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第六章4 ~大鹿との激闘~


 ルレンティアは獣人である。

 ゆえに、彼女は動物的な直感に優れており、本能的に物事を判断することに長けていた。


 そんな彼女は、現れたその大鹿を一目見て――勝てない、と悟った。


 フィルカードの王族であるルレンティアは、他の国の王族に比べても、様々なことをひとりで出来るように鍛えられている。

 その様々なことの中には、当然戦闘も含まれており、元々肉体的にも優れた獣人であるルレンティアは、下手な戦闘専門の人間よりも強いのは確かだ。


 だが、その彼女をして、大鹿は明らかに勝てない相手だった。


 その研ぎ澄まされた肉体美にうっかり見惚れてしまいそうになるほど、その大鹿の身体能力は明らかに高かった。

 さらにその内包する膨大な魔力量は、少し距離が離れている状況ですら明瞭に感じるほどだった。

 そんな大鹿の巨大な角に、青白い雷光が灯る。


「――ルレンティア!」


 そう叫んだのは、アーミアだった。

 戦力差を誰よりも正確に理解したがゆえに、大鹿の迫力に飲まれていたルレンティアがその叫び声で正気に戻る。

 彼女は大鹿の行動に反応し、五人の足下に魔方陣を展開していた。

 杖を地面に突き刺し、渾身の魔力を注いでいるのがわかる。

 展開された魔方陣が光り輝き、半透明の白いドーム状の結界が五人を覆った。


 その結界に向け、大鹿の角から迸った雷撃が叩きつけられる。


 雷撃は結界にぶち当たり、轟音が生じた。

 一瞬で結界にヒビが入って、伝播した衝撃が術者を襲い、アーミアがその場に膝を突く。

 杖が激しく震動していた。それを抑え込むようにアーミアは杖を握り続ける。

 その掌から血が噴き出した。


「ぐっ……ッ!」


 アーミアの口から押し殺した呻き声が漏れる。その口の端から血が一筋零れた。

 雷撃の嵐は数秒続き、唐突に止んだ。

 それと同時に、アーミアの張った結界が砕け散る。

 大鹿は鼻息荒く、苛立っているのを隠そうともせず、その場で蹄を地面に叩きつけた。

 角に宿っていた雷光は消えている。


「……ッ、さすがに、無尽蔵ではないよにゃ!」


 ルレンティアはそう分析し、斜め前に向かって駆けだした。

 固まっていては再度雷撃を撃たれた時にその一撃で全滅する。まっすぐ走らなかったのは、少しでも大鹿の意識を散らすためだ。

 同時に、攻撃魔法の詠唱を終えたテーナルクが、掌に宿した火球を大鹿に向けて投げつける。

 火球はうなりを上げて空を駆け、大鹿の胸の辺りに着弾した。

 だがテーナルクは悔しげに呻く。


「だめ、ですわ……!」


 大鹿の体表面を多少焦がした程度だった。

 火球の威力は申し分なかったが、大鹿の身体には常に電撃が流れている。

 火球が大鹿の身体に接する前に、その電撃が走って爆発させられていたのである。

 それは、ルレンティアの機動力を活かした突撃も封じていた。


(下手に近づけば電撃の餌食……にゃら!)


 ルレンティアは渾身の力で掬い上げるように腕を振るい、砂浜の砂を盛大に舞い上げた。

 砂浜の細かい砂粒が大鹿へと襲いかかる。身に纏う電撃が砂粒に反応するが、すべてを撃ち落とせるほど、襲いかかった砂粒は少なくない。

 大鹿は視界を遮られるのを嫌ってか、素早くその場から横っ飛びで逃れた。一瞬で十数メートルは跳び、砂粒がかからない位置まで移動する。

 その隙にルレンティアは森の中に身を潜めようと走った。


 だが、森に入る寸前で思いとどまる。


 ルレンティアの侵入を拒むように、植物の蔦が蠢いているのを見てしまったからだ。

 直感に優れたルレンティアでなければ、気付かずそのまま森の中に入り、蔦に脚を取られていたことだろう。


(くっ……! あの触手型の魔物と違って、植物自体に意思があるようには感じにゃい……ということは……!)


