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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第1章 物語の始まり
5/42

突然の出会いと別れ

 



「そこにいるお前の妹を寄越せ……」


 レノアスは一瞬言葉の意味が分からなかった。


「え!?」


 ムジカは淡々と語る。


「決して悪いようにはしないと約束しよう」


「ええ!? 何を言って……駄目に決まっているじゃないですか!」


 そこでムジカはレノアスの後ろに視線を向けた。

 ラーナはその鋭い視線を受け、小さな悲鳴を上げて急いでレノアスの背中に顔を埋め抱きついた。


 レノアスは可能な限り冷静を装い優しく呟く。


「……大丈夫だよ、ラーナ」


 今の時点では全く根拠の無い言葉だったが、兄として可愛い妹の為に言うしかない。

 レノアスは視線をムジカに定めつつ十個の立方体を創製し、殺意や戦意は出さずに戦闘態勢を維持しながら話しを聞く。

 後から出て来た獣人達は周囲に浮く立方体に少し驚いたが、ムジカは動じた様子も無く淡々と話しを続けた。


「我々獣人にはその子が必要だ」


 背中ではラーナがビクリと震えたのが分かった。

 レノアスは今の自分では到底敵わないであろう赤髪の獣人を、出来るだけ言葉を選び、刺激しないよう聞き返した。


「……どうしてなのか、聞いてもいいですか?」


 一時の間をおき、覚悟を決めたように語り始めるムジカ。


「お前の妹は銀獣を従える者、カタワレの資質がある」


 ムジカは俯き悲痛に眉根を寄せた。薄暗い樹海に茂る湿った草葉が、そんなムジカの表情をより暗くする。


「銀獣?」


「そうだ、銀獣とは人に害を与える化け物だ」


 前に呼んだ古い本に書いてあった記述を思い出す。

 女神アーファに敵対した魔神の生み出した化け物が十二体いたという。それはアーファを大いに悩ませ、魔神とともに忌避されている存在だったはず。


「我らの国にはカタワレと呼ばれる銀獣を従える者がいた。しかし今から六年前、先代のカタワレが天寿を全うされた後、カタワレという抑止力を失った銀獣は暴走をはじめた」


 レノアスは真剣に耳を傾ける。


「その暴走した銀獣によって、数えきれない程の多くの死者が出た」


 多くの死者という言葉のところで一層表情に悲壮さが見て取れた。誰か大切な人でも亡くしたのだろうか。


「我らはカタワレの死後に生まれるという後継者を探して、世界中を探した。そして……」


「……ラーナを。僕の妹を見つけた、と」


 ムジカは強い眼差しでレノアスの瞳を捉え頷く。


 背中のラーナは顔を埋めたままだが、ムジカの視線を向けられ怯えた様に、腕により強く力を込める。

 ムジカは懐から小さな球体の蒼い石を取り出し、レノアスに見せようと腕を伸ばした。


「これは先代のカタワレがお作りになったもの。銀獣の眼を材料にして作られたカタワレを探す為の道具だ。カタワレの資質を持つ者が近づくとこのように光を放つ」


 その石は中心部になるほど濃い蒼色でゆらゆらと美しい光を放っていて、すぐ近くにカタワレがいることを示していた。

 そのことを証明したあと懐に蒼い石をしまい込む。


「実は一ヶ月程前には君たちを見つけていたのだが、屈強な男達が側にいて容易に近づけなかった。それでお前達が男達から離れたのを確認し追って来た」


 屈強な男達というのは傭兵団のことだろう。


「でも、ラーナにこだわる必要はないのでは? 他の場所を探し」


「いない」


「え?」


 ムジカが静かにレノアスの言葉を遮った。

 決意と焦燥が浮かぶ瞳に射抜かれて言葉を失うレノアス。


「太古からカタワレの継承者はただ一人しか生まれない」


 周囲の獣人達もそれぞれに苦悶の雰囲気を漂わせた。

 レノアスは何を言っていいのか分からなくなっていた。獣人達が纏う焦りの感情からも、獣人の国はかなり差し迫った状況なのだろう。しかしラーナと離れるわけにはいかない。


