3-3 晩餐会
輸送船オベロンの中層区画にある食堂では、ピアソン大尉の水兵たちが夕食を受け取るために並んでいた。いまだ司厨長も決まっておらず、食事当番も水兵たちで持ち回りだが、徹底したマニュアル化がなされているので、一定水準の味は保証されている。あくまで一定水準でしかないが。
「今日はみんな大好き!オートミールだ!」当番兵のモラレスが声を上げると、水兵たちから一斉に不満のざわめきが上がった。
「そうか!みんなが喜んでくれて俺もうれしいぞ!お代わりもあるからな!」
モラレスが大鍋をがんがんとたたきながら、オートミールをよそっていく。
テーブルに座った水兵たちは支給された食事を食べ始めたが、エドはいかにも気が乗らない様子で主食のオートミールをスプーンで突いていた。
「しかし、この食事の酷さだけはどうにかならないのかね」
「なんだ、お前。このありがたい食事に文句でもあるのかね?」
エドの言葉に、老ハラーが口元を袖で拭いながら尋ねてきた。
陸に降りて困窮した時期がある老ハラーもそうだが、物心ついた頃には宇宙艦艇で暮らしているか、食い詰めて水兵になったような連中は、モラレスが作ったオートミール相手でも旺盛な食欲を発揮していたが、幸か不幸か、エド・グリーンはそれなりに舌が肥えていた。
「毎回、オートミールか、パンじゃねえか。飽きるわ」エドがぶちぶちと文句を言った。
「食えるだけいいだろ」とジョニー・G。
「だってお前、小麦をオートミールにしないでいいじゃん。パスタとか、ピザとか、いろいろあるじゃん。パイとか作れよ。パンも柔らかく焼いてよ。あとは、なぜ肉をぱさぱさになるまで焼くんだ。理解できねえ」エドの言葉に同僚のジョニー・Gがごくりと生唾を飲み込んだ。
「仕方ねえだろ。海軍の料理マニュアルに従ったら、こうなるんだ。伝統なんだよ」とやって来たモラレスが言った。彼だって、予定表に従っただけで別にオートミールが大好きというわけではない。
腹が膨れるようになれば、当然、もっとましな料理を食べたくなるのが人間という生き物だ。
「飯をまずく作るのが伝統か?」
エドがぼやきながら天井を見上げた。
「あー。艦長たちは今頃、美味いものくってるんだろうなぁ」
アンドロビッチ船長主催の晩餐会に出席していたピアソン大尉は、親しみなれた海軍のオートミールを懐かしんでいた。
湯気を立てているボルシチは折角、好物のビートがたっぷりと入ってるにもかかわらず香辛料が効きすぎて、胃もたれし易いピアソン大尉にはいささか重かったし、おまけに彼は猫舌であったから熱すぎる料理は苦手だった。
豚肉の煮込み料理は、未熟な料理人によくあることだが肉の処理を誤っていて、血生臭さがローリエでも消し切れていない。恐らくは血抜きに時間を掛けすぎたのだ。
見たこともない魚の酢漬けのサラダに関しては、見た目だけで食欲を損なう代物であった。
唯一、豆のペーストを牛肉とトマト、大蒜と共に煮込んだ石鍋の料理だけは、ピアソン大尉の胃も受け付けたが、これは平べったいパンで手巻きにして食べる料理で、どうにも馴れない為に一つ食べた時点で諦めると、あとは専ら他の乗客との会話で時間を潰すことにした。
ピアソン大尉の斜め右の席では、ミュラ少尉が香辛料いっぱいの料理も平然と平らげていた。胃腸の弱いピアソン大尉は、彼女の健啖ぶりを少し羨ましく感じたが、近くにいるマクラウド中尉が複数並べられたナイフとフォークの使い方がよく分からずに、ピアソン大尉の作法をみよう見真似で模倣していたことにはついぞ気づかなかった。
頼りのお手本であるピアソン大尉が食事を殆んど取らず、銀色の鬘をつけた役人と惑星エウススでの反乱について議論を始めてしまったため、マクラウド中尉は次に隣に座った貴婦人の作法を真似ようと試みたが、彼女は恐ろしい勢いで酒杯を空けている。これを真似をしてはどんな醜態をさらすか分からない。仕方なしにピアソン大尉の話に聞き入っている振りをして心ならずも料理を残すことにした。
「反乱はもうすぐ鎮圧されるだろう」
ピアソン大尉と話していたザラ総督府の役人。鷲鼻をした初老の人物がワインを片手に断言した。品のいい男性だが、落ち窪んだ瞳は鷲のように鋭かった。
「ボイド将軍の地上軍が反徒どもの拠点。まあ、首都と自称しているカウラーとか言う穴倉を包囲しつつある。陥落するのも時間の問題だ」役人がにやりと笑うが、ピアソン大尉はその意見に異を唱えた。
「まだ、結論するには早すぎますな」とピアソン大尉が冷ややかに指摘した。
「ボイド将軍は名将だが、反乱軍の防衛線の一部を突破にしたに過ぎない。今はまだ……」
