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第五章4 ~決して痴女集団ではありません~


 大蜘蛛は飛ぶように天井付近を移動しく。

 音を立てずに移動することも出来る大蜘蛛であったが、いまは大きな音を立てながら広い廊下の天井を進んでいた。

 幾重にも入り組んだ廊下は迷宮の如き複雑さであったが、蜘蛛は迷いなく道を選択していた。それは特殊な糸を張り巡らせているためである。

 大蜘蛛はその糸を通じて複雑な道を余すことなく把握している上、その糸から伝わってくる振動などで獲物の存在を感知することが出来るのだ。


 大蜘蛛はその糸を通じ、緊急事態を察していた。


 捕らえた獲物たちを保管している、広い部屋に大蜘蛛が戻って来たとき、その部屋の床は広い範囲に渡って焼き焦げていた。

 大蜘蛛が天井に張った巣には、捕らえた獲物を糸でぐるぐる巻きにして吊してある。

 繭状となった犠牲者は十数人にも及んでいたが、蜘蛛はその数が記憶よりもふたつ少ないことを認識した。

 逃げ出した者がいるのだ。

 素早く複眼を動かし、部屋の状況を詳しく把握する。

 床が焼き焦げているのは、床に張り巡らせておいた感知用の糸を焼き払う目的であると推測できた。

 本来はその糸によって脱走を感知し、同時に足止め用の罠糸が発動するはずだった。

 脱走者は触れる前に糸に気づき、それらを纏めて魔法で焼き払ったのだろう。


 大蜘蛛はその複眼を赤く染め、怒りを露わにする。


 そして、逃げ出した獲物を再度捕らえるべく、行動を開始した。

 この広間から外に繋がる道は複数あるが、その内一本はたったいま大蜘蛛が通ってきた道なので、除外。

 残る道にも大蜘蛛は感知用の糸をかけているため、そこを通ればすぐわかる。

 大蜘蛛が楽に移動できる大きな道と、大蜘蛛が入るには少し小さな道、ふたつの道に張った糸が千切れていた。

 それを感じた大蜘蛛は、脱走したのが複数で、二手に分かれたのだと考えた。

 まずは大蜘蛛の動きが制限される狭い道から追いかけようと、大蜘蛛が道へと近づく。


 その時、大きな道の方から、糸が切られる感覚が伝わってきた。


 大蜘蛛が脚を止めると、さらに連続して糸が切られていくのを感じ取る。

 一方、いかにも人間が逃げやすそうな狭い道の方からは何の感覚もしなかった。

 狭い道の方の糸が千切られていたのはまやかしで、脱走者は大きな道の方にいることを大蜘蛛は確信する。

 翻弄されるところだった大蜘蛛は、その複眼を怒りにますます赤く染め、大きな道へと飛び込んでいった。

 後には巣にかけられたままの犠牲者たちだけが残され、静寂が満ちた――のだが。


 天井の隅に隠蔽の魔法を使って隠れていた、テーナルクとバラノが床に降りる。


 身体強化を用いたテーナルクはバラノを背負ったまま、床に危なげなく着地すると、即座に走り出した。

 向かう先は、先ほど大蜘蛛が大急ぎで戻ってきた道だ。

 テーナルクは何も言わないまま、その道を駆け抜けて大蜘蛛の巣から離れていく。バラノは振り落とされないよう、テーナルクにしがみついていた。

 テーナルクはバラノの言った通りの状況になったことに、なんとも苦い顔をしていた。


(隠蔽の魔法が見破られたら危なかったですが……本当に、気づかれなかったですわね)


 バラノは大蜘蛛の習性や行動パターンから、糸に頼り切っていることに気づいたのだ。

 大蜘蛛の糸は万能で、非常に便利なものであったが、便利すぎてそれを感じるあまりに他の感覚を疎かにしてしまっていた。

 結果、バラノにその弱点を突かれ、まんまと彼女たちの逃走を許す結果になった。

 的確に蜘蛛の習性を読み、見事に安全な逃走を実現させたバラノの手腕に、テーナルクは舌を巻いていた。


(二重三重に策を畳みかけ、大蜘蛛の意識を誘導するなんて……おそらく、今頃大蜘蛛は逃亡者を追い詰めていると疑いもしておりませんわよね)


