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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第2章 セレンジシア樹海王国
8/42

王女フレイシア

 


 樹海での初実戦の後。班の代表を多数決で決めることになった。その結果は全員一致でレノアスに決まった。今回の実戦授業で獲物を一匹も仕留めていないのになぜだ、という問いに彼らは理由を話してくれた。


「そうね。一番客観的に班全体を見ていたし、大トゲネズミも真っ先に察知できたし。私はレノアスがぴったりだと思うわよ」


「え、理由ですか? そうですね。うひひ。僕を褒めてくれたことでしょうか。他の人をちゃんと褒めることができる人って代表に向いてると思うんですよ。うひひひひ」


「……レノアス、一番丈夫。それにルシエの友だち」


「はっはー! どうしてかって? そんなの決まってるさ。華麗な貴族の社交界で引っ張りだこの私には、班の代表をしている暇などないではないか」


 レノアスは個性豊かな彼らをまとめる自信はないが、これもある意味訓練かと思い引き受けた。



 ***



 それから一ヶ月ほど経ち、教室内の各班の関係も落ち着いてきた頃。レノアスはルシエとの特訓のため、授業が始まるよりも早く学院に来ていた。


「よし! 今日もはじめるか。じゃあまずは握手からだな」


「……うん。がんばる」


 ルシエは自分の右手に意識を集中し、ゆっくりとレノアスの右手を握る。バチッ! という音とともに紫色の電撃が二人の手の間をはしる。


「いって! 最近慣れたといっても、やっぱり痛いな」


「……ご、ごめん」


「気にすんなよ。俺から言い出した特訓だしな。それに今のは今までで一番よかったぞ」


「……レノアスのおかげ。少しずつできてる」


 ルシエはうれしそうにレノアスに微笑む。


 この特訓はルシエが無意識に出してしまう電撃を自分で制御しようという訓練だ。

 レノアスはルシエの発現能力が大きすぎて、制御できずに溢れ出していると考えている。

 実際に訓練してみると案の定そのとおりだった。


「いいか。大事なのは、相手に痛い思いをさせたくないという強い気持ちだ。それと身体の外に電撃が流れないような想像をするんだ。発現を使うときみたいにな」


「うん。わかった」


「よし! じゃあ、あと百回ほど練習だ」


 この訓練は順調に進んでいる。じきにレノアス以外でも触れることができるようになるだろう。


 小さい時から家族にも触れられることもなく育ったルシエは、人との接触に飢えていて、人との関係は全て握手から始まるようだ。

 レノアスが学院に来ると、一日に何度もルシエから握手を求められ、その都度電撃による激痛と幸福そうな笑顔を向けられる。

 おかげで痺れ止めの塗り薬が必需品になっているが、普段ほとんど笑わないルシエに、一時でも幸せな表情をさせたいと思ってしまう。


 今日の特訓を終え二人は七番教室に向かうと、そこにはすでにいつもの班員が揃っていた。


「おはよう、レノアス。今日もルシエの特訓かしら?」


「ああ。順調に結果を出しているからな。そのうち皆と握手できるようになって友だちになれるはずさ」


「うひひ。友だちの少ない僕としては、握手しなくても友だち認定してますけどね。うひひひひ」


「……あくしゅできる人が最低条件」


「はっはー! それはまた厳しい条件だね。私としても名家であるリソラウス家の友人は得たいところだが、感電して気絶は勘弁してほしいので、いましばらく待つことにするよ」


