第一章1 ~説明役はどこにいるのでしょう~
落下している間に気を失ってしまったようです。
私は頭の中で鐘が鳴っているかのような衝撃の余韻を感じていました。
同時に身体が水に浸かっているような感覚を覚えます。
どうやら水場に落ちたようで、水面をぷかぷかと漂っていました。
鼻や口に水が入りそうになって、私は慌てて身体を起こします。
幸い、いま私がいるところはそう深いところではないようで、足が水底につきました。
「げほっ、ごほっ……! し、死んでないです?」
水が上手くクッションになってくれたようです。
バスタオルも無事でした。
落ちた際に裾が広がって、水の中で胸から下が大公開になっていましたが、些細なことです。
改めて身体の状態を確認してみましたが、痛むところはありません。
咳き込みながら頭上を見上げると、野球場のドームか何かの天井かと思うほど、遠くに天井が見えます。
穴が空いているように見えるので、恐らくそこから落ちたことは間違いないようです。
(あれ? ……あんなに高くから落ちて、良く無事ですね? 私)
いくら水がクッションになったらしいとはいえ……少し妙な気はします。
そもそも、私の足が付くほど浅いのですから、クッションにならないような気も。
もしかして『落下ダメージ』という概念がない世界とか?
ゴブリンがいたくらいです。地球とは違う異世界に来てしまったのは間違いないでしょう。
そうなると物理法則や何やらが私たちの世界と違うということは考えられます。
ゲームに似た異世界、なんてそれこそ鉄板ですしね。
(ゲームみたいな世界なら、ステータス画面とかあってもいいはずですが)
もしもステータスが見られればこの世界のことを知る手がかりになるかもしれません。
試しに手を翳して「ステータス」と呟いて見ましたが、何の効果もありませんでした。
この世界、ちょっと不親切すぎませんか?
私がこの世界のことをよくわかっていないせいもあるのでしょうけども。
最低でも説明役とか、そういうのがいてくれてもいいじゃないですか。
転移するときには神様が直接説明してくれたり、そうでなくとも転移した事情を知っている人が傍にいてくれるべきなのではありませんか?
とはいえ、ないものねだりをしていても仕方ありません。
私は気持ちを切り替え、周辺の探索をしてみることにしました。
「ここは……地底湖、でしょうか? 広いですね……」
水場はちょうど私の胸下くらいの深さです。それがドーム状の空間に広がっています。
ここは文字通りドーム並の広さがあるので、相当広いです。かつて東京にあるドームに行ったことがありますが、そこくらい広い
明かりがないように見えるのですが、端まで見通すことが出来ていました。
どうやらこの水そのものがわずかに発光しているようなのです。
身体に害があるのではないかと思いましたが、すでに頭から浸かっています。
いまのところ身体に異変はないですし、無害だと信じましょう。
「どこから外に出れば……ん?」
見回していると、ドーム状の空間の中央付近に、浮島みたいなものがあることに気づきました。中心に高さ数メートルくらいの柱?のようなものも見えます。
天井を支えているわけではないので、棒状のオブジェという方がいいのかもしれませんが。
脱出するなら端に向かっていくべきかもしれませんが、距離的に中心の方が近いこともあり、まずは一度水から上がりたかったので、浮島を目指します。
胸の下辺りまで水に浸かった状態だと、かなり歩きにくいのですが頑張りました。
無事に中央の浮島に到着し、水からあがることができました。
ずぶ濡れになったバスタオルを一端外して絞ろうとして、その必要が全くないことを知りました。
水から上がると同時に、バスタオルから水気が一瞬で抜け落ちたからです。
「ええっ!? ど、どうなって……?」
触ってみると、乾きたてさらさらな感触が返ってきました。
明らかに異常です。このバスタオルはおろしたてで、私の拘りから結構良い品物ではありますが、こんなばかげた速乾性はありえません。
水滴が足下に落ちたので、頭に触ってみると濡れた髪の感触がありました。
どうやらバスタオルだけが異常な速度で乾いているようです。
試しにバスタオルの裾を使って頭を拭いてみると、まだ頭は濡れているのにバスタオルの方はあっという間に乾いてしまいました。
「ど、どうなってるんですか、これ……?」
バスタオルが異常な性能を発揮していると見て間違いありません。
思えばいくら剥がれてしまわないように気をつけているとはいえ、ただ単に巻いているだけにも関わらず、ここまでバスタオルが剥がれていないのも妙な話です。
試しに手を離して身体を捻ってみたり、ジャンプしてみたりしました。
思った通り、バスタオルは外れそうになる気配を見せません。
裾は翻るので下半身が丸見えになってしまい、恥ずかしいのは恥ずかしいですが。
そう簡単なことでは外れないとわかったのはよいのですが、不気味なのも確かです。
道具の詳細がわかればよいのですが。
「鑑定、とかそういう能力もないんですかね……」
タオルに触れながら何気なくぼそりと呟いた瞬間、とんでもないことが起きました。
最初に腕に嵌めた奇妙な腕輪。
それが光り、私がさっきまで思い描いていたような、いかにもステータスを表示する画面を展開してくれたのです!
まさか、この腕輪がそんな便利なものだったとは。
私は喜び勇んでその画面を注視し――膝から崩れ落ちました。
「よ、読めません……ッ!」
そこに表示された文字は、最初の扉や台座にあった文字と同じだったのです。
いや、それはそうです。普通に考えてこの世界で手に入れた腕輪の効果が、日本語で書いてるわけがないのです。
しかし、それなら「鑑定」という言葉には反応したのでしょうか。。
日本語に反応してくれるのであれば、文字も日本語にしてくれたっていいではありませんか。
いちいち不親切な世界です。
今時いちから異世界の言語と文字を解読しながら進む物語なんて流行りません。
……いや、むしろ面白そうですね。個人的には読んでみたいです。
でも、それは転移する者が言語学者だとか、せめて大学で言語学の基礎を学んでいるとか、全く異なる言語を理解する素養がある者でなければならないでしょう。
「一般人に、未知の言語の解析はハードル高すぎですよ……!」
冷たい異世界に打ちひしがれていた私は、それに気づくのが遅れました。
恐らく私が水から上がってから、ずっと機会を窺っていたのでしょう。
けれど私が他のことに気を取られていたので、機会を失っていたのだと思います。
いい加減焦れたらしく、強攻策を取った、というのが恐らく真相でした。
ともあれ。
『#$%%#!!!!』
よくわからない低い声と共に、浮島自体がずしんと揺れました。
周囲の水が波打ち、荒波に揺られる船のように浮島が揺れます。
ちょうど膝を突いて項垂れていたので、四つん這いになることで揺れをやりすごします。
地震大国出身を舐めないでいただきたいです。不意の震動に対する心構えは万全です。
震度にしてみれば3か4というところでしょう。これくらいは日常茶飯事です。
というのはさておき。
私は声のした方を見ました。意味はわかりませんでしたが、誰かの声だとはわかったからです。
その方向とは、浮島の中央。
このドーム状の空間そのものの中心地点。
高さ数メートルの円柱の中に閉じ込められた人が、こちらを見ていました。