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2-7 cat-o'-nine-tails

本日2回目

 幸運にも真っ先に現場に駆け付けてきたのは、マクラウド中尉だった。

 途中で警備ドローンの記録映像を一通り確認したのだろう。息を切らしながら現場に来たマクラウド中尉は、さっと状況を見て取ると、三人が巻き込まれないように、すぐにきびきびした口調で命令を発した。

「グリーン!ジョニー・G!ワッツ!よく脱走を阻止したな!お前たちはよくやった。下がってよし!」

「アイ・アイ・サー!」

 普段から部下を気に掛けているマクラウド中尉のアイコンタクトを理解して、エドとジョニー・Gの二人は眼で感謝を返しつつ素早く立ち上がった。ワッツは少し躊躇ってから、地面に蹲るブランドンから離れた。


 まだ乱れた息を大きく整えながら、マクラウド中尉がブランドンに向き直った。

 今は大人しく地面に座っている彼をどう扱うか。こうなっては庇うこともできない。

 周囲に駆け寄ってきた他の水兵や下士官、海兵たちの前で、マクラウド中尉は渋々と宣告した。

「馬鹿な真似をしたな、ブランドン。脱走未遂だ。戦時条例に基づいて鞭打ち24回」とマクラウド中尉が告げた。

 王立海軍の戦時条例によれば、脱走は最大200回の鞭打ちであるが今回は未遂であるし、最も厳しい艦長を除けば、鞭打ち回数は最大よりも抑制される傾向にあった。

 もっとも、それがこの気の毒な男に慰めになるとも、マクラウド中尉には思えなかった。

 それでも24回の鞭打ちは、脱走未遂に対する処罰としては軽い部類であったから、それを知る古参の水兵たちは一連の出来事を見ものにしながら運のいい奴だなどとつぶやきを漏らしていた。


 わずかに遅れて駆けつけてきたソームズ中尉だが、身体能力に優れているのか。マクラウド中尉と異なり、殆んど息も乱れていなかった。

 最後に来たミュラ少尉は僅かに汗ばんでいて、甘い香りが漂っていた。

「マクラウド君。君の配慮も無駄になったな」

「アイ・アイ・サー」

 明らかに気乗りしない様子のマクラウド中尉に一瞬視線をくれてから、ソームズ中尉がブランドンを眺めた。

「君はよくやった。何度も更生の機会を与えた」

 するとソームズ中尉は、どうやらブランドンを気に掛けていたことに気づいていたらしい。

「だが、その馬鹿者が懲りなかっただけだ」ソームズ中尉は冷ややかに吐き捨てた。


 マクラウド中尉は、宇宙艦艇が好きだったし、半給休職の予備士官であった時も、艦艇に乗れる海軍の仕事にありつけた時は喜んで職務に精励したから、王立海軍軍人を天職だと思っていたが、哀れな罪人に対して残酷な刑罰を下すのだけは、胸がむかむかしてどうしても好きになれなかった。だが、銀河系宇宙の恐るべき侵略者であり、生粋の戦士であるノマド出身のソームズ中尉は、部下への懲罰に関してマクラウド中尉とは異なる意見を抱いているようだった。

「24回か。甘い気もするが……」つぶやいてからブランドンに向き直って宣告した。

「ブランドン。これより脱走でお前に懲罰を与える」

 赤い装甲服の兵士たちに両腕を捕まれて立ち上がったブランドンだが、目の焦点はあっていなかった。

「家に帰してくれ!僕はエウステリア人だぞ!」

「すぐに黙って、おとなしく懲罰を受けろ。二度は言わんぞ」とソームズ中尉。

「こんな!僕を不当に拘束する権利は君たちにはない!」

「上官への不服従。さらに24回で鞭打ち48回」とソームズ中尉が言った。

 周囲を取り囲んで見物している水兵たちから、騒めく声が漏れた。

「こんなのはおかしい!あんたたちはおかしいぞ!」

「連れていけ」とソームズ中尉。

 宙を蹴り拘束を振りほどこうとするブランドン。

「いいか、こんなことをしてエウステリアは絶対に許さない!連邦軍がやってきて君たちを逮捕するぞ!テロリストめ!お前なんかに従うものか!」

「上官に対しての反抗。さらに24回加えて鞭打ち72回」ソームズ中尉の言葉に、マクラウド中尉が苦しげに目を瞑りながら地面にうなだれた。

「これが最後の警告だ。口を閉じて、おとなしく刑罰を受けろ」ソームズ中尉の恐ろしい響きを伴った警告にも関わらず、ブランドンは拘束されながら身を振りほどかんと暴れて吠えた。

