2-4 Oldworld(旧世界)
王都キャメロットは商業区画の一角に、エウステリア国ユニバーサル運輸の駐ログレス事務所が営業していた。
表向きはログレス人を代表としたログレス資本によるエウステリア向け貿易会社となっているが、実際はログレスの支配航路を利用するためエウステリア資本によって合弁会社として設立された現地法人に過ぎない。
優越する海軍力と卓越した冒険家たちの活躍によって現在、ログレス王国は人類発祥の地である旧世界領域(Oldworld)と他領域を結ぶ主要航路や中継地の過半を独占していた。
ユニバーサル運輸が支社を置かず、現地法人方式をとったのは……新世界諸国(Newworld)の度重なる抗議にも関わらず……他国の商船隊を締め出し、或いは航路の通過に高関税を掛けているログレス王国の排他的な貿易法へと対処するための苦肉の策であったが、ログレス王国の押し付けてくる一方的な契約条項や法外な法人税にもかかわらず、エウステリアも属する新世界領域と旧世界領域の貿易がもたらす利益は膨大なもので、ユニバーサル運輸としてはログレス当局に目をつけられるのは極力避けたかった。
オフィス街を見下ろす高層ビルの最上階事務所では、苦虫を噛み潰したような表情でジェラルド・ハンソンが舌打ちをしていた。
ハンソンは現地法人のエウステリア方面担当マネージャーだが、社長は名義を貸しただけの貴族で滅多に顔も出さず、実質的には彼が現地法人を仕切っていた。
「それで、なぜ我がユニバーサル運輸の社員が拘束されているんだね」
ハンソンが船員の管理統括部門シュナイダー部長へと鋭い瞳を向けた。
「手違いがあったのです。まさか。強制徴募に引っかかるとは」
シュナイダー部長が報告する。暖房が十分にも効いているに拘わらず、額には汗が浮かんでいた。
「港湾区画に行った時に、海軍の強制徴募隊に遭遇しました。これは各艦の艦長に許されたもので、完全に予期するのは不可能です。キャメロットでは、指定された区域以外には出歩かないよう社員たちには訓告を促していたのですが、若い社員の一部はどうにも無鉄砲で……」
「しかも逃げ遅れたわけだな。馬鹿者が……」
吐き捨てたマネージャーの視線に、部長がうめくように言った。
「社員に対して強い指導は、自由意思を抑制するものとしてログレスでは禁止されていますので」
「よく知っているとも。未開人および非文明国に対する反奴隷啓蒙法だな」
主に新世界諸国に対して発動される懲罰的損害賠償を伴う屈辱的な法律名を口にしながら、ハンソン・マネージャーはこみ上げてくる怒りに歯を食い縛った。自分たちは強制的に水夫を拉致しておきながら、胡散臭い人道主義を盾にエウステリア人を野蛮人扱いし、社員に対する安全指導の徹底すら阻害してくるログレス当局の偽善的なご指導のやり口を憎んでいたが、いかにニューワールドでは強力なユニバーサル運輸社といえども、オールドワールドでは一介の企業に過ぎず、政府の決めた法律を覆す力はなかった。
「とにかく、最善を尽くしたまえ。そのために現地人の法律専門家たちに高い顧問料を払っているのだからな」ハンソン・マネージャーはぴしゃりと言った。
ブランドンという男を直接に知っている訳ではないが、放置しておく訳にもいかなかった。
ユニバーサル運輸のログレス現地法人は、二万七千人もの船員を抱えているし、そのうち3割がエウステリア人だった。軍に引っ張られてしまったからと言ってブランドンを見捨ててしまえば、社員たちの士気に関わるだろう。
初日に連絡した時、会社の顧問弁護士は気楽に請け負った。
「今、軍の徴兵局に連絡しています。すぐに釈放されますよ」
だが、一週間経った今も、ブランドンは王立海軍の兵舎の片隅で訓練でくたくたになった体を横たえて、うめいていた。
「これはなんかの間違いだ。そうだ、手違いがあったんだよ」
深夜の兵舎。闇に覆われた寝室に、ぶつぶつと神経質なつぶやきが響いていた。
「そうかよ。黙ってろ。俺さまは眠りたいんだ」
眠たげな声が闇の中から呼びかけたが、つぶやきは止まらなかった。
「俺は、エレウテリアの人間だ。エレウテリア人だ。こんな扱いを受けていいはずがない。大使館が抗議するはずだ。すぐに釈放される。昨日電話したんだ」
