第五章3 ~それっぽい説明役かと思えば新たな謎が~
長老さんに視線を向けられたリューさんは、なぜか拗ねたような顔をしていました。
挙げ句、長老さんの視線から逃れるようにそっぽを向いてしまいます。
それが何を示しているのか――考えている間に、長老さんが再び私の方を見ました。
そして、その首を横に振ってくれました。
リューさんに問いかけたのは「私の命を奪うのが目的なのか」という質問です。
首を横に振ったということは、少なくともいまの段階でリューさんが私を殺す気はないということ。
もちろんリューさんが嘘を吐いている可能性はありますが、圧倒的な力の差がある以上、嘘を吐く必要もないはずです。
仮に嘘だったとしても、嘘を吐く理由がある間は殺される心配をしなくてよいでしょう。
ようやく、命すらふわふわ浮いていた状態から、地に足を着けることが出来たのです。
安心した途端、身体にどっと疲れが押し寄せてきました。
「はー……っ」
考えてみれば、お風呂からあがったバスタオル一枚の格好で異世界に放り出されてから、その恥ずかしい格好のまま、何度も気絶して、高所からの落下を幾度も経験し、リューさんに振り回され、果物しか食べずに、人に押し倒されて殴られ、散々な目に合わされていました。
疲労もストレスも溜まっていたのを、気を張ってここまでやってきましたが、リューさんの意図の方向性だけでもわかったことで、気が緩んでしまったようです。
身体から力が抜け、その場にへたり込んでしまいます。
そのまま倒れそうになった私を支えてくれたのは、ヨウさんでした。心配そうな目で、私を見つめています。
(そう、です……ヨウさんを……)
全身に重みを感じるほどの疲労感の中、すぐにでも意識を投げ出したいのを堪えて、声を振り絞りました。
「すみません……少し疲れてしまいました。おたずねしたいことはたくさんありますが……やすませてください……」
不安定に揺らぐ視界の中、地鳴りが響いて、長老さんが頷くのがわかりました。
次に、リューさんの方を見て、ヨウさんを示します。
「それと、ヨウさん……じゃなくて、こちらの妖精さんを……元いた森に帰してあげてください」
寂しさは堪えて、そう願います。
ヨウさんは巻き込んでしまっただけで、本来ならここに来る必要はなかったのですから。
少なくとも私に命の危険がないとわかった以上、ドラゴンたちを恐れている彼女をいつまでも縛り付けるわけにはいきません。
長老さんが翻訳してくれることを信じて、言葉を続けます。
「迷惑をかけてごめんなさい……一緒に来てくれて、ありがとう、ござい、ます……」
ああ、ダメです。疲れからくる眠気が限界です。
瞼が自然と降りて、何も見えなくなりました。
私の身体に触れているヨウさんの手に、ぎゅっと力が込められたように感じます。
その優しい力を感じつつ、私の意識は静かに眠りへと落ちていくのでした。
ふと気づくと、私はひとりバスタオル一枚の姿で立っていました。
それが夢だと気づいたのは、あまりに周りの景色がおかしかったからです。
周りは極普通の市街地であり、私が久しぶりに見る近代的な町並みでした。
そんな街中でバスタオル一枚の姿で立っていれば、普通は通報されますが、周りを行き交う人々は何事もないかのように私の脇を擦り抜け、無頓着にそれぞれの行く先へと歩いていきます。
バスタオルが腰布状態ではなく、胸と股間を覆える大きさになっていたのも、夢だと確信できた理由のひとつです。
(……明晰夢を見るのは初めてですね)
いままで意識を喪失させてしまった時は、大抵気絶だったので夢も視ませんでした。
こういう場合、夢という形を取って、こうなった事態を仕掛けた世界の管理者なり、神様なりが話しに来るというのが鉄板ですが、ただの夢のようです。
あまりに普通の日常風景でした。
夢ならではの気楽さで、私は街中を歩いて行きます。
バスタオル一枚の格好も、周りの群衆がこちらを無視しているので、さほど気になりません。恥ずかしいのは恥ずかしいですが。
(はぁ……せっかく夢なんですから、普通に服を着たかったですね……)
バスタオル一枚で活動するのに慣れて来てしまっていることに、危機感を覚えざるを得ません。
さすがに腰布一枚の状態になっているときは恥ずかしく感じましたが、いまの夢の中のようにきちんと胸からお尻までを隠せている状態なら、さほど抵抗感がなくなって来ているのです。
(周りにまともな人間がいないというのもあるんでしょうけど……)
ドラゴンだの妖精だの相手に、羞恥心が湧きづらいのは仕方のないことでしょう。
ヨウさんに至っては同じ女性の姿な上に向こうは全裸ですし。
ただ、それに慣れすぎていてはいざ人間の街に行った時に、想像以上の羞恥で身動きが取れなくなってしまう可能性があります。
あまり慣れないうちに、普通の人たちとまともな交流をしたいものです。
(でも、まともに服が着れないというのはまずいですよね……仮に友好的な人と接触できたとして……親切で服を持ってこられたら……)
生命線であるバスタオルが他の衣服を拒絶する以上、目の前にちゃんとした服を差し出されても着ることができません。
布一枚の格好なのに、服を着ることを拒絶する者を、人々はどう視るでしょうか。
文化の違い、と思ってくれればいいですが、痴女とか変態など、悪い方向で見られてしまうかもしれません。
(それは……うん、嫌ですね。恥ずかしくて死にたくなります)
私の精神的にもよろしくありませんし、何より友好的な関係が築けなくなったら、それは極めて致命的な事態と言えるのではないでしょうか。
できれば人里に行く前に、バスタオルの秘密が少しでもわかればいいのですが。
私は雑踏の中で立ち止まり、大きく溜息を空に吐き出します。