「このテロリストめ!みんな!おかしいと思わないのか!」

 しかし、周囲の水兵たちは、ポカンとするか、嘲りの声を上げてからかっていた。

「家に帰りたくないのか!こんな圧政……」

 マクラウド中尉が血相を変えて頬を張り飛ばした。

「黙れ!馬鹿者が!」言葉を遮ったが遅かった。

 巧みに庇ったが、マクラウド中尉は顔色を青ざめさせてソームズ中尉をうかがった。

 ソームズ中尉の美しい顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。

「反乱の扇動は、絞首刑に相当する」ソームズ中尉は、ただ淡々と宣告した。


「ああ、一等海尉殿。いえ、なんでもありません」

 ソームズ中尉の視線を受けて、マクラウド中尉は苦々しくつぶやき再び俯いた。

 こうなっては救えない。

 マクラウド中尉からするとソームズ中尉は、同階級で年下。加えてマクラウド中尉のほうが先任であるが、序列は一等海尉に任じられたソームズ中尉のほうが上であった。

 ソームズ中尉は、マクラウド中尉に対して配慮を示した。それを台無しにしたのはブランドン自身であった。さらに異議を申し立てれば、明白に上位者の権威に挑戦することになる。ソームズ中尉は、ブランドンだけでなく、マクラウド中尉をも許さないだろう。


 そこで考え込んでいたミュラ少尉が口を開いた。

「兵士たちが動揺しないでしょうか、サー」

 ソームズ中尉は、眉を上げた。

「君に意見を求めた覚えはないぞ、ミュラ君」

「死刑と鞭打ちは違います」ミュラ少尉は神経が鈍感なのか。平然と言葉を続けた。

「艦長殿は、兵士たちを馴染ませることが重要だと仰ってました。どうでしょう。意見を伺ったほうがよろしいのでは」


 ミュラ少尉は、真正面から切り込まずに迂回攻撃を行った。艦長の意を問うべきだと訴えたのだ。ソームズ中尉の権威に挑戦する意味については、今更だった。チビのノマドを対決することを恐れてはいない。どうせ不仲なのだ。それよりもひとつ気になることがあった。

「大尉殿の意向について私より詳しいような口調だな」ソームズ中尉の言葉には、僅かにいら立ちが混ざっていた。

「いいえ、勿論。ソームズ中尉ほどではありません。サー」

 なぜ、そうなるかしら。ちびのノマドの考えていることは分からない。腹の中で意地悪く微笑みながら、ミュラ少尉はソームズ中尉の視線を正面から受け止めた。


 艦によっては艦長の寵愛を受けている士官、特に上位者に睨まれるのはかなり危険な行為だったが、幸いというべきか。ピアソン大尉は公正と言っていい人物だった。少なくともそう振る舞うことの利点と欠点をよく熟考したうえで、公正さを重んじているのは間違いない。

 そして当然、ピアソン大尉の人格をソームズ中尉はよく知っているから、ミュラ少尉を不当に誣告はしないだろうと踏んでいた。無論、腹心であるソームズ中尉が重ねて訴えれば、ミュラ少尉を遠ざけるかもしれないが、同時にソームズ中尉も艦長の信頼を損なうだろう。


 ソームズ中尉は冷淡ではあったが、ミュラ少尉が警戒していたよりは公正な人物だったので、渋々ではあったが艦長に対して伺いを立てることに同意した。

 気の狂った哀れな外国人強制徴募兵に対して、独断で処置しようが問題になるとも思わなかったが、ミュラ少尉の言うように兵員の士気に与える影響がまだ大きい時期でもあった。


