第一章2 ~元の世界に帰る方法を探りましょう~
与えられた寝室に、清澄聖羅はいた。
バスタオルを腰に巻き、胸には別の布を巻き付けてチューブトップのようにしている。
彼女はベッドの上で寝転がり、天井を見上げながら考えていた。
極めて困難な状況に置かれた自分の状態を。
(……とにかく、最終目的は元の世界に帰ること。それは間違いありません)
魔力を持たない聖羅は、この世界において最弱以下の存在である。
神々の加護を宿したバスタオルの防御力がなければ、魔力を持つ子供のおふざけで死んでしまうし、そもそも魔力に溢れたこの世界ではまともに生きていくことができない。
死告龍や大妖精といった強大な魔力を持つ存在が側にいることを差し引いても、聖羅はバスタオルを外すと寒気を覚え、体調が崩れがちになってしまう。
(古代人じゃあるまいし、一生バスタオル一枚で暮らすとか無理ですしね……)
腰にバスタオルを巻き、胸は別の布で隠すスタイルを確立することで、多少マシにはなったが、これまで下着をきちんと身につけ、極力露出を抑える文化で生きてきたのだ。
聖羅にとって、辛い服装であることに違いはない。
さすがにひとりで部屋にいるときは慣れて来ていたが、人と関わる時には恥ずかしい思いをするし、その恥ずかしさに慣れてはいけないと彼女は思っている。
(問題は、元の世界に帰る方法ですね……来れた以上は、帰ることだって出来るはずなんですが)
死告龍・リューが聖羅を気にかける目的は、純粋にリューの事情であることが判明した。
仮にリューが神からの使いで、神からの指令として守ってくれているのであれば、聖羅にも何らかの使命や、この世界に喚ばれた訳が存在するはずであったが、そういうわけではなかった。
聖羅の考えでは、自分がこの世界に来てしまったのは偶発的な事象によるものであり、何かを達成すれば元の世界に戻してもらえる、というものではないと考えていた。
(何らかの理由でふたつの世界の境界が開き、その結果私が偶然迷い込んでしまった……というのが順当でしょうね……となると)
聖羅が探るべきは「ふたつの世界が繋がった理由」である。
聖羅の世界では扉はただのバスルームのものであったし、魔法のない世界で起き得ることが異世界を繋げたとは思えない。
そもそも仮に聖羅の世界に原因があったとしても、この世界に来てしまっている聖羅にはどうすることもできないので、こちらの世界に異世界と繋がってしまった原因があると考えるべきだった。
(そうなると怪しいのはあの扉ですね……あれがもしかすると、どこにでも繋がるドアみたいな力を持っていて、誤作動で異世界に繋がったとかありそうです)
聖羅がこちらの世界にやって来たとき、聖羅は巨大な扉を背にしていた。
そこから出てきたと考えるのが自然であり、その扉を調べることができれば、帰還の手がかりが掴めるかもしれない。
一番いいのはその扉のところにいくことだが、そのためにはリューに協力してもらう必要がある。
ゆえに、聖羅はまずはそういった『テレポートすることが出来る扉』のようなものがあるのかどうかを調べてみることにする。
彼女はこの世界の文字を読めないため、調べるには誰かに尋ねる必要があった。
聖羅は身体を起こしつつ、虚空に向けて声を放つ。
「ヨウさん。すみませんが、来ていただけますか?」
そう聖羅が呼びかけること数秒。
聖羅のすぐ側に光が凝縮し、美女の姿をした大妖精――聖羅が「ヨウさん」と呼び名をつけている者が現れた。
彼女は妖精であるため、光の粒子となってある程度自由に物体をすり抜けることが出来るのだ。完全密封された場所ならばともかく、窓や扉があるこの部屋に入ることは造作もないことである。
裸の美女に、透明で光る蜻蛉のような羽を背に生やした彼女は、その涼やかな相貌に優しげな笑みを浮かべていた。
『セイラ、呼んだ?』
「はい。お呼び立てしてしまってすみません。少し、お聞きしたいことが」
バスタオルを奪取されるという騒動はあったが、その結果、聖羅とヨウはかなり打ち解け合っていた。
普通の人間がヨウと相対した場合、その身に宿す絶大な魔力に恐れおののくが、聖羅は魔力を持たないため、自然と接することが出来た。
相手がどれほど魔力を宿していようが、その魔力を感じることが出来ないので、見た目から神々しいと思っても、実感できないのだ。