「……ぼくが一緒にラーナに付いて行っても?」


「悪いが」


 レノアスがラーナに付いて行けないのは予想はしていた。自害してまで他種族からの干渉を許さない獣人達がカタワレ以外の余所者を招くとは思えなかった。


「じ、じゃあ直ぐに帰って来れるなら」


 ムジカの金色で美しい瞳は瞑られ、ゆっくりと首を振る。


「……一度カタワレが我が国へ入ったなら、カタワレが死に後継者が必要になるまで扉は開かれないだろう」


 そして目蓋を少しだけ開け、虚空を見つめるように説明をはじめた。


「我らの国に出入りするには代償が必要になるんだ」


「代償? それは、どういう?」


「我らの国はこの世界とは違う空間。境界という不安定な空間に隔離されている」


 当然レノアスは初めて聞く話しだ。ムジカの決意に満ちた双眸から見ても、他言するのは禁じられているのかもしれない。レノアスは続けて説明されたことで心を痛めた。


「その境界への扉を開くための代償となるのが、我らの、獣人の命だ」


 ムジカは自分の心を搾るように言葉を紡いだ。

 レノアスはその代償の真実を確かめるように、周囲の獣人達に視線を向ける。

 彼らは一様に黙したまま何も語らない。

 その時、獣人達から溢れ出た悲しみに、本当の意味で彼らがここにいる理由を知った。

 レノアスが最近実感した、行動を促す強力な動機。それは大切な者の為にという理由。

 彼らは悲しみを押し殺し、多くの仲間の為に少ない仲間を犠牲にするという矛盾の中で戦っている。これがレノアスが彼らに感じた強さなのかもしれないと思った。


「でも、それって……正しいんですか?」


 レノアスは当然の疑問を口にした。

 ここに立つ獣人達は過去この問いに答えを出し、心の棘を踏みしめ前進することを選んだ者達。

 仲間の犠牲を許す彼らの考えはまだレノアスには分からない。

 そんなレノアスに諭すように狼獣人が低い声で唸るように呟いた。


「……正しいか、間違っているかは問題じゃない。しなきゃならないんだ」


 ムジカはレノアスの純粋な瞳から目を背け、狼獣人の言葉に続けて話す。


「だがその子がカタワレになってくれれば、銀獣による死者は無くなる。多くの同胞の犠牲も報われる」


 ムジカは昔を思い出すように瞑目し、強く美しい瞳を見開く。

 その金色の双眸には代償となっていった仲間達に対する罪悪感と、それでも進もうとする決意の色。そしてムジカは初めから変わらぬ決意の瞳を向けた。


「他人の我らを気遣ってくれるレノアスに感謝を」


 レノアスはもう言葉を発することはできなかった。

 彼らは国の為ならば戦闘も辞さないだろう。それだけの代償を払ってここに立っている。

 問答無用で襲ってこないのは、彼らなりの矜持があるのかもしれない。

 既に彼らの決意が本物だと確認した時点で結論は出ていたのだ。彼らに譲歩はない。

 それに彼らは強い。

 もし戦うことを選び、ゼラードを倒した時の能力を発揮出来たとしてせいぜい互角。ラーナを守りながらの戦いをするなら明らかに負ける。

 彼らの足の速さを考えるに、全員を相手に逃げ切るのも不可能だ。

 

 ムジカはそんなレノアスの苦悩する表情を和らげるべく話しを続ける。


「例え種族が違おうとカタワレは敬われ不自由は無い。それに人間族の寿命の数倍は長く生きることも可能だ」


 その長く生きるという言葉の前に、幸せにという条件が付いたなら良いことだが。


 後ろではラーナが首を背中にうずめ横に振っていた。唯一の家族はレノアスだけで、そのレノアスがいないなら、どんな素晴らしい世界でも色あせるだろう。


「……ラーナ。ラーナはどうしたい?」


 ラーナは何度もレノアスの背中で首を振り否定している。


「……聞くまでもないか。やっぱりそうだよね」


 獣人族の境遇には同情するが、レノアスの優先順位はラーナと共に過ごすこと。ラーナのため、そして自分もラーナと一緒にいたいという思いのために、やはり戦うしかないのかと唇を噛み締めるレノアス。