手元に視線を落として、静かにつぶやいたピアソン大尉に役人がやや不愉快そうな目を向けた。
「アルゴン男爵は慎重ですな。連中にそれだけの力があるとは思えません」と役人。
「軍人は、最悪の事態を想定するものです。」
ピアソン大尉の言に役人が少し考え込んだ。やはり持論は変えないが、議論に興が乗ったのか。会話を続けることにしたらしい。
「だが、マッカラム率いる正規軍の2個連隊が増援として送られた。これで学生たちの革命ごっこもお終いだ。カウラーさえ落としてしまえば、連中にはもはや拠点となる都市がなくなるのだからな」
「この際、連中の力そのものよりも、その背後で糸を引くものを見るべきでしょうな」とピアソン大尉。
「はっ、どうせ後ろで糸を引いているのは新世界の企業のいずれかだろうが。連中に銀河の反対側の小さな星を支援する力があるとは思わんね。そんなことは我がログレスでも不可能だ」
「果たしてそう上手くいくだろうか。宇宙海賊が支援する可能性がある」ピアソン大尉が指摘した。
議論を聞いていた幾人かが、微かにざわめいた。まさかと言いたげな反応が多い。
「失礼ながら、ロード。お言葉を疑う訳ではありませんが、連中が勝ち目のない勝負に乗り出すとも思えませんな」
辺境勅許会社の太った重役が、額の汗をハンカチで拭きながら口を挟んだ。
「連中にとっては、反乱が成功せずとも良いのです。連中とて我が帝国に勝てるとはみじんも思っていないでしょう」ピアソン大尉は少し考えてから言葉をつづけた。
「当然ですな」と勅許会社の役員。
「しかし、エウススに我が軍を多少なりとも引き付けておけば、それだけ連中を取り締まる海軍の手が緩むのです。エウススの叛徒どもが何人死のうが。たとえ、死に絶えても海賊には問題ではない。ついでに地上軍の兵士を何人かでも道連れにしてくれれば御の字でしょう」
「ふうむ」不快な事実に再びざわめきが起こったが、鷲鼻の役人が片手をあげると静まり返った。
「しかし、政治的な意味合いで我々はエウススから手を引くわけにはいかないのだ。あそこは第七辺境管区で、最初に入植した惑星である。失陥した場合の影響が大きい」
「新世界の資本家たちと海賊どもが手を結んだとなると厄介だな」と重役も渋い顔で言った。
「今のところ、この協調には不手際が目立っている。お似合いだがいかがわしいこの友情がどれほど長持ちするかは分からないが」ピアソン大尉が一同を見まわしてから、鋭い口調で付け加えた。
「恐らくは、我がログレスの勢力圏に対する不安定化工作の一環であり、試行錯誤の第一歩なのだろう。警戒を怠るわけにはいかないでしょう」
囁きあい、耳打ちしあう客人たちであったが、アンドロビッチ船長が手を叩きながら注目を集めた。
「さあ、皆さん。デザートを楽しんでください」
改めてデザートが配られるがその時、ピアソン大尉の黄金製の腕輪が僅かに振動した。
他人の目に電話に出たとも悟らせない礼儀を優先した携帯端末で、それほど使い勝手はよろしくないが、ピアソン大尉は紳士であるから、かような器機を愛用しているのであった。
ピアソン大尉が一瞬だけ視線を落とした腕輪には、薄く青い文字でマッカンドリュースと浮かび上がっている。
晩餐会と知って邪魔をするからには、相応の理由があるに違いない。
ピアソン大尉は、他人の目に会食中、艦内通信に出たと悟られないよう独特のリズムでトン、トト。と腕輪を叩いた。
従卒たちとの間で取り決めた合図の意味は「ピアソン」であった。
「マッカンドリュースでございます。問題が発生いたしました。危急の要件では御座いませんが、わたくしめの手には余る為、非礼ではありますがご主人様に判断を仰ぎたくご連絡いたしました」
浮き上がった文字を読み取ったピアソン大尉が、微かに灰色の瞳を細めた。
さて、いよいよデザートが配られた。精緻な装飾の施された銀のフォークとともに美しい白磁のさらに上にチョコレートとメレンゲで装飾された素晴らしいムースが鎮座している。
思わず、はしたなくも舌で唇を舐めてしまったマクラウド中尉が震える手でフォークを取った時、ピアソン大尉がスマートな動作で立ち上がった。
「デザートを楽しみたかったが、急用が入りました。お先に失礼させていだたきます。皆さん、御機嫌よう」
当然にソームズ中尉も立ち上がって、ピアソン大尉と共に歩き出した。
「君たちはデザートを楽しみたまえ、では失礼」
部下たちにありがたい言葉を残してくれたピアソン大尉だが、ミュラ少尉も立ち上がる。
となると、マクラウド中尉は残るべきか?一人だけ?デザートのために?
