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第七章4 ~穏やかな時間はあっさりと~

 目覚めると、そこはふかふかのベッドの上でした。

 ただ、掛け布団はかけておらず、バスタオル一枚の格好でベッドの上に横になっていました。

 服と布団は違うのですから、身体に被せても恐らく大丈夫だろうと思ってはいましたが、試す気にはなれなかったのです。

 幸い、バスタオルの力のおかげで、寒いとか暑いとかは感じませんし。


「ふわぁ……」


 私はあくびをしながら、身体を伸ばして眠気を払います。

 このルィテ王国に身を寄せて早一週間。

 これまでの困難が嘘のように、安定した生活を送っていました。

 寝相で開けてしまっていたバスタオルの裾を直し、ベッドの端に腰かけます。そこはとても豪華な部屋でした。

 一般庶民の私には恐れ多い、いかにも高価そうな調度品がセンス良く飾られており、ルィテ王国の財力が伺いしれます。そもそも、私が寝ていたベッドからして、天蓋付きな上、私程度なら3,4人は並んで寝れそうな巨大なものですし。

 恐らくは国賓レベルの人を泊める客間なのだと思われます。私が使っていていいのかと最初の数日はびくびくしていましたが、いまは少し慣れました。


(ええと……まずは……と……)


 私はベッドの横に置かれている、いわゆるサイドボードのような小机の上にあるベルを手に取り、チリンチリンと鳴らしました。

 すると、隣の部屋に続くドアが外からノックされます。


「どうぞ、入ってください」


 入室の許可を出すと、ドアが開いて一人の女性が入室してきました。

 彼女はイージェルドさんが付けてくれた侍女さんで、名前をクラースさんと言います。

 燃えるような赤毛と透き通ったオレンジ色の瞳をしている方で、とても美しい方でした。

 年齢的には私と同じか、少し年上だと思われますが、顔つき自体が日本人とは違うので、もしかすると年下の可能性もあります。


「クラースさん、おはようございます」


 私が笑顔を浮かべて挨拶すると、クラースさんは仰々しく一礼してくださいます。


「オハヨウ、ゴザイマス。キヨズミサマ」


 そして、クラースさんは拙い日本語で挨拶してくれました。

 この一週間、相互理解を深めようとした成果です。

 ただ、逆に私の方はほとんどこちらの世界の言葉を話せるようになっていませんでした。

 努力はしているのですが、こちらの世界の言葉はあまりにも発声が難しいのです。

 何で単語レベルでさえ、文脈が違うと発音が変わるのでしょう。それもそれがまた微妙なレベルの発音の違いで、日本語で育った私の耳では聞き取ることすら難しいのです。

 日本語でいうと、ひらがなとカタカナの表記レベルの発音の違いを、一音節ごとに要求される、といえばどれほど難しいかおわかりいただけるでしょうか。

 なので優秀なクラースさんに甘え、会話は主に日本語で交わしています。


「水をお願いします」


「ワカル、マス」


 向こうはまだ完全ではないにせよ、ちゃんと聞き取れているようですし、発音することだって出来るのです。

 ここまで差があると、純粋に頭の良さが違う可能性もありますね。

 身分制度とか色々あるのかもしれませんが、それほどに賢い彼女が侍女でいるあたり、この世界での基準は恐ろしいことになってそうですが。

 私はクラースさんが容器に出してくれた水で顔を洗います。この世界では魔法が生活に活用されており、朝に顔を洗うのも本来は自分で魔法を用いて済ませてしまうそうです。

 もちろん私には魔法なんて使えない上、人の魔法も弾いてしまいますから、毎朝クラースさんに水を出してもらって顔を洗っていました。


「ふぅ……ありがとうございます」


 冷たい水で顔を洗ったらスッキリして目がパッチリと冴えました。用意されたタオルのような布で水気を拭き取ります。

 自分の体に巻いているバスタオルの方が肌触りなど優れているのですが、同性とはいえ人前で裾を持ち上げて顔を拭く気にはなれません。

 クラースさんは穏やかに微笑むと、魔法を使って飛び散った水も含めてすべて綺麗に片付けてしまいます。本当に魔法は便利ですね。

 実際、本当の上流階級の人は水で洗うなんて悠長なことはせず、魔法で直接身体を綺麗に保つそうなのです。

 さすがに一般庶民で毎回魔法を使う者はいないそうですが、周期的に魔法を使って清潔さを保つことはしているらしく、見た目の文化水準より遥かに清潔な世界でした。

 下手したら元の世界より清潔かもしれません。


(魔力を浴びすぎることによる『魔力中毒』のように、この世界特有の病気はあるみたいですが……私の知る疫病などはほとんどないってすごいですよね……)


