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第二章1 ~ルィテに集う女性たち~

 ルィテ王国は王城のある首都を、三つの中核都市が囲む形をしている。

 東にはザズグドス帝国の侵攻を防ぐ目的で作られた要塞都市ラドスがあり、西南には海のごとく巨大な湖を往くための港街レーテがある。

 そして北北西には位置的に最も戦火が遠く、文化的にもっとも豊かに成長した、歌と踊りと芸術の街ロアルがあった。

 王族や貴族の本邸や別荘が立ち並ぶ、ルィテ王国の中でも豊かな町並み。

 その一角の豪邸に、王弟にして軍事関係の最高責任者、オルフィルド・ルィテはやって来ていた。

 勝手知ったる家だと言わんばかりに、案内も伴わずに廊下を歩き、とある一室の前で立ち止まった。


「どうぞお入りくださいませ」


 ノックもしないうちに中から促され、オルフィルドは苦笑しながら扉を開く。

 そこは品良く整えられた部屋だった。決して華美ではなく、しかし質素でもなく。部屋の主の趣味の良さを伺わせる。

 その部屋の主は、オルフィルドが現れたというのに立ち上がって出迎えるわけでもなく、優雅に椅子に座ったままティーカップを口元に運んでいた。

 身分的にはオルフィルドは王族であり、ルィテ王国のほぼすべての民が下位に属するはずだというのに、部屋の主は実に不遜な態度だった。

 オルフィルドが身分と作法に厳格な性格だったなら、罰が与えられていてもおかしくない態度だ。


「お久しぶりですわね、オルフィルド叔父様。ようやくわたくしの出番ですの?」


 だがそんな心配は無用だとばかりに、彼女は平然と話を始める。

 オルフィルドがそんな些細なことを気にする性格では無いと熟知しているからだ。

 そして実際、オルフィルドはそんな彼女の態度には言及せず、遠慮せずに部屋に入ると、彼女の対面の椅子に座った。


「ああ。お前の力が必要だ――テーナルク。聖女お披露目の式典と会合の話は知っているな?」


 テーナルクと呼ばれた彼女は、当然だとばかりに軽く頷いて見せた。

 長く丁寧に櫛を通されたらしい波打つ金髪が、その動作に合わせてふわりと揺れる。

 その青色の瞳には落ち着いた光が湛えられ、理知的な輝きを示していた。

 外見からすると十代半ばほどの者が浮かべるには、あまりにも落ち着いたものに感じられる。


「当然ですわ。お父様から連絡がありましたし……なにより、わたくしは常に聖女様の情報を集めておりましたから」


 ちらり、とテーナルクは部屋の壁を見やる。

 オルフィルドが視線に釣られて壁を見ると、そこには『聖女キヨズミセイラ』の肖像画がかけられていた。最初に描かれた本物により近いのか、筆遣いの質感まで伝わってきそうなほどの品だ。

 裸婦画ではあるのだが、元々の作品がもとより芸術性が高いのと、納められた額縁が部屋に合わせて作られた物であることもあって、見事この部屋に飾られていて違和感の無いものになっていた。

