第一章2 ~(たぶん)封印されている魔王(仮)さん~
男の人、のように見えます。
肩幅もしっかりしていますし、体つきも筋肉質で逞しい感じです。
けれど、現代日本では滅多に見られないほどの長髪で、その顔つきも目が覚めるほどの美しい造形をしていました。
髪の色は銀で、瞳は赤。明らかに日本人ではありません。
着ている服も豪奢なもので、なんというか貴族か王族が身に付けていそうなものです。
そして何より。その額から伸びる二本の角。背中から広がっている黒い皮膜の翼。それで締め上げるだけで人が殺せそうなトゲ付きの尻尾。
もはやここまで来るとあからさますぎてデザイン的にどうか、というくらいに。
それは、封印された魔王でした。
暫定魔王さんは私に向けてなにやら威厳たっぷりな様子で話しかけてくれているのですが、全く言葉が理解できません。私の知るどの言語とも違うようです。
とはいえ、耳にする機会の多い英語やフランス語や中国語ならともかく、トルコ語やクメール語などの聴き馴染みのない言語だったら、私には聞き取ることなんてできませんが。
幸い、言っている内容はわからなくとも、魔王さんはゴブリンよりも人に近い造形なので、表情がものすごいドヤ顔を形作っているのだけは理解できるのですが。
恐らくですが、「この私の前に立って臆さないのは褒めてやる」みたいなことを言っているような感じがします。
(すみません。単に貴方のことが理解できてないだけです……)
たぶん、この人、ではなく魔王さんはすごく有名なのではないでしょうか。
それこそ、この世界の人が出会えば卒倒するレベルの。
人の手によって封印されたのだとすれば、封印は出来ても滅ぼすことはできなかったのだと推測できます。
その場合、魔王さんの姿が人間に認知されていておかしくありません。
なのに私が怯えないのを見て、褒めてくれている、ような感じでしょう。たぶん。
「ええと、すみません。そちらの言葉がわからないんです」
私は試しに、こちらからも呼びかけてみることにしました。
もしかしたら魔王さんならこっちの言葉を喋ることができるかもしれません。
けれど、魔王さんは眉を顰め、再度よくわからない言語を話します。さっきとはまた違う言葉のような感じがしますが、やはりよくわかりません。
ダメです。通じてないっぽいです。
こういうのって、なんだかんだで話をして仲良くなるものでは。
それで封印を解いて、破天荒ながら強大な力を持つ魔王さんに助けられつつ、未知の異世界を渡り歩いていく、みたいなのがよくあるパターンですよね。
そもそも意思疎通が出来ないとか、詰んでるじゃないですか。
やがて魔王さんも言葉が通じないと悟ったのか、話すのをやめました。
『…………』
代わりに、魔王さんはじろじろと私を見始めます。
あまりにも浮き世離れした美しさとはいえ、男性にバスタオル一枚のあられもない姿をじろじろと見られるのは恥ずかしいです。
言葉が違うくらいですし、衣服の文化も認識がかなり違いそうですが、少なくとも魔王さんは私たちと変わらない、むしろ私たちの感覚でいっても豪奢な衣服を身につけています。
着衣の感覚に関しては、私たちとそう変わらないと考えて良さそうです。
そう考えると、ますます恥ずかしくなってしまいました。
「み、見ないでください……」
当然ながらそう言っても通じないので、魔王さんは私をじっと見つめていました。
私はどうすべきか本気で悩んでしまいます。
浮島には魔王さんが封印されている円柱以外、何もないようです。
円柱を中心に、ものすごく大きな魔方陣らしきものが広がっています。
恐らくこれが封印なのでしょう。
もしかするとこの魔方陣に傷を付けることで、魔王さんを解放することができるかもしれません。
しゃがみ込んで試しに魔方陣に触れてみます。ぴりっとした静電気のようなものを指先に感じて思わず引っ込めてしまいましたが、それだけです。
魔方陣は浮島の地面に直接刻んであるようで、ちょっと指先で擦ったくらいでは消えそうにありません。
(……そもそも、解放していいんでしょうか?)
