第102話 始まりの洞窟
お待たせいたしました。
今話より、第二章の始まりです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
天国から地獄。
そんな言葉を聞いたことがある。
だが、今の俺の状況は、その真逆だろう。
言うなれば、地獄から天国。
漆黒の空から落ちてくる無数のモンスター。
地響きとともに崩れ落ちる町の全て。
絶望に染まり、逃げ惑う人々。
モンスターに潰されるモンスター。
そんな地獄絵図は――
晴れ渡る青い空、白い雲。
地揺れなど無縁な、風にそよぐ草原の風景。
穏やかに過ぎる時間。
心地好い空気に包まれ、モンスターなどと無縁の空間。
――本当に天国へ来たのかと錯覚を起こしてしまうほどに、一変していた。
だが、それは景観だけの話。
俺の心中は、穏やかになれるはずもない。さっきまで見ていた光景も、感じていた絶望も、死を覚悟していたことも、紛れも無い現実。
実は一年の旅は夢で、本当の異世界生活はここから……なんて夢物語は、存在しない。
俺の心臓は、未だに速い鼓動で冷静さを失っている。
あれは確かに現実で、最期の瞬間にシュリたちに伸ばした手も、今ここにいることも、全て本当なのだと感じる。
さっき洞窟内で目を覚ました時、俺は既視感を覚え、一年前に初めて転生してきた時の記憶を辿るようにして出口へ向かった。それこそが、何よりの証拠だ。
ここは、一年前に俺が初めて踏んだ異世界の地、キノエ島のバーバムの町から三十キロほど東にある洞窟で、間違いは無いだろう。感じた匂い、空気の冷たさ、触れた地面や壁の感触、そこから出て眺めた風景までも、ほとんど同じなのだから。
前世の日本で人気だったラノベ作品に、同じ時間を何度も繰り返すループものがあった。だが、俺が置かれた状況は、そういうことでは無いようだ。
転移で港町アノサから飛ばされたのかとも思ったが、それも違う。あれだけ黒く染まっていた空が、こんなに青く晴れ渡るわけがない。モンスターだって、この地にだけ一体も見当たらないというのも不自然だ。
なにより、記憶にある風景と一つ大きく違う点、視界に映る集落らしきものがそれらを証明しているように思える。
タイムリープならあれは存在し得ないし、まさかこの僻地に、一年であれほどの集落は生まれまい。
可能性としては、この洞窟に転移させられた後、全ての出来事が終息するまで眠っていたとか?
だが、それだと恐らく人類は、空を埋め尽くすほどのあのモンスターの大群に滅ぼされているはずだ。
まさか、その後にモンスターが集落を作ったわけはあるまい。
とある映画のように遥か未来のこの地に来てしまったのか?
そんなことが頭を過った時点で、一人で悩んでいても仕方がないと漸く気付き、この現状を生み出した張本人、全てを知るであろう御方のことを思い出した。
焦りが消えないながらも、この一年で慣れた動作で、鞄から全知全能の図鑑を取り――――出そうとして、自分の格好が一年前と全く同じ、学生服に鞄のみであることにも気付いた。
この世界では、皮や布製の衣類を身に纏い、バックパックに魔法鞄と全知全能の図鑑を入れて歩くのが標準になっていたのだが……?