「なにごとだ、ソームズ君」

 ソームズ中尉が連絡を取ると、ピアソン大尉はすぐに画面に出た。

「お忙しいところ申し訳ありません。サー。実は……」とソームズ中尉が事情を説明した。

「脱走未遂。上官への不服従。反抗。そして煽動を……その容疑があります」

 ソームズ中尉から此処までの一部始終を聞いたピアソン大尉が、改めて尋ねてきた。

「脱走未遂は確実なのだな?」

「はい。それにブランドンが騒ぎを起こすのは二回目です。サー」


 ピアソン大尉は少し考えこんだ。前回、まだ新兵たちが馴染んでない時に喧嘩で鞭打ちを行っては、彼らを委縮させてしまう恐れがあった。だが、今は3週間が経っていた。慣れると同時に怠惰の芽が生える時期でもある。乱暴者や厄介者を鞭打ちすることで引き締める時期に来たのかもしれない。

 ピアソン大尉がうなずき、ソームズ中尉の判断を了承しようとした時、ミュラ少尉が口を挟んだ。


「しかし、大丈夫でしょうか。サー」ミュラ少尉の言葉は、抑揚のきいた口調であった為、つい聞き逃しそうになったが、その声に微かに試すような響きが含まれているのにピアソン大尉は気づいた。

「なにがだね。ミュラ君」

 ミュラ少尉は、ブランドンがマスコミによって注目されていることを指摘した。新世界の国と身柄を奪い合って手に入れたにも拘らず、すぐに死刑にすることが国際関係……特に新世界の国々に与える悪影響について憂慮を示した。

 ピアソン大尉は、少し意外そうにミュラ少尉を見つめてから軽くうなずいた。

「では、君はどうすべきだと考えている?ミュラ君」

「鞭打ちで宜しいかと。兵士たちを引き締めつつ、王立海軍の評判も損なうことはありません。サー」


 ピアソン大尉は、決断の早い男であった。僅かに考えてから、すぐに結論を出した。

「ブランドンのこれは、扇動とは見做さない。

 不服従と反抗については、軍法に基づいて告訴するかね?ソームズ君」

 ソームズ中尉は、首を横に振った。

 そうしてマスコミに注視されていたブランドンは、幸運にもそのことで命を拾った。

 ピアソン大尉であれば、王立海軍の評判について考えるか、少なくとも指摘を受け入れると考えたミュラ少尉の判断は正しかった。そして部下を正当に評価する人物でもあった。

 能力と出自からして余程のことがなければ出世は間違いないし、それに中々の好男子でもあった。

 ミュラ少尉は、視界の端でほんの一瞬だけソームズ中尉の横顔を捉えてから、唇の端をちろりと舐めた。(……まずは一点かな) 


 海軍基地の広大な運動場の一角には、鋼鉄製の格子が備え付けられていた。

 本来は、演習航海用の帆船の落とし蓋に使われる格子なのだが、海軍式の懲罰。命に関わらず、苦痛を与えるための鞭打ち刑に使用するための設備として知られており、運動中の水兵たちもあまり近くには寄らない。

 現在、その格子を中心に、何百人という王立海軍の将兵たちが遠巻きにして取り囲んでいる。

 中心では、鞭打ち刑に立ち会うため、ピアソン大尉の艦艇に乗り込むことを予定されている水兵と下士官、士官たちが四角形に整列していた。

 寒空の下、左右を赤い装甲服の海兵に挟まれたブランドンが、ぶるぶると震えていた。

 何が起こっているのか理解する理性も失われてしまったのか。怯えた目でただ周囲をぎょろぎょろと見まわしている。

 王立海軍の軍規に違反した海軍将兵への刑罰は、簡易の軍事法廷の形に則って宣告される。

 ゆっくりと歩いてきたピアソン大尉が正面の法壇に立った。ブランドンを見下ろしたピアソン大尉の冷たく無情な灰色の瞳に一瞬、ほんの一瞬だけ憐憫の光が浮かんだのに誰が気付いただろう。

