第5話 企み
アルル様に言われて、とりあえず歩き始めることにした。
『魂だった時とは違って、時間は有限です』と言われた。確かにそうだ。
だけれども、時間が掛かったのは俺の右往左往を楽しんで黙視していたり、俺を揶揄って遊んでいたせいでもあるんじゃないかと思うんだが。
さて、気を取り直して。
俺はこの異世界に来て初めてとなる、旅路というものを味わっていた。
旅路。そう聞くと、楽しそうに聞こえるだろう。
異世界に来て初の旅路。実に素敵な響きだ。
俺にも、そう思ってた時期がありました。
普通、異世界転生って、転生後は少し歩いたら森を抜けて、村や町が見えるものだと思うんだ。
魔物に転生したりする場合はその限りではないが、今の俺は紛うこと無き人間だろ?
『ブツブツ五月蠅いですよー。心の声でも私には丸聞こえなんですからー』
異世界転生直後、人里まで移動して宿に泊まりましょうなんて、最初に訪れる簡単なミッションだ。
ゲームでもよく見るし、モノによっては転生したら村外れ、なんてイージーなパターンもあるよね。
ハードなパターン? 今は聞きたくない。
『おーい。無視しないでくださーい。一応神様ですよー。バチが当たりますよー?』
さて、俺の置かれている状況だ。これは難易度で言えば何モードだと思う?
判断は君に任せよう。
『君って誰ですか? 誰に向かって話してるつもりなんですかー?』
女神アルル様は仰いました。『転生直後に危険が無いような場所を見繕う、いきなり危険な目に合う心配はない』と。
そして、こうも仰いました。『その代わりに、人が住む場所までかなり移動が必要なので心構えをしておいて』と。
『言いましたねー。何もおかしいところはありませんよねー?』
「どこが!?」
俺は今、ある意味で危険な目にあっている。
人里まで徒歩で移動しているのだ。
その距離、約三十キロ。
そんな無茶な!
良い子のみんな! 「一日で歩ける距離」で検索してみよう!
『えっと……約三十キロ、と出ますね』
正解! てゆーか検索出来るんですね?
神ですもんね。
そう、人が一日で歩ける距離は、約三十キロだ。
昔、学校の競歩大会とかいうイベントの時に、友達と興味本位で調べたことがあったから覚えてる。
『何の問題も無いじゃないですか? ちゃんと歩ける距離って書いてますし、イケるって保証されましたね。やったね!』
「大人が! ……ハア、ハア……一日で! ……ゼー、ゼー……ですけどネッ!?」
息も絶え絶えだ。
今現在、半分の十五キロほど歩いた。高校生で人並みに体力があったところで、キツイものはキツイ。
整備された道をランニングシューズ履いて歩いているわけではない。起伏の少ない草原とは言え、整備もされていない、道ですらないところを十五キロだ。
最初の洞窟を離れてから、見渡す限り広がっていたその平原をアルル様の示す方向へ只ひたすら歩いていたのだ。
「人が住む場所までかなり移動が必要」だって? 誰が“かなり”を人間の歩ける限界ギリギリの距離だと思うかね!?
『さっきから心の声ばかりですねー。折角肉体があるんですから、声を出して会話しましょうよー』
「余裕なぞ無ーい! です! ハアハア……」
神様相手といえど、本気で余裕など無い。
そこまで無理しなくてもいいって?
このまま何処とも知れない吹きっ晒しの草原で、この身一つで野宿なんて、やりたくはないものでね。
その焦りもあって、余計に疲労している感がある。
ちなみに三十キロ先の人里とやら、これでも最も近い場所らしい。次に近い場所は五十キロ先だとか。
ハハハッ、ウケるんですけどー。
『異世界転生のテンプレでしょう? 神の試練』
「ぜえ、ぜえッ!」
喉が渇いていて痛いし、気力も激減している。
もはや余裕は皆無なので、全て心の中で答えることにした。
普通、神の試練とか転生後のテンプレイベントって、女性や商人を盗賊から救うとか、困っている人を助けるものだと思う。いきなりそれも困るけど。
ひたすら歩いて村町を目指すって、地味すぎるしイベントと呼べない。
ゲームでもフィールド移動は一瞬だし、これは本気で試練すぎる。
『だらしないですねえ。これだから最近の若い人は。昔の飛脚の人たちを見習ってください』
飛脚はその道のプロでしょう。
しかも、何人かでリレーのように運んでいたって話だし。
比較対象おかしい。
そんな不毛なやり取りをしていると、草原の先に森らしきものが見えてきた。
アルル様曰く、あの森を抜けた先に初めてとなる町があるそうだ。
方向、距離然り、全てをアルル様の言うことを信じて従う以外に術は無い。
これで『嘘でした』なんて言ったら、流石に神としてアレなので信じることにした。
『彷徨うこともなくナビゲーションしてもらえるなんて、贅沢ですよねえ? 当時の飛脚の皆さんなんて……』
その飛脚への思い入れは何なんです? この神様、信じていいんですよね?
