違いないでしょう。反乱軍は馬鹿者の集まりです。ただの自殺志願者です。ログレス帝国及び国王陛下に神のご加護があらんことを」とマシンドロイド教師が恭しい調子で言った。
「国王陛下?」ユル・ススが呟いた。
やっと最高権力者としても不思議のない称号が出てきた。とは言え、立憲君主制ということもあれば、最高執政官を任命する国家統合の象徴という例もある。例え、育ったのが数十人の小さな居留地であっても、人類史くらいは学んでいるし、映画や小説、漫画だって読んでいる。
「国王陛下です。現在のベアトリス2世。192歳で御座います。ご覧になりますか?」
マシンドロイドがスクリーンに映像を投射した。可愛らしい音楽付きだった。少しばかりふくよかな少女が、ドレスを着て犬を抱えて笑ってる。
「なんと愛らしいお姿でしょう。可愛い」DD23がうっとりとした音声を発した。
「可愛い?」とユル・スス。コロコロして確かに可愛いかもしれないが歯がギザギザである。獰猛な鰐が歯を剥きだして威嚇しているようにも見えた。
「貴方の視力が低いことを確認できましたよ、ユル・スス」DD23が毒のある口調で言った。
「僕の視力は1.4あるよ」ユル・ススは文句を言った。
「では、脳内の認識機構に関して深刻な障害が発生している恐れがあります。可及的速やかに近くの肉屋で頭蓋骨を切開してください。できるだけ不衛生なところで」とDD23。
「君は論理回路に問題があるみたいだね」
言ってから、ユル・ススは少し目を閉じてから、感慨深げにもう一度呟いた。
「それにしても1億隻。すごいね」
もしユル・ススが1隻でも宇宙艦を持っていたら、おじいちゃんも居留地のみんなも奴隷商人なんかに殺されないで済んだに違いない。どこか遠い………奴隷商人も来ないような、誰も知らない惑星へ行くことも出来ただろうか。誰にも脅かされることなく平穏に暮らせただろうか。
「ワンハンドレッドミリオンシップスです。6万年前のオメガの戦いで、銀河帝国エグザン・トゥメストの連合艦隊を打ち破っています。そして、いまや、我々こそがアルマダなのです。
おお、銀河で並ぶもののなき王立海軍よ。国王陛下と大ログレスエンパイアに神の祝福があらんことを。後、反乱軍は滅びるべきである」機械が素っ頓狂な歌声でがなり始めた。
「……エグザン・トゥメスト」ユル・ススは、少なくとも当時はログレスと互角か。それ以上であっただろう、もう一つの銀河帝国の名を呟いた。6万年前の宿敵は、まだ在ってログレスに匹敵するのか、それとも滅びただろうか。
マシンドロイドが歌を中断した。嘆くような口調で王立海軍の現状を話す。
「しかし、そんな光輝ある王立海軍も、役人に言わせると外務省の道具です。嘆かわしい」
「外務省」ユル・ススはうなずいた。外交が軍事の上位のファクターと見做されているのは、ある意味健全なのではなかろうか。
「もっとも、外務省も議会には逆らえないのですが」DD23マシンドロイドは、スライドに国王(The Crown)、貴族院 (House of Lords)、そして庶民院 (House of Commons)と投射した。
「上院が貴族院?庶民院の方が権限が強い?」見当をつけたユル・ススが尋ねた。
「イエス。そして国王陛下が、国王裁可を持って法律を承認なさいます」
「つまり国王……陛下に究極的な権限がある?少なくとも建前上は」とユル・スス。
「イエス」とマシンドロイド。
「制度上は、ログレスは国王のものなんだ。でも、実際に国を動かしているのは違う?企業や庶民院にも一定の影響力がある。複雑な国なんだね?」此処までの説明を噛み砕くようにユル・ススが言った。
「はい。最高権力者が誰についてかは、常に難しい問題です。ログレスでは法が国王の上に位置してます。少なくとも建前上は」とDD23は渋々認めてから言葉を続けた。
「野蛮領域の王国と違って、窓の外の酔っ払いが目障りだからと言って、鞭打ったり、処刑することはできないのです。もっとも、女王陛下手ずからバケツの水を掛けて追い払うことはできますが」
マシンドロイドはクスクスと笑った。ユル・ススには笑いどころがよく分からない。
マシンドロイドの家庭教師がスクリーンに投射した映像で、ユル・ススもログレス社会の大まかな構造は理解できた。ログレスにおいては、古代イギリスに倣って政府の執行と立法府は一体化しており、国王に究極的な権限、あるいは主権が在るとされていた。伝統的な権威のもと、権力の暴走を抑えるウェストミンスターシステムが採用されている。それに対して、新世界諸国やらはフランスに倣った三権分立などが多いようだ。
