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3-4 血と刃

本日2回目

「あら、マッコール。ついに海賊に転職したの?」

 子供を拘束している大男を見て、ミュラ少尉が素っ頓狂な言葉を掛けた。

「サー」流石のマッコールも当惑したのだが、ミュラ少尉はコロコロと笑った。

「冗談よ。で、その子が倉庫に盗みに入ったんだ。あらあら、小さな海賊さんね」

 ミュラ少尉が拘束されている子供の顔を覗き込んだ。傍目にも、整った顔をしている。

 12、3歳ほどに見えるが、一般に低重力の惑星やコロニー、宇宙艦艇で育った子供は背丈が高く、高重力の惑星や宇宙艦艇では背が低くなる傾向があるので、一律、地球並みに調整されているログレス諸惑星の地上育ちとは違って断定しきれない。極世界領域でログレスと勢力を争う三月連盟の伝説的工作員「赤い女神」のように、赤子の頃から不老処置を施してしまえば幼児の外見を持った殺し屋だって生み出せるのだ。


 ピアソン大尉が懸念を抱いたことに気付いたのか、彼の有能な従卒がうなずいた。

「取り急ぎチェックを致しました。サイボーグでもなく、人造人間でもないのは確認済みです。肉体的には最低限の強化もされていないナチュラルでございます」とマッカンドリュース。

 拘束されている子供をじっと見つめたピアソン大尉は、マッカンドリュースに問いを投げかけた。

「油断していたのかね?」

「とんでもございません。ドローンの目が殺されておりました。トライアンフの在庫管理の一般用ですが、見事にハックされております」

 倉庫は、召使い型ドローンに見張らせてあったのだが、無効化されていたと訴えた。

 トライアンフ社のドローンは堅固な電脳防壁で知られていたから、この言葉は一同を驚かせるに充分であった。

 冷やかさを保ったまま、ピアソン大尉が皮肉っぽい口調で言った。

「見事な腕前だ。願わくば、そのスキルはもっと有益な形で活用して欲しかったがね」

「そちらの髪飾りが電脳です。バイオニクス進化型ナノコンピューター。言うまでもなくかなり高性能な代物です」マッカンドリュースが近くの箱の上に置かれた銀色の髪飾りを右手で示した


「盗まれたものは?」とピアソン大尉。

「全て食べ物です」とアレクシアが報告した。

「エルメット産の牛肉60キロ、パエジャ産の豚肉40キロ、塩と胡椒、シナモン、ローリエなどの香辛料。あとは玉ねぎと麦の20キロ袋が3つ、豆、ジャガイモに米の袋が……」諳んじたアレクシアの言葉をピアソン大尉が遮った。

