第42話 討伐
本日もよろしくお願いします。
今話も冒頭に、僅かに残酷描写があります。
俺の肌にモンスターの歯がめり込む。
皮が剥ぎ取られ、肉が削ぎ落される。
内臓が引きずり出される。
でも、皮も肉も内臓も、食べられもしないし、利用されることも無い。
ただ、そうされただけ。殺すためだけに。
殺した後は、その場に散らかしたまま――――
……?
――――そんな光景が頭の中に過っていた一瞬で、状況は変わっていた。
俺の上に覆い被さっていたはずのモンスターは、地面を蹴って飛び去り、俺の目には青い空の姿が映っていた。
俺はもう死んだのか?
そんな現実逃避も、一瞬で終わりを迎えた。
地面を蹴って飛び去ったという現実が俺に知らせたのは、このままでは再びあの狂気の存在に襲われるということだった。
俺の頭が、早く動かなければまた殺されるぞ、と警告を鳴らし、恐怖を伝えてきた。
俺の体が、確かに切り裂かれかけた傷口からの痛みを、次々と伝えてきた。
だが、慌てて上体を起こし、モンスターが飛び去った方向を見ると、そこには予想だにしていなかった光景が広がっていた。
「グゲエエエエ!」
翻訳もされない悲鳴。
さっきまで、俺にとって恐怖の存在でしかなかったモンスターは、無数の弓矢に貫かれ、その動きを鈍らせていた。
事態について行けず動きを止めていると、漸く背後からの何人もの声が俺の耳に届いた。
振り返ると、そこには鎧を纏い、弓矢を構えた兵士らしき人たちの姿があった。
その後ろからは、剣を構える者、盾を携える者、杖を持つ者などが続いていた。
何が起こっているのか、未だに理解出来ない。
「おい! 大丈夫か!」
その声にハッとなり、自分の周りを囲む兵士たちに目をやる。
自分がどういう状況なのか分からない。
走って来ていた兵士たちが、時間が飛んだように一瞬で俺を囲んでいる。
次の瞬間にはまた時間が飛んで、杖を持った人たちに手当を受けているようだった。
「落ち着いて! ゆっくり、深呼吸をして! もうモンスターは倒したから、大丈夫よ!」
その声で自らの呼吸を意識して、初めて自分が過呼吸になっていることに気付いた。
酸素を取り込み過ぎたせいか、視界が白く変色していた。
飛び飛びだったのは、時間ではなく俺の意識の方だった。
「よく頑張ったわね。もう、怖いことは去ったのよ。力を抜いて、ゆっくり息を整えて。焦らなくていいから、自分のペースでいいわ。あなたが落ち着くまで、私たちがずっと付いていてあげるから、大丈夫よ」
今になって、自分の目の前にいるのが女性だと理解出来た。
周りを鎧姿の兵士たちが取り囲んで、守ってくれている。
そのことを理解して、遂に俺の頭が、俺に待望の言葉を届けてくれた。
“助かった”
それと同時に、目からひと筋の涙が零れ落ちる感覚がきっかけとなり、俺は漸く一回目の深呼吸を果たした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ありがとうございます。やっと落ち着きました」
駆け付けた女性たちから手当てを受け、暫くして落ち着きを取り戻した俺は、今の状況を理解し始めていた。
俺は死の恐怖からパニックを起こして、意識も途切れ途切れだったようだ。落ち着いた今になっても、あのモンスターに押さえつけられた辺りからの記憶がかなり曖昧だ。
状況を見るに、商人さんたちが町に辿り着き、助けを呼んでくれたってことなのだろう。
モンスターに襲われているであろう俺を助けるため、武装した兵士さんたちが救護班と共に駆け付けてくれたわけだ。
「危機一髪って感じだったな。けど、お前さんも運が良いぜ? 今日は荷物の搬入が大規模だからって、普段と違って武装状態の衛兵やら傭兵やらが揃っててな。しかも、ちょうど警備体制の打ち合わせで集まってたもんだから、速攻で助けに来れたんだぜ? 普段なら、人員を集めるだけでも結構かかるからな」
兵士さん……じゃなく、衛兵さんだったのか。
何にせよ、死なずに済んで良かった。本当に。
ケガも大したことは無く、肩口の辺りに歯形が付いて出血したのと、地面に叩きつけられた時の打ち身くらいなものだ。
「そうよ? 本当に運が良いわ。つい最近、破落戸が暴れたせいで、入港した船の乗客が到着の手続きの前にパニックを起こして、その場から逃げ出したまま戻って来ないというトラブルがあってね? それで以前よりも警備の連携が見直されたところだったの。そうじゃなきゃ、こんなに大勢が息を合わせて駆け付けることは叶わなかったわ」
俺を手当てしてくれていた女性たちからも幸運を驚かれた。
今の話、何処かで聞いた話のような……?
