第一章1 ~異種間恋愛は恋物語の基本ですけども~
ルィテ王国国王、イージェルド・ルィテは執務室で頭を悩ませていた。
彼の目の前にある執務机の上には、周辺各国からの書簡が山積みになっている。
それぞれ、立場や関係などによる語調は違えど、要約すると「聖女キヨズミセイラに関する詳細を開示せよ」という内容だった。
「全く……板挟みになって苦悩するこちらのことも考えてほしいものだね……」
新しく届いた書簡の内容もそれに準ずるものだと見たイージェルドは、その書簡を山のてっぺんに放り出しながらため息をついた。
浸かれた様子のイージェルドに対し、部屋にいた彼の弟――オルフィルドが慰めるように声をかける。
「周辺各国も死告龍の動向には注意を払わないとだからな……仕方ないさ、兄さん」
鋭い眼光が特徴の彼は、軍人らしい礼服に身を包んでいる。
そんな彼は自ら用意したティーポットを傾け、紅茶をカップに注いでイージェルドの前に置いた。
イージェルドは軽く礼を言ってからそのカップに口を付ける。
「ああ、わかっているとも。わかってはいるんだけどね……」
「兄さんがうんざりするのも、まあ、わかるけどな」
イージェルドとオルフィルドはこの国の王族であり、この国の民を守る責務がある。
一般的に災害でしかない死告龍を抑えられるというのは、不確定な脅威を制御できるということである。それを制御出来る機会を放棄することはありえない。
ゆえに、それを成し得る聖羅を厚遇するのに問題はない。
ただ、死告龍の制御に『聖女キヨズミセイラ』という存在が仲立ちになっているというのは、ある意味では行幸で、違う面から見れば不確定なことが多く危ういことであった。
「聖女呼ばわりも肖像画の拡散も、今後のためになるといって納得はさせたけど……いつ彼女自身の不満が爆発するか、不安でね……どうだい、そのあたり? オルフィルドの方が彼女と接する機会は多いだろう?」
死告龍を制御出来るのは聖羅だけ。
聖羅が命じれば、死告龍がルィテ王国に牙を剥くということである。
ゆえに、聖羅の動向は彼らが常に気にかけて置かなければならないことであった。
「ああ。毎日の茶会は続けてるからな……いまのところ本気で嫌がってる感じはしない。少なくとも、理屈としては納得してるみたいだ。あとは、まあ、恥ずかしがってるだけだな」
「そうかい……そうだといいんだけど。オルフィルドがそういうなら大丈夫かな。彼女は読みにくくて困る。いまだに警戒されているんだろ?」
「そこなんだよなぁ。そろそろ信用くらいはしてくれてもよさそうなもんなんだが……いまだに俺たちの言葉すら疑ってる節があってな……ここまで信用されないなんて、敵対国相手でもまずないぞ」
彼らは聖羅という人間について『ごく普通で一般的な善良な人間』と見ていた。
特筆すべきほどの何かを見いだしているわけではない。一定の誠実さは感じても、この世界の人間にとって、誠実というのは個々の性格によるものではないためだ。
身体に魔力を宿すこの世界の人間、ひいては生物にとって『嘘を吐く』というのは相応に覚悟のいる行為なのである。
彼らは『嘘を吐く』行為をする度に、言い様のない嫌悪感に襲われるのだ。だから極力『嘘を吐かない』ように動くし、吐く時は相応の覚悟を持って行う。
知っていることを言わないこと、あるいは言わない行為そのものの裏を探ることによって駆け引きは生まれるが、明白な嘘は吐けないのが、この世界の生き物なのである。
無論例外はいくらでも存在するが、聖羅がいた世界とは比べものにならないほど詐欺師や悪人が蔓延りにくい環境なのだ。
「彼女がもう少しわかりやすければ、案ずることも少なくて済むのだけどね……」
そういう事情を持つこの世界からすると、聖羅の誠実さや素直さというものは『至って普通』なのである。
聖羅の世界でいえば、聖羅は『馬鹿正直』と呼ばれるほど、嘘の吐けない誠実な性格であるが、この世界ではそれが普通なのだ。
そして聖羅はそれを理解しないまま、騙し騙されが当たり前の彼女の世界の基準で物事を考えている。
イージェルドやオルフィルドの言葉を頭から信用していないのはそのためだ。
それは正しいことではあるのだが、この世界の者たちからしてみれば、「明確に言葉として発された内容にも疑いを抱くほど、度を超して慎重。あるいは自分たちを全く信用していない証」となってしまっていた。
「交流してる限りは悪意を感じないし、異世界に来ちまって単に警戒してる……だけだと信じたいところだ」
「まだしばらくは様子見……かな。となると……」
そう言って、イージェルドは山積みになった書簡を見渡し、再びため息を吐いた。
周辺各国をどう納得させるか――問題は再びそこに帰結するのである。
少し、時間は遡る。
『リューはね――セイラにツガイになって欲しいんだ!』
あの日、清澄聖羅に『リューさん』と呼ばれている死告龍はそう告げた。
告げられた聖羅は一瞬、なにを言われたのかよくわからなかった。
しかし言葉の意味を徐々に理解するにつれ、戸惑いの気持ちが沸き上がってくる。
「ええと……すみません。その、『ツガイ』というのは……どういうことでしょうか?」
聖羅は、例え元の世界と聞こえている言葉が同じでも、全く違う意味合いになる言葉もあるという前提で考えていた。
翻訳魔法は驚くほど意思疎通を円滑にしてくれているが、それが万能では無いということも彼女は朧気に理解しているためだ。