「ああ、細々と言わんでいい」

「そして、チョコレートが全滅です」と最後にアレクシアが付け加えた。

「チョコレート?」ピアソン大尉が眉を上げる。

「シャルルロワの最上のものです。次の寄港地で注文を出しても、取り寄せるのに9か月は掛かります」

「おう……シャルルロワ」

 マクラウド中尉が、天を仰いで小さく嘆いた。


「被害額は11万4000£となります。それでいかが対処なされますか?」マッカンドリュースが主人に尋ねた。

 マクラウド中尉は、金額にギョッとしていた。彼のサラリーは牛に負けていた。

 ピアソン大尉の背後では、ソームズ中尉がアレクシアに向かって小声でささやいている。

「それだけの量が盗まれて気づかないもの?」

「気づかなかったのは予備の食糧で、短期間に集中して被害を受けました。3日前のチェックでは異常がなかったので……」とアレクシア。

「悪戯にしては度が過ぎているな」

 そっけなく言ったピアソン大尉に視線が集中した。全員が彼の裁定を待っている。


 ピアソン大尉は、後ろ手に掌を組んだまま、少年の顔を覗き込んでみた。

 少年は酷く怯えていた。王立海軍士官の持ち物に手を出した、しかも、密航者がどう処されるかは知っているようだ。表情は青ざめており、瞳孔は恐怖によって拡大している。

「……100キロの食料を平らげたのにしては痩せているな」ピアソン大尉がつぶやいた。

 顔色も良くない。それでもピアソン大尉をじっと見つめていた。

「明らかな栄養失調の兆候が見られます」マッカンドリュースが指摘した。

「ふむ。自己進化型電脳を持っているにしては、不思議なこともあるものだ。あれは安いものではない」

 幼い窃盗犯の痩せた顔色を観察して、ピアソン大尉が言った。


「ログレス語は分かるかな?」

 少年は、品のある整った顔つきだが、しかし、強情そうに口元を結んでいた。

「旅券を見せたまえ。親御さんは何処にいる?」

 この質問にも沈黙している。

 マッカンドリュースがため息を漏らした。

「先刻からこの態度でして……こちらの質問にも全く応えようとしません」

「ですが、英語での呼びかけに反応を見せました」

「……英語。ああ、ログレス語の成立に貢献した言葉だね。互いに言葉は通じるというわけだ。結構」

 うなずいたピアソン大尉が尋ねかけた。

「一人で食べられる量ではない。仲間がいるはずだ」

「一人で食べた」

 少年が言い張った瞬間、ソームズ中尉が掌の裏手で彼の頬を張り飛ばした。

 響き渡った重たい音に、マクラウド中尉が思わず顔を歪めた。


 とはいえ、さすがに子供相手に加減はしたようだ。バトルドロイド相手の白兵戦技訓練で既に証明しているように、ソームズ中尉が本気で殴り飛ばせば、大の男でもただでは済まない。

 頬を赤く腫れ上がらせ、涙目で呻く少年を、ピアソン大尉が見下ろした。

「その年齢で、密航者かつ窃盗犯かね」

「恐らくはその両方かと。指紋認証で確認しましたが、正規の乗船名簿に登録されておりません」とケンダル士官が報告した。

「その知能と技能があれば、もっとましな生き方も出来ただろう。君は、王立海軍の士官の持ち物に手を出し、取り調べに対しても非協力的だ。此の侭では、重犯罪刑務所行きは免れんぞ」

 少年は涙を零した。すすり泣いたが、しかし、一言も漏らさなかった。

 少年をじっと眺めていたピアソン大尉が、振り返った。

「ミスター・ケンダル。懲罰用の鞭は持っているかね?」


 少年が鉄パイプに腕を拘束されていた。ピアソン大尉が少年の尻に触れた。

「ひっ!」

 瞳には微かに脅えが宿っていたが、それでも気丈にピアソン大尉を睨みつける。

 中性的な美貌の華奢な少年。あるいは少女かもしれないが……拘束された姿は、ある種の人間には憐れみを誘う光景だったかもしれないが、ピアソン大尉はそうした感傷とは無縁のようだった。