 ラーナを奪われないように戦えば、確実に死ぬか大けがを負うだろう。


「同情はします。ですが、ラーナは渡せない!!」


 レノアスは創製できる最大数の三十の重い立方体を瞬時に作り、自分とラーナに獣人達が近づかないように周囲に展開した。


 ムジカは既に誠意は示したという風に仲間達に頷くと、周囲の獣人達も頷き合う。

 そこでレノアスはある物に気づき目を見開く。


「え……それは、なんですか!?」


「ん? それとは?」


 ムジカは気づいていない。

 レノアスの視線が自分の背後上方を見据えて硬直しているのに気づき、何気なく振り向いた。

 

銀色の魚が音もなく空中に浮いていた。

三十センチ程の銀色の魚で、丸い魚眼は蒼く光を帯びている。その蒼い目はムジカが見せてくれた石と似ていた。薄暗い樹海の中を泳ぐように飛ぶと、眼から漏れる蒼い残光が線を引いている。

 レノアスが驚愕しているのは宙に魚が浮いていたからではない。視界に入るまで気づかない存在感の無さに驚いていた。

 鋭い五感のレノアスでさえ存在を感じられない不気味さに背筋が凍る。とにかくこの魚には関わってはいけない。直ぐに逃げるべきだと忌み子の全感覚が拒否反応を示す。

 銀の魚を見たムジカは直ぐに叫んだ。


「銀獣だと!? なぜここに!!」


 周りの獣人達とほぼ同時に戦意を爆発させ、腰に携えた鋭い針のような武器を持ち、レノアスとラーナを守る様に背後に庇う。

 狼の獣人が低い声で唸る。


「……扉を開いた時には気づかなかったがな」


 熊の獣人が話す。


「元々気配が無い奴だ、我らに気づかれず後を付けていたのだ」


 狐の獣人も緊張した声を出す。


「でもよ、どうしてこっちの世界に来てんのさ」


 ムジカは顔をしかめる。


「恐らくだが、自分を従えることの出来るカタワレが邪魔で、カタワレとして目覚める前に殺したいのだろう」


 魚は伺うように光る蒼い魚眼を、ゆらりと泳ぎながらこちらに向けている。

 すぐ側でドサリと何かが倒れる音。レノアスは音のしたほうに視線を向けると、狐の獣人が苔むした地面に倒れ動かなくなっていた。外傷は無い。


「え!? 何!?」


 獣人達は倒れた仲間に視線を向けない。なぜなら彼らはこの魚の恐ろしさを知っているからだ。彼らの国を恐怖に陥れている元凶そして魔神の使いである十二の銀獣の一匹。

 彼らは煮えたぎる憎悪を魚に向け、ラーナを守ろうと人壁を作る。その瞬間にも一人の獣人が倒れた。

 魚の動きには変化がみられないが、状況が理解できないレノアスに、ムジカが強い声音で告げる。


「既に猶予はない! 本当に悪いと思うが仕方が無いのだ!」


 その言葉はレノアスに向けての言葉だったが、自分に言い聞かせている様にも聞こえた。

 ムジカは自らの戦意を増幅させ、肉体の枷を解くため野性的に犬歯を食い縛り、先祖から受け継いだ血の契約を自身に纏う。


獣化シェロモラ! 紅き猛虎の穿牙とならん!!」


 何処からとも無く輝く銀糸が絡み付き、ムジカの身体を繭のように包んでいく。完全に全身が包まれると直ぐに強い光を放ち繭が霧散した。

 そこにはレノアスがムジカと初めて相対した時の紅い虎の獣人がいた。その紅い虎からは獰猛な獣のようではなく、研ぎすまされた刃のような鋭さに加え、荒々しくも全てを包み込む大自然の雄大さを感じる。

