第五章5 ~とんでもないものがお土産でした~
寝かされていた洞窟の外に出てみると、豊かな森林が広がっていました。時刻は夜になっていたらしく、頭上に満天の星空が広がっています。
月は綺麗な満月が出ていました。色が青いのを除けば、大きさ的にも地球のそれと大差ないようです。
ヨウさんは洞窟の外にでる前に、灯してくれていた光を消していたのですが、月と星の明かりだけで十分見えます。
ただ、草木生い茂る森の中にはそれらの明かりも届かず、漆黒の闇が広がっていました。
(うん……ここで暮らしていくのは無理ですね)
人工物が一切見当たらないこの環境で、生きていく自信はとてもありません。
野性味逞しいサバイバル巧者なら可能かもしれませんが、火の起こし方も知らない私には無茶な話です。
私はサバイバルなんて、キャンプというレベルですらしたことがないのですから。
中学生の頃に遠足めいたキャンプはしたことがありましたが、普通に水道もありましたし、泊まった場所はテントではなくコテージでした。
(……虫刺されなどの心配をしなくていいのはありがたいですけど)
バスタオルの加護は小さな虫にも有効なようで、いまのところ何かの虫に刺されてはいませんでした。
普通、こんな自然の中を全裸で歩いていたら、大変なことになると思いますが、それがないのはありがたい話です。
ただ、このバスタオルの加護がどこまで通じるのかというのが、いまいち計りかねるのが問題でした。
物理的な攻撃や、寒暖に代表される環境の変化に関してはほぼ完全に防いでくれるようですが、食中毒などはどうなのでしょうか。
生肉や腐った水を食べたり飲んだりしてしまった場合、どうなるのか。
仮にそういったものも無効化してくれるとして、栄養についてはどうなっているのか。
(ヨウさんたちに果物をもらって食べた感じ、お腹は満たされるみたいですけど……栄養失調で倒れたりしたら大変ですよね)
念のため、食べる時はバスタオルを外した方がいいのかもしれません。
そこまで考え、食事時だけ全裸になることを想像してしまい、溜息を吐いてしまいます。
食べる時だけ全裸とか、変態スタイルにもほどがあります。
いまの腰蓑手ブラ状態ですら十分に変態スタイルだというのに。
(人里に行くのは出来ればバスタオルが再生しきってからにしたいですが……でも、それをリューさんたちに伝えてもいいものでしょうか?)
バスタオルが再生してから街に行きたいと伝えたとして、彼らはどう思うでしょうか。
そのことから、バスタオルこそが防御能力を発揮している重要な要だと気付かれてしまう気がします。
あれだけの大魔法を使えるドラゴンの知性を侮ることはできません。
まあ、すでに気付かれている可能性もあるのですが、その場合はそれでもなお私に価値を見いだしてくれているということになるため、考える必要はないでしょう。
置かれている状況は常に最悪を想定しておくべきです。
(気付かれていないと仮定するなら……気付かれないように頑張るしかありません)
とにかく、まずは人里に行き、話をすること。
この世界のことを少しでも理解してからでないと判断しかねることがたくさんあります。
そう考え、改めて人里に向かう決意を固めていると、不意に周囲が陰りました。
分厚い雲でも月にかかったのかと思って、上空を振り仰いで見ると。
翼を広げたリューさんが、空から降りてきていました。
人の街の中で背後に降り立たれた時のことを思い出して青ざめましたが、そのときのような勢いではなく、普通にゆっくりと羽ばたきながら降りて来ていました。
ただ、リューさんの大きな翼が生み出す風というのは、突風レベルには違いありません。 生み出された風が地面を叩き、降り立とうとしている場所を中心に広がっていきます。
それは当然、私たちにも平等に襲いかかってきました。
「うわっ、ぷっ――ひゃあああああッ!」
腰布状態のバスタオルが風でまくれ上がりそうになって、慌てて片手を胸から離して抑えますが、身体が浮き上がりそうなほどの風です。
なんとか前は死守しましたが、お尻の方はパタパタと布が翻って丸出しになっているのが身体の感覚でわかりました。
風が全身を叩く感覚も合わさって、ほぼ全裸であることを改めて実感させられ、羞恥に顔が真っ赤になります。
ずどん、と地響きを立てながらリューさんが着地すると、風が収まっていきました。急いでバスタオルの裾を直します。
「ぐるる!」
ご機嫌そうな唸り声をあげながら、リューさんが近付いてきます。
もしかしなくても、私が寝かされていた洞窟はリューさんの住処なのでしょう。
何らかの用事で外に出かけていたと思われます。
偶然ではありますが、私はリューさんが帰ってきたところを出迎えたような形になったわけです。
例えるなら、飼い始めたペットが玄関先で出迎えてくれた形になったのでした。
そう考えると、リューさんが喜ぶのも無理からぬことかとは思いますが。
「ちょ、ストッ――ぐふぅ!?」
勢いよく突き出されたリューさんの頭部が、思いっきり身体にめり込みました。
端から見ればギャグ漫画みたいに、私の身体はくの字に曲がって吹き飛びます。
そのまま私は洞窟に転がり込みかけましたが、その前に柔らかな感触に受け止められ、洞窟の床を転がっていくことは避けることができました。