 それだけバラノが策略家として優れているのだと、テーナルクは認めざるを得ない。

 一方、バラノもまた、テーナルクの優秀さを実感していた。


(王族ですからある程度は当然としても……身体強化、攻撃、感知、補助……様々な魔法を苦も無く扱いこなしている辺り、流石ですね)


 バラノの知る限り、テーナルク並みに多種多様な魔法を扱いこなせる者はそうはいない。

 軍事国家であるバラノの国・ザズグドズ帝国であっても、テーナルクほど、高い水準で魔法を使いこなす魔法使いはそうはいなかった。

 厳密にいえば、国の戦略的方針で特定の魔法の習熟に特化した者――特化職ならばテーナルクを超える魔法使いもいなくはないのだが。


(明らかな内政担当であるテーナルク様でこの水準ということは……他の戦闘向きの王族の評価を改めないといけません)


 この世界においても、人間の強さの肝はあくまで集団戦であり、個々の強さが最重視されるわけではない。数が力なのは聖羅の世界と変わらないのだ。

 だが、同時に個々の戦力というものも、無視できない程度には、戦況を左右しうる要素になりえた。

 特に各国の王族は普段戦場に出ない分、戦力を攻略の際の勘定に入れることが難しい。

 その対策も当然取られてはいるが、『王族が戦場に出てきた瞬間、優位だった戦況がひっくり返された』戦争の例は古今東西、いくらでもあるのだ。


(王族の戦力を上方修正するとなると……七十七番から九十二番までの策は使えませんね……軍部に連絡しておかなければ)


 バラノはテーナルクの背にしがみつきつつ、そう考えていた。

 彼女はルィテ王国に入国する際、ルィテ王国国王のイージェルドと「今後ルィテ王国へ危害を加えない」という制約を交わしている。

 ゆえに、バラノは入国する前に、その時点で考え得るルィテ王国攻略の策戦を思いつく限り書き残しておいたのだ。

 時が経つにつれ。情報が更新されるにつれ。

 意味と確度を失っていく置き土産であったが、帝国のためにできる限り策を残しておいたのである。


(ここから脱出出来なければ意味がありませんが)