 この哀れな半狂人を鞭打つことに一体、なんの意味があるのか。

 だが、ピアソン大尉自身は、同情を誰にも見せまいと押し殺し、海軍の戦時条例の該当条項を読み上げると、冷たく厳しい声音で判決を言い渡した。

「脱走を目論んだ罪によりブランドンを鞭打ち刑に処す。鞭打ち36回。直ちに執行せよ」


 ブランドンが子供のようにいやいやと体を揺すり、意味をなさない声で喚いたが、屈強の海兵隊にあらがう術もなく、上半身を裸に剥かれると、格子に縄で手首を縛りつけられて拘束された。集められた、あるいは見物しようと集まってきた将兵の前で、基地の下士官が先端が9つに分かれた荒縄製の鞭を手に進み出た。

 いやな役目ではあると下士官は思っていたが、それを楽しみに、見世物のように喜んで参加する士官や下士官もいた。水兵の中にも残忍な喜びに目を輝かせ、にやにや笑いを浮かべているものもいたが、ほとんどの士官は謹厳実直な顔つきを保ち、水兵たちは恐怖に顔をゆがめて見守っていた。


「慈悲深き神よ。せめてやっこさんの魂が帰りたがっていた新世界へと帰れますように。アーメン」

 水兵の一人がおどけた口調で大げさな十字を切った。ユーモアが気に入ったのか。捕虜への恐ろしい扱いで知られた艦長の一人が、抑制しつつも邪悪な笑い声を漏らした。

「静粛に!」観衆の一角に沸き起こった笑いを睨みつけて、ピアソン大尉が叱りつけた。


「36回か。一人前の男ならまず死ぬことはない回数だが……」

 言いかけた熟練水兵の一人がブランドンの生白い肌を目にして、口ごもった。

「背中はズタズタになる」もう一人がにたにたと笑いながらささやきを返した。

「震えている。死んじまうかもしれないな」エドが蒼白な顔で囁いた。

「ブランドンの馬鹿野郎め」老ハラーが吐き捨てると、隣で何かを躊躇っていたワッツが意を決したように前を向き、一歩進み出た。


 ワッツが刑場の真ん中に進み出てきた。帽子を胸に当てて、法壇上のピアソン大尉をじっと見上げている。

 王立海軍の規律では、部下は上位者から話しかけられた時しか口を開いてはならない。

 ワッツには、なにか訴えたいことがあるのだろう。

「なにごとだ、ワッツ?」問いかけながらも、ピアソン大尉はワッツが減刑を懇願するのだと予想していた。

「……サー」ワッツは、なにかを躊躇っていたが、うなずいて言葉をつづけた。

「自分です。サー」とワッツは言った。

「なに?なんだと?」流石のピアソン大尉がワッツの言葉の意味を一瞬理解できなかった。

「脱走の主犯は自分です。サー。自分がブランドンを誘いました」

 ワッツは繰り返した。

「一緒に逃げるつもりでした。自分が唆しました。ブランドンは……俺に付き合っただけです。サー」

 言っている意味が分かっているのか。叱りつけようとして、ワッツと視線が合った。何かを必死に訴えかけていた。

 周囲がざわめている中、ピアソン大尉は、一瞬だけ目を閉じてから判決を言い渡した。

「脱走の主犯ワッツは36回の鞭打ち。脱走に同調したブランドンは18回とする」


 初めにブランドンが鞭打たれた。鞭打ちを受けるまでは強気に喚き散らしていたブランドンだが、彼の空想の軍隊が助けに来ることは最後までなかった。

 4回で身をよじって泣き叫び始め、9回で気絶した。

 一旦、止められると、バケツで塩水をかけられて再開。13回で再び気絶し、許しを乞うた。

 舌を噛むことを防ぐために布製のさるぐつわが容赦なく噛まされて……吐瀉物で窒息するかもしれないが、鞭打ちは再開され、口の端から泡を吹き、小便を漏らしたブランドンは、18回が終わった時には、白目で鉄格子へともたれかかっていた。