やはり一年前にタイムリープしたのかと一瞬また惑うが、その答えを問うためにも、鞄から全知全能の図鑑を引っ張り出した。
俺の手の中には、すっかり馴染み深さを感じるようになった全知全能の図鑑が、変わらぬ姿で握られていた。
そして、この一年をともに過ごして来た女神、アルル様の聞き馴染んだ声もまた、変わらず俺の頭の中へと届いたのだった。
「アルル様!」
『……咲也さん。お目覚めになられたようですね』
「教えてください! 何がどうなって……これは一体……!?」
『先ずは、落ち着いてください。きちんと、説明を……』
「落ち着いていられませんよ!」
混乱と焦燥感に駆られ、声を荒げる。
だが、今回ばかりは仕方があるまい。余りにも不条理で、余りにも異常なのだから。
『……それでも、落ち着いてください。何が起きたのか、あれが何だったのか、私の意図も含め、お話します。今の状態のあなたでは、それが適いませんから』
その言葉で、改めて自分が冷静さを失っていることに気付く。
だが、気付いたところですぐに落ち着けるというものでもない。頭の中はゴチャゴチャだし、心は騒めいている。
深呼吸をして自分を落ち着かせようとするが、心が沸き立つようにそれを邪魔する。
冷静になろうとすればするほど、あることが頭を過って不安が大きくなっていた。
『あなたの心配するようなことはありませんから、ご安心を。あの少女や商人始め、あなたと縁のあった方々は殺されたりはしていません』
そんな俺の心を読み取り、アルル様が言葉をかけてくれる。
今、最も早急に知りたかったことは、正にそれだった。彼・彼女らの安否こそ、最大の懸念材料だったのだから。
だが、それに続く言葉に、俺の動揺はますます大きくなっていく。
『そもそも、まだ生まれてすらいません』
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
その意味するところは何なのか? それに気付けず、混乱の度合いだけが深まって行く。
頭の中が真っ白になりかける。
そして何も言えないまま、時だけが過ぎて行く。
それが、幸いした。
そのお陰で、時間を置くことで、少しずつ落ち着きを取り戻すことが出来たのだ。
それは、ゆっくりとした深呼吸を意識的に行えるだけの冷静さを俺に齎してくれた。
そうして、より一層深く呼吸をし、気持ちをある程度整えた俺は、改めて全知全能の図鑑、アルル様に向き直し、問うた。
「教えてください…………全て」
『……はい』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺は、アルル様に、思いつくままに問いを投げかけ続けた。
アルル様は、いつものように冗談めかしたり揶揄ったりせず、真っ直ぐに答えてくれた。
それが、きっと一年の旅を終えた俺への、アルル様なりの誠意なのだと思う。
「ここはどこですか?」
『お察しの通り、キノエ島バーバムの東、咲也さんが異世界転生した時に降り立った洞窟で間違いありません』
話しながらも全知全能の図鑑のマップ表示を見てみると、そこには“始まりの洞窟”と如何にもRPGっぽい名前が表示されていた。
それがこの世界の人によって名付けられたのか、アルル様などの神様に付けられたのかは分からないが、それよりも気になることがあった。
「マップが、消えてる……?」
俺が一年の旅で調べ歩いた地名、国名、国境線など、本来マップに表示されていたはずのものは、きれいさっぱり消えていた。
だが、違和感もある。一年前に初めてマップを使った時は、そもそも世界地図や未到達の島、国などは表示されてすらいなかった。
それなのに、今のマップには世界地図自体は表示がなされているのだ。
『以前とは、国も地名も異なりますから。改めて調べ直して、埋めていってください』
冷静さを取り戻した俺の頭に、なんとなく、勘が働き始めていた。
それを確かなものにするために、質問を続ける。
「ここが以前と同じ洞窟なら、あそこに見える集落は何ですか? 以前は無かったのに、何故あるんです?」
『この時代にはあります。ここは、あなたが初めて転生した時とは、違う時代なんです』
やっぱりそうか。最初に想像していた「事態が終息した後」ではなく、その逆だったんだ。
つまりここは――――
『……あなたが旅した異世界、そこよりも、過去の時代です』
――――俺は、恐らく女神様の力によって、異世界の更に過去へと飛ばされていたようだ。
シュリ、商人さん、フレイやフレイヤ、ガイドさん……。旅で出会った人々が、まだ生まれてもいないような、過去の時代へ。
この時代に、何があるというのだろう?
何か、俺が為すべきこと……為さなくてはならないことがあるのだろうか?
どうやら、質問しなければならないことは、まだまだ沢山ありそうだ。
次話は7月16日中に投稿予定です。その後は未定。
どうぞ、よろしくお願いいたします。




