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第二章2 ~ルィテ王国第一王女テーナルク・ルィテ~

 聖女・清澄聖羅は暇である。


 死告龍・リューとの友好的な関係を維持すること以外、これといってやれることがないためだ。

 王城では聖羅に出来るレベルの雑用や用事は、すべて使用人が済ませてしまう。聖羅の身の周りの世話も、クラースがやってくれるので問題は無い。

 ゆえに本人は自由に好きなことが出来るのだが、異世界人である聖羅に出来ることはほとんどなかった。

 本を読む、というのが情報収集の鉄板だが、異世界人である聖羅にとって、この世界の文字は難解すぎた。翻訳魔法は文字までは対応してくれないのだ。


(五十音表みたいなものすらないと言われてしまっては……もう、お手上げです)


 聖羅は彼女なりにこの世界の言語について解析を進めていたが、わかったことといえば、この世界の言語というものは根本的に聖羅の知るものとは違う、ということだった。

 曲がりなりにも言葉として存在するのだから、聖羅が学習できないはずもないのだが、この世界の言語学習には魔法が用いられているのが問題だった。

 ゆえに、もはや母音や子音というような根本から仕組みが違って出来ていて、聖羅の言語の理解の仕方では習得できない言語になっていた。


(向こうはこっちの言語を覚えられるというのが、地頭の差を示されているようでなんというか哀しいですが……それは言っても仕方ありませんね)


 聖羅は魔法を使えない。

 かけてもらうことは出来るが、肉体を治したり強化したりする効果ではなく、精神に直接作用する魔法は危険を感じてかけてもらうことができなかった。

 この世界では治癒魔法があって、生きたままの解剖や致死ギリギリの人体実験が容易なため、人体の構造の理解は進んでいる。

 肉体の構造に、少なくとも聖羅の見る範囲で違いはない。

 しかし、各臓器が何の役割を果たしているかなど、機能面の差異となると聖羅にはまったくお手上げだった。そこに作用する魔法をかけてもらって無事に済む保証がない。

 そもそも、元いた世界の人体の構造自体、そこまで詳細に覚えているわけではないというのも問題だった。


(スマホかパソコンがあれば調べられるのですけど……)


 文明の利器を恋しく思ったのも、何度目だろうか。

 とはいえ、そう思ったところでそれが都合良く手に入るわけもなく、聖羅は「人に尋ねる」という原始的な方法で情報収集を行う他なかった。

 目下の課題は、式典や会合で何をすればいいかの情報を得ることである。

 ルィテ王国への義理立てとして、式典や会合への参加を許容した聖羅は、マナーやルールを知らなければならない。

 しかし一般的なことならさておき、国家規模の式典や会合でのこととなると、使用人にすぎないクラースでは教えられないことの方が多かった。


(オルフィルドさんはそのあたりの心配は無用とおっしゃってましたが……いくら主催者側が構わないと言っても、何も知らないままというのは不安ですし……)


 マナーや作法にうるさい日本で育った聖羅は、横紙破りは極力避けたいと考えていた。

 そして当然、オルフィルドが心配無用と言ったのは、その対策を取っていたためである。

 ある日のお茶会で、聖羅はオルフィルドからひとりの女性の紹介を受けた。


「キヨズミ嬢。この者は――」


「初めまして、聖女様。私はルィテ王国第一王女、テーナルク・ルィテですわ。以後、お見知りおきを」


 ドレスの裾を摘まんで広げながら、優雅に聖羅に向けて頭を下げるテーナルク。

 突然のお姫様の登場に、聖羅は一瞬「そういうドレスを着た時の挨拶の作法は元の世界と変わりないんですね……」などと思考が散漫になったが、慌てて彼女も頭を下げた。


「は、はじめまして。清澄聖羅、です。お世話になっております……」


 聖羅はテーナルクと同じように裾を摘まんで挨拶するべきか迷ったが、恐らく普通に下着を身につけているであろうテーナルクと違い、聖羅の下半身はバスタオル一枚しか纏っていない。