 続いて、ワッツが鞭打たれた。ワッツは呻き一つ漏らさずに、歯を食いしばって耐えていた。

 いつの間にか、正気を取り戻したブランドンがすすり泣いていた。ワッツが打たれるたびに身をよじり、わがことのように呻きを漏らした。

「終わりました」

 ワッツの頑強な肉体を前に、鞭を手にした執行吏も息を切らしながらピアソン大尉に報告した。

 ピアソン大尉は、厳しい表情を保ったまま、命じた。

「両名の拘束を解いてやれ」


 拘束を解かれた直後、ワッツはよろめいて倒れたが、再び自力で立ち上がった。

 崩れ落ちたブランドンだが、真っ先にワッツが歩み寄って抱きかかえた。

 観衆から感嘆の騒めきが漏れていた。

 ブランドンを抱きかかえたワッツは、ただ静かに、反抗の意思も込めずに、だが、静かな意志を込めてピアソン大尉を見つめた。

 その瞬間、ピアソン大尉はようやくワッツの瞳に込められた意志を理解した。外国人を強制的に徴用し、さらに忠誠まで求めようとする王立海軍の尊大さに対して、ワッツは不屈を示しているのだ。一瞬、空中で絡み合った二人の視線が激しく火花を散らしたように思えた。


 ピアソン大尉は、長くワッツと睨み合っていたように感じたが、実際には、ほんの2、3秒にしか過ぎなかった。

「ワッツ」とピアソン大尉が口を開いた。

「はい」とワッツが言った。

「ブランドンを医務室へ連れて行ってやれ。お前も治療を受けろ」

「アイ・サー」ワッツが歩き出そうとしてよろめき、膝から崩れ落ちた。


 マクラウド中尉と老ハラーが見上げてきたので、ピアソン大尉は二人に対してうなずいた。

「何名か、手伝ってやれ!」マクラウド中尉が命じると老ハラーが飛び出した。遅れてエドとジョニー・Gも駆け寄っていく。

 ピアソン大尉は解散を命じると、身を翻してその場から立ち去った。ソームズ中尉が後に付き従う。ミュラ少尉は興味深そうにワッツを眺めていたが、口元に美しい微笑みを浮かべるとピアソン大尉の背中を追って歩き出した。

 

