第二章3 ~新鮮、というにも限度があります~
突如、後頭部に硬い物がぶつかりました。
さほど痛くはありませんでしたが、その衝撃に驚いて飛び起きます。
打った頭を抑えながら状況を確認しようとして、目の前にあのでっかい黒いドラゴンさんがいるのがまず目に飛び込んできました。
思わず身構えてしまいましたが、ドラゴンさんは大人しくこちらを見ているだけです。
私は開いてしまっていた脚を慌てて閉じつつ、改めて周囲を見渡しました。
「え……? ど、どこですか……ここ……?」
そこは岩場でした。さっきまでいた浮き島の石は明らかに人の手で切り取ったような滑らかな平面でしたが、ここは表面がでこぼこしていて、自然のままの石という感じです。
地底とは違って頭上には空も見え、明らかに野外です。周りの様子からすると、相当高い山の上とか、そういう場所のようですが。
恐らくドラゴンが私を咥えてここまで運んできたのでしょう。さっきの後頭部への衝撃はドラゴンが咥えていた私を離したため、背中から地面に落ちた結果だったようです。
(……たんこぶはできてないみたいですけど)
ドラゴンの顔の位置からすると、結構な高さから打ち付けたはずです。
なのに後に引く痛みもないというのは少し意外でした。
なにげなく、頭を打ち付けたはずの後ろを振り返ってみると、なにやらそこだけ妙に細かいヒビが入っていました。
まさか私の頭突きで岩が砕けたとでもいうのでしょうか。
いや、そんなわけがあるわけがありませんよね。
石が砕けるほど硬い石頭とか、そんなのはギャグの領域です。
改めて周りの様子を確認します。
(……あれ? なんで、いまいるところより下に雲、が?)
私は周りの景色を見渡していて、その異常に気づきました。
スケールが大きすぎて見逃してしまっていましたが、見えている山の斜面、私がいる位置よりも低いところに白い雲が見えます。
一瞬霧じゃないかと思いましたが、明らかにあれは雲です。
つまり、私はいま、それほどに標高の高い山の上にいるはずです。
この異世界の物理法則はまったく違うのかもしれませんが、地球を基準に考えると、標高が高ければ高いほど気温は下がるはずです。
(なのに、バスタオル一枚でも全然寒くない……? というか、おかしくないですか?)
なぜ私の身体はなんともないのでしょう。
ドラゴンに咥えられて運ばれたのは確かです。
なら、私は高空をほとんど全裸で運ばれたことになります。
ハングライダーのような体がむき出しの形で、空中を飛んだ経験は私にはありませんが、高空が相当風が強く寒いのは想像出来ます。
もし私が今回やったみたいに全裸であったなら、相当身体が冷えてしまうはず。
なのに私の身体は鳥肌が立っているわけでもなければ、指先がかじかみすらしていません。
(環境に適応している……いえ、そもそも環境の変化が感じられない……?)
わからないことだらけです。
魔王すら倒すドラゴンさんの謎のブレスが利かなかったことといい、もしかすると異世界に転移したことによって「影響を受けない」というチート能力を得たのかもしれません。
そう考えるとこれまでのことに納得がいきます。
とはいえ、それが本当かもわからない以上、それを前提に行動するわけにはいきませんでしたが。
そんなことをつらつらと考えている間に、ドラゴンさんはいつの間にか姿を消していました。
「……え? ちょ、ちょっとドラゴンさん!?」
こんないかにも人がいなさそうなところに連れてくるだけ連れてきていなくなるとか、最悪にもほどがあります。
私が慌ててドラゴンさんの姿を探して周囲を見渡していると、幸いドラゴンさんはすぐに戻ってきました。
ほっと一安心したのも、つかの間でした。
なぜならドラゴンさんは恐ろしいものを咥えて帰って来たからです。
思わず唖然としてそれを見つめてしまいます。
「お、大きな鳥さんですね……?」
いや、ただの鳥じゃありませんでした。
前半分がワシ、後ろ半分はウマ。
確か、こういう生き物はヒポグリフ、というのでしたか。
ドラゴンさんの巨躯には及ばずとも、ゾウくらいの大きさがあります。
地球では想像上の動物であるそれは、見るも無惨に首をへし折られた状態で、ドラゴンさんに咥えられていました。
そして、それを私の目の前に放り出します。
相当な重量があるのでしょう。地面が震えて、思わず私はその場に尻餅をついて転んでしまいました。
ドラゴンさんはどこか得意そうな様子で、前足を使ってそれを私の方に押し出してくれます。
このときばかりは、言葉が通じなくとも、その意図は明白でした。
「……食べろと?」
お腹が減ると腹の虫が鳴る、というのはこの世界でも共通の認識だったようです。
恐らくヒポグリフはドラゴンさんが普段食事にしているものなのでしょう。
それをわざわざ狩って、私の前に持ってきてくれたのですから、ドラゴンさんに私に対する敵意がないのは間違いありません。
餌を分け与えるといえば、地球の動物でもよくあることです。
少し意味合いは違うと思いますが、飼い猫が狩ったネズミを飼い主に見せに来るとかいう話を、猫を飼っている友達からよく聴きます。
そう考えると、どうあれ、ドラゴンさんはそれなりに良い感情を私に対して持ってくれているということなのですが。
(……これを、食べろと!?)
目の前の転がる、仕留められたばかりのヒポグリフ。
まだぴくぴくと動いている気配すらあります。
当然、血抜きなどされているわけもなく、私の足下に血だまりが出来つつありました。
とんでもなく獣臭くて、これ以上近付くことさえ出来そうにありません。
血まみれで肉の断面も生々しい傷跡は、見ているだけで気分が悪くなりそうです。
肉を生で食べるなど、日本育ちの私はしたことがありません。
一度だけ焼き肉屋でユッケを食べたことはありましたが、正直日本の徹底管理された食肉ですら、生で食べるのは怖くて、怖い物見たさで食べたその時以降、一度も食べたことがありません。
そんな私です。現代日本に住んでいればその方が普通だと思います。
それなのに。
「……ぐるる?」
ドラゴンさんは「食べないの?」とばかりに首を傾げています。
挙げ句、食べても大丈夫であることを示すように、ヒポグリフの胸筋に噛みついて、力任せに食い千切って見せてくれました。
くれやがりました。
血が噴出し、血の雨となって周囲に降り注ぎます。
それは当然私にも降りかかって来まして――
「……ふぅ」
濃密かつ新鮮な血の臭いが立ちこめる中、私は三度意識を手放しました。
あと何回気絶すればいいのでしょうか。
日本に帰りたい。
私の中で、その気持ちだけが強くなるのでした。