 その姿に気を取られていた隙に、狼の獣人がいつの間にかラーナの背後に近づいていた。彼はラーナのうなじを軽く叩く。するとレノアスを抱きしめていた小さな手の力が抜け、狼獣人がラーナを連れ去ろうとした。


「何をする!!」


 レノアスは宙に浮かしていた三十個の立方体を狼獣人に撃ち出すが、狼獣人は首と身体の向きを最小限に変えて容易に躱した。狼獣人の手首を掴みラーナを取り返そうとするが、熊の獣人に背後から羽交い締めにされ、レノアスの手はスルリと空を切る。

 必死に抵抗するがびくともしない力。常人よりは強化されている忌み子の力でも外せない拘束に、なんという腕力だと必死でもがく。


 そのやり取りの間にも、他の獣人がまた一人脱力して倒れる。

 数人の獣人達が針のような武器を構え魚に肉薄する。やはり思った通りの速さで銀魚に迫る。

 ムジカが銀魚に向かう仲間に声をかけた。


「針で目を狙え! 砕けばしばらくは動かない!!」


 銀の魚は怯える様子も無くフワフワと宙を泳いでいる。


「シャァァァー!!」


 猫獣人の女が低い姿勢のまま蒼い魚眼に狙いを定め針を突き込む。

地面が小さく爆ぜる程の俊足。


「捉えたか!?」


針が刺さる寸前、銀魚は泳ぐ速度を倍加し残像を残して回避した。

 続いた二人の獣人も見事な連携と軌道で針を突き込むが全てかわされる。

三人の完成された連携をもってしてもその不気味な魚は地に伏さない。

 レノアスを羽交い締めにしている熊の獣人と戦闘中の三人をその場に残し、他の獣人達は手際よく何かを準備していた。

 獣化した紅いムジカは黒い大猿に覚悟を訊いた。


「やれるかガタカン!」


 大猿は分厚い胸板を片手の拳でドンと打つ。


「うむ!」


 その覚悟とは境界に帰るための扉の鍵になる覚悟、つまり生け贄になって扉を開く役割を担うことだ。

 この間にも、戦っていた二人の獣人の目から生気が失われ、倒れる。

 ムジカは瞑目し荒々しく唱えた。


開門オプニゲーテ! 刻印されし境界への鍵!! メイニエにし摂理の瞑壁を超越せん!!」


 その光景は危機的状況にあってもレノアスを驚愕させた。

 虚空に輝く銀粉が集まり、高さ五メートルの独特な文様の刻まれた巨大な扉が、煉瓦を積み重ねる様に存在を露にしていく。不思議なことに輝く荘厳な銀の扉は、小規模ではあるが周囲の草木を徐々に茶色に変え枯れさせていった。