 そういう皆を尻目にレノアスは鞄から塗り薬を出して右手に塗った。

 フレイシアが興味深そうにレノアスの右手を見る。


「それって、いつも訓練の後に塗っているけど、自分で薬草を採取して調合するのよね?」


「ああ、薬草は街で買うと高価だからな。自分で採取してる」


「うひひ。ほんとレノアスさんって自立してるんですね。なんだか少し憧れますよ」


「ふん。樹海の中の野蛮な生活でも役に立つこともあるのだな。私は上流階級の生活なので、自分で採取する必要はないがな」


「……レノアス。いつも、ごめん」


「謝るなって。癖になるぞ。それにルシエが電撃を制御できるようになれば、発現の種類が増えて班の戦力も上がるしな」


 こうしてお互いに親しみを覚えはじめた仲間達。余り者としての共感もあるのか、個性豊かな者同士でもうまく付き合えている。


「そういえば今日、訓練が終わったら王宮に来いって王様に言われていたな。早めに寄ってみるか」



 ***



「おう、来たな少年よ」


 レノアスが王宮を訪れて少し待っていると、謁見の間ではなく貴賓室に通された。中に入るとくつろいだ雰囲気のシュナーザ王とフレイシアが座っていた。

 フレイシアは室内に入ってきたレノアスを確認し、王族の気品を漂わせ王に質問する。


「お父様、ご用事とはなんでしょうか?」


「ああ、たいしたことではない。少年も、まあ座れ」


「はい……」


 向かい合う親子のフレイシア側の隣に座り、王と向かい合う。


「それで少年よ、学院に入学してどれくらいになる?」


「ええと。一ヶ月半というところですね」


「そうか。学院はどうかな、楽しいか?」


「もちろん。戦技も学科も得るものが多くて自分のためになっていると思いますし、班の仲間と一緒に話したりするのも楽しいですね」


「おお。それは良かった。フレイシアはどうだ?」


「私は王女として国民に恥じないよう全力で励んでいますが、今日のお話と何か関係が?」


「楽しいか?」


「は?」


「楽しんでいるか?」


「はあ。学ぶことは自分の教養を高めるのに役立っていますので、有意義ではあると思います」


「……はあ」


 王は大きくため息をつきがっくりとうなだれた。


「え?お父様?」


「……ということなのだよ、少年」


「ああ、そういうことですか。分かりました。俺にできることなら協力しますよ。シュナーザ王」


「おお、わかってくれたか。やはりもつべきものは良き理解者よのう」


「そんな、おおげさな」


 なにやら勝手に分かり合っている男二人に訝しむ表情のフレイシア。


「……お父様。私にはお話が見えないのですけれど」


「まあ気にするな。それよりも本題に入るが……」


 シュナーザ王は真剣な顔になった。


「近々、ストラトフェルクへ王族の表敬訪問をする予定になっていてね。王家代表としてフレイシアに行ってほしいのだ」


「え!? でも私は学院もありますし、それにお兄様やお姉様達でもよろしいのでは?」


「王子はすでに公務が立て込んでいる。お前の姉達は知ってのとおり公爵家へ嫁いだので、いまは公爵家の者だ。王族代表で行けそうなのはフレイシアだけなのだ」


「……そうでしたね。でしたら王女として役目を果たしてまいります」


「そうかそうか。それでな、当然護衛の兵士は付けるが、少年にも随伴してもらいたいのだよ」


「え、俺ですか?」


「ああ。学院でも気心が知れている仲間だし、聞いたところではまた腕を上げたらしいではないか。近衛隊長が言っていたぞ」


「いえ、まだまだですよ。遺跡での訓練も目標の三割にしか満たない段階ですし」


「お主のそういう謙遜さもかっているのだ。ぜひお願いしたい」


「はい。俺でよければ喜んで」


「よし決まったな。それではもう日も暮れたことだし、この話はお終りにしよう」


 そういってシュナーザ王は政務に戻って行った。レノアスはフレイシアに送られ、共に王宮の正門に向かって歩いていた。


「ところでレノアス。お父様と何か通じ合っていたようだけど、私にちゃんと説明してよ」


「ん? 家族なのに父の前では口調が変わるんだな」


「それは父と娘である前に一国の王と王女だからよ。家族の気安さよりも大事なことがあるの」


「ふうん。そんなものかね」