『オッケー』
ですよねー。アルル様以外に答えてくれる相手いませんものねー。
そうして戯れていたら、いつの間にか森の入口へと差し掛かっていた。
一本の木へと体を預け、一休みすることにした。
『因みに、さっきの一日に歩ける距離ってやつ、食事や休憩を挟んで八時間程度での話らしいですね。そりゃ当然ですね。休憩無しでとか、無謀ですもんねー』
「休んでませんでしたけど!?」
『えー、まっさかー。全然見てなかったんですけど、本当は休んでたんじゃないですかー?』
絶対見てた。わざと言ってますね。
そりゃあ休憩したかったですよ。でも、いつ日が沈むか気が気でないから、歩き続けるしかなかったんです。
地球と似た環境で太陽が見えているとは言っても、日が沈んだらと想像したら……ブルルッ!
街灯も何も無い。
身を隠せる場所もない。
どんな生物がいるのか、どんな危険があるのか全く不明。
……分かる? この恐怖感?
漸く一息つけたものの、足はガクガクでこれ以上歩くのは正直しんどい。
けど、歩かないと夜闇の恐怖は待った無しでやって来る。
歩かざるを得ないでしょ、こんなの。
「……因みに、なんですが、アルル様?」
『はい?』
「この森って、入って行っても大丈夫ですよね?」
『大丈夫、というか……ここを抜けないと町に着けませんね。森を迂回したら確実に明日になります』
冒険のテンプレ、魔獣来襲。
間違いなく来るよね、これ。
『あっはっはっ』
「笑い事じゃありません!」
確認しよう。俺の現在の装備がこんな感じ。
頭:頭髪(天然)
体:学生服
足:スニーカー
武器:なし
防具:なし
その他:魔法の鞄、全知全能の図鑑
所持アイテム:魔法薬、ポイントカード、他
うん、無理。
レベル1のスライムですら、勝てないかも知れない。
どうする? ちゃんと考えてなかったけど、異世界ってことは戦闘もあるよね?
スライムならまだしも、ゴブリンや盗賊なんかが襲ってきたらその時点でアウトだ。
逃げるにしても、足はガクガクだ。
持ち物に食べ物も水も回復薬も無い。
その上、進行を急がないと日が暮れても恐らくアウトだ。
何なの? この無理ゲー。
『もしもーし』
最悪、全知全能の図鑑を盾代わりに装備して、と。
武器は、ボールペンと定規と、どっちがいいかな?
『テンパってるところお気の毒なんですが、魔獣なんていませんよー。この森は小型の野生動物くらいしかいませんし』
小型の野生動物ってことは、ウサギとかネズミか。
それなら辛うじて……いや、角とか毒が…………
「……へ?」
『ですから、魔獣とかこの森にはいません。漫画の読み過ぎです。危険があると言っても、せいぜいヘビかイノシシがいいとこです。あと毒持ちはいません』
「えっと、戦闘は?」
『ノーマルなウサギさんを虐待したいんですか? イノシシは確かに危険ですが、わざわざ人に近付いては来ませんよ』
ウサギさんは愛でるものです。
生き物は野生もペットも虫でも何でも大好きなので、虐めたりはしな――
「――って違う! モンスターとか出ないんですか!?」
『はい。少なくとも、この近辺には絶対に。言ったでしょう、『いきなり危険な目に遭うことはない』って』
剣と魔法の世界なのに?
危険が無いに越したことはないが――――
――――と、その時、俺は気付いてしまった。
そう、気付いてしまったのだ、その事実に。
「だったらアルル様? 危険が無いなら、転生場所ってこの辺でも良かったですよね?」
『…………』
「…………」
『テヘッ♪』
「いやいやいやいや」
俺の三十キロ行進の意味って……。ガクリ。
そうして、俺は、死んだ。
地面には血文字で“アルル”と残しておこう。
『まあ、冗談ですよ。ちゃんと考えての三十キロですので、安心してください』
「安心出来ません。説明してください」
神様に対して、ちょっと強気になってきた。
試練を乗り越えて、一回り成長したみたいだ。
『調子に乗らない』
「はい、すみませんでした」
気のせいだったようだ。
疲れとショックでテキトーになっていただけのようだ。
『まあ、町の人が薬草採取などで来ないとも限りませんし。様々な可能性を考慮しまして』
神様なら、人がいないタイミングも分かりそうなものだけど?
実際、ここまで一人も出会ってないわけだし。
『(あと、次の転移の都合も、ね)』
「えっ? 何か言いました?」
小声で聞き取れなかったけど、次の……何?
『いえいえ、なんでもありませんよー。それよりもそろそろ進まないと、本当に日が暮れますよー』
さっき小声で何か言ったの、絶対何か企んでる。
また悪戯か?
そろそろアルル様に揶揄われるのにも慣れてきたし、先読みして引っかからないようにしたいな。
でも心読まれてるし、神様相手に無理か。
『……』
――――後に思う。
その時の俺は、本当に無知でしかなかった。女神アルル様が企んでいることを、そんな風に軽くしか考えていなかった。
知ったところで、その時の俺にはどうすることも出来なかったけれど――――
「野宿のハードルは多少、いや、かなり下がったけど、それでも宿があるなら当然そっちの方がいいですし。仕方ない、歩くかー」
――――その時の俺は、アルル様がいつどこに悪戯を仕掛け、俺があたふたするのを見て楽しもうとしているのか、そんな無邪気なことを考えながら、森へと歩を進めていたのだった――――