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第七章1 ~不安定なのは「らしい」のかもしれません~


 それは――真正面から正々堂々と現れた。


 深い深い森の中。

 生い茂る梢によって、本来頭上から差し込むべき光は遮られ、昼間でも鬱蒼としている。

 そんな森の中を、茂みに密かに隠れることもせず、木々を素早く伝うわけでもなく。

 まるでそれが当然のように堂々と。

 森の中に歩むべき道があると言わんばかりの、力強い足取りで前へと進んでくる。


 その異様な光景に、違和感を覚えなかったかと言えば否だろう。


 それが森の中にいること自体がおかしなことなのに、それ以上にその態度は奇妙だった。

 ほんの一時間前、為す術もなく己に押し潰されていた存在と同一個体だとは思えない。

 それの前に立ちはだかりながら――大鹿は違和感を押し殺し、それを観察する。

 現れた大鹿の姿を見て、一枚の白い布を胴体に巻いただけの姿をした人間の女性は、一瞬身体を竦ませ、しかしすぐに背筋を伸ばして彼と対峙した。


 彼女――清澄聖羅の瞳が、確かな意思を持って大鹿を見据える。


 大鹿は聖羅から圧のようなものは一切感じていなかった。

 神々の加護を得ているゆえに、どれほどの魔力を有しているかも感知できない。そういう意味での異様さはあったが、脅威に感じることなど何もない。

 一時間前と同様、地面に叩きつければそれで終わる。

 ゆえに、大鹿は即座に動いた。聖羅が瞬きするほどの間に、蹄が届く位置まで移動し、前脚を振り上げる。

 その段階に至っても、聖羅は反応できていなかった。


 だから、大鹿は彼女が囮であると確信していた。


 森の中で大鹿の知覚能力は森を通じて広がっている。

 例え隠蔽の魔法を使おうと、攻撃のために動けば大鹿には必ずわかるはずだった。

 聖羅を攻撃する隙を狙って、仲間の人間達や死告龍が必ず攻撃してくるはずだと、彼は読んでいた。

 ゆえに、聖羅に向けて蹄を振りかぶりながらも、周囲の警戒は一切怠っていなかった。

 一切の油断なく、いつでも回避行動を取れるように備えていた大鹿。


 だが、蹄を振り下ろし始めても、周囲から敵が跳びだしてくることはなかった。


 反射魔法によって引き延ばされた思考の中で、大鹿は考える。

 どうして他の者が出てこないのか。聖羅は本当に囮なのか。

 何か見落としていることはないか。

 考え、考え、ひたすら考えても答えは出ない。

 森を通じて広がっている感覚に引っかかるものは、依然ない。

 ならば、大鹿が行うことはただひとつ。

 まずは目の前の聖羅を地面に叩き伏せ、埋めて完全に無力化してしまうこと。

 それはとても容易いこと――のはずだった。


 大鹿はとてつもなく重い反発を前脚に受け、思わず仰け反った。


 一時間前と同じく、聖羅の頭部を狙った大鹿の一撃。

 先ほどはその勢いのまま聖羅を砂に埋めることに成功したのが、今回は逆に大鹿の方が凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされそうになった。