 ルレンティアは砂埃の向こうにいる大鹿を睨む。

 大鹿の眼は、砂埃越しでもルレンティアを見据えるように、爛々と光っていた。

 その様子から核心に至ったルレンティアは、絶望的な気持ちになりながらも、情報を共有する。


「あいつ、植物も操るにゃ!」


「なんですって!?」


 テーナルクが絶望的な顔をして叫ぶ。

 それは無理もないことだった。開けた砂浜で遙か格上の相手と対峙するほど、絶望的なことはない。

 森の中に入ることができれば、死角からの強襲を狙うことも出来るが、身を隠すことの出来ない砂浜ではそれも望めない。

 植物を操るのであれば、森の中に逃げるのは自殺行為だ。

 かといって、水上拠点に乗って逃げようにも、射程外に逃げる前に、巨大蜘蛛のように雷撃をお見舞いされてしまうだろう。


(詰んでるにゃ……!)


 改めて絶望的な状況を実感し、ルレンティアが思考を止めたのは一瞬。

 その一瞬で、大鹿が彼女の目の前まで迫っていた。

 近づかれたことで、大鹿の身に纏う電撃が走り、ルレンティアの身体を硬直させる。

 大鹿の振り上げた前脚の蹄が、逃げられない彼女に振り下ろされようとしていた。


(しまっ――)


 死を悟ったルレンティアの眼に、大鹿の振り下ろす蹄がスローモーションに映る。

 その彼女の身体を、真横から飛んできた空気の塊が突き飛ばす。わずかに位置がずれたことにより、大鹿の振り下ろした蹄は外れ、砂浜に巨大なクレーターを作りながら衝撃波を周囲にまき散らした。

 ルレンティアはそれに巻きこまれ、きりもみ状態で吹き飛んだが、負傷度合いは軽い。


 見れば、バラノが肩で息をしながら、手を翳していた。


 バラノは戦闘員ではなく、魔法も得意な方であるとは言いがたい。しかし使えないわけではない。

 彼女が翳した手には小さな魔石があり、それが砕け散っていた。

 彼女自身の魔法は弱いものだが、魔石の力を使って増幅させ、ルレンティアを突き飛ばすほどの威力にしたのだ。

 万が一の切り札として、バラノが密かに持っていたものだ。

 素の対応力に劣る彼女が、そういった仕込みをするのは当然である。


(助かったにゃ! ――けど!)