 私はクラースさんに髪の毛を梳かしてもらい、身支度を調えながら思考に没頭します。

 本当は自分でやれるのですが、こういったことはクラースさんの仕事らしいので任せる方が無難だという判断です。服装が弄れない分、侍女としての仕事がただでさえ少なくてクラースさん的には困るのだとか。

 仕事が少なくて困るというのも、就業意識がすごいというべきなのかどうなのか悩むところです。

 さておき、一週間の間にこの世界に関する様々な知識を教えてもらいました。


 この世界には魔法があり、それから生まれた魔族がいます。


 最初に魔力を持たない生物がいて、それが魔力を得て魔族になったのか。

 最初から魔力を持つ者として魔族が生まれ、それが魔力を失って普通の生物になったのか。

 その起源はハッキリしていないという話でした。

 そう、なんとこの世界には異世界によくいる、創造神何某様とか、光の神・闇の神何々様などの「世界を創った意思を持った神様」が、少なくとも一般には認識されていないというのです。


(私の転移が意図的なものだとしたら、一番怪しいのはそういう神様なんですけどね……当てが外れました)


 ただ、宗教が全くないわけではないそうです。

 この世界の信仰はどちらかというと一神教のそれではなく、日本の八百万信仰に近いものらしいです。

 万物に宿る魔力そのものが私の感覚で言う神様に近く、それに対する感謝や畏敬の念を向けることが多いとか。

 そして、ごく稀に通常よりも強度や耐久力の優れた者や物が生まれることがあり、それが『神々の加護持ち』と呼ばれる存在らしいです。


(『神々の加護持ち』……夢に出てきた白いローブの人が言っていたのはたぶんこれのことですよね……)


 元の世界では何の効果も無かったバスタオルが、その加護を得たという認識で間違いないでしょう。

 あらゆる【探査】魔法や【鑑定】魔法を弾いてしまったので確証はありませんが、この国最高の魔術師であるイージェルドさん曰く、「そうでなければ説明が付かない……というかそうでなかったら私の立つ瀬が無いよ」とのことでした。

 いまのところ、イージェルドさんは私自身がそういう『神々の加護』を持っていると思ってくれているようですが、一度もバスタオルを手放していない以上、たぶん怪しんではいます。

 私自身ではなく持ち物であるバスタオルに、死告龍と呼ばれるリューさんのブレスをも防ぐ加護が宿っていると知られたらどうなるか。

 私だったら、バスタオルを奪うことを検討します。


(色んなこと知ることはできましたが……同時に問題も出てきてしまいましたね……)


 私は溜息を吐きます。

 クラースさんが私の髪に花飾りを付けながら、不思議そうに首を傾げました。溜息を吐いたのを聞かれていたようです。


「すみません。なんでもないです」


 鏡を見て、綺麗に髪が整えられているのを確認します。

 バスタオル一枚で髪だけセットするのも妙なのですが、せめてそれくらいはと思う女心というものが、私にもあるのです。

 クラースさんに御礼を言って、鏡台の前から立ち上がり、先ほどクラースさんが入ってきたのとはまた別の扉に向かいます。

 先んじて動いたクラースさんが扉を開けてくれました。

 扉の先の部屋はいわば居間であり、普段大抵の時間をこの部屋で過ごしています。

 そこもまた豪華な調度品で固められた部屋で、中央のテーブルの上に今日の朝ご飯がすでに用意されていました。


「おはようございます。キヨズミ様」


 テーブルの脇に立って挨拶してくれたのは、ヴォールドさんでした。

 翻訳魔法を使っているわけではなく、日本語での挨拶を覚えてくれたのです。

 流暢な日本語での挨拶に、私は郷愁をくすぐられてしまいます。


「おはようございます。ヴォールドさん」


 リューさんによって連れて来られた森の中で料理を用意してくれたことでわかっていましたが、ヴォールドさんはこの国でも指折りの料理人でした。

 あの時は就寝していた時間だったために私服を着ていたらしく、いまのヴォールドさんはちゃんと一目で料理人とわかる服装でした。


「今日は、キヨズミ様から聞いた、『ワショク』作り、ました」


 ヴォールドさんは日本語でそう教えてくれました。さすがにフレーズとして決まり切った挨拶と違って、拙い感じでしたが十分会話として成り立っています。

 そんなヴォールドさんの言葉に驚いてテーブルの上を見ると、確かに、焼き魚にご飯のような穀物、さらには海藻らしき具が浮かんだお味噌汁のようなもの、と和食に見える食事が並んでいます。