 そのバスタオルは膝下までを覆ってくれてはいるが、もしテーナルクと同じように裾を摘まんで広げれば、聖羅は改めてバスタオル以外何も身に付けていないことを思い出してしまうだろう。

 ゆえに、両手は前で揃えて頭を下げるだけに済ませた。文化の違いと思ってくれるようにと願いながら。

 幸いにして、テーナルクは聖羅のお辞儀に対して何も言わなかった。


「彼女は社交界を知り尽くしている。キヨズミ嬢は極力何もしなくて済むようにするが、式典や会合に関して不安なことがあれば彼女を頼ってくれ」


「それは……とても助かります」


「では、紹介も済んだし、私は今日はこれで失礼する。会場の警備体制や各国の使節団の受け入れなど、やらなければならないことが多いからな」


 言い訳をするように言って、オルフィルドは部屋から去っていった。

 聖羅にも、それが便宜上の理由で、聖羅とテーナルクを二人きりにするのが目的なのだと気づくことができた。実際に忙しいのも決して嘘ではないのだろうが。


(……お姫様、という存在に会うのは初めてですね……むしろいままで会っていなかったのが不思議なくらいです)


 聖羅は自分と同年代であろうテーナルクを、『お姫様らしいお姫様』だと感じていた。

 豪奢なドレスに、洗練された所作。

 堂々たる態度はまさに王者の貫禄を思わせる。

 イージェルドと似た雰囲気を持っているが、それが血縁によるものなのか、それとも王族が共通して得るものなのかは聖羅にはわからない。


(そういえば、イージェルドさんが王様で、テーナルクさんが第一王女ということは……彼女はイージェルドさんの娘さんってことですよね……?)


 聖羅はイージェルドが子持ちで、それも自分と同年代の子供がいるくらいの年齢だったということに驚きを隠せない。

 自分よりは年上でも、イージェルドは二十代後半だと思っていたからだ。

 聖羅は彼らの正確な年齢を聞いていなかった。


(まだまだ知らないことは多い……ということですね……っと、いけない)


 思考に没頭しそうになった聖羅は、ひとまずテーナルクに座るように提案する。


「ええと。とりあえず座りましょうか……手をお貸しした方が良いですか?」


 座るだけにも関わらず、聖羅が彼女にそう尋ねたのには理由がある。

 テーナルクは、目隠しをしていたのだ。

 分厚い布のようなもので目を覆っており、とても周囲が見えているようには見えない。

 目に怪我をしたのか、それとも生まれつき目が見えないのか。

 理由を尋ねるのは無神経かもしれないと考えたが、全く手を貸さないのも不親切だろうと、苦慮した結果の質問だった。

 テーナルクはそんな聖羅の気遣いに対し、口角を柔らかく持ち上げる。


「ありがとうございます。大丈夫ですわ。魔力による感知で物の輪郭は掴めますので」


 その言葉が嘘でないことを示すように、テーナルクは部屋に置かれた椅子に、迷いなく腰かけた。

 聖羅もその対面に座り、改めてテーナルクと向き合う。


「改めまして。テーナルク・ルィテと申します。聖女様のお好きにお呼びくださいませ」


「あ、はい。どうぞよろしくお願いします。清澄聖羅です……テーナルクさん、とお呼びしてもよろしいですか?」


 聖羅は名前呼びを選んだ。

 普通ならば相応に親しくなってからでなければ名前呼びなどはしないのだが、ルィテと呼ぶとこの国の名前と被る上に、聖羅がよく顔を会わせるイージェルドやオルフィルドとも被ってしまう。