 周囲の警戒に幾分かの意識を割いていて、全力でなかったことが功を奏した。

 もし本気で聖羅を殺そうと蹄を振るっていたら、その反発によって大鹿の前脚はへし折れていたことだろう。

 大鹿は接近した時と同様、目にもとまらぬ早さで後退する。

 今度こそ周囲から聖羅の仲間が攻撃してくると思ったためだ。


 しかし、相変わらず周囲から敵が接近してくる様子はない。


 いまの接触の瞬間、大鹿には確かな隙が生まれていた。

 あっさり倒せると思っていた相手からの思い掛けない反撃を受け、いかに大鹿といえど、驚愕に心が染まった。

 もし攻撃を仕掛けるのであれば、千載一遇の好機だったはずである。

 だが現実には攻撃を仕掛けてくる者はおらず、どういう理屈か大鹿の攻撃を防いでみせた聖羅自身も、攻撃を仕掛けて来る様子はない。

 ただ、その場に立ち続けている。否、その口が動いた。


「鹿さん。私の話を聞いていただけませんか?」


 恐怖がないわけではないはずだ。

 大鹿の巨躯は人の身には小山のように見えているはずで、それが友好的ならともかく、相手の命を奪わんと敵意と殺意を撒き散らしている。

 神々の加護があったとしても、本能的な恐怖というものは変わらない。

 それでも、微かに震えていながらも、聖羅はまっすぐに大鹿の瞳を見ていた。

 彼女の瞳には、自分の役割を果たそうとする決意があった。

 そしてそんな瞳を、大鹿はよく知っていた。


 それは――己の瞳と同じだったから。





――少し時間は遡る。


 大鹿の襲撃を受けた五人と一頭。

 激戦を繰り広げたものの、死者は出ずに済んでいた。だが、無傷で退けられたわけでもなく、五人と一頭は大きな損害を被っていた。

 テーナルク、ルレンティア、アーミア、そして死告龍・リュ-。

 戦闘でも平時でも頼れる三人と一頭が負傷、もしくは消耗し、頼れなくなった時、それによってかえって聖羅の覚悟は固まった。

 砂浜に乗り上げた水上拠点の建物の中で、負傷度合いの高いテーナルクとアーミアは横になり、彼女たちの世話をバラノが焼いていた。

 感知能力の高いルレンティアは、痛む身体をおして入り口脇に見張りとして座り込み、そのルレンティアの傍に、消耗して蹲るリューを抱えた聖羅が座っている。


「……いまのところ静かだけど、いつまた来るかわからないにゃ」


 砂浜の向こうに広がる森を見ながら、ルレンティアが呟く。

 その口から小さな息が零れた。傍に座っていた聖羅にしか聞こえない吐息だったが、そこに疲弊感が籠もっていることを感じた聖羅が、心配そうに声をかける。


「ルレンティアさん、休まなくても大丈夫ですか?」


 その質問に対し、ルレンティアは苦笑で応じた。


「正直辛いけどにゃ。ボクは普通の人間よりは丈夫だから平気だにゃ。……せいらんのほうこそ大丈夫なのかにゃ?」


「……私は大丈夫です」


 絶対防御の神々の加護を持つのだから、それは当然のことだった。

 だが、ルレンティアは皮肉気味に笑う。


「にゃはは、なるほどにゃ。せいらんは嘘が吐けるのに嘘が下手なんだにゃ」


「…………」


「さっき雷撃を受けたあと、少し足下がおぼつかなくなってたよにゃ? 完全に防げていたなら、そんなことはないはずにゃ」


「…………はい、そうですね」


 誤魔化せないと判断したのだろう。

 聖羅は素直に認めた。


「でも不思議だにゃ。死告龍様のブレスも防ぐ神々の加護を、あの雷撃程度が貫通したということになるにゃ」


 程度とはいうものの、魔法で防御を固めたテーナルクを瀕死に追い込むほどの威力であり、侮れるものではない。

 あの雷撃程度、というのは単に死告龍のブレスとの比較での話である。

 そのことは聖羅も同意なのか、自分の手を見つめた。


「そう、ですね……魔法や加護の原理を知らない上での推測ですが……テーナルクさんを守ろうとしたから、ではないかと」


 聖羅の推測を聞き、ルレンティアはなるほど、と手を打った。


「てーなるんの負傷度合いが比較的軽くて良かったと思っていたけど、そういうことだったなら納得にゃ。着用者の意思に従って、てーなるんにも少しだけ加護がもたらされたのかもにゃ。ただ……」


 ルレンティアは言うべきか少し迷った後、結局言うことにしたようで、口を開いた。


「あまりそれは使わない方がいいにゃ。特にせいらんは魔法でさえ扱う経験がないにゃ。加減を間違ってしまったら……」


「……そうですね」


 ルレンティアは最後まで言わなかったものの、その結論は聖羅にもわかっていた。

 今回は多少身体が痺れる程度で済んだが、もっと聖羅本人の防御が緩んでいたら。

 魔法に抵抗力を持たない聖羅は、死んでいてもおかしくはなかった。


「神々の加護についてはボクたちにもわかっていないことが多いけど……ある程度の制御が利くというのは知らなかったにゃ。せいらんも無自覚だったんだよにゃ?」


「はい。リューさんやヨウさん……私を守護してくださっている大妖精さんと、このバスタオルの加護がどういうものか、色々と試してはいたんですが……他者に付与できるかということに関しては全く想定もしていませんでした」


