2-6 法務士官
エウステリア企業連合ユニバーサル運輸ログレス法人の幹部たちが集まったのは、現地時間で深夜3時。
「それで、どういうことなんだね?」
急遽呼び出されたジェラルド・ハンソンマネージャーの冷ややかな声に、社外法務との折衝を担当するデイモン部長が立ち上がった。
「今日まで我々の度重なる抗議に対して、王立海軍徴兵局は一貫してイーサン・ブランドンは免除名簿に登録されておらず、よって強制徴募は合法であるとの立場をとってきました」
デイモン部長が手元のデーター端末を操作して、資料を呼び出した。
「そこで改めて社内の徴募免除名簿に関する手続きをチェックしたところ、これに不備があることが発見されました」
デイモン部長の一言で重役たちがざわめいた。たたき起こされた眠気も吹き飛んだらしい。
「現地の複数の行政書士事務所に業務を委託していたのですが、しかし、行政書士の一人が手続きを怠っており……現在、全面的にチェック中ですが、実際は何人が名簿から漏れているのかも不明です」
「旧世界の狡猾な狐め!ログレス人め!」
常の抑制が効いた態度も吹き飛んだハンソン氏が、激昂して机にこぶしを叩きつけた。
行政書士はアドリア連盟人だったが、デイモン部長は指摘しなかった。
彼らの仕事はいい加減だと知られていたが、接待でのおだてに乗って上機嫌で契約したのはマネージャーである。しかし、現時点でそれを指摘して、ハンソン氏を追い落とす武器になるだろうか。
上位者の不興を買うのを避けて、デイモン部長は言葉を続けようとしたが、逆にハンソン氏がデイモン部長の失態と責任を追及してきた。
「なぜ、もっと早く分からなかった。社内のチェック機能はどうなっているのだね、デイモン君」
「件の事務所の推薦者は、当時の法務役員であるハンソンマネージャーです」
鼻白んだハンソン氏を前に、淡々とデイモン部長はつづけた。
「ついでに言えば、ログレスの法律は、何もかもが外国人に対して不利に働くよう作られており、重要な手続きの幾つかをどうしても外部に委託せざるを得ないのです」
「構造的な弱点を解消するのが君の役目だろう。手はないのかね?」
冷静さを取り戻したマネージャーが、デイモン部長に尋ねた。
「ログレスを拠点としている限りは」デイモン部長が返答した。
「では、今後はチェック機能を強化するとして……」役員の一人が言いかけたが、デイモン部長が遮った。
「それをするとコストが飛躍的に増大します。ログレスの役人どもは、あの手この手で我々から金を搾り取ろうと手ぐすねを引いていますから……外部の法律事務所との連絡手続きを密にすると査察官を受け入れざるを得ません。そしてそのコストは我々に跳ね返ってきます」
デイモン部長の制作した資料。社外の委託相手へのチェックを増やすことによる査察官受け入れ人数の増大とそれによるコスト増を目にして、役員の一人が苦々しいうめきを漏らした。
「なにか手はないのかね」年かさの役員の唸り声に、デイモン部長は困ったように肩をすくめた。
「ログレスからすれば我々は新世界の新興国の一つに過ぎず、おまけにログレス航路を使用するため、ログレス現地法人の形式をとっています」
デイモン部長の発言に、エウステリアからやってきた顧問弁護士のジャービスが言葉を継いだ。
ログレスでも弁護士資格を有するジャービスは、苦々しい口調で吐き捨てた。
「なので、王立海軍による徴発は、まったく合法なのです」
顧問弁護士の指摘に、渋い顔でマネージャーは首を振った。
法務部門の出した結論に、役員の一人が頭を抱えてうめいた。
「エウステリア人が拉致されたというのに、なんの手も打てないというのか」
「此処はオールドワールドで、新世界とは慣習も彼我の力関係もなにもかもが違います」
デイモン部長とジャービス顧問弁護士は同じ結論を口にした。
「本国近隣でバナナ共和国相手に交渉するのとは訳が違うのです」
「それくらい分かっている」と重役が吐き捨てた。
経済植民地にした近隣小国と銀河系最強の宇宙艦隊を持つログレスの区別がつかない訳ではないが、エウステリアは相対的弱者に対する条約押し付けと戦争による併合でのし上がってきた新興国の為、エリート層であっても対等以上の相手との交渉を苦手とする傾向があった。
「ログレス人どもがイギリス人を気取って強制徴募するのであれば、我々は古のステイツのように奴らの鼻っ面に一撃を叩き込んでやればいい!と言いたいところだが」
ハンソン氏のため息に、デイモン部長が珍しく沈痛な表情を作った。
「エウステリアどころか、ニューワールドの国々のすべての艦隊を集めても、王立海軍の足元にも及びません」