 ルレンティアの命は助かったが、大鹿に影響を与えられたわけではない。

 大鹿は砂浜に埋まった蹄をこともなげに抜き、ぐるりと身体を反転させてバラノたちのいる方向を見る。

 その四肢に力が籠もり、バラノもろとも蹴散らそうとしているのがわかった。


「まずい……っ! こっちだにゃ!」


 咄嗟にルレンティアは魔法を用いて、拳大の石を生成し、いくつか大鹿に向けて放った。

 だが、相手をするに値しないと判断されたのか、大鹿が身体に纏う電撃が自動的にそれらを迎撃し、大鹿自体はバラノたちの方へ向いたままだ。

 同様に少し移動していたテーナルクも攻撃魔法を放つが、自動迎撃されて大鹿の気すら引けなかった。

 止められない、とふたりが思うのと、ほぼ同時に。


「鹿さん! 待ってください!」


 聖羅がバラノよりも前に出ながら、彼女を庇うように両手を広げ、そう声を張り上げた。抱えていたリューは先ほどまで立っていた場所に降ろしている。

 彼女は神々の加護が宿ったバスタオル一枚で、絶対防御の効果こそあるが、攻撃手段はない。

 ゆえに声をかけることしか出来ないのだ。

 そして大鹿は、そんな彼女の呼びかけを聞き――


 一瞬で距離を詰め、その身体に向けて前脚の蹄を振り下ろした。


 蹄は聖羅の後頭部を抑え、そのまま真下に降ろされたため、聖羅は上半身を砂浜に埋めることになった。

 容赦のない一撃であり、普通の人間ならば熟れた果実の如く頭の中身をぶちまけていたところだ。

 加護を持つ聖羅ゆえに、頭が潰れることはなく、負傷することもなかった。

 ただ、彼女自身はただの人間であるため、上半身が砂浜に埋められ、呼吸が出来なくなったために下半身をばたつかせて暴れる。


 あられもない姿ではあるが、そんなことを気にしている余裕は、本人にも他の四人にもなかった。


 一方、大鹿は大鹿で、潰すつもりで蹄を叩きつけたにも関わらず、聖羅が潰れていないのに戸惑っているようだった。

 再度蹄を振り上げるべきか、そのまま砂の中に埋めてしまうか考えているようだ。


 その巨体が、横薙ぎに吹き飛ばされる。


 一瞬で距離を詰めたリューが尾で大鹿を吹き飛ばしたのだ。大鹿はもんどり打って砂浜に倒れ込み、水柱ならぬ砂柱を立てる。

 リューは小さな身体からは想像できないほど、激しい威嚇の咆哮をあげて大鹿に追撃を行う。

 口内が黒い光に溢れ、即死のブレスが大鹿へと放たれた。


 だが大鹿もさるもの。


 即座に体勢を立て直し、砂浜を蹴ってブレスの範囲外へと逃れる。

 大鹿が後退しながら角を振ると、雷光が丸まって出来たような球体がいくつも中空に発生し、その球体からトゲが伸びるように雷撃が発生した。

 襲いかかる雷撃を、リューは紙一重で避け、大鹿へと再度ブレスを放った。

 大鹿は胴体と同じくらい大きな角を用いて、砂浜の砂をひっくり返すように巻き上げる。ブレスは巻きあげられた砂を物ともせず貫いたが、その先に大鹿はいなかった。

 一瞬、相手を見失ったリューが視線を巡らせる。


 そのリューの頭上から、大鹿は降ってきた。


 巻きあげた砂に紛れて跳んだのだ。

 巨体であることを逆手に取った、意識の外からの攻撃。

 直前で気付いたリューが、振り下ろされた大鹿の蹄を角で受けとめる。

 轟音が周囲に響き渡り、衝撃派が砂を押しのけながら、二頭を中心に広がった。

 怪物同士の戦い。人が巻きこまれればただではすまない攻防の嵐の中、テーナルクが砂に埋もれた聖羅を救出する。


「セイラさん! しっかりですの!」


 砂に埋もれて呼吸が出来ていなかった聖羅は、激しく咳き込み、口の中に入った砂を吐き出した。


「げほっ、げほっ! な、なんとか大丈夫です……」


 テーナルクが聖羅に手を貸し、立ち上がらせている間も、戦いは続いていた。

 広範囲に広げられた雷雲が渦巻き、そこから無作為に雷撃が落ちて砂浜の至るところにクレーターを生じさせる。リューのブレス並みの広範囲攻撃だった。

 聖羅はそのうちの一本が、自分たちの頭上で渦巻いているのを見てしまう。


(まずい……! 私はともかく、テーナルクさんが!)


