第三章2 ~異世界転移にチートはおやくそくです~
これから私はどうすればいいのか。
まずは、言葉が通じる存在とコンタクトを取ることです。
魔王の例から考えると魔法が使える人ならば、翻訳魔法みたいなもので、言葉が通じるようにしてくれる可能性があります。
使っていた魔法がどの程度の難易度の魔法なのかはわかりませんが、まさかあの魔王しか使えないような魔法ではないでしょう。
いずれにしてもまずは人里を訪れて見る、というのが妥当な方針なのですが、そうするために立ちふさがる大きな問題がドラゴンさんです。
(いっそ小さくなったり、人型になったりしてくれたら話は楽なんですけどね……)
物語では、人外の存在は「人化の術」とかで気軽に人型になるものなのですが。
もちろん、もしかしたらこのドラゴンさんもそういったことが出来るのかもしれません。
ドラゴンさんの目が覚めたら、絵を駆使して出来ないかどうか尋ねてみようと思っています。
まあ、とはいえ。
この不親切極まりない世界でそんな都合のいいことはないだろうな、と半ば確信しており、それは諦めていました。
(……ん。ちょっと一息つけちゃったせいですね……)
程よくお腹も満ち、周囲に目立った脅威もなく、悩みの種であるドラゴンさんも寝ている、という状況になったためか、尿意を催してしまいました。
いままでは気にする余裕がなかったので、かえって感じていなかったのですが。
私は椅子代わりにしていた倒木から立ち上がります。
その私の動きを敏感に察知したのか、三人の美女さんたちが一斉に私の方を見ます。
「あ……えーと……」
どう説明しましょう。
人間相手ならまだしも、彼女たちは明らかに人間ではない存在です。
彼女たちが排泄がしている姿は想像できませんし、ジェスチャーで伝わるでしょうか。
恥を忍んで、股間を指さし、そこから何かが出るような仕草をしてみましたが、案の定あまり伝わっていないようです。恥ずかしかったです。
困りましたが、とにかく付いてこないようにしてもらえばいいだけです。
私がその場を離れようとすると、三人はついてこようとします。
それを手で制し、すぐ戻ってくることを手振り身振りで示します。
渋々、という様子でしたが、三人はその場に留まってくれました。
(……まあ、彼女たちからすれば私はドラゴンさんが連れてきた存在ですもんね)
ブレスを吐こうとしたのを止めたのもあって、何らかの重要な存在だと思われているのではないでしょうか。
私から眼を離していなくなったということになれば、ドラゴンさんが彼女たちにその責を押しつけるかもしれません。
そう考えれば、私から眼を離したくないというのが本音でしょう。
それでも私の意思を優先してくれたことに感謝しつつ、彼女たちやドラゴンさんからあまり離れない位置で、ほど良い茂みを探します。
(ん……ここなら、背の高い草に隠れていいですね)
私は茂みを掻き分け、程よいスペースを確保して用を足します。
野外でおしっこなんて、子供の頃にトイレもないような山道を登ったとき以来です。
あのときも恥ずかしかったですが、大人になったいま、羞恥心はその時の比ではありません。
しかもバスタオル一枚の格好で、なんて。
こんな非常事態でもなければ、羞恥のあまり死にたくなっていることでしょう。
とにかく早く人里に行って、服を着たいものでした。
「ふぅ…………あっ」
用を足したあとで致命的なミスに気づいてしまいました。
拭くものを何も用意していなかったのです。
いえ、バスタオルはあります。
濡れてもあっという間に乾くという不思議な力を持つようになったこのバスタオルなら、汚れてもすぐ綺麗になるとは思いましたが、それはあくまでそうらしいというだけです。
そもそも心情的に、私の身体を覆う最後の砦であるバスタオルで尿を拭くのは、ためらわれました。
(う、うーん……かといって拭かずにかぶれてしまっても困りますし……)
葉っぱでもいいので何か拭く物がないかと周囲を見渡します。
すると、少し向こうに小さな池があることに気づきました。
水で流したあとなら、直接拭くよりはだいぶマシです。
私はバスタオルの裾が汚れないように軽くたくし上げつつ、急いでその池に近付きます。
池の水はとても綺麗で、かつ、小さな魚が泳いでいるのも見えました。
これなら身体に害はないはずです。
(問題はどれくらい深いかですが……)
私は池の縁に腰を下ろし、恐る恐る足を池の中に入れていきます。
ほどなくして、池の底に足が着き、膝下くらいの深さしかないことがわかりました。
綺麗な水を汚してしまうのは少し申し訳なかったのですが、洗剤を流すわけではありませんし、これくらいなら構わないでしょう。
私は腰を下ろして股間を洗おうとして、バスタオルが水に着きそうになり、慌てて腰をあげました。
(濡れてもすぐに乾くでしょうけど……一端外しましょうか)
それは普通の常識に則った判断でした。
いくらすぐ乾くとわかっていても、バスタオルが水に浸かって濡れるのは、気持ちが悪かったのです。
再度周囲を確認し、三人の美女さんたちも他の存在も近くにいないことを確認してから、身体に巻いていたバスタオルを外しました。
そして、軽く折り畳んで池の縁に置き、手を離した――その瞬間でした。
「……ッ、ひゃぁっ!?」
突然、水に浸かっていた足が、ひやりとした感触に包まれたのです。
最初は、いままで普通の水だったのが、急に氷水になってしまったのかと思いました。
けれど、すぐに全身の肌が粟立ち、私がいままで普通に感じていた周囲の気温が、嘘みたいに下がったのを感じました。
(な、な、なんですかいったい!?)
歯の根が合わなくなって、震え始めるのを感じ、私は慌ててバスタオルを再度手に取りました。
バスタオル一枚でも、全裸よりはマシだと思ったのです。
ところが、バスタオルを手に取って身体に巻き付けていると、感じていた寒さが嘘のように消えていきました。
粟立っていた肌もすぐさま落ち着き、水に浸かっている足からも普通の水の温度が伝わってきます。
「……え?」
あまりに変化が唐突だったので、事態を理解するまでしばらく時間が必要でした。
私は何の変化もない周囲の状況を呆然と見つめつつ、自分が身体に巻き付けたバスタオルに視線を落とします。
これまでの経験上、なんとなく察してはいましたが。
これはもしかして、もしかしなくとも。
私は再度バスタオルを身体から外し、池の縁にそっとおきます。
触れていた手を、ゆっくりと離しました。
「……ひっ!」
すると、案の定。
全身に鳥肌が立ち、足は氷水に漬けているように凍えました。
慌ててバスタオルを掴み、胸にかき抱きます。すると、それだけで寒さがなくなっていくではありませんか。
これは、もう間違いありません。
このバスタオルが、外気温などの様々な影響を打ち消してくれているようです。
考えてみれば不思議でした。
私自身の身体能力はほとんど変わっていないのに、石が当たっても痛くなく、高所から落下しても平気で、魔王を倒すドラゴンのブレスにさえ耐え、超高空を移動しても凍えもせず、ドラゴンの牙が食い込んでも血すら滲まない。
異世界に転移、もしくは転生する際、チート能力を得るというのはその手の物語の鉄板です。
私の異世界転移の場合も、その「おやくそく」は適用されていたのです。
ただ――そのチート能力は私ではなく、バスタオルに宿ったということなのでしょう。