苛立たしげな舌打ちが薄闇の中に響いた。
「……黙ってられないのか。なんたらかんたら」
今度の呼びかけには、強い警告が込められていて、賛同の声もいくつか漏れた。
強い口調にひるんだのか。つぶやきは一旦、黙ったが、しばらくして再開される。
「もし。もし、ここでの拉致を知ったら本国ではきっと大騒ぎになる。ニュースが取り上げるはずだ。あの場には会社の連中もいたんだ。俺が……」
もぞもぞと闇の中で身じろぎする気配があった。
「おい」
剣呑な声が呼びかけた。気づかないのか、つぶやきは止まらない。
「俺は、すぐに出ていく。それから損害賠償請求を起こすぞ。本国が懲罰的罰金を下すに違いない。今に大使館が……」
起き上がる気配。周囲を取り囲んだ剣呑な気配に怯んだのか、つぶやきが急に黙りこんだ。
「なっ、なんだ……」
戸惑いと怯えをはらんだ問いかけは、最後まで言い切ることができなかった。
誰かがのしかかるような音。強烈な鈍い殴打の響きが幾度か起こった。
複数の人物が起きてる気配が蠢いていたが、助けを求める悲鳴にも誰も止めようとしない。
携帯端末の小さな照明が幾つか灯された。エドがブランドンに伸しかかっている。
ジョニー・Gも、冷ややかな視線で喧嘩を見ていたが、激昂しているエドは、ブランドンが黙っても殴るのをやめようとしない。
「エド。もうよせ。伸びてる」
制止の声をかけるが、エドは額に青筋を浮かべてうめいているブランドンの胸倉をつかみ続けている。
「ジョニー・G。俺はこいつに黙れっていったんだぜ」
さらに殴ろうとするエドを止めようとジョニー・Gが起き上がろうとした時、もう一人の外国人水夫。 確か、ワッツといったか。彼がエドの振りかぶった腕をつかんだ。
「……もう十分だ」
エドは腕を振りほどこうとしたが、掴んだ腕に込められた強い力に動きを封じられ、目を瞠った。
エドは剣呑な表情を漂わせつつもワッツをじっと見た。
「仲間か」とエドが聞いた。
「いや、知らない」とワッツは短く否定した。
「こいつに同情しているのか」
「それもある」
「けっ、同病類憐れむってやつか。ご立派なこったで」
吐き捨てるように毒づいたエドが腕の力を抜いてからワッツを振り払った。そのまま寝床に戻っていく。
「大丈夫か」とワッツが声をかけた。
ブランドンは床から起き上がれずにうめいていた。
ワッツが肩を貸そうとするとブランドンはその腕を振り払った。
「触るな。俺に触るんじゃない!この野蛮人ども!」
「わかったよ。落ち着け。何もしやしない」なだめるようにワッツが言った。
「あんなやつ。俺一人でもなんとでも出来たんだ」
「そうだな。お前さんの言う通りさ」言ってワッツが寝床に戻った。
ブランドンは、しばらく床に丸まって静かにすすり泣いた。
訓練は連日、続いていた。徴募されたり、志願した新兵たちは1日の終わりには慣れない仕事にくたくたになっているが、熟練兵や下士官たちは鼻歌交じりにやってのけている。そうなると自分を一人前と思っていた者ほど、そうした状況が面白くない。
前からの顔見知りがいるものは、自然、会うたびに愚痴を漏らしあうことになる。
お喋りなエドと寡黙なジョニー・Gは、かつては近所の不良青年として互いに意識しつつ、微妙に相手を恐れて縄張りに踏み込むのを避けていたのだが、今や他に話の合う相手もおらず、一緒に行動するようになっていたので、この1週間で過去の10年を合わせたよりも多く話していた。
王立海軍の食事は聞いていたよりも悪くなかった。訓練が終わった夕食時。やや固いパンとチーズ、鶏肉団子のトマトスープ。ソーセージ、卵焼き、ブロッコリーと春野菜のサラダ。茹でたじゃが芋。水で割ったラム。少なくともエドは満足していた。食い終わってから、食後のお茶を啜りつつ、エドは携帯を取り出した。
「エミリーに連絡しねえと」とエドが言った。
「連絡してどうするんだ。町にも戻れないぞ」とジョニー・G
「俺もあの女が兵役終わるまで待ってるとは思わねえよ。面会に来てもらうんだ」
「面会?まじか?」ジョニー・Gが顔色を変えた。
「おう、マクラウド中尉が言ってたんだが、向こうが面会に来れるんだとよ。最後に一発決めるぜ。エミリー、愛してる。ゴム買ってきてね。エドより」