そのとき、不意に誰かの視線を感じました。
夢なのに肌に視線が刺さるような感覚がします。
途端にバスタオル一枚の格好が恥ずかしくなって、裾や胸元を押さえつつ、周囲を見渡してみました。
相変わらず無数の人が行き交う、普通の雑踏のように思えますが、何かが変わっていました。
夢の登場人物が向けてくる視線とは、明らかに違うものが混じっています。
そしてその違いを生み出している者はすぐに見つけることができました。
真っ白いローブを身につけた人が、私の方を見ていました。
その姿は、周りの現代的な町並みから浮いています。
怪しげな魔法使い、という表現が残念ながら適切でしょう。
フードを目深に被り、顔も見えないのに、はっきり視線を向けられているのがわかるのが不気味です。
他の夢の登場人物とは、存在感が違いました。
明確な異物として認識できます。
「……だれ、ですか?」
私をこの世界に転移させた黒幕、なのでしょうか。
状況的にはとてもそれが相応しいように感じましたが、その人が放った言葉は私には理解できないこの世界の言葉でした。
あの街で人々が口にしていた言葉と同じようです。
「またこのパターンですか……」
言葉が通じないのにも慣れて来てしまいました。
ところが、突如状況が変わります。
「――これで理解できるかな」
その人が魔王と同じく、私の理解できる言葉を話したからです。
「……! 私の言葉が、いえ、話が通じる……んですか?」
「ああ。例え知らぬ言語であろうと、言語である以上は翻訳できる。普通の翻訳魔法では無理だろうがね。私のように魔法の深淵を知るものでなければ不可能だろう……しかし、君は何者だ? 私が知らない言葉など、この世界にはないと思っていたんだがな」
妙に自信満々にその人は断言します。
「理由は私にもよくわかっていないのですが、私は貴方たちから見ると異世界から来た存在……になるみたいです」
「異世界……? そんなものがあるのか。この私ですら、異界の存在は認識していない」
「え……? この世界には、異世界から勇者とか聖女とかを召還する儀式とか、そういうのがあるのでは?」
「どこから得た与太話だそれは? そんな儀式聴いたこともないぞ」
これは予想外です。
てっきり、そういった召還儀式に巻き込まれたものだと思っていたのですが。
まさかこの世界にその概念すらないというのは驚きでした。
「……では、転生はどうです? 明らかに知り得ない高度な知識や概念を持って生まれる子などはいないんですか?」
「そんな異常な存在が生まれたなら、私の耳に入らないわけがない」
「輪廻転生……死んだ人の魂が別の人に宿って生まれてくるという概念自体がない、とか?」
「魂か。それが事実として『ある』というのは魔法的に解明されているが、死んだあとどうなるかは不明だな。だが、別の赤子に宿って生まれたなどという話は絶対にないな」
妙に自信満々ですが、この人はいったいどういう立場にある人なのでしょう。
魔法の深淵を知る、とか割とやばそうな単語も聞こえましたが。
「あの、失礼ですがあなたは、一体どのような立場におられる方なのですか?」
「私の存在を知らないとは……なるほど、君が異世界とやらから来た存在であることは確かなようだ。君が生み出したこの夢にも、私が見たことないものがたくさん……なんだいまの鉄の箱は? 魔法で動かしているにしては大きすぎないか?」
「あれは電車です。私たちの世界には魔法がないので機械仕掛け……えーと、複雑な仕組みの連鎖反応で物理的に動かしている……って言ってわかりますか?」
「ふむ。魔法が無い……複雑な仕組み……一種の絡繰り仕掛けのようなものか。興味深い。これを魔方陣の展開に応用すれば……」
白いローブの人はぶつぶつと呟き始めます。
集中しているところ申し訳ありませんが、質問に答えていただきたいものです。
「あのぅ……」
「ん、ああ。すまない。新しいものには目がなくてね。ベールに包まれたこの夢もそうだが……君も中々興味深い。そういえばまだ名乗りもしていなかったか。普通は夢の中に入られたことを誰も気づかないし、そもそも皆私を知っているからな。失礼した。私は――」
その人が名乗ろうとした途端、急に霞みがかかったようにその姿が揺らぎました。
私も驚きましたが、その人はもっと驚いているようです。
「む、――りに干渉――ただと? ――――護を受――いるのか……だと――再度繋がるのは難し――だな。……私のことは――なら誰でも知っ――る。会いに――といい。――して――う」
途切れ途切れの言葉を残し、その人は現れた時と同様、唐突に姿を消してしまいました。
魔王といい、白いローブの人といい、中途半端に言い残していかないでください。
「友好的な存在……と見ていいんでしょうか」
あの人が自意識過剰なわけでなければ、『皆が私を知っている』と豪語するくらい、知名度があるということでしょうし、探すのは難しくないでしょう。
すごく魔法に詳しそうな様子でもありましたし、もしかしたら私が元の世界に帰る方法を編み出してくれるかもしれません。
「……虎穴には入らずんば虎児を得ず、ですかね」
白いローブの人が言っていたことが正しいのだとすると、この世界に異世界転生や転移を行う魔法はないことになります。
そうだとすると、最大の問題は『先人はこうして元の世界に戻った』というようなノウハウが一切ないということになります。
少しずつ不明瞭だったことが明らかになってはきていますが、相変わらずの不条理・不親切な世界でした。
「早く元の世界に帰りたいです……」
もう何度思ったかわからないことを、私は再度呟きます。
夢の中の、元の世界の雑踏は、そんな私に構わず、淡々と流れ続けていました。