 すると黒い巨体の猿獣人の背中から何やら光る文字の羅列が浮かび上がり、次の瞬間には全身が徐々に銀の粒子に変化し、扉に吸い込まれるように消えて行く。

 ありえない現象にもがきながら驚くレノアス。何かが地面に落ちる音にその場所を見ると、猫の獣人が人形のようにだらりと動かなくなっていた。

 未だ動けないレノアスは、周りの異常事態に命の危険を感じつつも、扉へ急ぐ狼獣人と担がれるラーナを凝視する。


「くっ! このままでは連れ去られる!!」


 レノアスは重い立方体を熊獣人に撃ちつける。しかし三十もの重い凶器に殴打されてもその巨体は揺るがず、レノアスを押さえる力も一向に弱くなる気配がない。


「くっ!! この! 放せ! 放せよ!!」


 何度も何度も撃ち叩いても動じず黙したままの、熊獣人の拘束にレノアスは焦る。

 既に大猿の獣人の身体は全て銀の粒子になり、扉に取り込まれた。

 目の前で行われた、人を生け贄に捧げ扉を開く解錠方法に、おぞましさを隠せず焦燥感もともなって悪態をつくレノアス。


「ひ、ひどいやり方だ!! こんなことが許される訳が無い!!」


 半分気を引くために発した言葉も虚しく、扉が開き始め地鳴りのような低く鈍い音にかき消される。

 開いた扉から乾いた突風が流れ込み、その場の木々の匂いを薄めた。ムジカの言うようにあの扉は別の場所に繋がっているのだろう。

 ラーナを肩に抱えていた狼獣人が足をもつれさせたのか、扉に辿り着く前に跪き、疲労したような声で少し喉を唸らせてから、すぐそばのムジカに呼びかける。


「……たの……む」


 ムジカはしっかりと頷き、迷わずラーナを肩に担ぎ扉に向かう。

 そして後ろを振り返らずに「任せろ」と告げた。その一言を最後に、狼獣人は意識を失い倒れた。


「セド! イシズメ! 来い!」


 ムジカの言葉とともに木々の上から何かが扉に入った。一瞬見えたのは黒い羽、速くてはっきり見えなかったが蝙蝠の獣人だろう。

 今まで黙していた熊獣人も「おう!」と返答する。熊の獣人が扉に向かおうと、レノアスの拘束を解く。しかしそれは意図したものではなかった。

 熊の獣人は真後ろにドスンと倒れ、生命活動を停止した。

 レノアスはラーナを取り返そうと全力で走りだそうとした。

だが……、そのまま地面に顔を打ち付ける。

 自分の意志を介さない身体に戸惑いながら、起き上がろうと顔を上げた時、消す意思もないのに創製した立方体が全て霧散した。


「なんだ、これは……」 


レノアスも銀獣に攻撃されていた。

困惑と焦燥と驚きの中で、動こうとするが力が入らない。

視界の端でムジカが悔しさに表情を歪ませているのが見えた。

扉がゆっくりと閉まる。

しかしレノアスの身体は動かない。

ラーナが連れ去られようとしているのに、最も大事な家族を奪われようとしているのに何もできない。

 身体は脱力していても、頭の中は様々な感情で爆発しそうなのに。

 自分のふがいなさに絶叫したいが、それも出来ない。

 大切なものを失う間際に思い出されたのは、両親が殺される時やゼラードと戦った時に聞こえた声。心の奥底から力を与えてくれた声は、今、いくらレノアスが呼びかけても響かない。

 そんなに都合良く力が発揮されるわけないかと苦笑し、完全に閉まり銀の粒子になって消えて行く扉に向けて呼びかける。


「……ラー、ナ。ごめん、よ……」





 しばらく後、樹海の巡回をしていた長耳族の軽装の兵士が五人。獣人達の亡きがらが転がる惨状を見つけた。


「ん!? 隊停止」


 五人が一斉に停止する。地上を三人、木の枝の上に二人。

 地上の三人のうち隊長と思われる真ん中の一人が手信号で合図する。

 五人は警戒態勢で速度を緩め進んで行くと十体の死体が伏していた。


「二人は見張り。二人は私と共に身元の分かるものを探し状況を記憶せよ」


 木の上の二人は周囲を警戒するため見えなくなった。隊長は死体に近づこうとして気づく。


「ん? 何故だ? この周囲だけ円形に草木の命を感じない」


 しばし眉根を寄せていたが他の二人と共に死体を物色する。


「獣人とは珍しいな、それも十人……。いや、九人と人間族の少年が一人か」


 死体には武器と思われる針と独特の文様が織り込まれた外套。他にめぼしいものは無い。


「外傷はなし。野生動物に襲われたのではないな」


 隊長は人間族の少年の死体に近づくと持ち物を物色するが食料以外特にない。


「なぜ人間族がこんな樹海の奥に。それも少年で」


 長居をすると肉食獣が集まり非常に危険なので、素早く情報を収集し集合する。


「……よし終わったな。一度報告に戻るぞ」


 五人が集まり街の方向に戻ろうと少し進んだ所で異音を捉えた。


「隊停止、静音」


 隊長が音のする方へ注意を向けると、そこには咳き込む少年がいた。


「い、生きている!? しかし先ほどは……ひとまず連れて行くか」


 直ぐに手信号で部下に少年を運ばせる。来た道を戻る道すがら部下が質問した。


「隊長、少年とはいえ人間族を街に入れて良いのですか?」


「ああ仕方が無い。これは人間族と結ばれた約定だ。まずは回復してから事情を聞き、完治したらニドレラ平原まで送ってやればいいさ。大丈夫だ。まだ小さい。驚異にはならないだろう」