いいわけがありません。
事情がわかればまた話は別かもしれませんが、この人がどういう人かもわからないうちに解放するのは危険です。
さっきはよくあるパターンなら、この人は破天荒なだけで気はいい魔王だろうと思いましたが。
そんなわけがないのです。
そんな都合のいい相手が出てくるくらいなら、そもそも最初の段階で親切な説明役が登場しているはずですし、言葉も難なく通じるはずなんです。
きっとこの魔王さんは本当に極悪非道な魔王で、解放したが最後、私は最初の犠牲者Aとなるに違いありません。
私はすっかりこの世界に対して疑い深くなっていました。
(まあ、どうしようもなくなったら解放するしかないですけど……)
ここから出られるのかが最大の問題です。
この場所はいうなれば『封印の間』というところなのでしょう。
となれば、普通は出られないようにしてあるのが当然です。
入るのがあっさりだったのは気になりますが。
とにかくまずは天井以外に出入り口がないか探ってみることにします。
そう考えた私は、浮島の縁を歩いて、ドーム状の空間の壁をぐるりと見渡してみました。
残念ながら扉の類は見当たりません。
天井の穴はいくつか見つけましたが、当然届くわけもありません。
壁を登る技術も腕力もありませんし。
『…………』
その間ずっと、魔王さんの視線が追いかけてきていました。
向こうからすれば滅多に来ない珍しい客なのだとは思いますが、恥ずかしすぎるのであまり見ないでいただきたいところです。
彼が封印されていて良かったと思いました。
それで動けないというのがなければ、こんなに落ち着いて行動できはしなかったでしょう。
いつ襲われるかわからず、ビクビクしなければならないところでした。
「うーん……ダメですね出れそうにありません」
私は一通りこの場所の様子を見て、そう結論付けました。
そもそもが物理的に閉じた場所のようです。
空を飛べるわけでもない私には逃れようのない完璧な牢獄でした。
ひょっとしたら魔法で扉が隠されているのかもしれませんが、魔法なんて使えない私にはどうすることも出来ません。
多少は危険を覚悟の上で、魔王さんの解放に挑戦してみるしかなさそうです。
(じゃないと飢え死にしてしまいますし……)
緊張しながら先の見えない道を進んだり、ゴブリンから逃げて走り回ったり、穴から何十メートルも下に落ちたり。
いい加減お腹も空いてきていました。
早めにどうにかしないと動けなくなって、餓死してしまいます。
そうなる前になんとか人里に出なければなりません。
こんな格好で人前に出るのは恥ずかしいですが、飢えて死ぬよりはマシです。
(とはいえ、封印の解除って、どうすればいいんでしょうか……)
ちらりと魔王さんの方を見ました。めっちゃこっち見てます。
その目は酷く苛立っているようでもあり、目を合わせにくくて仕方ありません。
魔王さんのことをなるべく意識しないようにしつつ、改めて床に刻み込まれている魔法陣を観察してみました。
よく見ると魔法陣自体がほんのり光っていて、刻まれている溝の中を何かが動いているような気がします。
(……水でも流れてるのでしょうか?)
水というよりは霧、でしょうか。水に入れたドライアイスから滲み出る煙のような。
それが溝の中をゆっくりと動いているように見えます。
気になってそれに手を伸ばしてみると、また静電気が走るような感じがしました。
指を入れたままにしていると、炭酸水の中に指を入れた時のように、ぱちぱちと指先で弾ける感覚が続きます。
(仕組みはよくわかりませんけど……こうやって流れを遮断すれば……)
聞きかじったオカルト知識ではありますが、確かこういう魔法陣というものは何らかのエネルギーを循環させる回路みたいなもののはずです。
少なくとも一定の方向に流れている物の邪魔をすれば、魔法陣の力が弱まるかもしれません。
溝事態をどうにかする方法がないので、いまの私に出来るのはそれくらいしかありませんでした。
溝を指で塞ぎつつ、魔王さんの方を見てみると、相変わらず私のことをガン見しています。
(だ、大事なところは見えてない、ですよね?)
魔王さんから見て横向きにしゃがみ込んでいますし、バスタオルで胸の上からお尻まで覆われているはずです。
それでも、バスタオル一枚のあられもない姿を見られているかと思うと、恥ずかしくて、出来れば余所を向いていて欲しいものでした。
その願いが通じたのか、不意に魔王さんの視線が私から外れました。私を飛び越した先に視線を向けています。
そっちには壁しかないはずですが。何かあるのでしょうか。
魔王さんの視線を追いかけて振り向いてみます。
そこにあったのは、浮島の周りを埋め尽くす、ただの水だと思っていたものが、山のように隆起しているところでした。