「薄い布だ。これなら多少は躾になるだろう」

 少年の着衣を確かめたピアソン大尉が、それでも少年に最後の機会を与えた。

「此れが最後のチャンスだ。君は何者だね?素直に喋るならよし……」

「へっ、変態!放してよ!」

 だが、少年はピアソン大尉の恐ろしさを知らないからか。話は噛み合わなかった。

 マクラウド中尉は僅かに厭そうに頬を痙攣させた。

 例え、性根の曲がった少年に対してであっても、節くれだった籐の杖を振るうのを見るのは楽しい光景ではない。

 だが、彼は艦長ではないし、財産を侵害されたのも彼ではない。

 それにこの少年の強情さときたら。野生の山猫も顔負けであった。大人しく見るしかないだろう。

「ケンダル君。6回だ」

 ピアソン大尉が言うと、頷いたケンダルが鞭を振り上げた。

 植物性の鞭を尻に叩き付ける。少年が甲高い声で叫んだ。ミュラ少尉は、ちろりと唇の端を舐めた。マクラウド中尉は、ただ気の毒で目を瞑った。


「6回です。サー」

 船の士官であるケンダルが額の汗を拭いながら、ピアソン大尉に報告した。

「ご苦労。ケンダル君」

 ピアソン大尉のそっけない言葉に、ケンダルも頷いた。

「では、事情を説明する気になったかね。名前は?」ピアソン大尉が聞いた。

 少年は息も絶え絶えだった。

「大尉殿は、名前を聞いておられる」ソームズ中尉が言うが、返答はなかった。

 ピアソン大尉が淡々と言った。

「ケンダル君。鞭を」

「ユル・スス……ユル・ススです」少年が弱々しく呟くのを無視してピアソン大尉が言った。

「6回だ」

「待って……喋った」さっと顔を青ざめさせた少年が顔を上げて訴えるが、マッコールが無言で腕を抑えた。

「待って、やめて!もう!」少年は体を悶えさせて叫んだが、ピアソン大尉は同情の素振りは見せず、冷淡に言った。

「叫ぶ元気がある。弱った振りをしてやり過ごそう、か。そんな使い古された手は通用せんよ」



 客船の士官が少年に懲罰を与えている光景を見ていた時も、ピアソン大尉は眉一つ動かさなかった。

 ログレス貴族であるピアソン大尉も、子供の頃、過ちを犯した時には祖父や教師に激しく打たれたものだ。ソームズ中尉の場合は、鞭ではなく電気ショックによるものではあったが、殆んど事情は同じであった。

 他の列強よりもノマドが王立海軍に溶け込みやすいのも、ログレスの上流階級とノマドの上位血族に共通して教育の厳しさと責務を重視する文化が在るからやも知れない。ログレス貴族やノマドの高位血族にとって、過ちを犯した子供を鞭打つことは教育の一環でしかない。

 しかし、同時に人権を重視する国の一部の人々が口を極めて非難するのと違い、彼らは体罰を乱用しない。

 自らがそれを受けて育ってきたログレスの上流階級は、体罰の有効性と共に弊害もよく承知していた。

 過度の体罰は子供の性格を捻じ曲げ、時に卑屈に、或いは冷酷にしてしまうこともよく承知していたから、彼らは体罰をエースやキングの切り札のように存在を匂わせて相手を牽制しつつ、実際には滅多に切ることはなかったし、使うときも慎重に使いどころを見定めてから使用した。なので、この発言は、少しだけソームズ中尉を驚かせた。

 しかし、少しだけだ。ピアソン大尉がただ子供を脅かすつもりなのか。本気で懲罰を与えるつもりなのか。どちらにしてもピアソン大尉には深い考えがあるに違いないとソームズ中尉は信頼していた。

 とは言え、仮にピアソン大尉が気まぐれな残酷さを発揮したとしても、ソームズ中尉は、それを良しとして、全てを受け入れてしまうかもしれない。


「……現状を認識したまえ。君は密航者なのだぞ。そして現行の法律では、密航者が一等客室の手荷物に手を出せば海賊として扱われる。死刑もあり得るのだ」

「死刑……嘘」愕然とした少年にピアソン大尉は、淡々と告げた。

「冗談だと思うか?被害額から言っても縛り首は免れ得ない」


「餓えた子供が貧しさゆえに食べ物を盗んだのであれば、情状を酌量する余地もあろう。だが、裕福な家庭の子供が悪戯で私の財産を損なったのだとしたら……」

 ピアソン大尉は、表情を変えずに少年に告げた。

「その服装と物腰、アクセントと電脳。電脳に象嵌された文字は、愛する我が子へ、か。誕生日の贈り物かね。相当にいい家の出なのだろう?それがハッキングを駆使して間抜けな大人から物を盗み、捕まっても親の力で釈放される」

 何かを言いかけた少年をピアソン大尉が穏やかな口調で遮った。

「わたしは、貧しさゆえに法を犯す人間よりも、特権を持って法を踏み躙る人間のほうが嫌いだ」


「もういい。これ以上、貴様に時間を割くのは無駄だ。海賊は縛り首だ」

 ピアソン大尉はどうでも良さそうな口調で告げた。

「ま、待って」

「私を甘く見るな、小僧。例え百万£の電脳と高い教育を受けさせてくれる有力な親がお前にいるとしても。仮に、勅許会社の役員や総督の息子であったとしても、だ。その年齢で盗みを働くような根性の捻じ曲がった糞餓鬼一匹吊るしたところで、誰も何も言わないし、誰にも何も言わせん。お前はただの密航者の盗人として死ぬのだ」