 バラノがそう心の中で結論を出し、気持ちを切り替えるのと、ほぼ同時。

 彼女を担いだまま疾走するテーナルクが、不意に後ろを振り向いた。


「……囮の土人形が破壊されましたわね。こっちに来ますわ」





 逃亡者を追いかけたつもりでいた大蜘蛛が追いめたのは、全身に火を灯したまま、ひたすら道なりに進む土人形だった。

 あからさまな囮であり、まんまと騙されたことに気づいた大蜘蛛は、怒りのままにその土人形を破壊する。

 土人形に戦闘能力は全くなく、あっさりと砕けて土塊へと変わった。

 大蜘蛛は再び廊下を全速力で走り、捕らえた獲物をかけてある巣のある広間に戻り――


『やれやれ、人間如きにしてやられるとはね。君には失望しましたぞ』


 部屋の中央にいる『モノ』の存在に気づいて、その脚を止めた。

 その大きさは人間より少し大柄な程度の人型であったが、大蜘蛛はまるで巨大な怪鳥を前にしたかのように硬直していた。

 小刻みに震えているのは恐怖のためだろうか。

 そのモノは極めて人間的な見た目をしていながら、明らかに人間ではないことがわかる見た目をしていた。


 頭部はドラゴンのものであり、背には翼、臀部には尻尾が生えている。


 その上で、それ以外の胴体や手足は人間のものであり、人間の貴族が身に付けるような豪奢な礼服を身に付けているのだから、奇妙な姿であった。

 竜頭人、とでもいうべき姿をしたそのモノは、大蜘蛛に向かってその掌の上にあるものを示す。


『このふたりに関しても、です。この程度の相手に手こずろうとは。恥を知りなさい』


 その掌の上には、水晶のように透明な四角柱がふたつ浮かんでいた。

 こぶし大の大きさであったが、その中には人間の男女がそれぞれ窮屈そうに押しこめられている。魔法を用いて、水晶に本物の人間を封じているようだ。

 閉じ込められている者達は意識がないのか、ぐったりとしてその身を委ねている。

 いずれも服を含めて装備一切を剥ぎ取られた生まれたままの姿であり、仮に意識があったとしても、抵抗する術を全て奪われていた。


 そのふたりは、大蜘蛛が先ほど戦っていたふたりの騎士であった。


 相応に技量が高く、大蜘蛛を苦戦させた存在であったが、その竜頭人にしてみれば障害にならないらしい。

 圧倒的な力の差があることを感じているのか、大蜘蛛は何も鳴かず何も示さず、ただ硬直するのみ。

 そんな蜘蛛を安心させるように、竜頭人はその奇怪な頭部を歪め、辛うじて笑みと呼べるような表情を作った。

 笑みは笑みでも非常に悪魔的な笑みではあったが。


『まあ、それでも君はよくやってくれた方ですがね。――逃げられたのも、あのふたりであるならば、むしろ行幸かもしれませんな』


 後半は独り言として呟かれた。

 そして、竜頭人は頭上に広がる蜘蛛の巣を見上げる。

 彼が見ているのは、その巣にかかった哀れな犠牲者たちだ。


『あれらは儂が回収していきます。君は逃げた人間を追うように。……とはいえ、逃げに徹するあれらを捕まえるのはなかなか難しいでしょう』


 だから、と竜頭人が手を床に向けて翳すと、床から数多の小さな蜘蛛が這い出て来た。

 それらは蜘蛛の幼体という様子ではなく、大蜘蛛をそのまま小さくした複製品という表現の方が正しく思われる。


『これらを使いなさい。数で飽和攻撃を行えば捕まえることもできるでしょう』


 大蜘蛛は小さな蜘蛛を引き連れて、広間から出撃していった。

 それを見送った竜頭人は、再び天井を見上げた。


『さて……これで数は十分でしょうか……欲を言えばもう少し欲しいですな。……とはいえ、取り込めた資源にも限りがありますし……まったく人間如きが、忌々しいことですなぁ』


 ふぅ、と息を吐いた竜頭人の体が、その輪郭を失い、七つの首を持つ巨大なドラゴンの姿へと変貌する。

 七つの首は統一された動きで蠢き、その全ては一つの胴体に繋がっていた。胴体からは翼と尻尾が生えている他、像のように太く短めの足が生えている。

 巨躯の体重は相当重く、その太い四つ足でやっと支えられるようで、広い部屋の床が砕けて陥没しかけていた。歩くだけで猛威を振るう、まさに怪獣と呼ぶに相応しい姿だ。


 神話の如き七つ首のドラゴンが、そこに顕現していた。


 蛇のように長い首を伸ばし、天井の蜘蛛の巣にかけられた犠牲者たちを包む繭に、ひとつひとつ丁寧に食らいつき、繭ごと飲み込んでいく。

 元々身動きの取れない彼ら彼女らは抵抗することなど出来るはずもなく、次々丸呑みにされていった。ひとつ繭を喰らう度、長い首の表側が人の形に盛り上がり、首を下へと落ちていき、胴体へと吸い込まれていく。