目の前のメレンゲとチョコレートで出来た手つかずの芸術品を哀しげに見つめた彼は、無念の表情で首を振ってからフォークを置くと立ち上がった。
ピアソン大尉を急いで追いかけるマクラウド中尉だが、ミュラ少尉。
「ああ、君。デザートを包んで後で届けてもらえるかな?よろしく頼むよ」
途中で立ち止まって、ちゃっかり給仕に言づけていた。
(客船ならそういう手もあるのか!)
しかし、その時にはマクラウド中尉。立ち止まったミュラ少尉より先に進んで廊下でピアソン大尉に追いついていた上、近くに給仕は見当たらない。
「なにごとですか?」とソームズ中尉が尋ねている傍を、まさかデザートの為に離れてボーイに話しかける訳にはいかないではないか。
ピアソン大尉らが宿泊している区画へと速やかに戻ると、一等客室の貸し切り区画の入り口に燕尾服を着た従卒のマッカンドリュースが佇んでいた。彼の背後にはオベロン号の士官制服を着た若い男性がたたずんでいる。
「此方、船の当直士官であるミスター・ケンダルです」と戻ってきた主人に恭しく一礼しながら、マッカンドリュース。
「当直のケンダルです、サー」ケンダルがピアソン大尉に対して軽く一礼した。
「なにがあったのだね」とピアソン大尉。
「窃盗です。あるいは密航者かもしれません」マッカンドリュースの報告に、ピアソン大尉がわずかに顔をしかめた。
「申し訳ありません。旦那様。一等区画の倉庫でしたのでまさかこのようなことが起こるとは。いかなる処分も受ける所存でございますが……」
頭を下げながら、マッカンドリュースが開口一番に謝辞を述べるのをピアソン大尉は遮った。
「詫びは良い。このようなことでお前を罰したりはしない。それよりも状況を報告したまえ」
「ありがとうございます。こちら、被害を受けた品のリストでございます」
マッカンドリュースがリストを差し出した。
「下手人はそちらに。当番兵のマッコールに手伝ってもらい、アレクシアが見張っております」
宇宙艦艇の進化においてもっとも重要な発明を五つ挙げよと問われた時、百人いればうち半数は、重力帆の名を出すかもしれない。
宇宙構造の銀河フィラメント帯に遍く分布する特殊な重力粒子を捉えることで、大質量を重力井戸の底から掬い上げ、亜光速にまで軽々と加速させるこの自然動力機関によって、宇宙艦艇はかつてのような精密な燃料と出力の計算を必要としなくなったが、同時にアバウトな積載量計算が横行するようになった。
ともかくも重力帆や質量軽減力場の進化によって宇宙艦艇へ乗船する切符も随分と安上がりとなったのだが、それでも密航者は不思議と絶えることはない。
一つには、地方の独立星系の通貨では、宇宙艦艇の切符が買えないという事情があった。
群小の国々の発行する貨幣は、ログレスに対して殆んど価値を持たず、特に戦略的物資となるとログレス£での購入に限定されており、さらにログレス£にも等級が存在していた。
むろん食料や惑星上の物資であれば、地方政府の独自通貨や総督府・企業の通貨、食料チケットや惑星発行通貨でも売買できるが星間貿易の決済や宇宙インフラ、航路やジャンプポイントの利用など、各種の重要な決済においては、ログレス£か特殊物資での取引のみが認められており、ログレスはこれで各地の独立国の頭を押さえつつ、ログレス£の発行によって強大な勢力を維持していた。
いずれにしても、密航はさして珍しいことでもない。よりによって自身の財産が侵害されたのはいささか業腹であるが、かといって犯人をエアロックから外へと放り出す程のことではあるまいというのがピアソン大尉の考えであった。
王立海軍士官の財産に損害を与えたのであるから、密航者の処遇は殆んどピアソン大尉の胸先三寸で決まる筈であった。どのみち密航の罪はそれほど重いものではなく、5年から12年の労働刑で済むはずだ。
かりに密航者が学ぶ意欲を持った若い男女であるならば、刑務所行きか、王立海軍での奉仕かを選ばせてやってもよいだろう。あまりに年老いたり、愚鈍な者であるなら、次の寄港地で現地の憲兵なりに引き渡しまえばいいのだ。
士官たちが貸し切り区画の倉庫に入った。メイド服にブラスターを携えたアレクシアが軽く目礼し、その傍らでマッコールが下手人と思しき小柄な人影を縛り付けていた。
ピアソン大尉が立ち止まった。
内心の微かな戸惑いを落ち着けてから尋ねる。
「マッコール、それが下手人かね?」
「アイ・サー」うなずいたマッコールに拘束されていたのは、まだあどけなさを残した少年であった。
重力帆の仕組み?
スペースオペラに突っ込みは無粋ぞ