第三章5 ~(たぶん)妖精のヨウさん(仮名)~
体育座りで途方に暮れていると、不意にドラゴンさんが私から視線を外し、長い首を持ち上げて遠くを眺めました。
その方向は美女さんたちに教えて貰った、人里があると思われる方向ではありません。
私も座ったままドラゴンさんの視線を追いかけてみますが、何かあるようには見えません。
普通に深い森が続いているだけです。
どうしたのでしょうか。ドラゴンさんの謎の行動に戸惑っていると。
「――――」
さっきまで遠くから此方の様子を伺っていた美女さんたちのうち、ひとりが近付いて来ていました。先ほど私の頭が地面に埋まった時に助けてくれた人です。
彼女は三人の中で、もっとも小さい人でした。
いえ、身体の特定の部位が小さいというような、下世話な話ではないのです。……実際三人の中でいえば一番小さいようですが、重要なのはそこではなくて。
小さい、というのは全体的な雰囲気と言いますか。
恐らく三人の中で一番若いのだと思います。彼女たちは人ではなく妖精のような存在みたいなので、あくまで外見を人間として判断して、の話になりますが。
(二十代前半、というところ……でしょうか)
若いと言っても私よりは大人な雰囲気を醸し出していますし、容姿の美しさに関しては比べるのも烏滸がましいという話で――ついでに言うなら小さいと表現したそれも三人の中ではという意味であって、私よりはよっぽど大きさも形も優れているのですが。
それはまあ、脇に置いておいて。
三人の美女の中で一番小さなその彼女……面倒なので私の中では妖精のヨウさんと呼びましょう。
ヨウさんは私とドラゴンさんに近付いて来て、ドラゴンさんに向けて喋っているようでした。
何かを覚悟しているような、決死の表情でした。
「――――」
相変わらず私には声すら聞こえないのですが、何か言っているのは確かなようで、口が動いていました。それに反応してか、ドラゴンさんが近付いてきたヨウさんに視線を向けます。
視線を向けられただけで卒倒しかねないほどに顔を青くし、怯えを濃くするヨウさんですが、気丈にも話を続けているようです。
遠くの木陰から心配そうに他のふたりがヨウさんを見ています。
一体どんな会話があったのか定かではありませんが、ヨウさんは私が地面に描いた絵を指し示していたので、恐らく私の代弁をしてくれたのでしょう。
(だ、大丈夫でしょうか……)
どうやら私の意思をドラゴンさんに伝える役を買って出てくれているようですが、とても危険です。万が一ドラゴンさんの不興を買ったら恐ろしいことになります。
いつでもドラゴンさんとヨウさんの間に入れるように構えつつ、事態の推移を見守るしかありません。
ドラゴンさんはといえば、若干不機嫌そうにも見えましたが、とりあえずブレスを吐こうという様子はありません。ヨウさんが人里があると思われる方向を指さすと、ドラゴンさんもそちらを見やり、軽く唸りました。
威嚇ではないようですが、ドラゴンさんの低く轟く唸り声は恐ろしいものです。
私は思わずヨウさんのすぐ傍に寄りました。
いざとなれば間に立たなければならないので、背中に隠れるわけにはいきませんでしたが、安心感が欲しかったのです。
「グルルル……!」
ドラゴンさんは一際強い声で唸ったかと思うと、その大きな前足を持ち上げました。
まさかヨウさんに爪を振るう気なのでは、と感じ、慌てて前に出ようとしたところ。
ドラゴンさんはヨウさんと私を、その前足でまとめて掴んで来ました。
一応加減はされているのか、それともバスタオルの力か、身体が潰れたりはしませんでしたが、かなり苦しいです。
(うぐぐ……っ、わ、私はともかく、ヨウさんは……!?)