 それはまさしく――悪夢のような光景であった。





 大蜘蛛からの逃走を続けていたテーナルクとバラノは、二人同時にその音に気づいた。

 背後から、蜘蛛が移動する際に生じる、極めて不愉快な足音が聞こえてきたのだ。


「まずい……! 追い付かれます!」


「わかっておりますわ! なんで、こんなに早く……!」


 ふたりはある程度広間から離れた段階で、逃げる痕跡を残さないように細心の注意を払っていた。

 廊下中に張り巡らされた蜘蛛の糸をあえて切らずにくぐり抜けたり、時間差で起動する爆発魔法を仕込んだり、大蜘蛛の追跡を避けるためのありとあらゆる手を打っていた。

 いかに蜘蛛が魔物として優秀であったとしても、習性自体は通常の蜘蛛の範疇であれば、十分以上に撹乱できたはずだった。


 しかし、現実にはすぐ背後まで蜘蛛の足音が迫っている。


 テーナルクとバラノはその事実に震えたが、その音をよくよく聞いて、顔を見合わせた。

 足音の性質が大蜘蛛のものと違っていたためだ。

 一匹の大きな蜘蛛が移動する音ではなく、複数の小さな蜘蛛が動いているものだと察するのは容易であった。

 その音は複数の方向から、徐々に近づいて来ている。


「……子を成して、増えたのでしょうか?」


「まさか! ありえませんわ!」


 テーナルクはバラノの発言を強く否定する。

 眷族は魔界から発生するものであり、通常の生物や魔物とは有り様を異にする存在だ。

 普通の魔物と違って生殖機能は持っていないことが多く、魔界が大きくなる度に自動的に増えるとされている。


「魔界が大きくなって、増えたと考える方が妥当ですわ!」


 テーナルクはそう叫ぶが、それはそれでルィテ王国がいまも魔界に飲み込まれ続けているということになるため、楽観できる状況ではない。

 一刻も早くこの場を脱出しなければならない、と彼女たちは同じ事を考える。

 そのふたりの前に、小さな蜘蛛が現れた。

 散らばっている蜘蛛のうちの一匹に遭遇してしまったのだ。

 小さな蜘蛛の複眼がテーナルクたちを捉える。


「くっ……! 喰らいなさい!」


 瞬時に反応したテーナルクが、掌に生み出した火球を蜘蛛に向けて放つ。

 火球は見事に蜘蛛の顔面を捉え、爆発し、その複眼を焼いて牙を砕いた。

 大蜘蛛に比べて、小さな蜘蛛は魔法抵抗力も大したことはないらしく、甲高い悲鳴をあげてのたうち回る。

 その蜘蛛にとどめを刺すことはせず、ふたりは即座にその場から逃げ出した。


「小さい蜘蛛なら、倒せますわね!」


「ですが逃げるべきです!」


「言われなくともわかっていますわ!」


 一体ごとなら大したことのない敵であったが、問題はその数だ。

 いま焼いた蜘蛛の悲鳴に反応して、蜘蛛たちが移動する音が四方八方から響くのを、ふたりは総毛立つ思いで感じていた。

 それらの中には当然あの大蜘蛛もいるはずだ。

 小さな蜘蛛の音に紛れ、逃げられないほど近くまで来られる可能性もあった。


「倒せるとはいえ、死告龍の眷族である以上……っ!」


 テーナルクがそう言いかけた時、今度は複数の小さな蜘蛛が彼女たちの前に現れた。

 即座にいくつもの火球を生み出し、数匹を焼き払ったが、無傷の数匹がその丸い腹部の先端から、糸を射出する。

 通常の蜘蛛の糸と違い、槍状になって飛ぶその糸の先端が、黒い霧のようなものに覆われた。

 テーナルクは血の気が下がる思いをしながら、紙一重で回避し――避けきれなかった糸のひとつが、ドレスの裾に触れる。

 糸に付与された黒い霧は、電気が流れるようにドレス全体に伝播し。


 テーナルクのドレスが、散り散りに崩壊した。


 すでにボロボロだったとはいえ、突然下着姿に剥かれる形になったテーナルクは、一拍遅れてその事実を認識する。

 彼女の思考が真っ白になり、隙が生まれたのを、蜘蛛たちは見逃さない。

 素早く距離を詰め、その毒の牙を持ってふたりを仕留めようと跳びかかった。


「テーナルク様!」


 背にしがみついていたバラノが、そう叫んで注意を促すが、時すでに遅く。

 複数の蜘蛛の牙が、テーナルクとバラノの体に突き立てられる――


 寸前で、小さな蜘蛛たちが不可視の障壁に弾かれた。


 思わぬ衝撃に仰け反った蜘蛛たちの頭部が、直後に吹き荒れたつむじ風によって切断される。

 気を取りもどしたテーナルクが見たのは、半獣人と化した、見覚えのある後ろ姿で。



「てーなるん、大丈夫かにゃ!?」



 独特の呼び方でテーナルクを呼ぶのは、ひとりしかいない。

 フィルカードの獣人姫・ルレンティアだ。

 何かと気にくわないところも気の合わないところもある相手ではあったが、その実力や能力に関して疑うところは全くない。

 そして互いに国を背負って立つ者同士、信頼がそこにはあった。