惚気ながらメールを打つエドの隣で、ジョニー・Gも携帯を取り出した。
「お袋?俺だ。ジョニーだよ。ああ、俺は元気。手紙を送るよ。親父に殴られたら、サムおじさんを頼って。仕送りもする。見つからないように。それでね、面会ができるみたいなんだ」
電話をしている食堂にそのマクラウド中尉が入ってきた。額に青筋を浮かべて、まるで般若のようだった。
「グリーン!ギャレット!すぐに此処に来い」
エドとジョニー・Gを大音声で呼びつけた。
「アイ・アイ・サー」
顔を見合わせた二人が駆け寄っていくと、マクラウド中尉の背後には、顔を晴らしたブランドンが所在無げに立ち尽くしていた。
直立した二人を前にマクラウド中尉が問いただした。
「グリーン。ジョニー・G。お前たち、ブランドンを私刑に掛けたか」
「そいつがそう言ったんですか?」エドが言った。
「質問に答えろぉ!」いつも温和なマクラウド中尉の怒鳴り声に食堂が静まり返った。
青ざめたエドが一歩進み出てうなずいた。
「ジョニー・Gの奴は無関係です。俺がやりました。サー」
「理由は?」
エドは青ざめたまま、口を開きかけて躊躇った。
「理由を聞いている」
「そいつは夜中じゅう、ずっと……その」
「言えないことか?」
エドはやけになった。言ったらまずいと思ったが、何がまずいのかも彼のお粗末な脳みそではわからなかった。それに自分を睨んでいるブランドン。連日連日、枕もとでぶつぶつ呟いている陰気な男のために苦境に立って、むち打ちに合うと思うのだと思うと腹立たしくてならなかった。
「自分は拉致されたと。本国ではニュースになってログレスが、その……大使館が抗議しているので、すぐに解放されると」
マクラウド中尉が眉間のしわを深くした。
「連日でした、サー」
額に汗を浮かべながら、ジョニー・Gが口を出した。もしかしたら自分もむち打ちを食らうかもしれないが、エドを放置しておけなかった。
マクラウド中尉は、厳しい表情を浮かべた。これは思っていたよりも複雑で難しい事件だった。単純な弱いもの苛めの鬱憤晴らしなどではなく、下手をすれば扇動になる。
そこで、顔を隠していたブランドンが口を開いた。
「私は転んだだけです、放っておいてください」
将校に対する口の利き方ではなかったが、動転していたマクラウド中尉はつい聞き逃してしまった。
「さっきからそう言ってるでしょう。こんなところは、すぐに出ていくんだ。関係ない」
「口の利き方に気を付けろ、ブランドン!」さすがにマクラウド中尉がぴしゃりと言った。
「アイ・アイ・サー」不承不承といった態でブランドンが言った。
しばらく沈思したマクラウド中尉が、エドとジョニー・Gに向き直った。
「グリーン、ギャレット。この件を誰かに喋ったか?」
「ノー・サー」二人は声を揃えて応えた。
「よし。ならば、これからも誰にも余計なことは言うな。それと、グリーン。お前はブランドンとの喧嘩の罰として来週の面接は取り消しだ」
「アイ・アイ・サー」エドとジョニー・Gは言った。
「ブランドン、お前には少し話がある。来い」マクラウド中尉が言うと、ブランドンは渋々うなずいた。
マクラウド中尉がブランドンを連れて廊下へ出ると、丁度、用があったのか。ソームズ中尉が反対側からやってきた。
「ああ、マクラウド君。ここにいたのか?」
「アイ・アイ・サー、ソームズ中尉」マクラウド中尉はソームズ中尉に向き直って敬礼した。
ソームズ中尉とマクラウド中尉は同階級で、おまけにマクラウド中尉の方が先任だったが、配属された艦ではソームズ中尉が副艦長1等海尉に任命された為、上位者となっている。
ソームズ中尉は、やや冷淡な節があるものの有能な士官で、遺伝子操作を繰り返した異民族の出でも、マクラウド中尉には彼女を軽んじる気持ちはなかった。
「ピアソン艦長が……」とうなずいて敬礼を返したソームズ中尉が、そこでブランドンに視線をくれたが、無視して言葉をつづけた。
王立海軍において、艦における艦長は神のごとき至高の支配者に譬えられるものだが、ソームズ中尉は実際、まるで神の名をつぶやくように恭しく艦長の名を詠んでから、どこか陶酔の残滓を漂わせた神官のような表情でマクラウド中尉へと向き直った。どうも、学生のうちから熱心な信奉者であったというのは、やや控えめな噂であったらしい。