「話をそらさないでもらえるかしら」


「ああ悪い。大したことじゃないよ。王は心配してるんだよ。お前のことをな」


「え?どういうこと?」


「……フレイシア。気づいているか?」


「なにをよ」


「昔からかも知れないが、俺と初めて会ってから今まで一度も笑ってないことに」


「え……」


 フレイシアは言われるまで気づかなかった。鏡は毎日見ているが、ここ数年自分がどんな表情をしているか意識していなかった。フレイシアは呆然として立ちすくんだ。


「だから王は聞いたんだ。楽しいかってな」


「……わ、私は。毎日、充実していると」


「そういうことじゃない」


 レノアスは背後で立ち止まっていたフレイシアに向き直り、少し困惑の浮かぶ美しい翠の瞳を真っすぐに見つめた。


「お前さ、なんか無理してるように見えるんだよな」


「え、……何を言っているのかわからないわ。……無理なんてしてないわ。決まっているでしょう?」


 フレイシアの瞳にはより一層困惑の色が濃くなった。

 レノアスはそんな王女にあきれたような表情を向けた。


「俺にはお前が本心を押し込めて、無理に自分を納得させながら王女として振る舞っているように見える」


「それは……」


 フレイシアは言い返せなかった。

 セレンジシア樹海王国の王女として恥じることのないように、自分の気持ちを考えないようにして生きてきた。

 自分よりも他人のため、国のために尽くすのは王族として当然の責務。

 態度には出していないはずなのに、出会って間もないレノアスに見透かされていたことに愕然とする。


「過去に何があったかは知らないが、自分の心を殺し続けると、そのうちすり減ってなくなるぞ」


 レノアスは優しくそう言うと王宮の正門へ一人で向かって行った。

 フレイシアは一人取り残され、考えこんでしまった。

 誰だって自分で進む道を決めて生きている。

 しかし、先ほどの彼の言葉で、自分自身を押しやり隠し続けてきた本心があることを思い出した。

 今さら王女として生きることからは逃げられない……が、最初に王女として生きていく、と決めたのは本当に私自身だろうかと。

 少しの思考の後、フレイシアは公務を思い出し我にかえった。


「今はそんなことを悠長に考えている暇はないわね。訪問の準備を進めないと」



 ***



 レノアスとフレイシアは芸術の都ストラトフェルクへ向かって、整備された街道を進んでいた。

 二人の乗る王族用馬車はさすがに豪華な造りだ。客室内の椅子や内装などは妥協の無い職人技が余すこと無く発揮されている。

 それに表敬訪問ということで、フレイシアはお姫様のように着飾っていてとても美しかった。

 事実お姫様なのだが、普段ドレスなどあまり着ない彼女は、レースとフリルで飾った自分の姿に違和感がある、と言って、左右から編みこまれ上に結い上げられた髪にしきりに手をやっていた。


「ん、見えてきたな」


「ええ、ストラトフェルクに来るのは何年ぶりかしら……」


 そう言ってフレイシアは近づくストラトフェルクの街並をぼんやりと眺めた。


「お前さ」


「ん? どうかしたの?」


「疲れた顔してるな」


「ああ、今回の訪問で必要な勉強をしてたの」


「ふうん。王女様って大変なんだな」


「当然よ。王族代表だから、失敗しないようにしなきゃ」


 そう言って両手を握りやる気を見せるフレイシア。


 馬車は街に近づき多くの人々で賑わい、活気のある商人達の声が聞こえてきた。

ストラトフェルクは樹海王国の芸術の都として有名で、大きな湖の湖畔に広がる街並は、セレンジシアとは趣きが違う。

 セレンジシアの街並は木造が多く、街全体が自然と共存しているため木々の緑が美しいが、ストラトフェルクは肌色の石造りの建物が多く、屋根も赤茶けた瓦屋根で、街全体が橙色だ。

 芸術の都というだけのことはあり、表通りには絵画や工芸品、装飾品や個性的な衣服の店が所狭しとひしめき合っていて、観光地としても人気があるのもうなずける。


 王女一行が向かうのは、ストラトフェルクの領主の館。

 五日間の予定は、領地の各地を視察したり、地元の人々との交流などもある。毎晩貴族達との晩餐会も準備され、主賓のフレイシアは挨拶回りは大変だが、王女としての責務だと張り切っていた。