 少年の瞠っていた目に涙が浮かんだ。ぼろぼろと零れ落ちる涙を冷然と見下ろしていたピアソン大尉が言い放った。

「その知能と技能があれば、もっとましな生き方も出来ただろうがな。連れていけ」

 すすり泣く少年をソームズ中尉が引っ立てた。

 脅し文句なのか、本気で言っているのか分からずに、マクラウド中尉はおろおろしていたし、ケンダルは表情を強張らせていた。ミュラ少尉は無表情を保っている。


「た、大尉!」

 マクラウド中尉が進み出ていた。青い顔で懇願するように言った。

「まさか、大尉。そのようなことはなさらないでしょう」

「マクラウド中尉。君に発言を許した覚えはないぞ」

 ぴしゃりと言ったピアソン大尉の冷たい視線に怯んだが、マクラウド中尉は言葉を続けた。

「子、子供です。まだ……」

「マクラウド君!」ソームズ中尉が叱りつけた。

「マクラウド!」

 ピアソン大尉の怒声が壁を震わせた。

「このナイーブな馬鹿者め!よほど愛情たっぷりの親の元で甘やかされて育ったと見えるな!黙っておれ!」

 ピアソン大尉の剣幕にマクラウド中尉が震えあがったところで少年が口を開いた。

「親なんか……い、ない」

 すすり泣きながら、少年は言葉を続けた。

「殺された。宇宙海賊に……旅券もない」


「宇宙海賊に親を殺された。旅券はない……さて」

 ピアソン大尉は、指で近くの机をたたいた。

「事情を話したまえ」

 少年はすすり泣いていた。

 マクラウド中尉は、ピアソン大尉をそっと窺ったが、今度はピアソン大尉は脅かしつける様子もなく、少年が落ち着いて自分から話すのをじっと待ち受けている。

「密航じゃない……です。積み荷で」少年が告げた。

 ピアソン大尉が沈黙していた。微かに目を細めただけだったが、なぜかソームズ中尉が慌てたように歩み寄った。

「奴隷だと……」

 ピアソン大尉の語気が僅かに乱れていた。声音に爆発寸前の感情が渦巻いているのを敏感に感じ取って、ユル・ススは身を竦めた。

 奴隷が貴族のものに手を出した。蛮地領域(Barbaric region)で、専制君主の齧って捨てたリンゴを拾った奴隷が咎められ、生きたまま解体されて野ざらしにされた逸話を思い出したユル・ススは、思わず死を願ったが、ピアソン大尉の怒りの理由は異なっていた。


 アレクシアが進み出た。

「恐らくは、事実かと。正規の乗船名簿に登録されておりませんし、それに……」

 ユル・ススの腕をとって、手首のバーコードを見せつける。

「管理番号です。奴隷商人のよく使う貼り付け型のコンピューターです」

「間違いないの?」ミュラ少尉が尋ねて、アレクシアがほほ笑んだ。

「間違えるはずありません。話が実話か否かは別として、バーコードは本物です」

 アレクシアがメイド服を捲って自らの手首の火傷を見せた。わずかにバーコードの跡が残されている。

「……奴隷制は廃れたのでは?」

 マクラウド中尉が尋ねると、マッコールが首を振った。

「辺境ではまだ続いています、サー」

 マッコールも自分の腕の入れ墨を見せた。刺青の下にバーコードが隠れているのにマクラウド中尉は気づいた。

 ソームズ中尉が無知に呆れた目をマクラウド中尉に向けた。本来、王立海軍の士官にとって、上位者からの侮蔑感はけして軽視できるものではないが、善良なマクラウド中尉は、もうユル・ススに対する気の毒な気持ちで一杯になっていたので、この時は他人からの評価などどうでも良くなっていた。