 ダメ元で元の世界で食べていた食事を教えてみたのですが、まさかここまで再現してくれるとは思っていませんでした。


「ありがとうございます……! さっそくいただいてもいいですかっ」


 ヴォールドさんはいかにも気難しげな職人の顔を、穏やかに緩めて頷いてくれました。

 早速席に着いて食べてみました。

 さすがに完全な再現とは行きませんでしたが、かなり似た味です。

 さすがにお味噌そのものがないだけに、お味噌汁だけは似通っている、程度の物でしたが、十分美味しくいただけるレベルでした。

 食べながら教えてもらったところによると、穀物に関しては米の特徴と似た穀物を食べている地方があるらしく、そこから取り寄せたそうです。

 そこまでしてもらっていることに感謝しつつ、私は久しぶりの和食テイストの料理を堪能しました。

 一息ついて、気合いを入れ直します。


「……さて、それでは今日も行ってきます」


 いまの私に出来る、この国に対する最大の貢献。

 それは、リューさんの機嫌を取ることでした。

 リューさんが気に掛けている私を遇することで、この国はリューさんの脅威にさらされることがなくなっています。

 それはとても大きなことであるらしく、イージェルドさんからは「何でも要求してくれて構わないけど、死告龍殿の機嫌だけは絶対に損ねないでくれよ」と言われています。

 城内で暴れでもされたら大変ですから、私もそれは重々承知しているつもりです。


(実際、いまの私に出来るといえばそれくらいしかありませんし……がんばりましょう)


 クラースさんとヴォールドさんと別れ、城の中庭へと向かいます。本当はひとりで動きたくないのですが、クラースさんはリューさんを非常に恐れているので、連れていくわけにはいかないのです。

 リューさんとは朝と夕方に会うことにしていました。そのことにリューさんは不満そうでしたが、私と直接会話をするためと思って我慢してくれています。

 私自身、リューさんの機嫌を損ねたくはないので、会ったときには精一杯スキンシップを取るようにしています。

 イージェルドさんが中庭に人を近付けないようにしてくれているので、助かっていました。


(いつものことながら、リューさんは遠慮がないですからね……)


 またあられもない姿を晒すことになるのかと思うと、中庭に向かう足も鈍ってしまいます。

 とはいえ、私の仕事といえばそれくらいしかないのもあるので、しっかり役目は果たすつもりです。

 中庭が見えてきました。相変わらず綺麗な中庭でしたが、少し荒れてきているように感じました。

 リューさんがいるために庭師の方が入れないためでしょう。

 いくら危害は加えられないと言っても、恐ろしいものは恐ろしいのですから仕方ありません。


(イージェルドさんも無理に命令する気は無いみたいですしね……妥当ですけど)


 リューさんは気にしないでしょうし、そのリューさんがいる限り中庭に人が立ち入ることはまずありません。

 ならば、無理に整備させる理由もないのですから。

 とはいえ、あまりに荒れ果ててしまうのは悲しいですし、長い間お世話になることになれば、その時はなんらかの対策を取る必要はあるでしょう。

 そんなことを思いながら、静かな中庭に足を踏み入れます。

 人気がなく、静かなのはいつものことですが、それにしても静かすぎることに気付きました。


(あれ……? もしかして、リューさんがいない……?)


 リューさんも食事をとる必要があります。

 ただ、リューさんが満足できる食事を国が用意するのは難しいため、リューさんは食事時になると自分で狩りに出かけることになっていました。

 普段リューさんが食べている獲物は、人族にとっては国の存亡をかけて戦うレベルの魔物らしいです。

 人にも魔物にも畏れられる死告龍というのは伊達ではないのでした。


(もし本気でリューさんが暴れたら……そりゃあ、私がする程度の要求くらい、いくらでも飲むわけですよ)


 私の責任は重大なものなのです。

 ともかく、リューさんが狩りに出かける周期は人間と違って不定期なのですが、タイミング悪くそこ時間に当たってしまったようでした。


(仕方ありません……リューさんが帰ってきたら、教えてもらうように頼んで、またきましょう)


 そう思った私が、踵を返した時でした。

 中庭の入り口、城側の廊下にひとりの青年が立っていることに気づきます。

 その青年はどこかで見たような顔つきで、爽やかな笑顔を浮かべていました。

 格好はいかにもな騎士のようで、兜こそ被っていませんでしたが、腰には装飾の凝った白銀の鞘に収められた剣を提げています。

 思いがけない遭遇に身を硬くする私に対し、その人は悠然とした態度でした。まるでこの場にいることが自然なように、堂々としています。


「やあ、初めましてキヨズミ嬢。お会いできて光栄だ」


 翻訳魔法を使っているらしい流暢な日本語で彼は優雅に挨拶してきました。


「俺はオルフィルド・ルィテという。仲良くしてくれれば嬉しいね」


 言葉や態度はとても紳士的な彼でしたが、その目は。

 獲物を狙う猛禽類のように鋭かったのです。


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