もしも生まれつき魔力を持つこの世界の人間であれば、例えバスタオルを持っていても恐れや警戒が消せなかったであろうが、魔力を持たないことがここでは活きていた。
もっとも、もしバスタオルが無ければ魔力を持たない聖羅はヨウと一緒にいるだけで身体を蝕まれることになるため、善し悪しではある。
「ヨウさんは魔法を使えますよね? テレポート……空間転移系の魔法というものはこの世界にあるのでしょうか?」
聖羅にとってヨウはこの世界で唯一、信用できて相談のしやすい存在である。
リューも信用できないわけではないが、リューは聖羅を気にかけている事情が事情なため、下手なことは聞けない。
元の世界に帰ろうとしている、ということはリューには絶対に教えられないことだった。
ヨウは突然の聖羅の質問に首を傾げつつも、知っていることを話した。
『わたしは使えないけど、確か人間がそういう魔法を創っていたように思うわ』
「そうですか……ありがとうございます」
聖羅は念のため、ヨウに質問したことを誰にも話さないようにお願いする。
ヨウが詳しく知らないとなると、人間に聞いてみなければならない。
折良く、オルフィルドとの茶会の時間が近づいて来ていた。
「空間転移系の魔法?」
聖羅に問われたオルフィルドは、そう応えた。
聖羅とオルフィルドは、広い応接室で向かい合って茶を飲んでいた。
テーブルを挟んで向かい合っているため、下半身はそのテーブルによって隠れている。
チューブトップスタイルの上半身は見えているわけではあるが、下半身が隠れているために恥ずかしさも少しはマシだった。
「はい。人に限らず、物体をいまある位置から一瞬で移動させる魔法、というのは存在するのでしょうか?」
「ふむ……あることはあるが、どうして急にそんなことを?」
いままで、聖羅とオルフィルドの茶会は、当たり障りのないことが主だった。
この世界に関しての常識や周辺の地域に関する情報、聖羅の世界の衣食住などの基本的なことだ。
聖羅の方から魔法に関して聞いてきたことはいままでなかったのである。
その疑問を抱かれることは当然予想していた聖羅は、あらかじめ考えておいた便宜上の理由を話す。
「私は突然予兆も無くこの世界に来てしまいました。もしそれが空間転移系の魔法によるものだとすると、また予兆無く向こうに戻されたり、あるいはまったく別の場所に放り出されたりしかねないと思いまして……悪意のある者に利用されたら大変ですから」
聖羅は「元の世界に戻る手がかりを探す」という本命の理由は隠し、「突如攫われる可能性を危惧している」という理由を示した。
死告龍を制御出来る聖羅は、ルィテ王国からすれば重要な存在だ。素直に「元の世界に帰りたい」といえば阻まれる可能性もあり、できる限り聖羅としては本命の理由は隠しておきたいと考えていたためだ。
しかし実際のところ、リューやヨウという庇護者の元から引き離されることは聖羅が警戒しておかなければならないことであったため、便宜上の理由も嘘というわけではない。
その危惧はオルフィルドにも納得のいくものだったらしい。
「なるほど……まず、そうだな。キヨズミ嬢が心配しているような、例えば城内に忍び込んできた間者によって強制転移させられる……ということはまずない」
「ない、と思って良いんですか?」
「ああ。そもそも空間転移、それも生物を移動させるとなると相当高度な魔法となる。下手な術者が用いれば命にも関わる。普通は空間転移を用いる場合、それ専用の門を用意するものだ」
聖羅はそのオルフィルドの言葉に思わず反応してしまった。
「門、ですか?」
「ああ。周りに空間転移用の魔方陣を刻んだ門だ。それによって繋げる空間同士を定義する。そうしなければ不安定でとても使える域に達しない。兄……陛下でも無理だろうな。もし出来る者がいるとしても、そんな存在ならそこまで危険な行為をする意味がないだろう」
「どういうことですか?」
「もっと安全に光速移動する方法が考え得るからだ。わざわざ命の危険を冒す意味が無い。多少の距離なら飛べばそれで済む。……そもそもそんな高度な魔法を自在に制御しうる存在がわざわざ隠れて何かするというのも考えにくい」
「……確かに、そうですね。では、元からある扉を利用されるという危険性はないのですか?」
「魔方陣は魔力さえ注げば誰にでも起動させることはできるが、空間転移の魔法は並の魔力じゃ起動しない。国が計画を立てて大量の魔力結晶を用意し、一度になるべく多くの物品を移動できるように整えて初めて開かれるものだ。間者が逃げるために起動するというのは現実的では無いな」
