第三章4 ~ログアンの姫巫女・アーミア~
ログアンの姫神子・アーミアは、聖女・清澄聖羅と二人っきりになっていた。
ザズグドス帝国の書記官・バラノに部屋が用意され、ルィテ王国の第一王女・テーナルクがそこにバラノを案内しに席を立っているためだ。
普通に考えれば、部屋の案内など使用人に任せておけばいい話であるため、わざわざテーナルクが案内に席を立ったのは、聖羅のいないところで過激なやり取りをするためだろう。
フィルカードの姫・ルレンティアはいまだ復活しておらず、結果としてアーミアと聖羅が残っているのである。
「…………」
「…………」
部屋には沈黙が流れていた。アーミアは他の三人と違い、口が達者な方ではない。
他の三人であれば聖羅を退屈させないように何かしらの話題を振っていただろうが、アーミアは特にその気はなかった。
そもそも、アーミアの目的は聖羅と話し、その内容を聞いたことでほぼ達成されているに等しかったためだ。
聖羅曰く「死告龍に命令することは出来ず、何かをお願いするつもりもない」。
これはアーミアにとっては理想的な答えだった。
彼女にとって避けるべきことはただ一つ。守護亀・グランドジーグが死ぬことだ。
死告龍が気まぐれでもグランドジーグを攻撃すれば、ログアンはその時点で壊滅する。
その死告龍がルィテに留まり、しかも留めている存在が積極的に言うことをきかせられないとなれば、現状維持で全く構わないのだ。
ゆえに、アーミアが聖羅との交流を焦る意味は全くなく、落ちついて構えることができていた。
そしてそれは、聖羅にとってもいい効果を発揮していた。
そもそも聖羅はただの一般人であり、本人からしてみれば姫やら王女やらといった存在は雲上人そのものである。そんな彼女たちに気を遣われているという状況そのものが、聖羅にとっては心苦しく、緊張することだった。
もしも本人が何かを成し得た結果、そう扱われているのだとすればまた違うのだが、聖羅にしてみれば、買いもせずに道ばたで偶然拾った宝くじが一等を当ててしまったような状況である。
実情はさておき、自分にそこまで気を遣われる価値はないと思うのが自然であった。
ゆえに、アーミアのマイペースな態度が、彼女を安心させるのだ。
「……アーミアさん、お聞きしてもいいですか?」
「なんなりと」
「アーミアさんの住んでいる国……ログアンは、大きな亀さんの上にある国だと聞きました。その亀さんとは、どのように……いえ、どのような話をされているのでしょうか?」
「グランドジーグ様とどんな話をしているか……?」
アーミアは少し考える。国そのものであるグランドジーグとの会話は、八割方が国にとって必要な、いわば業務連絡である。
どの方向に進むか、速度はどうするか、敵になり得る存在の情報、寄生生物が潜んでいないかなど、重要な話も多い。国家機密と言っても過言ではない内容のため、おいそれと人に教えることはできない内容だった。
だが、聖羅が聴きたいのはそういう話ではないのだろうとアーミアは察する。
「そう、ね……わたしはまだ姫神子になって日が浅いから、そこまで砕けた話をしたことはないのだけど、歴代の姫神子の中には日々の他愛ない雑談……言ってしまえば無駄な話を長々としすぎて、グランドジーグ様を困らせた姫神子もいると聴いている」
「お、怒らせちゃったんですか?」
「話は面白かったらしいのだけど、グランドジーグ様が笑うと……その……」
「あ。なるほど……」
ログアンはグランドジーグの上に存在する国であり、もしグランドジーグが笑いが理由であれなんであれ身体を揺らしたらどうなるか。
聖羅は地震大国出身ゆえに、アーミアが言い淀んだことを正確に理解できていた。
「……でも、そうだとするとグランドジーグさんは不用意に笑ったり怒ったりできないってことですよね」
「そうなる」
「えっと……こんなこと言っていいのかわからないんですけど……それは、辛くないんでしょうか?」
「わたしにはわかりかねる。だけど、それも含めての助け合う約束。辛いだけではないと信じてる。姫神子の役割は一定の年月で交代するのだけど、引退した姫神子たちのこともグランドジーグ様は気にかけてくださっている」