 本人が見たら恥ずかしさで悶絶することだろうが、幸いこの場に本人はいなかった。


「むしろ、わたくしは前々から聖女様と交流を行わせてくださいと、再三進言したではありませんか」


 テーナルクは若干非難の意思を込めて、オルフィルドに視線を戻した。

 オルフィルドはそんな彼女の視線に、苦笑を浮かべる。


「悪かった。だが、こちらとしてもキヨズミ嬢の性質を見極めるまでは、重要な者を会わせるわけにいかなかったんだ」


「その見極めのためにも、お父様や伯父様ではなく、同年代の同性であるわたくしが接した方がよいとも言ったでしょう?」


「……返す言葉もないな。だが兄……いや陛下の心境も加味してあげてほし――」


「それも踏まえて申し上げておりますわ。王族があまっちょろいこと言ってんじゃないって話ですの」


「お、おう……」


 若干乱暴な言葉遣いで論破され、オルフィルドは言葉も出なくなる。

 確かに聖羅の相手をするのに、テーナルクほどの適任はいない。

 現国王の実子であり、魑魅魍魎が跋扈する貴族の社交界を渡り歩いて来た実績。

 聖羅と見た目の歳が近く、何より同性だ。

 相手の警戒を解き、心を開かせ、その本質を見極めるには、確かにテーナルクという存在が最も適任であると言えた。

 それなのに今の今まで彼女が聖羅に接触していなかったのは、イージェルドやオルフィルドが取った慎重策のためである。


「それで、叔父様。わたくしに話を持って来たということは……聖女様は危険では無いと判断できたのですか?」


 国の戦力をすべて注いでも勝てない死告龍。

 それを制御する聖羅という存在は、国をあっさり滅ぼしうる存在だった。

 そのため、イージェルドとオルフィルドは極力国の有力者を首都から遠ざけ、万が一の時に最小の被害で済ませるようにしていたのだ。

 聖羅が国に危害を加えない無害な存在だと判断出来たら、すぐにテーナルクに交流してもらうつもりはあったのだ。

 しかしこの世界の者からすると、聖羅の言動は非常に怪しかったのが問題だった。


「まだ見定めきれていないところはある。だが、少なくとも邪悪な存在ではないと判断した。怪しいところは多々あるんだが……」


 体内に魔力を持ち、それが性質に影響する彼らは、基本的に嘘が吐けない存在である。

 ゆえに極力誠実であろうとするし、嘘を吐くというのは文字通り身を切るような覚悟を持ってすべきことだ。

 一方、魔力の無い世界から来た聖羅はそうではない。むしろ人の世の常として嘘、虚構、見栄、裏切りなどは常識だ。

 聖羅自身は、そんな世界でいえば稀なほど誠実で嘘の吐けない人間だったが、この世界ではそれが普通のことであったため、聖羅の向こうの世界を基準とした言動は、有り体にいって胡散臭く感じられてしまうのだ。

 聖羅は聖羅で、周りが誠実に接してくれているのは死告龍という強力な後ろ盾があるからだろう、と考えているために、いまだお互い認識の齟齬に気づいていないのである。


「式典の流れや作法を教える、という名目で接すれば良いのですわね?」


「そうだ。とはいえ、聖女は極力目立つことを嫌っているし、本人の希望もあるから挨拶は最小限に留める。歌や踊りもなしだ。教えることはそう多くないだろう」


「つまり、本命の役割はそれを通じて聖女様と仲良くなること……加えて、式典中彼女の側にいてフォローするということですわね」


「ああ。異世界から来たキヨズミ嬢はこの世界の関係性に疎い。他の国の連中を全く近づかせないわけにはいかないから、その辺はお前が補ってやってくれ」


「承知しましたわ。わたくしにお任せくださいませ。さっそく首都に移動する準備を始めましょう……ところで」


 テーナルクはそこで一度話を区切った。


「なんだ?」


「周辺各国にも招待状は送ったんですの?」


「ああ。北のログアンにも、南のフィルカードにも……東のザズグドスにも、だ」


「ログアンとフィルカードはともかく、東の蛮国にも送ったんですのね……」


 嫌そうな顔をしてテーナルクは呟いた。

 それを聞いたオルフィルドは苦笑を浮かべる。


「お前は本当にザズグドズが嫌いだな」


「敵対国を好きになれるわけがありませんわ。あの国のせいで何度この国に血が流れたか」


「気持ちはわからんでもないが、それを言うならログアンやフィルカードとも戦ったことはあるぞ?」


「あの二国との戦いはこっちが仕掛けた戦争でしたし、その賠償は終わって友好的な交流もありますから。ザズグドズはいつまで経っても侵略政策しか取らない野蛮な国家ですもの」


 つん、と素っ気なく言い捨てるテーナルク。


「まあ、それもそうなんだがな……」


「式典に参加しにくるのも、きっと獰猛な動物か危険な魔獣みたいな女ですわ。出来れば会いたくありませんわね」


「まあそういうな。いくらザズグドズでも死告龍を敵に回すような真似はするまい。お前はひとまずキヨズミ嬢との交流に集中してくれればいい」


 オルフィルドはテーナルクの手腕を信頼していた。

 かつてこの国で有力貴族達が離反しかけて国の存続が危うくなったとき、数多の貴族を説き伏せ、時に懐柔し、再び王権に力を取り戻させたのがテーナルクという女性の力だ。

 極力誠実であることを強いられるこの世界で、本当の本音を隠し、自分の良いように相手の心情を誘導し、数多の意思ある人間の間で立ち回ることは、下手をすれば魔法飛び交う戦場で活躍するよりも難しい。


