第六章2 ~出会った女性たちが悉く優秀すぎます~
廊下が入り組んだ迷宮にいた聖羅たち。
水と食べ物のある場所に行きたい、と聖羅がリューに向かって口にしたところ、突如流れてきた大量の水によって、大海原のような場所に移動させられてしまった。
現在、五人と一頭はアーミアの張った結界を船のようにして水面に浮かんでいる。
周囲に敵らしきものの姿はなく、一安心したところで、バラノが聖羅に向かって言う。
「セイラさん、死告龍様に『魔界の外に出たい』とはおっしゃらないでください」
他の三人もバラノに同意なのか、何も言わなかった。
それを見た聖羅はおそらくなにかしらの妥当な理由があるのだろうとは思ったが、その理由に思い至ることはできなかった。
なので、直接聞いてみることにする。
「どうして、ですか?」
「ここに至る過程を考えてください。もし死告龍様が完全にこの空間を制御出来ているとしたら、大量の水で物理的に押し流す、という移動方法は取らないはずです」
「そうですわね。空間と空間を繋げればいいだけですわ。それこそ、扉のようなものを用意して」
「もしセイラさんが魔界の外に出たいと口にすれば、おそらくですがここにある大量の水も一緒に外に噴き出すでしょう」
「魔界が発生したのは王城……ルィテ王国の中心地」
「まー、たいへんなことになるよにゃあ」
王城で魔界が発生している以上、周辺住民の避難は始まっているだろうが、家屋や家財道具を持って逃げることは出来ない。
魔法がある世界であるために、人が死ぬことと違って物が壊れることは取り返しがつきやすいが、洪水が起きて街全体に被害が出れば、ルィテ王国の国力の低下は避けられない。
それが起きないよう、聖羅がリューに頼んで魔界の外に出してもらうという手段は取れないのだ。
「……それをバラノ様が最初に言うとは思いませんでしたが」
ルィテ王国の国力の低下は、侵略を目論むザズグドズ帝国のバラノからすれば歓迎するべきことのはずだった。
例え直接軍隊に被害が出なくとも、それを支えるルィテ王国自体が疲弊すればそれだけ侵略しやすくなるのだから。
そして今回のようなケースでは、バラノが積極的にそれを画策したとは言えない。あくまでバラノは魔界から脱出するため、という体であれば「ルィテ王国に危害を加えない」という契約に引っかかることはないはずだった。
「確かに放っておく手がないわけではありませんでしたが……それを選ぶには賭けの要素が強すぎます。私自身が本当に気付いていないならともかく、大きな被害が出るのを予測してしまいましたから、契約に抵触する恐れもありますし」
それでも黙っていればいいことではあったが、気付いてしまった以上は指摘してしまった方が確実に安全なのだ。
契約とは、表面的な文面も大事だが、要は心のありようを誓うということであり、自ら手を下さないなら大丈夫、とは言いきれない。
バラノが国に殉じて死ぬ覚悟も決めた上で、この場に立っていることは確かだが、別に彼女は死にたがりというわけではなかった。
可能な限り自分も生き残る道を模索するのは当然だ。
聖羅は自分の考えの及ばないところで駆け引きが成されていることを改めて感じ、ひとまず彼女たちの言うとおりにしようと頷く。
「わかりました……あ、でもそもそもリューさん、また寝てしまいましたね……」
聖羅が抱えるリューは、また目を閉じて眠りについていた。
その自由奔放な様子に五人の女性たちは溜息を吐く。
話している間に、ルレンティアとアーミアが周囲の水や魚の状態を調べ終わっていた。
「水は魔法で出来たものじゃないから、飲み水に使えそうだにゃ。魚も、普通に食べられるものみたいだにゃ。遠くの水場と空間を接続したのかにゃ?」
「あるいは、元々城の地下にあった地底湖や地下水を流用しているのかもしれない。どうなの、テーナルク?」
「王城の地下にこれほど大規模な水源はなかったはずですわ」
「だとすると空間を接続したのが濃厚?」
「まあ、ともあれ、これなら水と食料は確保できるにゃ。あーみん、結界はどれくらい持つかにゃ?」
「あと数時間は余裕。けど、早めの拠点確保は必要」
「了解だにゃ。じゃあちょっと行ってくるにゃ」