役割だけの関係ではないと、アーミアは思っている。
そういうアーミアの言葉を聖羅は真剣に聴いていた。アーミアは聖羅の思惑を大体理解していたが、あえて口に出して尋ねた。
「ところで……なぜそんなことを聞くの?」
「あ、その……リューさ……死告龍さんとの会話の、ヒントにさせていただければなと思いまして……毎日会って、話はしているんですけど……ほんとうに当たり障りのない話しかできなくて。知らない間に不愉快にさせていないかと」
聖羅とアーミアに共通するのは、人外の存在と日常的に会話をしているという点だ。
その立場も、状況も、相手の性質も、あらゆる面で違いは多いが、人外に相対するという点は確実に共通している。
アーミアは想像していた通りの理由であることに安心しつつ、聖羅に言葉をかける。
「基本的に魔族という存在は仲間意識が非常に強いと言われている。一度でも仲間として認められたのであれば、よほどのことが無い限り再度敵対することはまずない」
「そう、なんですか?」
聖羅が懐疑的になってしまうのは、信用しかけていたヨウにバスタオルを奪われるという事件があったためである。
実のところあの事件に関しては、ヨウが初めから裏切りを視野に入れ、言葉が通じないことを利用して確定的な言葉で約束を交わしていなかった、という特殊な例であった。
また、ヨウの目的はあくまでも死告龍への復讐であり、聖羅そのものを害する目的ではなかった。現にバスタオルの加護を失った聖羅を建物の崩壊から守ったのはヨウだ。
そんな特殊な例を最初に体感してしまったのは、聖羅にとって不幸であるといえる。
「そう。魔族というと、大抵の国で不倶戴天の敵と考えられている。ログアンだって、グランドジーグ様以外の魔族に関しては似たようなもの。でも……個々の繋がりなら、通じ合えることもあると、わたしは思う」
そうアーミアは話をまとめた。
「もし、セイラさんがより死告龍様と仲良くなりたいと思うのであれば……自分の好きなものや好きなこととか、なんでもいいから話してみるといい」
「そんなことで、いいんですか?」
意外そうに目を丸くする聖羅に対し、アーミアは頷いた。
「大抵、人の領域に踏み込んで存在する魔族というのは、人に興味があってそうしている存在だから。人の営みの話をされて、嫌がる者はいないと思う」
「な、なるほど……好きなもの……好きなこと……」
「……不安ならわたしたちで練習するといい。セイラさんは何が好き?」
そうアーミアに問われ、聖羅は少し顔を歪めた。
「改めて考えると、あまり思いつかないんですよね……甘いものは好きですし、綺麗な景色を見るのも好きですが」
聖羅は良い意味でも悪い意味でも普通の人間だった。
何かひとつのことに邁進するほど、突き詰めて好きなものがあるわけでもなく。
それなりに流行に乗っかって行動することはあれど、何かのファンと言えるほどのめり込んだ記憶もなく。
もしも自分に物語上の役割が与えられるなら、通行人Aというのが一番妥当な立ち位置なのだと、聖羅は考えている。
(プロフィール欄が「特になし」で埋まる登場人物とか、ありえませんよね……)
無味乾燥な人間にもほどがあると本人も思っているのだが、それが事実なのだから如何ともしがたい。
普段は気にしないように努めていることを改めて意識してしまい、聖羅の気持ちは微妙に落ち込んでしまう。
「それなら……逆に、嫌いなものは?」
聖羅の様子を見て、踏み込んだ話をしない方がいいと判断したアーミアは、そう話題の転換を試みた。
だが、その問いにも聖羅は明確な答えを持ち合わせていなかった。
毒虫や犯罪者など、身の危険を感じるレベルの不快さや不愉快さとはまた違う話題ゆえに、聖羅は悩む。
「そう、ですね……嫌いな、もの……」
自分の内面を探っていた聖羅は、不意に自分がもっとも不快に感じた瞬間の記憶を思い出した。あるいは思い出してしまった。
それはとある日の何気ない日常の話。それなりに仲が良かった友達と遊びに行こうと約束したのにも関わらず、友達にその約束をすっぽかされた時の記憶。
後日その友人は悪びれもせずに「忘れてた」と言ったため、それ以後その友達とは疎遠になってしまった。
好きも嫌いも薄い聖羅だからこそ、その時の燃えたぎるような怒りと嫌悪感は、明確に記憶している。