 そうして美しい街並を見ながら領主の館に到着すると、正門の前で数人が出迎えてくれていた。

 馬車が止まりレノアスが先に降り、次いでフレイシアの手をとって彼女を外に誘導する。これが今のレノアスの立場だ。

 護衛兼、従者である。簡単にいえば側に仕える世話係だ。なのでレノアスもそれなりの格好をしている。

 近衛兵の制服でも使われる濃い緑をあしらった上品な服装だ。


 正門で礼をしたまま待っていた彼らは、ゆっくりと顔をあげる。その真ん中に使用人とは明らかにちがう、気品のある雰囲気の男性が歓迎の言葉を伝える。


「遠路をお越しくださり光栄に思います、フレイシア姫。辺鄙な場所ですが、お気のすむまでお過ごしください」


「お招きくださり、ありがとうございます。ヴェストン卿。私も今回の訪問を楽しみにして参りました」


 恭しく挨拶をしたこの貴族の男性は、ヴェストン・シルフ・ストラトフェルク公爵。この領地の領主で、王国三大公爵家の一つストラトフェルク家の当主である。

 元々長耳族は大きく分けて三つの氏族からなる国で、その氏族の長が三大公爵家を代々治めている。

 彼は金色のしなやかな髪の美男子で、物腰も柔らかく貴族特有の傲慢さも感じない。いかにも女性に人気のありそうな男だ。


「お部屋までは当家の使用人がお連れいたしますので、私はこれにて執務に戻らせていただきます。夜は晩餐会が予定されておりますので、そちらでまたお会いしましょう」


「お気遣い感謝いたします」


 そういうと優雅な所作で先に館に入って行く。

 レノアスはあそこまで洗練された美しい動きは、すでに芸術の域だなと感心した。


 使用人の案内でかなり広い館の中を進むレノアス達。内装も豪洒で随所に彫刻や絵画が飾られている。まるで美術館のようだ。

 レノアスがきょろきょろと視線を彷徨わせていると、フレイシアはやんわりと小声で注意した。


「……ちょっと、レノアス。恥ずかしいから、あまり変な動きしないでよ」


「ああ、すまない。今まで芸術にふれたことがなくてな。それにしても壮観だな。芸術の知識はあったが、実際に見ると印象が全然違うんだな」


「はあ。樹海で一人暮らしの気楽なレノアスに芸術は縁がないわよね。驚くのも無理はないか……」


「おい、いまなんか、失礼なこと言わなかったか?」


「いいえ、気のせいよ。樹海で暮らす人に芸術の素晴らしさを知ってもらって嬉しいと言っただけよ」


「あー、絶対樹海をバカにしてるだろ。樹海だってなここの芸術に負けないくらいにすごいんだぞ」


「はいはい、わかりました。ほら部屋に着いたわよ、荷物持ちさん。ちゃんと落とさず運んでね。晩餐会用の装飾品も入っているから」


 そういうとフレイシアは手首だけ振って、レノアスに荷物の搬入をうながした。

 レノアスは、覚えてろよと心の中でつぶやき、創製で作った空中に浮く板に乗せた大きな荷物十個を部屋に運び込む。レノアスの仕事はここまでだ。あとは数人連れて来た侍女がフレイシアの身の回りの世話をする。


「夜まで時間があるわね。どうしようかしら」


「街でも見物したらいいんじゃないのか?」


「……そうね。身軽な服も持って来てるし。そうしようかしら。じゃあ一時間後に正門前で集合ね」


「え、俺も行くのは決定か?」


「それはそうでしょう。護衛なんだから。それにストラトフェルクの街を見る機会なんて、そうそうないわよ。見識を広めるという点でも付いてくるべきね」


「はあ。おおせのままにフレイシア姫」


 レノアスは恭しく礼をする。


「よろしい。じゃあ先に行って待っていて。着替えてから向かうわ」


 それからフレイシアと、人間族と気づかれないようフードを被ったレノアスは二人で街に向かう。

 なぜ護衛はレノアスだけかというと、表向きは護衛達が疲れていたので休ませるということだが、実際は堅苦しいのが嫌なフレイシアのわがままである。


「おお! 見てみろよ、この壷、すごく細かい装飾だぞ。あっ! あそこの似顔絵も領主にそっくりだな。うは! これ見てみろよ」


 レノアスは大はしゃぎで店を見てまわる。近くでは恥ずかしそうに周囲を気にするフレイシアがいるが、そんなことよりも、見たことも無い品々に樹海育ちの好奇心はおさまらなかった。セレンジシアにも工芸品や芸術品は当然あるが、実際に見に行ったことはなかった。