「了解しました」


 五人の兵士はそのまま樹海の深部へ入った。



***



 ここは暗闇。レノアスの夢の中の闇。表層から遠く精神の最も深い位置。五感は全て機能しない。何もかも曖昧な場所。

 自身の意識だけが永遠に虚無を漂うような感覚のレノアス。

 傷を負い昏睡状態で深い眠りについているレノアスは、自分の中の別の存在に気づく。

 暗闇の中から声が聞こえる。


「少年よ」


「……誰……?」


「我は人の心に宿りし存在」


「……ああ、心の声の主ですか」


「肯定する。聞きたいことがあるようだな」


「……考えていることが分かるんですね?」


「肯定する。我はお前の内に在り、心の深淵に宿りし世界の摂理」


「……僕のもう一つの人格?」


「否定する。我は世界の摂理に従い、自我を持ってお前と契りを結ぶ存在」


「……あなたの意思でここいると?」


「肯定する」


「……契りって?」


「我はお前に力を与え、お前は我に寿命と精神を渡す契り」


「……ああ、忌み子の力はあなたが?」


「肯定する」


「……僕は、どうなったんですか?」


「お前は忌み子の摂理との繋がりを銀獣に喰われた」


「……もう忌み子にならないと?」


「否定する。喰われたのは繋がり。契りを維持する強制力。強制的な忌み子では無くなっただけだ」


「……忌み子の能力を任意で使えるのですか?」


「肯定する。忌み子は世界の摂理。強制力は失われても力は使える。ただし代償がともなう、それは…」


「……寿命と精神ですよね」


「肯定する」


「……力を使わなければ長く生きられるのでは?……でもラーナのために力は必要か」


「肯定する。欲するものがあるならば、力を使って奪い取るのが世界の摂理」


「……この力でラーナを助けられますか?」


「黙秘する。欲するものが手に入るかはお前次第。まずは力を高めよ。力持つ者が世界の摂理を行使する」


「……力か。強くなれと?」


「肯定する。忌み子の力は人の限界を押し上げる。お前が強くなるほど強大になる」


「……銀獣とは?」


「銀獣とは破壊するものデイストゥラ。先の銀獣は繋がりを喰う銀獣。名は繋がり喰いの暴魚エイテルレシオン。獣人共は精神と肉体の繋がりを喰われ命を落とし、お前は忌み子の摂理との繋がり、すなわち強制力を喰われた。


「……それと、他の忌み子と違ってなぜ僕は自我を保てているのですか?」


「理由は二つ、一つはお前が異常に成熟した精神の子供だったこと。もう一つはお前と関わる人間がお前の精神を強化し浸食を緩やかにしていること」


「……納得しました」


「我は忌み子の摂理。決して抗うこと叶わず。更に秘められた忌み子の力を存分に使わんとするとき、我はお前と混在を進める」


「……そうか、……それでも僕は」


 暗闇が晴れていく。ゆっくりとそしてだんだん暖かく。

 深い場所にあった精神がふわりと浮かび、懐かしい感覚を思い出させる。

 目蓋をゆっくりと開けると、そこには知らない天井があった。

 ラーナが手の届かない場所に連れ去られた現実に、心臓が締め付けられるように痛くなった。



***



 壮麗な王宮内。謁見の間。

 白色の樹木を自然に多用し、銀色の繊細で美しい装飾が至る所に施された王宮内。

 通路の上方を見ると室内だというのに、草葉が生え出しているが違和感は無い。


 レノアスは案内してくれた長耳族の整った容姿の侍女に、軽くお辞儀をして謁見の間の扉前に立つ。

 そこには兵士四名が直立不動のまま立っているが、レノアスを見つけた兵士の一人が助言をくれた。


「中に入ったなら二人の兵士の前まで進みなさい。そこで跪き、王から声をかけられるまで頭を上げてはならない。それから質問に失礼の無い様に答えなさい」


 兵が重い扉を開いた。

 そこは光輝く荘厳な白と緑と銀色に彩られた広い空間。端から端まで七十五メートルはあるかと目測しながら進むその天井は、太陽が差し込む高い半球状になっており、明るい緑色を基調にした美しい色硝子が張り巡らされ、豊かな樹海林を思わせる意匠だ。