考え込んでいるユル・ススの傍らで、ライナスの毛布のようにクマの大きなヌイグルミを抱えた少女が茶々を入れてきた。
「で、女王陛下は風邪を引いた酔っ払いに訴訟を起こされて、治療費と慰謝料4450£を私費から支払う羽目に陥ったのよ」
「え?それほんと?」ユル・ススが目をパチクリさせて尋ねると、少女はくすくす笑ってうなずいた。
「王家は大昔に大陸から拾ってこられたから、国民からそんなに敬われてないの」
「国王陛下は大変に敬われておりますとも」ボール型ドロイドが憤然として抗議した。
「特に今上は機械の保護に熱心なところが素晴らしい。機械の使い捨ては反対です。虐待です。ああ、わたしも王家に残りたかった。一緒に買われたDD-21は王家に残り、私は冷酷で無頓着で倉庫に放り込んで油も差さないピアソン一族に下賜されたのです」
「ところで、結局、誰が国家の最高指導者なの?」とユル・スス。
「よい質問ですね。2代前に8歳で即位なされた国王陛下ヘンリー201世が当時の首相に同じ質問をしました。その時、首相は国王の家庭教師メアリー・アボット女史の名を上げました」とマシンドロイド。
ユル・ススが真剣に聞いているのに、このポンコツときたらどう仕様もない言葉を吐いた。
「なぜならば、銀河系でただ一人。彼女だけが銀河で至高の権力を持つログレス国王ヘンリー201世のお尻を叩くことが許されていたからです」
なんとも言えない表情でユル・ススが首を振ると、マシンドロイドは力説した。
「しかし、国内で最大の権力を持つのは国王陛下で間違いありません。おお、神よ。ログレス帝国ならびに国王陛下のお尻を守り給え。あとついでに反乱軍を滅ぼしたまえ」
このマシンドロイドはポンコツだ。そう確信したユル・ススは、兎に角にも、自分で聞きたいことだけ尋ねてみる方針を取った。
「201世?」
「201世です」マシンドロイドが恭しく言った。
「歴史の授業が大変だね」
「最多のエリザベス女王は1233世ですが、ここ百代ほどエリザベス女王は出ていません。王家の誰もエリザベス1234世に成りたがらないのです。一説には反乱軍の陰謀だと言われています。なんと邪悪な奴らなんでしょう」嘆かわしいとマシンドロイドが回転する。
「1234世なんて名乗りたがる王様なんていないわ」
隣の女の子がバカにしたように鼻を鳴らした。
「バカがトランクのキーに使う数字だもの」
勤王家のマシンドロイドが怒りのあまり、甲高い電子音を発して女の子に軽く体当りした。
ユル・ススは、一つの王家が数千世代もの間、途切れることなく連綿と受け継がれており、銀河を支配しているという事実に圧倒されるような気持ちを覚えていたが、教科書を捲っていて、ふと違和感を覚えた。
「オメガの戦いの時にも、ワンハンドレッドミリオンシップスの呼称はあったの?」
クマのヌイグルミを抱えたまま、獰猛な唸りを上げて追いかけてくる女の子から逃げ回っているボール型マシンドロイドに質問する。
「ええ。当時はすでにワンハンドレッドミリオンシップスの異名をとっていました、痛い!やめなさい!わたしはボールではない!」悲鳴をあげるマシンドロイド。
「その頃は烏合の衆だった?」とユル・スス。
「いいえ。その頃は既にログレス王国単独の艦隊でした」と高い位置に逃げながらマシンドロイド。
「そして今は、他の軍隊が整って比重が小さくなっている」
つまりログレスの軍事力は、遥かに強大化している。それを隠そうとはしていないが、一方で王立海軍は相変わらず重要な役割を締めている。
「だとしたら………なのに、もうずっとワンハンドレッドミリオンシップス?もしかして等級の格付け基準が変化してる?昔は、1等級だった艦が今は2等級だとか」ユル・ススは尋ねてみた。
「確かに定期的に等級は変化しています。3世代前のドレッドノートは、今の巡洋戦艦に劣ります。また結成当初の基準であれば、シュトルム戦闘艇は数に数えられたでしょう」
「では、やはり王立海軍は時間と共に質的量的に強化されているんだ……呼称を変えない理由は?他国を警戒させないため?それとも正確な戦力を図らせないため?」
「伝統あるワンハンドレッドミリオンシップスの名前を変える必要が、何処にあります?それより助けて」と飛びかかってきた子どもたちに引きずり降ろされたマシンドロイドが哀れな声でうめいた。
「伝統?」ユル・ススは首を振った。
やはりログレス人はよく分からないとユル・ススは思った。
待ちたまえ。このポンコツは確かに捨て………置いてきたはずだ。なぜ荷物に入ってるのだ?
DD-23について ピアソン大尉