「ちょっとレノアス。あまりはしゃがないでもらえる? 田舎者丸出しじゃないの」


「いや、でも見てみろよ、この硝子の皿。絶妙な青と緑の陰影が醸し出す生と死のせめぎ合いみたいな……」


 レノアスがすぐ側にある群青色の大皿を指差していると、店員が驚いた顔で話しかけた。


「へえ、お客さん。美術品を見る目があるね。その皿は最近売れ出した新進気鋭のの芸術家の作品でね、作品名が生と死の陰影という名前らしいよ」


 レノアスの見立てが当たったことに驚くフレイシア。


「え、本当なの?」


「店のおっちゃん。この腕輪もなかなかだな。なんというか湖の清涼さが込められているような澄んだ蒼。この文様は繁栄をあらわしているんだったかな。そうだな、蒼き繁栄のストラトフェルクみたいな名前かな」


「え!? 驚いたよお客さん。そのとおりだ。新作だから誰も名を知らないはずだが、作品名をぴったりと当てるなんてすごいな。いままでそんな人いなかったよ」


 店員は驚愕で目を見開いている。


「そんな難しいことでもないよ。持ってる知識と作者の気持ちを考えただけさ」


 そんな店員とのやり取りを横に、美しい品々を眺めるフレイシアは、「何も浮かんでこないわ」と一人で呟き、人知れず敗北感に落ち込むのだった。


「樹海の住人に……王女のわたしが負けるなんて……」



 ***



 初日の夜の晩餐会。多くの貴族達が参加する豪華な宴は、静かな音楽とともに行われていた。


 フレイシアも豪華なドレスに着替え、貴族達と完璧な笑顔で挨拶を続けている。人間族であるレノアスは珍しがられ、彼女の後ろに控えているので好奇の目にさらされている。さすがに上品な貴族達の面前で人をののしったりはしないようだが、視線には嫌悪や忌避が現れているのをレノアスは見逃さない。

 そんなレノアスに小さく耳打ちするフレイシア。


「……悪いけど我慢してね」


「ああ気にしてないさ、いつものことだ。それよりフレイシア。なんか顔色が悪くないか?」


「え?別に何も感じないわよ」


「……そうか。ならいいんだが」


 そこに当主のヴェストンが近づいて来た。


「フレイシア様、楽しんでらっしゃいますか?」


「ええ、ヴェストン卿。お料理も美味しいですし、先ほども街に出かけて楽しく過ごせていただきました」


「それはなによりです。よろしければ、ご紹介したい方々がおりまして」


「ええ。もちろん、かまいませんわ」


 それからフレイシアは何人かの貴族と顔合わせをし、産物の話や流通の話、貴族の間の流行など様々な話題にも受け答えしてみせた。それからも次々と他の貴族達に囲まれ、話題の中心になっているが、そつのない対応で完璧な王女として振舞った。


 宴も終わりフレイシアとレノアスは二人で自室に向かう。


「フレイシア。貴族の晩餐会っていつもあんなに忙しいのか?」


「ええ、そうよ。今回の訪問の目的はこの地方の貴族と親睦を深めたり、要望を聞いたりすること。つまり信頼関係を築くことね。時には牽制するような話もすることもあるわね」


