第六章1 ~ある意味で服装に合ってはいますが~
聖羅、テーナルク、ルレンティア、アーミア、そしてバラノ。
五人の女性は、現在広い廊下に繋がる狭い廊下の入り口に、結界を張って隠れていた。
仮に大蜘蛛が現れても狭い廊下の奥に逃げ込むことができ、場合によっては広い廊下に出て戦うことも視野に入れた備えだ。
「つまり……結局、何が起きているのか、正確に把握できている者は、魔界の主であろう死告龍様を含めて、いないというわけですね」
ザズグドズ帝国の軍略家・バラノは、合流することができた聖羅たちからこれまでの話を聞き、そう呟いた。
バスタオル一枚の聖羅は申し訳なさそうに、胸に抱いた小さなドラゴン――死告龍のリューを撫でながら頷く。
リューは気持ちよさそうに目を閉じており、うたた寝をしている様子だった。
魔界が死告龍の由来だとすれば、リューにとってこの空間は家そのものだ。
人間五人と違って、余裕のあるその態度もある意味当然ともいえる。
聖羅に抱かれているという状況も一因ではあろうが。
「リューさんはこの通りでして……この現象はリューさん自身にも制御不能なのかもしれません」
「魔界化は自然と起こりうるものだから、制御出来てなくてもおかしくはないけどにゃー」
困ったものだという思いを隠すことなく、ルレンティアは聖羅の言葉に賛同する。
獣人であるルレンティアは、即座に戦闘に入ることも考慮し、その下半身を獣化したまま戻していなかった。上半身は腕以外ほぼ人間のままであるため、その豊満な乳房は布を巻き付けて隠している。
本人は開放的な風土を持つ国の出身であるがために、その格好については気にしていないようだ。
そんなルレンティアが出した予想について、テーナルクは納得が行かない様子だった。
「でも、それにしてもリスクばかりが目立ちませんこと? 本体が弱くなっては、規格外の魔界化も意味がありませんわ」
現在、テーナルクはアーミアから譲られた、裾が短くなったログアンの神官服を身に付けていた。
アーミア自身は神聖法衣があるために着れない服だが、テーナルクにその制限はない。
ゆえに、アーミアはテーナルクにその神官服を渡したのであった。
本人としては、ルィテ王国の王族がログアンの神官の格好をするということに思うところがないわけではなかったが、五人のうちまともな格好が出来ているのは二人だけ。
まともに服を着れているだけでも感謝すべきなのだから、文句を言えるわけがなかった。
「……いや、これだけの規模の大きさの魔界なら、隠れるのに徹すれば問題ない。死告龍様の場合、セイラさんに会いに出てきたから、わたしたちの前にいるだけ」
精密で極薄のレースを重ねた構造であるがゆえに、向こう側が透けて見えてしまう神聖法衣を身に付けたアーミアは、愛用の杖を体の前に構え、周囲に向かって張った結界を維持している。
本人が結界術を得意とするだけあって、結界は敵に存在を知られることもなく、完璧に彼女たちを守っていた。さらに本命の結界の外にも、警戒用の結界が張られており、見つかりそうになれば即座に対応出来る状態を保っていた。
「アーミア様のご意見に賛同いたします。知能の減衰は致命的ではありますが、この魔界を自在に移動できるとすれば、人海戦術も意味を成しません。さらに魔族の発生や眷族の増殖なども鑑みるに……逃げ回り続けていさえすれば、消耗戦で勝てますから」
軍略家たるバラノは、彼女の視点からアーミアの意見を支持する。
彼女は五人の中でまともな格好が出来ている二人のうちの一人だ。
バラノは蜘蛛に囚われた際、その身に纏っていた聖女風ドレスがボロボロになってしまったが、現在は修復されている。
テーナルクのドレスは即死属性を纏った糸の攻撃によって破壊されてしまったために戻せなかったのだが、彼女のドレスは純粋な力で破かれただけであったために、修復の魔法で直すことが出来たのだ。
「あー、確かに、この広い魔界の中からその小さな本体を探すのは難しいにゃあ」
「ここまで常識外れの魔界だと、どう対処するのが正しいのかわかりませんね……」
五人は頭を悩ませる。
無論、もっとも単純な魔界への対処法である『魔界を生み出した主を倒す』ということを五人が考えなかったわけではない。
聖羅は中立的な心情故に、リューを殺すということ自体に抵抗を覚えていた。
他の四人は、主を倒すことでは解決せず、より状況が悪化する可能性を危惧していた。
そして、五人全員『この状態の死告龍でも倒しきれないかもしれない』ということも考えていた。
聖羅は絶対防御の力しか持たないし、バラノは軍略家であるが直接戦闘はできない。
残る三人は王族であったり、国を代表する巫女であったりする分、並みの戦士や魔法使い以上の力がある。
それでも、戦闘に特化した存在ではない。