 そのため「テーナルクさん」呼びでいいかと確認したが、呼称としては『王女様』でも良かったか、と言ってから気づく。

 馴れ馴れしい奴と思われたのではないかと、聖羅は内心冷や汗を搔いたが、テーナルクに特に気にした様子はなかった。


「もちろんですわ、聖女様」


「すみません……その、聖女様というのはやめていただいてもいいですか……?」


 聖羅としては自身が聖女であるつもりは欠片もないため、そう呼ばれることに違和感しかなかったのだ。

 テーナルクは即座にその聖羅の求めに応じる。


「わかりましたわ。では――セイラ様とお呼びしても構いませんか?」


 そういうテーナルクの提案に、聖羅は少し迷った。

 友人ではない相手に名前で呼ばれるのも、聖羅にとって違和感のあることではあったが、そこまで嫌悪感があるわけではない。

 同年代の女性ということも良い方向に作用していた。

 加えて、少しの打算も働く。


(テーナルクさんは同じくらいのご年齢みたいですし……今後、色々と相談に乗って欲しいこともあります。出来れば仲良くなりたいですから……名前で呼び合った方がいいですね)


「はい、構いません。……様付けもしなくていいです。仲良くしていただけると嬉しいですから。テーナルクさん」


「それはこちらの台詞ですわ、セイラさん。仲良くしてくださいまし」


 互いに探り探りではあったが、こうして聖羅とテーナルクの邂逅は果たされた。

 クラークにお茶の用意をしてもらった後、クラークを含めた使用人が全員部屋から退出する。

 テーナルクは目隠しをしたまま、正確にカップの位置を把握してそれを手にしていた。


「……テーナルクさん。まず、お聞きしてもいいですか?」


「目が見えないわけではありませんわ。この方がセイラさんがご自身の格好を気にしなくて済むかと思いまして。同性とはいえ、初対面の人間に見られたくない姿というのもございましょう?」


 聞こうとした質問の答えを先に言われてしまい、聖羅は息を呑んだ。

 口に運んでいたカップを置きながらテーナルクjは続ける。


「オルフィルド叔父様も決して無神経な方ではないのですけども、セイラさんのことに関しては警戒が先に立ってしまっておられるようですわ……叔父様に変わって謝罪いたします」


「い、いえ。よくしていただいていますから……」


「わたくしが来たからには、もうセイラさんにお恥ずかしい思いはさせませんわ。なんでも相談してくださいまし」


 自信満々に言い切るテーナルクに、聖羅は確かな自負を感じた。

 少々自信家の気配はあるが、それに似合うだけの実力と実績を有しているのだろう。


「魔力による感知というのは、大まかに人や物の形がわかるだけのものですわ。元から目が見えないなどで、魔力の感覚を極めた者であれば、触れたものが柔らかいか堅いかくらいまではわかるそうですが」


「便利ですね……魔力って」


「セイラさんは魔力のない異世界からいらっしゃったそうですわね」


「そう、ですね。魔法がない分、機械……カラクリや科学、医術は発達していましたけど、こうして魔法のある世界に来ると、高度なんだか原始的なんだかわからなくなります」


 しばしふたりはとりとめもない話を繰り広げた。

 しばらく話し、ほどよくお茶が減ったところで、テーナルクが本題に関係あることを切り出す。


「セイラさんが元いた世界では、今回の式典のような行事はあったのでしょうか?」


「まったくなかったですね……いえ、正確に言えば私には縁がなかったというべきでしょうか。天皇……ええと、こっちでいう王様の誕生日などに国の偉い人が集まってお祝いの式典みたいなのはやってたみたいですが、私の立場では出席なんて出来ませんでしたし、大抵の人は縁がなかったと思います」