「夕食を共にしようと士官たちを呼んでおられる。まさか、断るまいね?」
「それこそ、まさかです。喜んでご一緒させてもらいます」とマクラウド中尉は慌ててうなずいた。
「そう、それは喜ばしい。で、それはそれとして……なにか問題が起きたのかな」
ソームズ中尉のノマドにしても珍しい金に輝く瞳がブランドンの上でぴたりと視線を停止した。瞳孔がまるで奇怪な爬虫類のように細まって変化した。
王立海軍にはノマド出の将校が何人かいるが、いずれも勇猛さで知られているものの、同時に敵に対する過度の残忍さで知られるものも少なくない。中には、部下に対する過酷な取り扱いが過ぎて懲戒を受けたものもいた。
ソームズ中尉がその類でなければいいのだがと、一等海尉に対する不敬かもしれないが、マクラウド中尉は心中、ひそかに危惧を覚えていた。
「なにがあったのかな」と上官に問いただされたマクラウド中尉は、渋々と答えた。
「軽い喧嘩です。グリーンとブランドンが揉めまして。もう解決しました」
「喧嘩か」とソームズ中尉は、軽く首を傾げた。
「確か懲罰は、鞭打ち24回だったな」
「処分はすでに下しました。エドは次の面会を中止に……」とマクラウド中尉は慌てて言った。
「それは公平ではないな。喧嘩両成敗だ。ブランドンにも鞭打ち24回」
それでは、公正ではないどころの話ではない。
重ねて一等海尉に抗弁するのはまったく気が進まなかったが、マクラウド中尉はブランドンの為に弁解してやった。
「……ブランドンは被害者です。手は出していません」
ふむ、とソームズ中尉はあどけない所作をして考え込んだが、一部の人間には小動物に例えられる彼女が、今のマクラウド中尉は何故か獲物を狙う毒蛇のようにしか見えなかった。
少し考えて、あっさりとソームズ中尉は言った。
「いずれにしても、懲罰は艦長の権限だな。我々は艦長の裁定に従うとしよう」
それから、ソームズ中尉は言った。
「もし、君がどうしてもというのであれば、この場は顔を立てても構わないが。マクラウド君」
穏やかな口調にも関わらず、ソームズ中尉の言葉に乗るのが危険なのはマクラウド中尉にも分かった。
「アイ・アイ・サー……わたしは艦長の裁定に従います。サー」
背中をピリピリさせながら、マクラウド中尉は注意深く言ったが、短い言葉を返すだけでひどく喉が渇いた。声がひび割れているのを自覚していたが、どうしようもなかった。
「よろしい」ソームズ中尉が愛らしい表情に笑みを浮かべたが、マクラウド中尉は落ち着かない気分となった。
士官同士の思惑や権威を巡る争いを望んで艦隊勤務を志願した訳ではなかった。
マクラウド中尉は、青ざめたブランドンと一言二言話しただけで、ひどく憂鬱な気分で夕食に向かうことになった。
だが、救いというべきか。子牛のフィレ肉は舌の上でとろけるような味であったし、夕食会は愉快な代物となった。
食事中、ソームズ中尉がちらりとブランドンの件を出した時は冷や汗をかいたが、意外にももめ事を起こしたとはいえブランドンは既に十分罰されており、強制徴募で入ったばかりの兵士に過酷な罰を与えるのはよろしくないという口ぶりで淡々と事実を報告した。それでもなお軽めの罰を与えるべきとも思うとソームズ中尉は付け加えたが、ピアソン大尉はその意見を退けてマクラウド中尉の判断を是としたし、ソームズ中尉もあっさりと意見を引っ込めて、それ以上、一言も意は唱えなかった。
ピアソン大尉は謹厳実直で堅苦しい人物であったが、しかし、艦長として仰ぐに相応しい公正な人格の持ち主であったから、厳格な上司につきものの息苦しさや理不尽な圧迫は覚えないで済んだし、ミュラ少尉も快活な明るい人物であった。
話してみれば、ソームズ中尉も、やや冷淡な部分はあるものの、有能なのは疑いなかったし、マクラウド中尉は考えすぎたのかもしれないとホッとした。供されたワインも上等なカペー産で杯も進み、宮廷に関する興味深い話も聞けたし、幾つかの冗談も飛び出した。
食事のあとは気も楽になり、ミュラ少尉などは趣味だというヴァイオリンまで演奏してみせたが、悪くない音色であった。有り体に言えば、楽しい晩餐であった。