魔力結晶は文字通り魔力を固めて作られる結晶であり、魔法を発動する際の代替物として用いられる。魔方陣が刻まれ、魔力を注ぐことで稼働する魔法具などを扱う際に、電池のように使われるものだ。
ただし、魔力結晶を扱うためには魔力として動かすための呼び水として、わずかに自前の魔力を必要とするため、聖羅にはいくら大量にあっても使えないものである。
つくづく、聖羅に優しくない世界なのだ。
「この国にも、そういう扉はあるんですよね?」
「ああ。行き先などは国の機密上、教えられないがあるにはある。ただ、これはどの国でもそうだが、友好国との間には扉を用意するのが慣例になっているな」
「友好の証、というわけですね」
とはいえ、外敵の侵入経路になり得る扉は相応の警備で固められている。
そこを悪意を持って利用することはまず不可能であろうという結論だった。
「そういえば、生物を移動させるのは相当に高度な魔法のようですが、物体に限ればそうでもない、ということのですか?」
「……そうだな。自分の魔力を十全に馴染ませたものに限るのだが、ある程度熟練した者なら――」
そう言いつつ、オルフィルドは翳した手の中に長剣を取り寄せて見せた。
目を見開いて驚く聖羅に、悪戯が成功したように笑うオルフィルド。
「このように手元に喚び出すことが出来る。万が一の時の手段としてはそれなりに有効ではあるが……相応に使い込まなければ召還できないし、破損の危険もわずかながらある。緊急手段以上のものではないな」
第一、とオルフィルドは召還した剣を使用人に預けながら続けた。
「自在に呼び出せるといっても、元の場所に戻せるわけではないからな。下手な時に呼び出してしまうとあとが困ることにもなり得る」
「確かにそうですね……」
「敵に捕らえられている状況で呼び出すと考えても、そもそも捕らえられている時点で魔法を使えない状態にされている可能性が高いから難しいだろうしな」
そうオルフィルドの説明を受けながら、聖羅は以前森の中で着の身着のまま連れて来られていた様子だったヴォールドが、包丁を持っていたことを思い出す。
あれも彼が愛用していたもので、オルフィルドがそうやったように召還したものと考えられた。
(そう考えると便利は便利ですが……アイテムボックスみたいなものはなさそうですね)
どのような方法にせよ、どうやっても魔法が使えない聖羅にしてみれば使えないのだ。
聖羅は気持ちを切り替えて、得た情報を今後の方針に活かすことを考える。
(しかしそういった魔法が普通にあるというのは行幸です。……あの扉がそういった魔方陣が刻まれていたものだとすると、もう一度あれを潜れば元の世界に帰れる、のでしょうか。魔力に関しては……ヨウさんに協力してもらえばなんとかなります……かね?)
異世界に関する魔法はないはずなのに、異世界に繋がる扉があるというのもおかしな話だが、事実聖羅はそこを通って来たとしか思えない。
単に一般に知られていないだけで、誰かが異世界に移動する方法を編み出しているのかもしれず、聖羅の方針としてはやはり『もう一度あの扉の元に行く』ということになりそうだった。
(あそこに行くなら、リューさんの協力は不可欠……何か理由を用意しないと……でもツガイになって欲しいというリューさんが、私が異世界に帰ることに協力してくれるとは思えないですし……)
少し道筋は見えたが、まだまだ聖羅の前には難問が積み上がっていた。
考え込む聖羅に、その様子をうかがっていたオルフィルドが声をかける。
「キヨズミ嬢、大変申し訳ないのだが、こちらからも相談したいことがあってな」
「なんでしょうか?」
(お世話になっていますし、場合によってはイージェルドさんやオルフィルドさんの協力が必要になってくるでしょうから……私に出来ることってそうないですけども)
異世界転移ものでは主人公の知識や能力が高く評価されることがあるが、聖羅はそういった特殊技能や技術を全く持ち合わせていなかった。
(そんな私に相談って……何か嫌な予感がします……)
不安に思いつつ、オルフィルドの言葉を待つ聖羅。
果たして、その聖羅の不安は的中した。
「近く、この国で周辺各国の重鎮を集めた大会合を行う。キヨズミ嬢にはそこに聖女として――死告龍と一緒に出席してもらいたいんだ」
大勢の観衆の前に立って欲しい、という要請であった。