「小規模でも、舞踏会や晩餐会に出席した経験もありませんの?」


「ない、ですねぇ……」


 晩餐会と聞いて、聖羅の脳裏に一瞬部活などでの打ち上げの記憶がよみがえったが、現状に則したものではないと判断して打ち消した。

 この場合の晩餐会で当てはまるのは、企業などの創立記念や新店舗オープンの際に行われるレセプションパーティーの方が近いだろう。

 だが一般的な大学生である聖羅に、そういったものに参加した経験はない。

 その後も、二人はとりとめも無い話を交えながら、式典と会合に備えて準備を整えていった。





 その日の夜、イージェルドの居室に、オルフィルドとテーナルクが集まっていた。

 イージェルドは愛娘たるテーナルクを労う。


「よく来てくれたね。それで、テーナルクから見てキヨズミはどうだった?」


 その質問に対し、テーナルクは「まだ初日ですから確実なことは言えませんが」と前置きをしてから言う。


「良くも悪くも平凡、ですわね。確かに邪悪な感じはしませんでしたが、どこか不自然に一線を引いたような物言いが引っかかりますわ」


「やはりお前でもそう思うのかい?」


「少なくとも、聖女というほどの神聖さも潔白さも感じませんわね。言葉は悪いですが、極普通の平民の方を相手しているような感覚です」


「ふむ……そうか。しかし、それなら懐柔策は一応実っているとみるべきかな?」


「それは問題ないでしょうね。食事や住居を提供されていることを、セイラさんはとても感謝している様子ですわ。……まあ、死告龍が一声命じれば出さざるを得ないのですから、本当は恩に感じる必要はないのですけども」


「そのまま勘違いしてくれていればいいのだけどね……オルフィルド。死告龍の様子はどうだい?」


「今のところ動きはない。式典や会合の参加については、テーナルクがキヨズミ嬢と話をしている間に、俺からも確認のために直接話をしてみたんだが――」


 そのオルフィルドの言葉を聞いて、真っ先に反応したのはテーナルクだった。


「オルフィルド叔父様。今後、そんな危険なことはしないでくださいませ。せめてセイラさんが一緒にいるときにしてください」


「いや、しかし――」


「しないでくださいませ」


「……わ、悪かった」


 有無を言わせないテーナルクに、武力派オルフィルドが押し負けて頷かされていた。

 その光景を傍で見ていたイージェルドは、なんとも複雑な表情を浮かべている。

 気を取り直すように咳払いをしたオルフィルドは、報告を続けた。


「死告龍は式典や会合自体、興味がないようだ。キヨズミ嬢が参加するならするし、しないならしないと。特に問題はないだろう」


「キヨズミには、しっかり手綱を握ってもらう必要がありそうだね……会合中に暴れ出されたら大惨事だ。……ああ、胃が痛くなりそうだよ」


「ここのところずっと胃が痛くなるような状況が続いているからな……」


「でしたら、お父様、叔父様。わたくしが特製スープをお作りいたしますわ。疲労回復になかなか評判が良いのですよ? 胃にも優しいですし」


「……テーナルク、お前、そういうことは料理人に任せなさいと言ったじゃないか」


「王族が料理をしてはいけないなんていう法はないはずですわ」


「いや、確かにないけどね……」


「まあまあ。いいじゃないか、兄さん。聞いた話じゃ、キヨズミ嬢も元の世界では自分で料理することもあったようだし、話の種になるだろ」


「オルフィルド叔父様ならそういってくださると思って、準備させておきました! この部屋に持ち込んでも構いませんわね? お父様」


「……ああ、いいよ」


「いや、しかしさすがはテーナルクだな。段取りが早い。こんなことなら、確かに最初からテーナルクにキヨズミ嬢の相手を任せれば良かったな。再三の打診を却下して悪かった」


「ふふふ。お褒めに預かり光栄ですわ。…………同じ年頃の女と聞いて気が気ではありませんでしたが、セイラさんはライバルにはなりそうもないですし、本当に仲良くできそうですわ」


 ぽそりと呟かれた言葉をオルフィルドは聞き逃したが、イージェルドにはハッキリと聞こえてしまった。

 自分の娘ながら欲しいもののためには手段を選ばない姿勢に、なんとも薄ら寒いものを感じるイージェルドであった。


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