 官舎へと向かうピアソン大尉の隣に、ソームズ中尉とミュラ少尉が追いついた。

「……ワッツは危険かもしれません」

 ソームズ中尉は、サーとはつけなかった。内密の話だろう。

「仲間の信望を集め、信念のために権威に立ち向かうことも恐れなかったからか?」

 まるでワッツを認めたようなピアソン大尉の物言いに、ミュラ少尉は思わずぎょっとした。

「権威をかき乱します」ソームズ中尉の危惧に、ピアソン大尉はうなずいた。

「……辺境で孤独な任務につく艦艇では、ある種の男が海賊より危険な存在になることがある」

 権威に反抗的で信望を集める水夫による反乱は、単艦で航行する全ての艦長にとっての悪夢であった。

「ワッツがそれだと?」ピアソン大尉が尋ねると、ソームズ中尉は顔を曇らせた。

「穿ちすぎでしょうか?」

「君の危惧はもっともだ。ソームズ」ピアソン大尉はこともなげに言った。

「そこまでお分かりなら……」驚いたソームズ中尉は言いかけたが、結局、口を閉じて付き従った。

 ピアソン大尉は、常に高い視点で数手先の物事を考えている。彼女よりもいい考えがあるに違いない。



 ブランドンが目を覚ますと、そこは白色灯に照らされた病室のベッドだった。

 幾人かの見覚えのある顔。水兵たちが目覚めに気付いて寄ってくるのを、ブランドンはなぜか、ひどく落胆した顔で眺めていた。

「大丈夫か」すぐ隣の椅子に座ったワッツがそう話しかけてきたが、ブランドンはしばらく返答しなかった。

「……家に帰った夢を見た」

 ブランドンのつぶやきにワッツは少し口籠ったが、肩をすくめて話し始めた。

「今日、出発だ。もうじき迎えのバスが来る。それに乗って宇宙港に向かい、さらにスカパフローヘ」

 言ってから、慰めるような口調で言った。

「5年の辛抱だ」

「背中が焼けるようだ。ここは地獄だ。一日だって耐え切れないよ」

 言って寝返りをうち、泣き言を漏らした。

「死にたい」


「何て言い草だ」

 何故か病室にいたエド・グリーンが、いら立った口調でブランドンに毒づいた。

「ワッツはなあ。お前のために鞭打たれて、おまけに骨を折って運んでくれて看病までして、なのに礼も言わずに泣き言か。疫病神め!お前なんか死んじまえばいいんだ!」

「疲れているのさ。そういう時はカリカリするものだ」

 ワッツはこともなげに言ってから、エドに集合場所の様子を見てきてくれと頼んだ。


 エドが出て行ってから、ワッツはブランドンの私物が送られてきたこと。それらは貸倉庫に入れたこと。貸倉庫の代金は、ユニバーサル運輸が支払うと通告してきたことを告げた。

 長いこと黙っていたブランドンは、壁をじっと見つめながらワッツへと尋ねかけた。

「ほかに会社から伝言は在ったかい?」

「いいや」ワッツは一瞬ためらってから答えた。

「そうか。会社にも切り捨てられたな」ブランドンは吐き捨てるように言ってから、ややヒステリックに笑った。

「こんな星間連合にも加わっていない野蛮な国じゃ仕方ないか」笑いながら泣いていたブランドンにワッツは慰めの言葉をかけた。

「ああ、そうだな。こんな野蛮な土地で大変な目にあったんだ。今はゆっくりと休むがいい。そして気持ちが落ち着いたら、手記でも書け」

「手記?」怪訝そうなブランドンにうなずいた。

「星間連合にも加わっていない野蛮な国で、手違いから軍隊に売り飛ばされた青年が、九死に一生を得て故国まで帰ってくるまでの記録だ。きっと売れるぞ。あとは一生安泰だ」

「ああ、そうだな」

「その手記には、俺のことは悪く書かないでくれよ。親切にしたんだから」ワッツがにやりと笑った。

 呆気にとられたブランドンがおかしくて堪らないといった風情で笑い出した。

 背中の傷が痛んだが、そんなことはどうでも良かった。

「水を飲め。またあとで様子を見に来る」

 立ち上がったワッツの背中に、ブランドンの消え入りそうな声がかけられた。

「ワッツ。すまない。本当にすまない」

 ワッツは戸惑ってから、振り向きもせずに手を振った。

「気にするな」



 空港の貴賓用ラウンジに滞在していたジェラルド・ハンソンは、ドロドロと鳴り響く楽隊の太鼓の音ともに、シャトルに乗り込むために行進する赤装甲服の歩兵連隊を見下ろしながら、苦々しい表情で首を振った。

「マネージャー、時間です」秘書の言葉に苦虫をつぶしたような顔になって短く吐き捨てた。

「辺境へ5年間」

 それがブランドン青年の任期だった。それも予定通りに終わればの話だ。王立海軍の任期は延ばされがちで、十年、十五年と伸ばされることも珍しくない。ブランドンが想像したほどに会社の上層部は薄情でもなければ、怠惰でもなかった。ただ力が足りなかっただけだ。

「ブランドン君が出発する」

 ハンソン氏は苦々しい顔で、飛翔していくシャトルを見送ろうと抜けるような青空を見上げた。 シャトルが消えていくのを最後まで見送ったハンソン氏は、ニューワールドの文明諸国に比べて、時代遅れで野蛮な慣習を残し、非効率的なログレスが繁栄しているのは理解しがたいとでも言いたげに、ため息を漏らした。




イギリス人の書いた小説を読むと、なにげない日常描写の中にナチュラルにインテリジェンスへの考え方が備わっていて、此れはジェームズボンドの国だわいと恐れ戦くこととなる。


次章 3-1 砂の惑星

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