 ピアソン大尉が冷たい口調で呟いた。

「言い分を信じるのであれば、この子供はつい最近まで自由民であった。それを何者かが宇宙海賊から買い取り、奴隷として……」

 その時、船の士官のケンダルが腰に手をやった動作を、ピアソン大尉が見咎めた。

「なにをしてるのだね。ケンダル君」

「船長に報告します」とケンダルが言った。

「報告は少し待ちたまえ」とピアソン大尉が言った。

「自分の義務であります」ケンダルは言い張った。

「では、するがいい。その場合、船長の無能は厳しく追及せざるを得ないが」

 ピアソンがケンダルを睨みつけて言葉を続けた。

「まさか、船長の持ち物ではあるまいね。いやしくもログレス船籍の船の船長が、奴隷を所持して」

 その時のピアソン大尉の表情を見たケンダルは心底、自分がアンドロビッチ船長の立場でなくてよかったと思った。

「いいえ、まさか。けっしてありません。船長は奴隷を毛嫌いしております。これだけは確かです」

 アンドロビッチ船長の名誉のために、それでもケンダルはそれだけは主張した。

「では、財産を侵害された私の怒りが収まるまで。分かるかね、ミスター・ケンダル。船長のためにも、話し合う前に少し冷静になる為の時間の猶予をいただきたい」

 ケンダルは強張った表情で頷くと、携帯端末を腰に戻した。

「ありがとう、ミスター・ケンダル。協力を感謝するよ。

 ピアソン大尉は、無表情で冷たく言った。他人からは、その感情は全く窺えなかった。



 アンドロビッチ船長主催の夕食会では、立派な身分の人々が今も歓談に興じていた。

「ピアソン大尉の祖父。アルゴン伯爵は大変に立派な軍人でね」

 鷲鼻をした老役人がワインを味わいながら、懐かしむように周囲の客に昔話を語っていた。

「私は彼の下で戦ったことがある。その頃の私は一介の士官候補生で、彼は提督であったから、いつも仰ぐような気持ちで彼を見たものだ」


「どんな人だったのかしら?」

 小さなナターシャの質問に鷲鼻の役人がうなずいた。

「2000隻の艦隊に300隻で突っ込んで降伏させたのだ。これは中々にできることじゃないよ。お嬢さん」

「ペトシャール討伐戦の最後の戦いだな」客の一人が口を挟み、鷲鼻の役人はうなずいた。

「有名なパラスの戦いの指揮を執ったのは、アルゴン伯爵だ。もっとも相手は、ペトシャールの奴隷商人と腰抜けの傭兵が乗った鈍重な武装揚陸艦の集まりに過ぎん。提督の指揮していたのは、軽快なフリゲートの他は若干の戦闘機。まあ、それでも糞度胸の持ち主であることに疑いはないがね」

 一座の人々が感心したようにざわめいた。

 鷲鼻の役人はワインを掲げるようにしていった。

「連中の艦隊の中核を直撃。殲滅して、散々にかき回し、降伏させたのだ。もっともその時に、細君を失ってはいるが」


「細君も、海軍の軍人だったのですか?」若い地上軍の士官が尋ねたが、鷲鼻の役人は首を横に振った。

「いや、拉致され、首領の船に人質として乗せられていたのだ。伯爵の幼馴染で、おしどり夫婦として有名だった」

「おいたわしい」ご婦人が、隣の太った夫人にそう囁いた。

「……そんなのひどいわ」ナターシャがつぶやいている。

「伯爵も苦しまれたと思うよ。しかし、彼はその苦しみを誰にも見せなかった。彼は、責務を優先した。中央領域から奴隷商人を一掃するには、どうしても連中を逃す訳にはいかなかったのだ」

 いったん、言葉を切った鷲鼻の役人が奴隷商人の末路について話した。

「伯爵の怒りは凄まじかった。一千万を超える奴隷商人が捕縛され、わずか十二名を残し、残り全員が絞首刑に処された」

「幹部を残したのですか」と一人が質問した。

「いいや、ピアソン提督が言うには、途中でロープが足らなくなったらしい」

 鷲鼻の役人がにやりとすると、どっと笑いが巻き起こった。

 ニーソン氏も笑みを浮かべていたが、アンドロビッチ船長の見たところ、明らかに強張った表情で無理している印象を受けた。

(いい気味だわい。もし彼が奴隷商人なら、ピアソン一族と同席しているのは生きた心地がせんだろう)