私と違って、ヨウさんには羽根が生えていました。それも妖精らしく昆虫のそれに似た薄く脆そうな羽根です。
そんなヨウさんを鷲づかみにするというのは、トンボを鷲づかみにするような暴挙であると思われます。羽根が潰れて飛べなくなりかねません。
そもそも加減知らずのこのドラゴンさんに掴まれて大丈夫なのでしょうか。
密着することになったヨウさんの様子を伺ってみましたが、幸い私が心配していたほど、苦しがっている様子はありませんでした。
私と同じ程度には圧迫感を覚えている様子でしたが。
羽根も潰れたわけではなく、最初からなかったように消えているので、恐らく自在に出し入れができるのでしょう。折り畳んでいるだけかもしれませんが、一安心です。
(しかし、これは……ちょっとまずいかも……)
私とヨウさんはまとめて掴まれたので、密着せざるを得ません。ドラゴンさんの力は強く、押しのけられるものではありませんし。
ヨウさんの豊満な身体が私に押しつけられています。身長はそこまで差がありませんので、その豊かなバストに埋もれて呼吸ができなくなるということはありませんでしたが、密着していることには変わりありません。
モデルさんも裸足で逃げ出すレベルの整った顔立ちが、すぐ目の前にあります。
日本人とは全然違う作りではありましたが、それでもその美しさは視線を惹き付けてやみません。
身体を締め付けられる苦しみに顔を歪めながらも、こちらが様子を窺っていることに気づくと、安心させるように微笑みを浮かべてくれました。
本当にいい人……いえ、妖精です。
(ほんと、ヨウさんたちには頭があがりませ……うわわっ!?)
ばさり、と翼が空気を叩く音がしたかと思えば、ドラゴンさんが空に舞いあがりました。
当然、その前足に掴まれている私とヨウさんもです。
ドラゴンさんは飛び上がった空中で、暫しその場に滞空したかと思えば、ゆっくりと向きを変え、人里があると思われる方向に頭を向けました。
どうやら、ヨウさんが交渉した結果、人里に向かうことにしてくれたようです。
もしかすると、ヨウさんは同行まで申し出てくれたのかもしれませんね。そうだとすると、そこまでやってくれるヨウさんに感謝しかありません。
何か返せればいいのですが、いまの私にはどうすることもできません。
「グルォ――ッ!」
ドラゴンさんが一声啼いて、人里があるらしい方向に向けて動き始めます。
上下の震動はかなり厳しかったですが、一度経験していた分、周囲を見る余裕がありました。
そういえばヨウさん以外の美女さんたちは森に残るのでしょうか。
遠ざかっていくさっきまでいた場所を見てみると。
そこでは、ふたりの美女さんが心配そうにこちらを見つめていました。
そして、その背後に。
「……え?」
思わず声が出てしまいました。
いまのいままで、美女さんたち以外の存在が見当たらなかったにも関わらず、すごい数の……なんといえばいいのか、とんでもない存在がぞろぞろと現れていました。
ドラゴンに怯えて隠れていた、というにはあまりに立派な存在ばかりです。
身体と同じ大きさの立派な角を生やした大鹿。
銀色に輝く体毛を煌めかせる、これまた大きな狼。
先端に炎が灯った牙を持つ荒々しい雰囲気の猪。
近くの木の梢には、キラキラ光る鱗粉が蝶になって動き出している、明らかにこの世ならざる様子の孔雀。
リスのような小動物も何匹かいるのですが、その動きはあまりに速すぎて、美女さんたちの肩に登ったと思ったら、残像を残して反対側の肩に移動していました。
ゲームで言えば、ボス級であろう森の生き物が、その場に集結していました。
そしてその恐ろしく強そうなモンスターたちを、美女さんたちはまるで自分のペットか何かのように、自然に受け入れています。
噛みつかれたら大怪我では済まない狼の頭を、自然体で優しく撫でていたりするのです。
(もしかして……もしかしなくとも、この人たちって……ヤバい存在なのでは……?)
生態系のバランスを司る森の管理者、とかならまだいいです。
でも、人々の上に王がいるように、魔物の上に魔王がいるように。
この美女さんたちこそ、森の生物の頂点に立つ森の女王――だったりして。
仮に、もしそうなのだとしたら、それらを土下座させるほどに圧倒するこのドラゴンさんってどれだけ恐ろしいのかって話です。
これ、人里に行って本当に大丈夫なのでしょうか。
限りなく膨らんでいく不安を余所に、私とヨウさんはドラゴンさんに運ばれていくのでした。