ルレンティアはそういうと、いきなり胸を隠していた布を脱ぎ捨てた。
あっけにとられる聖羅の目の前で、ルレンティアがアーミアの張った結界をすり抜け、水の中へと飛び込んでいく。
そのあまりの自然な動きに聖羅は何も言えず、テーナルクやバラノは動じていなかったので、聞くことも出来なかった。
だが、その聖羅の動揺を察してか、テーナルクが柔らかく笑みを浮かべてみせる。
「大丈夫ですわ。水中はルレンティア様の慣れ親しんだ環境ですから」
「……猫なのに、水が嫌いなわけじゃないんですね。私の世界では一般的に猫は水を嫌がるものですので、ちょっと意外でした」
とはいえ、湖の上に存在する国の代表なのだから、全く泳げないわけがないとも聖羅は思っていたが。
頭でわかっていたのと、実際に目にしたときの衝撃は違う。
「猫が水が嫌いというのは、間違っていませんけどね。セイラさんの認識と同じく、基本的には猫は水が嫌いです」
「ルレンティアの場合、生まれた時から湖の上だったということもあるし、猫の獣人とはいえ、人の要素の方が多いから」
「獣人の力もあって、ルレンティア様はフィルカードでも屈指の泳ぎ手なのですわ」
そんな会話を残された四人がしている間に、潜っていっていたルレンティアが水面に浮上してきた。何気なくそちらを向いた聖羅は、ルレンティアが手にしているものに驚く。
それは、石で出来た船だった。
手こぎボートくらいの小さなものだが、沈まずに水上へと浮かび、内側から水を排出すると水面でぷかぷかと安定する。
「まず一隻だにゃ。水深は案外浅いところもあるみたいで助かったにゃ」
「海底の石を切り取って来たんですか!?」
聖羅は驚きのあまり声をあげ、足下を見る。
結界は半透明なため、水中が見えているが、その底は見えない。結構な深さがあるのは間違いなさそうだった。
そんなところから石を船の形に切り取り、手に持って浮かんで来たのだという。
ルレンティアは水面に浮かびつつ、えへん、と自慢げにその豊かな胸を張った。
「フィルカードの民は水の民にゃ。水場で苦労はさせないから、安心してほしいにゃ。この船には魔法がかけてあるから、皆が乗っても沈まないにゃ」
「ありがとうございます、ルレンティア様。……やはり、フィルカードと水場で競うのは自殺行為ですね」
「にゃはは! 水際での戦いなら、ボクひとりで千の軍勢だって壊滅させてみせるにゃ!」
バラノは礼を言いつつも、フィルカードを攻略するときのことを考えているようだった。それに対し、ルレンティアも勝ち気な台詞で返す。
傍でそれを聞いてしまった聖羅は、堂々と口にするバラノもどうかと思ったが、それを笑って受けとめているルレンティアも剛気だと感じるのだった。
その後、ルレンティアは何度か水中に潜り、瞬く間にそれなりの広さの水上拠点を作り上げてしまった。
いくつかの船を浮かべ、それらを上手く結合することで、広いスペースの確保に成功している。
湖上にあるというフィルカードがどういう国か、聖羅は少しだけ理解できたような気がした。
(形状などを工夫すれば、石だって水に浮かぶのはわかりますが……この規模の石材が壊れずに建てられるのは、技術と魔法あってのことですよね……)
聖羅の認識でいうと、古代ギリシャの石造りの建物が水の上に浮いている、というほどに奇妙な感覚だった。
そういう意味では魔法のある世界ならではの光景であるといえ、楽しんでばかりもいられないとは思いつつ、彼女はこういった光景を見に、いつかフィルカードにも訪れてみたいと思うのだった。
「それにしても……ルーさんは王族の方なのに、建築技術も納めていらっしゃるんですね」
建築技師を軽んじるつもりはないが、王族がやることかと言えばそうではないだろう。
その聖羅の疑問は、この世界の基準に合わせてもおかしくないことだったらしく、ルレンティアが特に妙な顔をすることはなかった。
「もちろん、本職には敵わないけどにゃ。ゼロから水上に拠点を作るのはフィルカードの民の嗜みにゃ。今回は材料が石だからちょっと難しいけど、普通の木材を使えるにゃら、子供でもこれくらいの拠点は作れるにゃ」