 とアンドロビッチ船長は、ほくそ笑んだ。


「救出された人々のうち、七千万の人々が伯爵の領土への移住を希望したが、アルゴンの大気は薄く、全員は養いきれない。一部しか受け入れることができなかった」

 鷲鼻の役人の話に、人々は聞き入っていた。ログレス貴族は多く、領域は広大であったが、アルゴン伯爵家の物語は、特に鮮烈な印象を与えるものの一つで、例え、当時は士官候補生であったとしても、伝説の目撃者からこうして話を聞けるのは、また別格の味わいであった。

「それでも伯爵は、自分の財産と時間を使って、解放された人々の為にできる限りの力を尽くしたのだよ」


 ワインを手にした鷲鼻の役人が感慨深げに、天蓋のシールドに広がる星の海を見上げた。

「元々、アルゴン星系は海賊の拠点だったのだが……初代アルゴン男爵となったリチャード・ピアソンが海賊たちを殲滅して、ログレスの領土に加えたのだ」

「ちょっと海賊が可哀そうだわ」ナターシャが言うと、鷲鼻の役人は大きく首を振った。

「とんでもない。リチャードの祖父アーサーが元々、当時は小さな独立星系だったアルゴンの出身でね」

「まあ、するとアルゴン伯爵は元は海賊の血筋だったの?」とナターシャが叫んだ。

「いいや。アルゴン伯爵家は海賊ではない。海賊の子孫は王家だよ」にやりと笑って付け加えた鷲鼻の役人の言葉に、笑いが巻き起こった。ログレス人が海賊と呼ばれ、ひいては王室が海賊の子孫よばわりされるのは、銀河系では周知の事実であった。


「しかし、ログレス船の水夫であったアーサーが強制徴募されて王国海軍に奉公している間に、カルクラムの海賊どもがアルゴンを強襲。占領してしまったのだ」

「まあ!」ナターシャはすっかりこの話にのめりこんでいた。続きを聞きたくてワクワクしている。

「アーサーは、王立海軍から脱走してアルゴンに潜入。故郷に残していた身重の妻から生まれたばかりの我が子を託されて脱出。再び、王立海軍へと志願すると特別にこれを許された」

 話し続けて喉が渇いたのか、鷲鼻の役人はひとつ咳払いして、ワインを飲みほした。

「アーサーはのちに海賊との戦いで命を落とすが、この残された赤子が長じて有名なジェームズ・ピアソン提督となる。息子とともにアルゴンを奪還を果たした立役者だな」

 鷲鼻の役人がうなずきながら、一同を見回した。

「ピアソン一族は三代掛けて奴隷商人に復讐を果たしたわけだ」

「おお、執念深きピアソンよ」聴衆の一人が畏怖を込めて囁き、鷲鼻の役人は大きくうなずいた。

「そうした訳でそもそもピアソン一族にとって、奴隷商人はその始まりから不俱戴天の仇なのだ」


 感嘆と称賛の呟きが騒めく中、彼にとって不愉快な話題を聞き続けていたニーソン氏のピアスが振動した。

 ニーソン氏が会場の入り口に視線をやると、ニーソン氏と似たような装いの、しかし、黒く染めた装束を着た人物が焦った様子で船の衛兵と言い争っていた。

「失礼」

 一言だけ告げたニーソン氏が、その場を去っても誰も気にした様子はなかった。

 わずかにアンドロビッチ船長が視線を送ってきただけだった。

 ニーソン氏が大股に会場の入り口に歩み寄ると、黒装束の人物がさっと頭を下げた。

「何事だ」

 もはや不愉快そうな表情を隠そうともせずに尋ねるニーソン氏を、黒い装束の部下は緊張した表情で見つめていた。

「問題が発生しました」

「だから、なんだ。さっさと報告しろ」ニーソン氏の言葉に、部下は周囲を見回してから静かな声で報告した。

「……積み荷の数が足りません」


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