それは全くの事実で過去数千年、あるいは数十万年と蓄積されてきた旧世界の膨大な富と資源、そして無数の工廠と宇宙艦艇を相手にしては、新興国家である新世界の国々には全くと言っていいほどに勝ち目がなかった。
「残念だが、今のところはな」
ハンソン氏が不承不承の態で告げた。それでもニューワールドの国々はかなり強力であり、旧世界列強が協調性に欠けているため、本来であればログレスも一定の譲歩をせざるを得ない相手ではあった。少なくとも文明国と認め合い、力関係は異なるにしても条約を結び、それに則って交渉を行う程度には、互いを尊重している。
だが、逆に言えば、法律上の不備があった場合、旧世界の列強相手に強引に力押しすることは新世界の国々には到底、不可能であった。
王立海軍と銀河連邦の最終的な協議の場には、マスコミまでが入り込んでいた。
向けられたカメラのフラッシュに対して、ブランドンは強張った笑みを浮かべている。
「ブランドン君!今の気持ちは?」新世界側に所属するログレス駐在の通信社記者が質問を発した。
できれば投げかけられる質問に答えたかったが、逃亡を防ぐためにか。周囲は6人もの赤い装甲服の海兵。通称ロブスターに囲まれていた。
ログレス側にもマスコミがいた。おそらくはアルハンブラやカペー、それにヴォルガといった他の旧世界のマスコミも入り込んできている。それに気づいた銀河連邦側の大使が、微かに目を細めた。
威信を重視するログレス側が、新世界のみならず、他の列強のマスコミにまで会談を公開するのは全く奇妙なことだった。ログレスにとって、交渉での敗北などは放送したくないことの筈だ。
それに早朝の3時ほどから外部との連絡が完全に遮断されたのも気に入らない。おかげで大使館の情報分析員やユニバーサル運輸の役員たちとも最後の打ち合わせを行えなかった。
まあ、いい。ログレスの諜報部は、旧世界では腕利きと恐れられているが、新世界はエウステリア情報局の洗練された手法に、ヒューミントを重視する古めかしい彼らのやり口がどの程度通用するか。お手並み拝見といこう。
協議は短時間で終わった。本人の意思に反した外国人への徴兵など決して認められないと主張する銀河連邦の代表たちだったが、王立海軍の法務士官が取り出した数枚の書類を見せられると露骨に怯み、しばらく話し合ったが、言い負かされた。
「ですが、考えてみてもください。彼の気持ちを。故国には両親がいて……」
エウステリア人の大使は必死に人道主義に訴えたが、取り付く島もなかった。
「誰でもそうですな。いや、ブランドン君が人工子宮生まれではないというのは重要な情報かもしれません。ご協力をありがとう」
冷ややかに礼を述べたログレス人の法務士官は、大使との会話を打ち切った。
「衛兵。ミスター・マクドナルドがお帰りになる。出口まで案内して差し上げろ」
「お帰りはあちらです」
顔を真っ赤にして足音も荒々しく立ち去っていくエウステリア人大使の背中に、法務士官はもはや目もくれなかった。ブランドン君は、下町に近い自由港湾地区で徴募されている。との指摘をしてやろうかとも思ったが、控えておいた。自由港湾地区に立ち入る新世界の船員が減っても面白くないからだ。一時の愉悦のために、手札を全部切るのは賢い態度とは言えない。
エウステリア人という人種は、想像力が欠如しているな。ログレス人の法務士官は、書類を纏めながら冷ややかにそう結論した。
新世界の新興国の多くは、科学的に劣っていた土着の惑星を冒険者や企業が侵略し、安定した恒星系の住みやすい惑星を奪い取ることで成立してきた由来があった。
無論、新世界の入植者にも美点はあって、彼らの多くは当然に勇敢であり、また既得権益がないからか、進取の気風にも富んでいたが、軍事力で先住民を駆逐してきた為、力の行使が習い性になったのか。自慢の軍事力が通じないところでは商売も上手くいかないし、交渉するにしても全く赤子同然になってしまう。
エウステリア人の勢力下では、彼らにとって都合の悪い現地人政治家やジャーナリスト、企業家が変死をするのは日常茶飯事で、そうした乱暴極まるやり口を本人たちはスマートだと思っているらしい。
ログレス人は、相対的に劣位にある土地でも、勢力を維持し、品位を保つ為に文化の分析や戦略の研究を欠かさなかったから、こうした力持ちの田舎者たちの不器用で厚かましいやり方を内心、ひどく軽蔑していた。法務士官は、エウステリア人に対する強制徴募免除名簿の手続き料の値上げを同僚と検討しながら立ち上がった。
王立海軍の報道官が、王立海軍の適正な手続き及びブランドンの署名した書類に関して、マスコミを前に公表し、解説しながら質疑応答に応えている中、失態を犯したエウステリア大使館員たちは足早に帰路についていた。