だから。
「約束を守らない人――でしょうか」
聖羅がそう口にするのは自然なことだった。
それがこの世界の者にとって、どれほど不自然な答えであるかなど、考えもせずに。
死告龍・リューは王城の中庭で微睡んでいた。
魔族は夢を見ない。それがどうしてなのか、魔族たちの中にも説明できる者はいなかったが、それが純然たる事実である。
ゆえに彼らにとって睡眠とは、精神の安定と休息以上の意味を持たない。
魔族が微睡んでいるという状態は、それだけ気を緩めている――やることがなくて寝るくらいしかないという、安直に言えば暇な証拠であった。
そんなリューに向け、ヨウが苦笑気味に声をかけた。
『そんなに暇なら、狩りにでも行ってくればいいのに。ここ一週間ほど、全く狩りに出てないでしょう?』
そのヨウに、リューは瞼を半分閉じた眼を向ける。
『セイラが……いつ、気晴らしに行きたい、っていうか……わからない、もの……』
今にも寝てしまいそうなほどゆっくりとした調子で言うリューに、ヨウは呆れてしまう。
死告龍と呼ばれ、世界中から恐れられている存在とは思えない献身ぶりだった。
『それならそれでもいいのだけど……』
ドラゴンであるリューは、多少の絶食など物ともしない。
そもそも魔族にとっては食事自体が、動きをより良くするために取るものであって、それがなければ即時に命に関わる、という類いのものではないのだ。
ヨウが全く食事を取っていないのは恒常的に森から魔力の供給を得ているからだが、ドラゴンであるリューは身体に蓄えられる魔力の総量が桁外れに多い。
戦う必要があるならばともかく、ただじっとしているだけならば、それこそ数百年単位で何もしなくても問題なかった。
寝ている竜を起こしたくはないヨウであったが、伝えるべきことは伝えておく。
『またひとり、セイラと話をしに来た人間が増えたわ』
ヨウが告げたその言葉に、リューは不快そうに眼を開けた。
『……あんまりセイラに負担を増やすつもりなら、まとめて吹き飛ばしてやる』
リューの怒りを体現するように、リューの尻尾がゆらりと持ち上がり、ぴんと先端を天を向いて立てていた。
物騒なことを呟くリューを、ヨウは苦笑気味に宥める。
『別に止めないけれど、セイラに嫌われるわよ?』
嫌われる、という言葉を聞いた途端、リューの尻尾が力なく横たわった。
『……やっぱり?』
『そりゃあ、ねえ』
彼女たちの認識では、死告龍という最強の守護を持つ聖羅がわずらわしい人間関係に囚われる必要はない。
それでも聖羅が人との関係を模索しているのは、それが彼女にとって必要なことだからに他ならない。
それを邪魔してしまえば、聖羅にどう思われるかは自明の理というものだった。
自分の目的を他者に邪魔されて、愉快な者がいるわけがないのだ。
『じゃあ、やめとく』
『それがいいわね』
二体のやりとりは実に軽い調子だったが、ルィテ王国の滅亡は回避された。
リューは再びとぐろを巻いて瞼を閉じる。ヨウはふわりと浮かび上がった。
ヨウは小妖精の一体を聖羅の部屋に常駐させており、聖羅が呼べばいつでも駆けつけることが出来る。
そのため、本体は自由気ままに王城内を見て回っていた。本当は城下町の方までいっても問題ないのだが、妖精であってもヨウの外見は裸身の美女である。
住民をいたずらに刺激しないよう、ヨウは極力城下町に降りていかないよう、国王のイージェルドと約束を交わしていた。
ヨウとしても無闇に騒ぎを起こしてまで見に行くほど興味もなかったため、王城内を見て回るだけで済ませている。
(今日は地下室のあたりを見て回ってみようかしら。何か面白いものがあればセイラに教えてあげましょう)
そんなことを考えながらヨウが中庭を去る。
彼女が去ったあとも変わらず、リューは中庭で眠りについていた。
妖精達が作ったドームの中で誰はばかることもなく、リューは存在している。
ルィテ王国の者は、そうやって目隠しがされていても、滅多なことでは中庭に近づこうともしなかった。それだけ死告龍は恐れられているのだ。
しかし、だから、誰も気づけなかった。
リューの真下の地面から、黒い霧状の『何か』がゆっくりと這い出して来たことに。