 彼女なら、一歩間違えば国が滅びかねない、死告龍を従えた聖女との交流も出来ると、オルフィルドは確信しているのだった。





 ルィテ王国から見て北の国・ログアン。

 首都とされる最重要拠点そのものが巨大な陸亀の上にあり、その移動によって常に首都の位置が変わる国家。

 破城亀・グランドジーグの頭部の上にある王宮の一室で、一人の女性神官が祈りを捧げていた。

 静謐な雰囲気を纏ったその女性は、薄いベールを幾重にも重ねた法衣を身に纏っていた。

 明るいところでは下手をすれば光に透けて、身体が見えてしまいそうな造りの衣服だ。そんな格好で、彼女は一心に祈りを捧げていた。


「……ルィテ王から式典開催の連絡が来た。ログアンからはわたしが参加する」


 淡々とした、感情の窺えない声だった。

 短い赤い髪が彼女のわずかな動きに合わせて揺れる。

 未成熟な体つきといい、この世界の基準に照らし合わせても子供に寄った姿であったが、その落ち着きようは揺るぎなき巨岩を思わせた。


『お主が、行くのか……?』


 そんな彼女に、遠雷のような低い声がかけられる。

 跪く彼女の真下に光り輝く魔方陣が展開され、彼女の身体を照らした。

 結果として、ベールが透けてその下の身体が見えるようになった。彼女は法衣の他に衣服を身に着けておらず、その体が見えるようになってしまう。

 だが、いまこの場には彼女以外の人間がいなかったため、それを見れる者はいなかった。

 女性神官は目を閉じたまま、ゆっくりと口を開く。


「……わたし以外に適任がいない」


『それも、そうか……』


「……グランドジーグ様、国をお願い」


『任されよう……行くが良い、アーミア……』


 必要最低限の、短いやりとりだった。

 アーミアと呼ばれた少女は、その瞼を開く。

 赤銅色をした瞳には、強い意志の光が宿っていた。

 ログアンの守護獣にして、ログアンという国そのものである破城亀グランドジーグとの対話を終えたアーミアは、その部屋から出る。

 その彼女に、駆け寄る者がいた。若い男で、神官服を身につけている。

 満面の笑みで、手を振りながらアーミアに近づく。


「アーミア様! こちらにいらし――へぶあっ!?」


 そして、素早く振るわれたアーミアの蹴りを顔面に叩き込まれた。

 彼が激痛に顔を押さえてのたうち回っている間に、アーミアは素早く薄いベールで出来た法衣を脱ぎ去り、同時に呼び寄せた極普通の神官服を身に纏う。

 一息吐いた後、アーミアはいまだ地面に転がる青年の背中を踏みつけた。その頬が少し赤くなっており、先ほどの格好を見られたことを恥ずかしがっているようだ。


「……ヘルゼン。忠告を聞く気がないの?」


 魔力のあるこの世界において、見た目の非力さなど何も関係が無い。

 アーミアが足に力を込めると、ヘルゼンと呼ばれた青年の背骨が軋んで嫌な音を立てた。


「あいたたたた!! ごめんなさいごめんさい! ここにいるかいないかわからなかったし、もしいるなら愛しいアーミア様のあのお姿が見られるかなってちょっと期待――あだだだだ!!」


「……次やったら背骨を折る」


 最後にヘルゼンの脇腹を蹴って、アーミアは彼から離れた。

 悶絶することもなく、すぐに復活したヘルゼンは、アーミアについて歩きながら話し始める。

 背骨を折られかけても飄々としているあたり、優男に見えてヘルゼンは相当タフだった。


「いやー、一応大事な用事はあったんですよ? だから探してたんだし」


「なに?」


「フィルカードのお姫様からの伝言です。『あーみんと式典と会合で会えることを楽しみにしてるにゃー、にゃはははは!』と。それだけ言って切られました」


 正確に言葉の抑揚まで真似をしてヘルゼンは伝言をアーミアに伝える。

 アーミアはその報告を聞き、なんとも微妙な顔をした。


「あ、嫌そうなお顔で。やっぱりあのお方はお嫌いですか?」


「……嫌い、というか」


「ぶっちゃけ苦手なんですよね。わかりますよ。あのにゃはにゃはお姫様、何も考えてないようでガチで利権取りに来ますもんね。アーミア様は弁の立つ方ではありませんし、あのペースに呑まれそうになりますしね」


「…………」


「個人的な感想を言うなら、あのお姫様はアーミア様を本気で気に入っているようですし、そこまでこちらが不利になるようなことはしないでしょう。同じくアーミア様に惹かれている僕が保証しますよ」


「……だといいんだけど」


「現に、この間などは神聖法衣を着たアーミア様の肖像画がぜひに欲しいとおっしゃって――あっぶなっ!」


 振り返りざまにヘルゼンの顔面に向けて容赦なく放たれたアーミアの拳を、ヘルゼンは紙一重でかわす。

 アーミアの赤銅色の瞳が、怒りで真っ赤に燃えていた。


「……ヘルゼン? なんで神聖法衣のことを……いえ、それを身に着けた時の姿のことを彼女が知ってるの?」


「あ。いや、その、色々とやりとりをしている間に、ついぽろっと……」


「死ね」


「あー! お待ちくださいアーミア様! 魔法はなしで! アーッ!」


 アーミアの放った魔法が、ヘルゼンを軽々と吹き飛ばす。

 自分の頭の上でアーミアとヘルゼンが、いつも通りじゃれ合っていることを感じたグランドジーグは、呆れつつその進路を南に向けるのだった。


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