「そうか。なんか難しそうだな」


「樹海育ちのレノアスには荷が重いかもね」


「あ、またバカにしただろ。これでも元は貴族なんだぞ」


「冗談よ。レノアスは礼儀作法もしっかりできてるし、貴族達にも気を配れているから問題ないわよ」


「それにしても頑張りすぎてないか? 夜遅くまで起きているようだし」


「そうね。貴族との繋がりを維持するには、この土地のことや各貴族家の特徴なんかも、知っておかないと話にならないのよ。そのために調べものをしているの」


「大丈夫ならいいんだが……」


「王族代表として訪問しているから、私の失敗は王家の恥となるの。だから私が完璧でなきゃいけないのよ」


 するとフレイシアは平坦な通路なのにふらりと体勢を崩す。あわててレノアスが抱きとめた。


「おいおい、本当に大丈夫なのか?」


「……大丈夫よ。ちょっと目眩がしただけだから。眠ればちゃんと治るから」


 そういってレノアスの腕の中からゆっくりと離れる。普段はつけない大人びた香水の香りがした。


「そうか、今日は早めに寝るんだぞ。いいな」


「ふふ。ありがとう優しい従者さん」


 フレイシアは少しいたずらっぽく笑い自室に入っていった。

 それでもフレイシアは完璧にこなそうと毎夜遅くまで調べものをしていた。四日目の湖周辺の土地を視察していた時、ついに無理がたたったのか高熱をだし倒れてしまった。あわてて領主の館に戻り、あてがわれた部屋に寝かされた。

意識がはっきりしない中、レノアスに語りかける。


「……レノアス。……ごめんね。迷惑かけちゃって」


「俺が調合した薬は飲んだが、まだ熱は高いんだ。ゆっくり寝てろよな」


「……ええ。わかってる。でも、夜の晩餐会にはなんとか出席しないと」


「は? なに言ってるんだ。疲労で熱まであるのに、そんな状態で出たらもっと悪化するかもしれないだろ」


「……でも。最終日にしか、顔を見せない貴族もいるし」


「それよりも自分の身体のほうが大事じゃないのか?」


「……王国の代表が、体長管理もできないなんて思われるのは……、信用にかかわるのよ。だから……」


「無理をしてでも行くと?」


「……無理じゃないわ」


 レノアスはフレイシアの弱々しいが決意のこもった瞳に危うさを感じた。


「でもさ、ここに来る前から訪問の準備であまり寝てないんだろう? シュナーザ王から頼まれてから、学院でも疲れた様子を周りに気づかれないように隠してたようだしな」


「……見抜かれてたのね」


「お前さ、もう少し自分を大事にしろよ。これからも王女としての役割は沢山あるんだぞ。そのたびに倒れるほど無理をしていたら、そのうち本当に死んじまうぞ」


「……大丈夫。次はもっとうまくやれるわ。次は倒れないように完璧に振る舞ってみせる」


「実務を行う役人だっているんだ。王族の代表としての立場もわかるが、おまえがそこまでしなくてもいいんじゃないのか?」


「……他の人じゃ、駄目なのよ」


「え?」


「王女フレイシア・エルフィス・セレンジシアが完璧でないとだめなのよ」


「なんでそんなに完璧さにこだわるんだ。どうしてそこまでしなきゃならないんだ?」


「……それが母の遺言だから」


 フレイシアはレノアスに向けていた瞳を天井に向け、何かを思い出すように虚空を見つめ静かに語りだした。


「……母は、私がまだ小さい頃、私のために命を削って死んでしまったの」


 レノアスはフレイシアの熱で紅潮した顔を見つめ、言葉に耳を傾けた。


「……私は今では健康に生活を送れるけれど、小さな頃は病弱だったらしいわ。父の三人目の王妃だった母には、私しか子供は産まれなくてね、いつも愛情を注いでくれていた」


 フレイシアの表情は愛されていた日々を思い出し、柔らかさが浮かぶ。しかし話を続けているうち徐々に表情が消え、悲痛な色が滲みはじめた。


「私が五歳になった頃、高熱がでて一週間眠り続けたことがあったの。手を尽くした医者はこれ以上熱が続けば命にかかわると母に知らせたわ。すでに娘を心配して心身ともに憔悴しきっていた母は、縋ってはいけない存在に縋ってしまった……」