水上に上がってきたルレンティアは、ぶるぶる、とそれこそ獣のように体を震わせて髪の毛などから水気を払いながらこともなげに言う。
「特にフィルカードは王が模範を示さなければならない国だからにゃ。一通りのことはやれるように教育されるにゃ。王族の慣習として、十歳になると全裸で国の庇護下から放り出されるし、覚えておかないとその時死ぬにゃ」
「ぜ、ぜんっ!? き、厳しすぎませんか……?」
獅子は我が子を千尋の谷に落とす。
可愛い我が子にわざと試練を与え、その器量を試して一人前へと育て上げるとは言うが、人間が全裸で放り出されるのは厳しいというレベルではない。
フィルカードは湖の国であるのだから、放り出される先は水上であるはずで、仮に聖羅のいた世界の者ならそんなことをされて生き残れる者は皆無であろう。
しかし、魔法のあるこの世界ではその認識は当てはまらないものらしく、ルレンティアは平然と続けた。
「それで生き残れないようじゃ、王族としての資質不足ってことだにゃ。生き残るのは大前提。一年間は国に戻れにゃい決まりなんだけど、その間にいかに立派な拠点を築くかが問われるにゃ」
ルレンティアからフィルカードの王族の風習について話を聞いていると、事情を知っているらしいアーミアが深く溜息を吐いた。
「その話は聞いてる……ルレンティアは湖の魚達を手懐けて、湖底に拠点を築いたって。一年間ほとんど姿を見せずに過ごしてたから、死亡したって言われたけど、一年経ったその日に、フィルカードのど真ん中に巨大な拠点を浮上させて、当時の王の側近たちの度肝を抜いたとか」
「む~。でもパパはボクならそれくらい出来るはずとか言って、全く驚いてくれなかったにゃ~。それが心残りだにゃ」
「いえ、普通は度肝を抜かれますわ。フィルカード王の感覚がおかしいのです」
「同じ試練で、当時のフィルカードと同程度の規模の拠点を築き上げてくるような方ですからね。確か湖に点在する無法者たちを探し出しては腕っ節で叩きのめして従え、人手を確保したんでしたっけ?」
「ですわね。普通は十歳の子供がやることじゃないでしょうに。一度だけお会いしたことがありますが、噂に違わぬ豪傑ぶりでしたわね。わたくしの世代では敵対関係が終わっていて良かったと思いますわ」
「うちはそれを今後攻略していかないといけないのですよ……はぁ」
しみじみとテーナルクとバラノも呟く。
そんなとんでもないエピソードを聞かされた聖羅は、改めて一緒に行動している彼女たちが、この世界の基準でもとんでもない存在なのだということを思い知らされる。
ルレンティアはいつの間にか食料の魚まで人数分採って来ていて、そつがない。
(……この人たちは、本当に特別な存在なんですよね)
異世界から来た、というだけの存在である聖羅は、彼女たちの存在の価値の高さを知るにつれ、ますます自分との間に隔たりを感じてしまう。
本来であれば、自分が触れあうこともできなかったであろう高みの存在。
それが、偶然たまたま異世界に召還され、なおかつ希有な加護をバスタオルに宿すに至ったが故に、同格のように扱われている。
(この人たちはその立場に似合うだけの努力を、実績を積み上げている……)
自分はただ幸運でここにいて、生きているだけだというのに、だ。
それを意識する度に、聖羅はいたたまれない気持ちになるのだ。
そして、その感情こそ、聖羅がこの世界の存在たちと完全に打ち解けられない最大の理由であった。
「さて、魚を焼いていくにゃ。もう少し待っててにゃ、せいらん」
そのルレンティアの、聖羅を優先する気遣いが、平々凡々を自覚する彼女の心にトゲを残す。
聖羅は、微笑んで礼を言う形で応えるしかない。
そんな聖羅の様子を、じっと見つめている者がいた。
翌朝。
ルレンティアが築いた水上拠点の上で、聖羅たちは無事目を覚ました。
魔法を一切用いることが出来ず、暗闇では目が見えない聖羅を除き、四人は後退で見張りを行っていたが、特に魔物に襲われることはなかった。
寝床として用意されたのは、ルレンティアが水底から回収した海藻を乾燥させ、敷き詰めただけのものだ。
普通ならばそんなところで寝れば体が痛くなって仕方ないだろうが、聖羅はいつもと変わらぬ睡眠を取れていた。
無論、バスタオルの効果である。