最強の種族と言われるドラゴンを相手にするには、少々心もとない戦力であった。
(幼体化していても、ドラゴンはドラゴン……)
(わたくしたち三人が束になってかかっても、敵わないかもしれませんわね)
(一度敵対したら、もう戻れないにゃ。いま賭けるには分が悪いにゃあ)
三人は冷静な戦力分析の結果、分の悪い勝負だと判断していたのだ。
さらに、その賭けに軽々に手を出すのを躊躇わせる情報もある。
テーナルクとバラノが実例であり、彼女たちが確認した情報として、眷族に捕らえられた人々はまだ殺されていないということだ。
聖羅たちも、妖精たちが捕らわれても殺されはしていなかったのを確認している。
この魔界に取り込まれた者達は、何らかの理由で生かされているのかもしれない。
そうだとすると、下手に魔界を崩壊させることで、生存者をかえって減らす結果になる可能性もあった。
「ひとまず今晩は休みましょう。休んで、明日からどう動くか決めましょう」
そのバラノの提案は特に反対意見もなく受け入れられた。
「でも……休むにしても、辛いですね……食料も何もありませんから……」
そう聖羅が呟くのと、そのお腹が鳴るのはほぼ同時だった。
魔界に捕らわれたのは昼頃のことであり、現在の時刻はすでに夕刻をすぎている。
昼食をとる前に魔界に取り込まれてしまったため、彼女たちは昼食をとれないまま、さまよい歩く羽目になっていた。
お腹が空いて当然である。
決して大きな音ではなかったとはいえ、周りに聞こえる程度には腹の虫の音を響かせてしまった聖羅は、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
そんな聖羅をフォローするように、ルレンティアのお腹もくうと鳴った。
「確かに、おなかすいたにゃあ……動き回ったしにゃ」
魔物との戦闘中、もっとも機敏に動き回っていたのはルレンティアだった。
当然その消耗は激しい。その空腹を表すように、その頭頂部にある獣の耳がへたりと寝ている。普段から存在している耳だが、現在ルレンティアは獣化状態にあり、少し大きめになっていることもあって、余計に目立っていた。
思わず頬を緩めてしまった聖羅だが、そんな場合ではないとすぐに顔を引き締めた。
「眷族って……食べられるのでしょうか」
何気ない聖羅の呟きに、他の四人はぎょっとした顔をする。
「一応、不可能ではない……けど」
現状眷族と呼ばれて、頭に浮かぶのが蜘蛛の眷族であることが問題であった。
「セイラさんのお国では、虫は食事に含まれますの?」
「文化として虫食はありますね。もちろん、食用に育てた虫であって、森の中で虫を捕ったり生で食べたりはしませんが……あ」
そこまで答えてから、聖羅は元の世界の文化が誤解を受けていることに気づいて、慌てて付け加えた。
「文化として存在することはしますが、どちらかといえば特殊かつ少数派な文化です。この世界でもそうだとは思いますが、私のいた世界の食に対する探究心は執念すら感じることがあるほどでして。普通は食べられないものを、何日も、何週間もかけて食べられるように加工して……そこまでして食べることもあるんです」
その聖羅の補足を聞き、他の四人はほっとした表情になる。
「……実は虫が主食だった、とか言われたらどうしようかと思った」
「確かに。今後セイラさんにご提供するお食事をどうするべきか迷うところでしたわ」
「や、やめてくださいね。私も虫を好んで食べたい訳ではないので……」
「虫を食べる文化……確か、フィルカードにはそういう文化がありませんでしたか?」
「にゃいにゃいにゃい! フィルカードにはそもそも虫自体少ないし……もしかして、タコやカニのことかにゃ? あれは脚が多いだけで、分類するなら魚にゃ」
「湖にタコやカニがいるんですか?」
フィルカードは湖の上に存在する湖上国家、だと聞いていた聖羅は思わず尋ねていた。
ルレンティアは頷き、タコやカニを使った料理のことを話し出し――余計に大きく腹の音が響き渡った。
「思い出したら食べたくなって来たにゃあ……」
「話を元に戻しましょう。眷族を食べることはできますし、調理次第ではあの蜘蛛も食べられるようになるとは思いますが……現実問題として、あれを仕留めて食べられるでしょうか。私見ですが……難しいと思います」
バラノの指摘に異を唱えるものはいなかった。
「調理器具も調味料も何もありませんものね。調理技術自体は習得していますが、普段と環境が違いすぎます」
「焼くくらいしかできない」
「水の確保も問題だにゃ。水を操るならともかく、飲み水を生み出すのは難しいにゃ」
「そうなんですか? ……水を生み出す魔法はあるのでは?」
聖羅は朝起きた際、使用人のクラークにお願いして顔を洗う用の水を出してもらっている。クラークが使えるのなら、この場にいる彼女たちが使えないわけがないと思っていた。