 思わずテーナルクが安堵の笑みを浮かべたのも、無理からぬことだっただろう。

 それでも、即座にテーナルクは気を引き締め直した。


「小さな蜘蛛以外に、手強い大蜘蛛がいますわ! その奇襲に気をつけてくださいませ!」


 端的に最も重要な情報を伝え、注意を促す。

 ルレンティアはそれを受け、頭頂部の獣の耳をぴんと立てて警戒の意を示す。


「了解だにゃ! ボクのてーなるんを辱めた借りは百倍にして返すにゃ!」


「誰が貴女のですかッ! 辱めも受けておりませんわ! 貴女は、まったくもう! ふざけてる場合ですか!」


 顔を真っ赤にして叫び、怒りを露わにするテーナルクだが、その表情には余裕があった。

 獣人のルレンティアがいれば前衛を任せることが出来る。

 王族の嗜みとして魔法全般を修めているテーナルクだが、決して戦闘が得意というわけではない。特に高速で動き回りながら行う魔法戦闘など、不得手の部類であった。

 だが、前衛として敵に対処してくれるルレンティアがいれば、話は全く違う。

 支援のための魔法を唱えることに集中することが出来れば、テーナルクの修めている多種多様な魔法がより活きるからだ。


「巻きこまないようにわたくしは支援に徹しますわ。それでいいですわね?」


「もちろんだにゃ! 大蜘蛛とやらの警戒、よろしくにゃ!」


 端的に必要なやり取りを交わし、テーナルクとルレンティアが組んで蜘蛛たちに立ち向かう。

 ルィテ王国とフィルカード共和国。

 国は違えど、王族に数えられるふたりの姫が組んだ時の実力は確かで、その場にいた小さな蜘蛛たちは次々と倒されていった。

 即死属性を扱えても、攻撃が当たらなければ意味が無い。

 ある程度数を減らしたところで、蜘蛛たちは勝機がないことを悟ったのか、散り散りに逃げ出した。

 ふたりは蜘蛛たちが戻ってこないことを確かめた上で、息を吐く。


「ふぅ、なんとかなりましたわね」


「うぇぇ……気持ち悪いにゃ……蜘蛛の体液がなんともいえない匂いだし……」


 ルレンティアの攻撃方法は基本的に長く伸ばした手の爪で引き裂くというものだ。

 一瞬で上手く切断すれば体液塗れになることはないのだが、乱戦の中では必ずしも的確に爪を震えるわけではない。

 結果、返り血も含めてルレンティアの全身は蜘蛛の体液に濡れていた。

 胸に巻いた布も濡れてしまっていたが、幸いというべきなのか、体液自体が色の付いたものだったため、透けるようなことはなかった。

 本人は気にしないかもしれないが。


「助かりました。ルレンティア様。テーナルク様もありがとうございます」


 テーナルクの背からようやく降りることができたバラノが、ルレンティアとテーナルクに対して頭を下げる。

 ルレンティアは飄々とした調子で、その礼を受け取った。


「こんな状況だからにゃ。堅苦しいのは抜きで行くにゃ。脱出にお互い力を尽くそうにゃ」


「無論、出来る限りのことをさせていただきます。私に出来ることは少ないですが……」


 ルレンティアとバラノが協力態勢をきっちり築き上げたところで、テーナルクが口を開く。


「アーミア様はどこにいらっしゃるのですの?」


「さすがてーなるん。気づくよにゃあ」


 そうルレンティアが笑い、廊下の隅に目線をやると、その場所が歪み、隠蔽の魔法で隠れていたアーミアと聖羅が現れた。

 聖羅自身には魔法は利かないが、周りに幻影を被せることで隠れていたのである。


「大丈夫ですか? テーナルクさん、バラノさん……」


「……体に怪我はないみたい」


 心配そうに声をかけてくる聖羅と、淡々と事実を指摘するアーミア。

 ふたりの様子にテーナルクとバラノは変わったところはなさそうだ、と感じ――


 聖羅に抱かれている小さなドラゴンに気づいて唖然とした。


 テーナルクもバラノも、なんというべきか言葉を一瞬失う。

 奇妙な沈黙の時間を経て、最初に口を開いたのはルレンティアであった。


「とりあえず、ここから移動するにゃ。安全を確保して、それからお互い状況を確かめるにゃ」


 その意見を否定する者は一人もいなかった。


 小さくなった死告龍を抱えたバスタオル一枚の聖女・清澄聖羅。

 獣化しているとはいえ、胸に一枚布を巻いているだけの格好の獣人姫・ルレンティア。

 半透明のレースを幾重にも重ねた神聖法衣と、布を下着代わりに要所を隠している姫巫女・アーミア。

 ドレスが崩壊し、下着のみの姿になっている王国第一姫・テーナルク。

 蜘蛛の糸が巻き付けられ、所々が破れかけた聖女風ドレスを身に付けている軍略家・バラノ。


 うら若き乙女がするには、あまりにも悲惨かつ散々な姿をした彼女たち。

 この場に異性がいないことが、彼女たちにとっては数少ない幸運であった。


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