あまりの衝撃にくらくらする頭を抱えつつ、衝撃からなんとか立ち直ると、柔らかなツタ植物が私の身体を受け止めてくれていました。
(ヨウさんがいてくれてよかった……)
長老さんに人間の扱いに関して、リューさんに注意してもらわないといけません。
厳選するべき話す内容が増えました。
私がツタ植物のクッションから離れて自分の脚で立つと同時に、ツタ植物は現れた時と同じように忽然と消えてしまいます。
これまでのことでわかってはいましたが、ヨウさんは植物を操る能力を持っているようでした。
寝かされていた草のベッドといい、いまのツタ植物のクッションといい、応用の利く能力です。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
言葉は通じなくとも、御礼の心を表すのは大事だと考えます。
ヨウさんは私に苦笑気味の笑みを向けたあと、リューさんの方を見て何か言っているようでした。
リューさんはそれを受け、なんとも苦い顔をして頭部を明後日の方に向けていました。
すっとぼけているようでいて、ばつの悪そうな様子もあり、一応吹き飛ばしたのはやりすぎだったという意識はあるようです。
悪意はなかったということはわかるので、内心複雑ではありましたが、そこまでの怒りは湧いて来ませんでした。
「気をつけてくださいね……つっ……」
突き飛ばされたお腹を見てみると、少し赤くなっているような気がしました。
高所からの落下にも何事もなく耐えたわけですし、気のせいかもしれませんが。
なんとなく気になってお腹を擦っていると、近付いてきたヨウさんがその手を私のお腹に当ててくれました。
手当、のつもりなのでしょうか。ほんのりと暖かなヨウさんの体温が伝わってきます。
日だまりのような、芯から暖まる感じです。
「ありがとうございます。暖かいで……すぅ!?」
のそり、とリューさんが頭部を近付けて来ていました。
首だけを動かしたせいか、動いた音がしなかったので正直驚かされました。急に目の前にでかい爬虫類の顔が来たのを想像してみてください。誰だって驚きます。
顔を寄せてきたリューさんがその口を開き、真っ赤な口内を晒します。
私は逃げるとか悲鳴をあげるとかいう行動を一切取れず、蛇に睨まれた蛙の如く、棒立ちになっていました。
そんな私のお腹から、手で抑えている胸を通り、顔に至るまでを、リューさんの舌が舐め上げて行きます。
「うわっ、ぷあっ、ちょ、っと!」
どろりとした唾液が擦り付けられて、正直不快でした。
いえ、まあ犬が傷を舐めてくれるように、気遣ってくれているとはわかっているのですが、何度も言いますがサイズ差を考えて欲しいという話です。
舌に押された私はその場に尻餅をついてしまいました。
慌てた様子のヨウさんが間に入り、何か言ってくれています。
リューさんはますます所在なさげに首を引っ込めて、そっぽを向いてしまいました。
(……本当、悪い人……いえ、悪いドラゴンではないと思うのですけどね)
人間の街を大混乱に陥れてはいましたし、街の一角を吹き飛ばしてはいましたが、あれは攻撃に対する反撃ですし、逃げ惑う人々をさらに攻撃することはしていませんでした。
人間相手の触れあいで加減をしてくれないのは困りものですが、言葉さえ通じればなんとかなるような気がしています。
いまだってそうですが、ヨウさんの言葉を聞き入れるくらいにはちゃんと話を聞くことは出来ていますし。
やはり言葉が通じないというのがネックなのです。
(そういえば、長老さんの使っていた魔法をリューさんは使えないのでしょうか?)
リューさんが私の言葉を理解してくれるようになれば、あの明らかに天災級の恐ろしげな長老さんの怒りに触れるかもしれないという、あぶない橋を渡らずに済みます。
できるならもうとっくにわかるようになっていると思うので、出来ないのでしょうけど。
長老さんに話をする時は、まずその確認から入った方がいいかもしれません。
そんな風に思っているとリューさんが小さく唸りました。
「ぐる、るるる」
そして、いままで気付いていませんでしたが、なにやら何かを握り込んでいる手を私の前に差し出して来ます。
何か取ってきてくれたのでしょうか。
そう思ってその手を見た私は、思わず硬直してしまいました。
リューさんが握っていた手を開き、握り込まれていた『モノ』が転がり落ちてきます。
その『モノ』は、転がされた状態から、自力で起き上がりました。
「”#”5&$&4……ッ」
握り込まれていた『モノ』は、理解不能な言葉で何かを呟いているのが聞こえてきました。そして、軽く頭を振った後、驚いた様子で、私をその目に映し出したのです。
そう、その『モノ』は。
人間の――男の人でした。
耳が長くもなく、背中に羽根が生えていることもない、ちゃんとした服を着た、ごくごく普通の男の人。
そんな男の人の目が、私を見つめていました。
はっきりと意思の感じられる様子で、私の顔を見て、胸を見て、身体を見て。
その彼が顔を赤くして、その目線が横に逸れるところまで、しっかり見てしまいました。
瞬間、いまだかつて感じたことのない羞恥が一気に噴出し、一瞬で自分の顔が真っ赤になるのがわかって。
人生で最大級の悲鳴をあげたのでした。