それに対し、ルレンティアは聖羅の言葉を肯定した。
「確かに、水の魔法はあるけどにゃ」
言いつつ、ルレンティアは翳した掌の上に水の塊のようなものを作り出した。
渦を巻いて回転する水球は、見た目は完全に水である。
「でもこれはボクの魔力がそれっぽい形になっているだけにゃ。何かを洗うような用途には使えても、身体の維持に必要な水分にはならないにゃ。火にかけても沸騰しないし、凍らせることも出来ないにゃ」
試しに、とばかりにルレンティアはもう片方の掌に炎を生み出す。
水の塊と炎の塊を重ね合わせると、一瞬光が生じて、両方ともが消滅した。
水は熱されることはなく、水蒸気になることもなく、ただ消滅していた。
「こんな風に消えるだけだにゃ。魔法で作られる炎や水は、あくまで魔力がそれっぽく形を作っているだけにすぎないのにゃ」
「……となると、魔法で飲み水を作り出すのは無理なわけですか」
「だにゃあ」
この場所では食事や寝床の確保が難しい。
そのことを改めて認識した五人は、顔を見合わせた。
「もう少しだけ移動を――」
聖羅がこの場からの移動を提案しようとした。
思わず抱きしめる力が強くなった、その動きに反応してか、彼女に抱かれていたリューがぱちりと目を開く。
「くるる?」
「あ、リューさん。ごめんなさい。起こしてしまいましたか」
慌てて謝る聖羅に対し、リューは楽しげに鳴き、聖羅の首筋に頭を擦りつける。
犬猫のような動きをするリューに苦笑しつつ、聖羅は撫でてあげながら話しかけた。
「リューさん、私たちはいまから水か食べ物がある場所に移動しようと――」
「ちょっと待ったせいらん!」
勘働きに優れたルレンティアは、全身の毛が逆立つような悪寒を覚えて、咄嗟にそう叫んでいた。
聖羅はその叫びに驚いて言葉を途中で止めたが、しかしすでに遅かった。
突如、廊下の迷宮全体が震え出す。
全員が座っていたため、倒れる者こそいなかったが、立ち上がるのも難しいほどの揺れ。
地震大国出身の聖羅が推測するに、震度7弱ほどの激しい揺れだった。
「な、何が起き……っ!」
「まずい! 結界に感! 狭い廊下側!」
叫ぶアーミアの言葉を肯定するように、狭い廊下を埋め尽くすようにして、小さな蜘蛛の眷族たちが近づいて来ていた。
蜘蛛たちも慌てふためいているようにも見えたが、聖羅たちを認識すると同時に、一斉に襲いかかってくる。
「この状況で……!」
「くっ、ほの――」
ルレンティアが歯噛みし、テーナルクが炎の魔法で応戦しようとした時。
聖羅に抱かれたままのリューが、その小さな口から巨大なブレスを吐いた。
幸いにして聖羅が先頭になる位置関係であったがゆえに、そのブレスに巻きこまれるものは、蜘蛛だけで済んだ。
小さな蜘蛛たちは逃げる暇も場所もなく、ブレスに巻きこまれて吹き飛ばされていく。
ブレスは余波だけで廊下の床や天井に亀裂を生じさせ、最終的に突き当たった壁で大爆発を起こした。
地震の震動とはまた種類の違う振動が、聖羅たちのいる場所にまで響いてくる。
「うわぉ……」
思わず聖羅は唖然とした声を出していた。
小さくなってもリューはドラゴンであり、死告龍。
最強の種族にして、最悪の個体の名は伊達ではなかった。
リューの一撃によって、蜘蛛たちの脅威は去った。
だが、空間全体の震動は全く収まらない。
「全員、近くに寄って離れないでください!」
バラノがそう叫び、テーナルクの腕を引いてルレンティアと肩を組む。
突然の行動にルレンティアは驚きつつも、アーミアを抱え上げた。
そして、テーナルクが聖羅と腕を組んだ。
五人がひとかたまりになったと同時に。
広い廊下を満たすほどの、大量の水が流れてきた。
それを見たルレンティアが、何時になく真剣な表情で抱え上げたアーミアに声をかける。
「アーミア!」
「了解! みんな、なるべく小さくまとまって!」
全員が身体を寄せ合い、小さく丸まった五人と一頭を、アーミアの結界術が包み込む。
ボールのように構築された結界は水を通さず、五人は荒波に揉まれつつも、溺れることはなかった。
だが、瞬く間に増える水量によって、為す術もなく押し流され――気づけば見渡す限り水だらけの、大海原に放り出されていた。まだ陽は沈みきっていなかったが、白い霧のようなものが視界を限りなく悪くしていた。
五人と一頭を包み込む結界が、船のようになって大海原に浮かんでいる。
遠くの水面で、魚らしきものが跳ねているのが見えた。
リューを抱きしめて固まっていた聖羅は、恐る恐る顔をあげ、周囲の状況を確認して、唖然とした。
「確かに、ここなら水と食べ物はありそうですけど……」
聖羅の呟きに、リューは不思議そうに首を傾げる。
死告龍の魔界はその全容が把握できないほど、複雑怪奇に広がっているようだ。