他の四人も、それぞれ魔法などで対策は取れたらしく、疲れた様子を見せる者はひとりもいなかった。
「少し視界が晴れて来たにゃ」
「見渡す限り水、ですけどね……」
「死告龍様の魔界は、本当に広すぎますわね」
「あちらの方向に、何か見える」
そうアーミアが指し示した方向に、全員が注目する。
所々に霧がかかっているため、視界は悪かったが、確かに何らかのシルエットのようなものが他の者達にも見えた。
「島……でしょうか?」
「かにゃあ? 結構大きなもののように思えるにゃ」
「この状況を打破する手がかりが、なにかしらあるかもしれませんわね」
「……行ってみよう」
「幸い拠点や食料は確保できましたが、いつまでもこのままというわけにはいきませんものね」
五人と一頭を乗せた水上拠点が、大きな影のようなものに向かって動き出す。
ルレンティアの創った水上拠点は船を基盤としているため、少し風の魔法を使えば移動することが出来る。
移動しながら朝食の魚を焼いていると、聖羅が抱いていたリューが目覚めた。
「あ、リューさん。目が覚めましたか。おはようございます」
リューは大きくあくびをした後、聖羅の体に自らの体を擦りつけ――ふと、胸元から聖羅の顔を見上げて首を傾げた。
「くるる?」
その表情が少し心配しているように感じた聖羅は、内心どきりとする。
リューに聖羅の複雑な心境が理解出来たとは思えないが、どこか元気がないのを察されたのだろう。
「なんでもありませんよ、リューさん。リューさんもお魚、食べますか?」
笑顔を浮かべてリューにそう問いかける聖羅。
その魚を準備をするのは自分ではないため、申し訳なく思うところはあったが、死告龍たるリューを大人しくするためならば、必要なことだと理解してくれるという想いもあった。
そして実際、ルレンティアは聖羅の言葉を聞いて即座にリュー用の魚を焼き始め、焼けたものを聖羅に渡してくれた。
「ありがとうございます。ルーさん」
お礼を言いつつ、聖羅は美味しそうに焼けている魚をリューの口元に翳す。
リューはそれに美味しそうに食らいつき強靱な顎の力で噛み千切り、いまは小さな前脚で残りの焼き魚を聖羅の方へと押しやる。
その行動を見た聖羅は、かつてリューと出会ったばかりの頃、リューが仕留めたグリフォンらしきものを自分に向けて押しやってくれたことを思い出す。
当然、生のグリフォンを聖羅が食べることは出来なかったし、その頃はまだリューの真意がわからなかったが、いまならわかる。
リューの気持ちを理解した聖羅は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。
「私はあとでいただきますから、これはどうぞリューさんが食べてください」
そういって再びリューに焼き魚を向けた聖羅だが、リューが動かないのを不思議に思った。トカゲのようなドラゴンの表情は掴みづらいのだが、目を見開いて驚いているような気がした。
不思議に思って首を傾げていると、同じように周りの者達も驚いているのがわかった。
聖羅としては特にそれほど驚きを与えることをした覚えがなかったので、困惑する。
「あ、あの? 皆さん、何か……?」
そう聖羅が問いかけると、最初に応えたのはルレンティアだった。
「いや……ちょっと驚いただけにゃ。それが――本当のせいらんの笑顔なんだにゃ」
「でも、考えてみれば、そうですわよね……セイラさんは、王族でも、貴族でも、ましてや本当は聖女でもないのですから」
「テーナルク様……それは、立場上聞き逃せない発言ですが、大体事情は理解しました」
「本当に聡い人ですこと。忌々しいですわ」
「それはお互い様でしょう」
聡い彼女たちは、何かに納得が出来たらしかった。
聖羅としては困惑するしかない状況である。
そんな聖羅に対し、唯一言葉を発していなかったアーミアが口を開く。
そして、聖羅に向けて核心の問いを発した。
「セイラさん、もしわたしの勘違いであれば謝る。ひとつ答えて欲しい」
王城が魔界に変質する前に、交わしていた会話の続きを。
彼女たちの前提を覆してしまう内容を。
「セイラさんの元いた世界は――嘘や偽りがあって当たり前の世界だった?」