それよりも、少しずつ冷静になってきた頭に、引っかかるものがあった。
幸運、幸運……ね?
「それに、あのモンスターだって、あんなサイズなら本来はもっと手こずる相手だよ? 君に意識が向いていたお陰で、初撃から繋げて弓矢をヒットさせることが出来たから、動きが鈍ってあっさり倒せたようなもんだよ。そうじゃなきゃ、君を助けるどころか、俺たち自身に被害を出さないように立ち回るのが精一杯で、君も巻き込んだり、見捨てていた可能性だってあったかもしれないし」
「ちょっと! そういうこと、当人の前で言わないの!」
「まあ、あのクラスのモンスターに襲われるなんて、ここ最近じゃ無いから、それは気の毒だったと思う。けど、それ以外は超が付くほどのラッキーボーイだぜ?」
皆が口々に俺の幸運具合を告げる。
これは、多分、間違い無い。漫画じゃあるまいし、ちょっと上手く行き過ぎだ。
「「「ホント、神に愛されてるとしか言いようがないな!」」」
アルル様、ありがとうございました。
何かしてくれていたんですね?
『私は何もしていませんけどー?』
流石に誤魔化すにしても、無理があるだろう。
今は助けに来てくれた皆を待たせるわけにもいかないので、アルル様とは後で改めて話したいと思う。
手当てが終わり、衛兵さんらに付き添ってもらいながら、自分の足で歩き出す。
必死に逃げている間に町へも近付いていたようで、それほど歩かなくても良さそうだった。
歩きながらキョロキョロと周囲を見回すと、何人かの衛兵・傭兵さんたちが協力して、例のモンスターの亡骸を運んでいるのも目に映った。
俺があんなに無力感を感じ、恐怖に怯え、死を覚悟した強大な存在は、拍子抜けするほどあっさりと、その命を散らしていた。
彼が嬉しそうに殺し続けようと言っていた人間は、結局一人の犠牲も出すことなく、彼を討ち取ったのだった。
「それにしても、勇気があるね、君は」
隣で歩いていた衛兵さんの一人が、俺にそう言葉を掛けた。
「町に駆け込んで来た商人から聞いたけど、独りでモンスターの気を引くために、馬車から飛び降りたんだろ? あの二人を助けるためとはいえ、自分を犠牲にするなんて普通は出来ないよ」
まさか、会話して何とかしようと思ってましたとは、口が裂けても言えない。
というか、あの恐怖を体験した今となっては、二度と同じことは出来ないだろう。
完全に、モンスター恐怖症というトラウマを抱えてしまった。
希望的観測でもって慎重さを欠き、頭のどこかで「話せば分かるかも」なんて能天気に考えていたであろう過去の自分に平手打ちをお見舞いしてやりたい。
「あの二人も感謝しているだろうね。君は彼らのヒーローだ!」
それに関しては、どちらかと言うと、二号さんが一番感謝していそうだと思う。
動物的勘か、以前に何か体験していたのかは知らないけれど、さっきまでの状況で、追い付かれるかもという恐怖感を一番濃厚に受けていたのは彼女だったに違いない。
今となっては、二号さんには心から謝罪したい。ビビりだと思っていたことを。
それからも歩き続けること十数分といったところ。
一応ケガ人である俺に合わせてくれていたので、全体の進行は緩やかだった。
目の前のように見えていたこの町の門も、辿り着くまでに結構な時間が掛かってしまった。
港町アノサ。
俺は生きて、この町の門を潜ることが出来たのだった。
門の向こう側には、馬車と共に俺を待つ二人と一頭の姿があり、俺は居ても立っても居られず、門に着くなりそちらへと向かって駆け出した。
パシーーン!!
ガツーーン!!
二人にとってのヒーロー。
感動の再会。
結果良ければ全て良し。
そんな妄想を吹き飛ばすかのように、二人から出会い頭にビンタとゲンコツをお見舞いされた。
穏やかなムードだと思われていた空気は、一瞬で緊張感のあるものへと変わっていた。
次話は5月17日の17~20時頃の予定です。
よろしくお願いします。