 フレイシアの声にかすかに怒りがこもる。


「……銀獣。願望叶える怪蝶グランティウィスに」


「……!!」


レノアスはその言葉に眉根を寄せ、不快感をあらわにした。


「医者や使用人達もいた私の部屋に突如現れ、自らその名を告げた蝶の銀獣は母に取引を持ちかけた。『娘の命を助けたければ、その命の価値にふさわしい代償をよこせ』と」


 その銀獣は具体的な代償を要求してこなかった。それでフレイシアの母は自分の寿命を代償とした。娘の年齢と同じ五年の寿命を。それからすぐにフレイシアは回復したらしい。


「だけど、病弱な私はその後もたびたび病で床に伏せた……」


 その都度銀獣が母に現れ、母は迷わず娘の歳の数と同じだけ、自分の寿命を代償にしてフレイシアの病状を回復させたという。

 そしてフレイシアが七歳になったとき、母の寿命は尽きた。


「……亡くなる直前に母は私に言ったの。……立派な王女になって幸せに生きてねと……」


 レノアスは大体の話を聞き終え口を開く。


「……だから母親のために完璧な王女にならなければいけないと?」


 フレイシアは視線をレノアスに戻し、薬が効いてきたのか眠たそうにささやき声で続けた。


「……母は私を、その命を代償にして愛してくれた。……だから、……わたしも…………」


 フレイシアはそのままゆっくりと眠りに落ちていった。

 レノアスはフレイシアの言葉に五年前のことを思い出した。ラーナを連れ去った獣人達も自らの命を犠牲に捧げ、国を救おうとしていた。そのときにも感じた違和感をフレイシアの望む完璧さにも感じていた。


「誰かのために自分を犠牲にすることは高潔な生き方だ。お前が選択した生き方を俺がとやかくいうのは筋違いだろう。だが……」


 レノアスは、寝息を立てるフレイシアの顔の汗を拭き、乱れた金色の前髪を払った。そのまま悲痛な表情で、まだ幼さの残る王女の寝顔に問いをなげた。


「……どうしてそんなに辛そうなんだ」




 ***




 その日の夕方にはフレイシアの熱も下がり、万全な状態で晩餐会に臨んだ。多くの貴族との情報交換も無事に終わり、月明かりに照らされた廊下を客室に向かって歩いていた。


「レノアス、本当にありがとう。おかげで助かったわ」


「ん? あの薬草のことか?あれは滋養強壮効果があって、長期間の狩りの時に飲んだりするものなんだ。素材換金所の人から教わったんだよ」


「そうなの。まさかレノアスに助けられるとはね。私もまだまだね」


「……今回だけだぜ。本当に心配したんだからな」


 レノアスはフレイシアへ真剣な表情を向けた。

 フレイシアはその深い優しさのこもった瞳に一瞬胸が高鳴り、頬を赤らめ視線をそらす。


「うん……」


 自分の意外な反応を「まさかね」と心の中でごまかし、部屋に向かう。明日にはここを出発し王都に帰る旅だが、まだまだやらなければいけないことがある。客室の扉を開け中に入ろうとした時、レノアスは呼び止めた。


「なあフレイシア」


「ん? どうかしたの?」


「辛い時はさ、頼ってくれよ」


「え?」


「俺にできることなんて少ないが。お前のためなら手伝うからさ。だから」


 レノアスはその先を口にするのをためらった。今まで何度か伝えた気遣いの言葉は、どれも今のフレイシアには届かなかったから。言葉に迷っているレノアスに、先にフレイシアが声をかけた。


「大丈夫よ。次は必ず完璧にしてみせるから」


 そう言い残し客室に入って行くフレイシア。

 その言葉に無力感を感じ、はがゆさに眉根を寄せるレノアスだった。

 レノアスは閉じた扉に小さく声をかける。


「……自分を大事にしてくれよ」


 次の日の早朝、当主のヴェストンに見送られ、彼らはストラトフェルクの街を後にした。

 フレイシアの体調は回復したようで、顔色も良かった。

 レノアスは馬車の外の景色を見ながら考えていた。フレイシアの危うさは、小さな衝撃で壊れる硝子の彫刻のようだ。

 レノアスはこのまま何事もなければいいがと思い、王都へ続く道を眺めた。





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