稀ではあったが、本来の言葉の意味とは全く異なる意味合いで同じ単語が使われることもあった。
ゆえに聖羅は怪しく思えた時は、慎重に言葉の意味を確認するように心がけている。
今回の『ツガイ』という言葉も彼女が想像しているのとは違う、この世界独特の意味を持つ可能性があった。
そのため、尋ねたのだが。
『そのままの意味だよ? リューと子供を創って欲しいの』
死告龍は聖羅が受け取った通りの意味だと、さらりと告げる。
聖羅はそのことで嫌悪感や忌避感を覚えることはなかった。
知らぬ仲ではなくとも、出会ってまだ一月も経たない相手に「自分と子供を作って欲しい」などと言われたとしよう。
よほど親しい関係にでもなっていない限りは、拒否するのが普通だし、下手をすれば嫌悪感が湧いてくるところだが、聖羅はそう思わなかった。
と、いうよりは――ドラゴンから『番いになって欲しい』と言われることが、想像の埒外のことすぎて実感が湧かなかったのである。
「……ええと、まず確認なのですが、リューさんは……男性だったのですか?」
目の前に野生の熊が出没したとする。
そうなった場合、その熊の雄雌が気になる人間はそうはいない。まずはその熊が襲ってくるかどうか、あるいは逃げられるかどうかを考えるのが普通だ。
それと同じで、聖羅は死告龍が雌か雄かなど気にしたことがなかった。
言葉を交わせるようになって、外見からの想像より声が高いとは思っていたが、それは雄雌の影響というよりは年齢が幼いという方向に取ったため、雄雌どちらかは意識していなかったのだ。
聖羅の問いに対し、死告龍は少し困ったように首を傾げる。
『んー。男か女かって言われると……リューたちドラゴンにはセイラたち人間みたいに決まった性別がないから。どっち、っていわれても、ないっていうしかないなぁ』
この世界のドラゴンには明確な性別の区別がない。
普段は無性で、必要に応じて男性器や女性器が出現するのだ。
その事を聞いた聖羅は、意外に感じて目を丸くした。
「そうだったんですか? お兄さんがいらっしゃるといっていたので、てっきり、性別はあるものかと……」
『お兄ちゃんにはもうツガイがいるからねー。強いお兄ちゃんの方が雄になってるの。でも、その気になればまた雌にもなれるはずだよ』
しかしドラゴンは一度ツガイが成立した後、別のツガイを創ることを滅多にしないため、性別を次々変えるということは、そうそうないことではある。
「……そのお相手さんはドラゴン、ですよね?」
『うん、そう。普通のツガイはドラゴンであることが多いよ』
「普通ではない場合があるんですね……」
自分に『ツガイになって欲しい』などと死告龍が求めて来ている時点で、そのことは聖羅にも予想の出来ていたことではあったが、彼女はそう呟いた。
死告龍には彼女の複雑な気持ちを斟酌することはできず、平然と話を続ける。
『ドラゴンという種族にはね。種族として高みを目指す習性があるの。大昔はセイラよりもちっちゃなトカゲだったんだって』
かつては、いまでいう『ドラゴン』という種族自体存在していなかった。
元はただ生存能力に特化しただけのトカゲであったと言われている。
それが長い年月の果てに徐々に力を得て、種族として強くなっていった存在、それが『ドラゴン』という種族である。
元々は人間に踏みつぶされる程度だった弱小種族が、何千、何万という時間をかけて強くなったのである。
そして、いまでは最強種族の一角に数えられている。
その中でも、戦闘能力が突出した存在がリューという個体。死告龍なのだ。
『リューは強くなるためにがんばったの。身体を鍛えたし、魔法も覚えた。ドラゴンの中でもリューに勝てるのはお婆ちゃんくらいなんだよ?』
「お婆さん……もしや、私もお会いしたことがある、あの長老さんのことですか?」
『そうそう! リューでもお婆ちゃんには勝てないの。あ、ブレスだけの勝負ならたぶん勝てるけど……ドラゴンはブレス頼りになったら終わりだから』
魔法や爪、尻尾なども駆使して戦うのがドラゴンである。
確かに死告龍の即死ブレスは強力だが、必ずしも無敵ではないのだ。
『リューは十分強くなったから……次は、もっとドラゴンを強くするの』
そう言われれば、聖羅にもどういう意図を持っての行動かわかった。
「つまり、リューさんは個としてのドラゴンとしては、突き詰めるところまで強くなったから、さらなる強さを目指すために、多種族の血を取り入れようと……そういうわけですか?」
『そういうこと!』
聖羅は死告龍がどういう理由で多種族の自分に求愛しているのか、その意図を正しく理解した。
話としてはありがちな話ではある。
純血主義、とは全くの逆だが、要はその『血』そのものを強くしようという話で、そういった行為自体は聖羅としても納得できない話ではない。
ただ、それに自分が関わってくる話となると――それも、ドラゴンを産むという話になると――話はまた違ってくる。
端的に言えば、断りたい。
だが、聖羅の身の安全というのは非常に危ういものであるため、申し出を拒否した時の影響が自分や周りにどう及ぶか、わからない。
「か、考えさせてください……」
だから聖羅は時間稼ぎの言葉を口にする。
リューは少し残念そうに顔を歪めつつ、いまのところ聖羅の意思を尊重する気はあるようで、無理強いはしなかった。
だが、もしもその気になれば、死告龍を止められる存在はこの世界にほとんどいないのだ。
ゆえに、聖羅は改めて「早く元の世界に帰らなければ」という決意を固めたのであった。