 聖羅は咄嗟に、テーナルクの腕を引き、胸に抱き締めるようにして彼女を庇った。

 守らなければと感じたがゆえの、咄嗟の行動。

 その聖羅の背に、雷が直撃した。

 衝撃が彼女の身体を通じて足下に抜け、ふたりの立っていた場所の砂を舞い上げる。


「せいらん! てーなるん!」


 青ざめたルレンティアが悲鳴をあげる間にも、大鹿とリューの激闘は続く。

 リューが大鹿の胸元に蹴りを入れ、大きく吹き飛ばす。そこに追撃のブレスを吐いた。

 大鹿はそれを素早く後退することで回避する。

 本来のリューの体格であれば回避が難しいほどに極太なブレスとなるのだが、現状のリューの体格では十分回避可能なブレスしか放てないのだ。


 だが、それでも即死範囲攻撃が連発可能という事実は変わらない。


 連続でブレスを放ち、徐々に大鹿の逃げ道を塞いでいく。

 いよいよブレスが大鹿を捉える、というところで、溜まらず大鹿が森の中へと退いた。

 木々という遮蔽物が多い場所ならばさらに回避の目はあがるのだから、判断は間違っていない。

 それでもリューのブレスならば、木程度の遮蔽物など関係なく穿つことが出来ただろう。


 だが、リューはブレスを撃たなかった。


 大鹿はこれ幸いとばかりに森の奥へと逃れていく。

 もう少しで大鹿を仕留められるところだったはずのリューは悔しげに唸り、ゆっくりとその場に降りて蹲る。

 今のリューにとって、大鹿はかなりの強敵であったようだ。かなりの体力を消耗してしまったらしい。

 ともあれ、大鹿の脅威は一端去った。

 ルレンティアは電撃を喰らって痺れの残る身体を奮い立たせ、現状を見渡す。


「みんな、生きてるよにゃ……?」


 最初にその呼びかけに答えたのは、バラノだ。

 地面に伏せ、砂を被ってしまったらしく、砂まみれになった頭を払いながら立ち上がる。


「こちらはなんとか……ルレンティア様、先ほどは乱暴に申し訳ありませんでした」


 咄嗟に風の魔法で突き飛ばしたことに対する謝罪だと理解したルレンティアは、軽く手を振って答える。


「気にしないでいいにゃ。あれがなかったら死んでたしにゃ」


 緊急回避というには乱暴だったが、魔法の扱いに長けているわけでもないバラノの精一杯だったのはルレンティアもよくわかっている。

 次に動いたのは、杖を抱えて蹲っていたアーミアだった。


「わたしは、少し、きつい……」


 一撃目の極大雷撃を結界で防いだアーミアは、その代償に体内器官にダメージを負っていた。

 その献身がなければ、聖羅とリュー以外は全滅していたかもしれず、またリューにも多少のダメージが入って大鹿を撤退させられなかったかもしれない。

 ある意味最大の功労者な彼女に、文句のある者がいようはずもない。


「命があればいいにゃ。問題は……」


 ルレンティアは急いで聖羅とテーナルクの元に駆け寄る。

 聖羅が庇ったとはいえ、大鹿の雷撃をまともに受けたのだ。絶対防御の加護がある聖羅と違い、テーナルクは致命傷の可能性がある。

 テーナルクを抱きかかえた聖羅は、近づいてきたルレンティアに潤んだ目を向けた。


「ルレンティア、さん……! テーナルク、さんが……っ」


 ルレンティアは聖羅の傍にしゃがみ、テーナルクの様子を見る。テーナルクは眠っているように目を閉じている。

 ルレンティアが最悪の覚悟をして触れようとすると、その目が少し開かれた。


「てーなるん!」


「テーナルクさん!」


「だい、じょうぶ、ですわ……しびれて……うごけ、ませんけども……」


 ひとまず生きて喋れる程度ではあることがわかり、聖羅とルレンティアはほっと胸をなで下ろす。


「喋れるなら、ひとまずは安心にゃ……せいらん、こっちは任せて欲しいにゃ」


 ルレンティアはそういって、聖羅からテーナルクを預かる。

 聖羅はその意味をすぐに理解し、立ち上がった。その足下は少しおぼつかなかったが、すぐに安定する。

 そして、地面に降りて蹲っているリューの元へと急いだ。

 リューは聖羅が近づいてきたことを感じ取ったのか、首だけを持ち上げて、聖羅の方へ顔を向ける。


「くるる……」


「リューさん、皆さんを助けてくださってありがとうございます」


 力無く鳴くリューを、聖羅は抱え上げて抱きしめる。

 リューが戦ったのは聖羅を助けるためであり、他の面子を助けようとしたわけではないのだろう。

 だが、結果として全員が助かったことは事実であり、聖羅はその思いをそのまま言葉にした。

 リューは内容よりも聖羅に褒められたことが嬉しいのか、聖羅の首筋に擦り寄る。

 聖羅はこのときばかりはリューの好きなようにさせた。

 そんな聖羅とリューの様子を窺いつつ、バラノは状況を見定めていた。


「これは……大変厳しい状況ですね」


 聖羅とバラノにはほとんどダメージはない。だが、この二人は率先して前線を張れる能力を持たない。

 防御の要であるアーミアは、結界を強引に突破されたことによる反動で体内外にダメージを負っており、回復に時間を有する。

 攻撃と探索を引き受けられるルレンティアは比較的軽傷だが、ダメージがないわけではない。電撃によって受けた体の痺れは、彼女の最大の長所である機動力を削いでいる。

 魔法を扱いこなし、補助に長けたテーナルクは雷の直撃を受け、一番深刻な状態だ。聖羅が庇ったことで即死こそ免れたが、しばらくは動くこともできないだろう。

 そして最大の戦力である死告龍・リュー。大鹿を退けるほどの力を持つが、激戦による消耗が激しい。再度大鹿が襲撃してきた際には、凌げるかも怪しい。

 大鹿も無傷ではなく、その回復には時間がかかるだろうが、敵が大鹿だけではない可能性もあり、楽観は出来ない。


 極めて危険な状況に、彼女たちは立たされていた。


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