「なるほどにゃあ…………その辺は、軍事国家のザズグドズ帝国さんなら、もっと細かく検証しているんじゃないかにゃ?」


 そう揶揄するようにルレンティアが言うと、負傷したふたりの世話を焼きつつも聞き耳を立てていたらしいバラノがふたりの元にやってきた。


「そうですね。我が国にも神々の加護を宿した武具や防具はいくつかありますから。検証していないわけがありません」


「その辺、話せることはせいらんに話しておいてあげた方がいいんじゃないかにゃ?」


 自分は聴かなくてもいい、ということを示すように、ルレンティアは頭の上の猫耳をぺたんと寝かせる。

 そんなルレンティアの気遣いに対し、テーナルクは淡々とその場で話を続けることで応えた。


「残念ですが、セイラさんが持つバスタオルほどの加護を宿した装備は我が国にはありません。ゆえに参考にはならないと思います。ただ……平時の実験と、戦時の実践では加護の効果がまるで違うという事実はあります」


「それはやっぱり、神々の加護には着用者の意思が関わっているということかにゃ?」


「間違いなく関わっているでしょうね。そうでなければ、説明がつかないことが多いですから。ただ、他者に加護を移せるかについては、不明です。参考になりそうな実験としては、両手に剣を持ち、加護を持たない方の剣に、もう片方の剣の加護が乗るかというものがありますが……」


「どうなったんですか?」


「そもそも、両手に剣を持った時点で加護が弱まってしまったのです。もちろん、もう片方の剣に加護が乗ることはありませんでした。二刀流の剣士が持てば加護の減少は抑えられたようですが、加護を別の剣で振るうことはやはりできなかったのだとか」


「その話だけでも、神々の加護に使用者の意思が反映されるっていうのは間違いじゃなさそうだにゃ」


「ただ、武器と防具という違いは大きいですからね。防具に関してはアーミア様の方がお詳しいのでは?」


 バラノが水を向けると、話を聞いていたらしいアーミアが身体を起こして応じる。


「緊急事態だから喚びだしたけど、本来この『神聖法衣』は儀式用のもの。戦闘に使われることはほぼなかったし、実験もほとんどされていない」


「そうなんですか? 服を喚びだして着替えるのに慣れていらっしゃったようですが……てっきり、そういった練習をされているのかと思っていました」


 聖羅は何気なくそう呟いた。

 最初に迷い込んだ森の中で、巨大な花型の魔物に掴まりそうになった際、アーミアは『神聖法衣』を呼び出すと同時に、元々着ていた服を脱ぎ捨てていた。

 それは実に素早い着替えであり、何度もそういったことをしていた経験があったのだろうと聖羅は考えていたのだ。

 聖羅の指摘を受け、アーミアはなんとも形容しがたい微妙な表情をする。


「……それはまた別の理由」


 彼女が服を呼びだして即座に着替える、という動作に慣れている理由は、守護亀グランドジーグと対話する儀式の後、狙ったかのように毎度現れるヘルゼンという青年神官のせいである。

 『神聖法衣』はその性質上、下着の上から半透明の衣服を身につけているのと変わらず、年頃の女性であるアーミアはそれを身に付けた姿を異性に見られることに羞恥心を覚える。ゆえに、素早く服を着替えるという技術を体得する必要があった。

 ただ、そのことを説明するのは身内の恥を広めるようなものだ。

 そのため、アーミアは言いたくないという気持ちを言外に乗せて、言葉を濁して応えた。

 しかしアーミアはふと、何度忠告しても儀式の後に現れることをやめないヘルゼンが、本当に考え無しでそうしていたのかを疑問に感じた。


(まさかヘルゼンは……こういう状況を案じて……? いえ、まさか……ね)


 異界に飲まれた直後、触手型の魔物に不意を突かれた時、アーミアは無防備な状態で身体を締め上げられ、危うく死にかけた。

 そのことからもわかるように、例え『神聖法衣』という切り札を持っていたとしても、喚びだしてすぐ着替えることができなければ、その防御力は発揮されない。

 実際早着替えに慣れていなかったら、巨大花の魔物に襲われた際、『神聖法衣』を身に付けるのは間に合っていなかった。

 ヘルゼンが何度も叱ってもやって来ていた理由は、そういった有事の際のことを考えていたためかもしれない。

 さすがに考えすぎかとアーミアは首を振っておかしな考えを振り払った。


「ともあれ、神々の加護はとても強力ですが不確定要素も多いものですから……それを軸に作戦は考えられませんね」


 話を総括して、戦略家としてバラノはそう告げる。

 それは妥当な結論であり、ルレンティアやアーミアはそれに同意する。

 だが、それに異を唱える者がいた。


「いいえ、バラノさん。私からひとつ、提案があります」


 神々の加護を宿すバスタオルを身に付けただけの存在――清澄聖羅。

 彼女は意外そうに自分を見る三人の視線を感じつつ、端的に自分の考えを告げた。


「私独りで、あの鹿さんと話をして来ようと思います」


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