ログレス側は完全に形式を整えて待ち構えていた。ブランドンのみならず、ユニバーサル運輸の少なくないエウステリア人水夫が徴募免除名簿に載っていなかった。
「今日まで我々が強制徴募を控えていたのは、貴国に対する配慮だったのだが……」
と、ログレス人法務士官は、エウステリア大使館員のわき腹に冷ややかに言葉のナイフを突き刺してきた。
「どうやら、貴国は法廷においてはっきりと裁定を下すことを好んでいるようだ。いや全く、余計な配慮をしてしまった」そう付け加えたログレス人法務士官の口調を思い出し、ぐうの音も出なかったエウステリア人大使は歯噛みをした。
ひどい失点だった。惑星間の通信が船舶での郵便に頼っている以上、エウステリア国内での報道はどうにでも操作できる。しかし、他国の報道となればそうはいかない。ある程度、大きなニュースでの国内世論と外国での報道の乖離が大きくなるのも問題なので、この事件は程なくエウステリア内に知れ渡ってしまう。これで旧世界及び新世界の国々に関しては、エウステリア人たちがただ我が儘を通そうとして跳ね除けられたとの印象が広がるだろうし、強制徴募で揉めるたびに交渉では前例としてこの件が出され、不利に働くに違いない。下手をすれば、ハチの巣を突いたエウステリアが他の新世界の大国に責任を問われることもあり得た。旧世界列強が対立しているように、新世界の国々も一枚岩ではない。
「待て、待ってくれ。僕はどうなる!」
顔色が蒼くなっているブランドンの叫びに、大使館員がぴしゃりと言った。
「君はログレスの企業で働く際、この国の政府と自分の自由意思で奉仕する契約を結んでいた!それは正当なものだ。ならば、政府も君を助けることはできない」
「連れて行ってくれ。僕を連れ帰ってくれ」
縋りつくブランドンを大使館員は押しのけた。この男、ログレス船籍の船舶で働き、免除名簿にも乗らずに、騒ぎ立てたこの男とユニバーサル運輸に対して、大使は強い怒りを抱きながら、車に乗り込んだ。
(ユニバーサル運輸め。いかに大企業とは言え、こんな使い走りを押し付けやがって)
基地から出ていく車を眺めながら、ブランドンは喉が涸れるほど叫び続けていた。
見捨てられたブランドンは、少し頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
その日を境に大人しくはなったが、暇さえあれば国歌を口ずさんでいる変人になってしまった。
「おお、エウステリア。自由の民よ。立ち上がれ。ともがらを守るために。暴君どもの艦隊がやってくる。奴らの軍靴を濡らす血はだれのものだ……」
出発まで2日に迫った日。休憩時間に基地の敷地を散歩しながら、正気ではない目でどこかを見つめたブランドンは、突然にハッとした様子で周囲を見回した。
訓練が始まってからおよそ3週間が経過していた。強制徴募された水兵たちもかなり自由を許されるようになっていたが、奇しくもブランドンの周囲には人気がなかった。
海軍基地を取り囲む金網のフェンスのすぐ向こう側で、軍港で働く人々が日常生活を送っている光景を目にして、追い詰められた心が奇怪な結論を出したのか。
ブランドンは、フェンスに向かって平然と歩き出した。
一線を越えたところで、空中を漂っていた海軍の警戒ドローンが警告音を発した。
「おーい。そこの水兵。停まれえ。それ以上、進むな」
近くにいた赤い装甲服の海兵隊が気づいて背中に声をかけてきた。
「僕に指図するな。僕はエウステリア人だぞ」
憤然と答えて、金網に手をかけると、よじ登って外へ出ようとする。
「そこで止まれ!今すぐ戻らなければ、脱走と見なす!これは警告だ!すぐに降りろ!」
海兵が叫びながら、今度は明確に警告を発した。
近くでサッカーボールを蹴っていたエドとジョニー・Gが、何かを叫びながら金網をよじ登ろうとするブランドンへと気づいた。遠くにいたワッツが韋駄天のように駆け抜け、二人を追い抜いて真っ先に駆けつける。
「撃つな!撃つなあ!違います。こいつは少し頭がおかしいんで。へへ」とエドが手を振りながら叫んでいた。
「ほら戻るぞ」ワッツがブランドンに手を伸ばしながら言ったが、彼はいやいやするように首を振って降りるのを拒んでいた。
叫びながら暴れるブランドンを必死で引きずりおろそうとするが、ブランドンは狂人の怪力で取り押さえようとするワッツたちに抵抗している。警笛がなり、足音がした。
「脱走兵とみなす!お前たち全員そこを動くな」
金網から転落した4人を銃を突きつけた海兵が取り囲んだ。