 その美しさも妹を守れなかったレノアスには色あせて見える。

 兵士や重鎮らしき人々が大勢レノアスを待っていたようだ。その雰囲気に呑まれながらも、緊張しながら御前の兵士二人の前まで歩みを進める。


 レノアスは瀕死のところを拾われ一週間は昏睡状態から目覚めず、数日療養し歩ける様になった頃に長耳族の王に謁見をすることになっていた。

 珍しい獣人の死体と樹海の一部枯渇という怪現象について、唯一の生き証人であるレノアスにすぐにでも聴取する必要があると判断したのだろう。

 多忙な王が予定を調整してまで時間をつくったと侍女が話してくれた。


 レノアスは力ない表情で跪き、王の声を待つ。


「楽にしてもよいぞ、人間族の少年よ」


 その声には王たる威厳が十二分に込められ、荘厳な空間と相まって神の声のように響き渡る。

 長耳族の王は両肘を豪華な王座の肘掛けに置いて、堂々とした雰囲気で質問した。


「それで、身体の具合はどうだ?」


「はい、おかげさまで歩けるようになりました。ありがとう、ございます」と暗い表情で頭を丁寧に下げる。


「よい。約定に従い当然のことをしたまでだ」


 王はそういうと鋭い目つきになり本題に入る。


「ところで、何があったのだ?」


 レノアスは何処から話せばいいかと思いめぐらしながら、自分の生まれから樹海に至るまでを簡潔に話した。

 両親が異端の冤罪で死んだこと。忌み子になったこと。傭兵団で働いたこと。妹と逃げる為に樹海に入り、そこで獣人と出会ったこと。獣人達の話しと自分が意識を無くすまでのことを話していく。さすがに夢の中のことは話せないと思い黙っていた。

 周りの兵士や重鎮達がレノアスの話しに哀れみや困惑、驚きや疑いの視線を向けている。特に銀獣の件になった時には王以外の大勢の兵士や重鎮がざわめいた。お互い顔を見合わせたり、かすかな声でささやき合っている。

 王は右手をあげ場を鎮めると動じた様子も見せず、レノアスに訊く。


「……話しは分かった。後で詳細を書記官に伝えよ」


「はい」


「その話しが本当だとしたら、狂わぬ忌み子は前例がないな。なおかつ眼の色が戻るという前例も当然ない」


「……僕も鏡を見た時は驚きました」


 レノアスもあの銀の魚に忌み子との強制力を喰われてから、瞳の色が本来の色に戻っていた。


「もしかしたらその忌み子の回復力とやらで、一命を取り留めた時の副作用かもしれんな……」


「……はい、自分でも、よく分かりませんが」


「それにしても、ゼラードか。実に懐かしい」


 王はそう言うと過去に思いを馳せる。

 王子つまりゼラードの話しに出て来た、一緒に酒を飲んだという王子は、現在では王になりこの国を治めていた。それにゼラードのことも覚えているようだ。そのことに少し安心する。


「奴は元気だったか?」


「ええ、別れ際多くの王国軍の兵士に囲まれていましたが、あの人が死ぬとは思えないので、元気にしていると思います」


「ふふふ、そうだな。余も同感だ。まだ結ばれた約定は果されておらんしな」


 そう言う王は少し微笑みレノアスを推し量るように見つめた。その視線が何を意味するのかは分からなかったが、ひとまずは話の分かる王様で良かったと思った。


「それで少年は何を望む?ゼラードからの信頼を無下には出来まい。余に出来る限り便宜を図ろう」


 レノアスは驚いた。こんな自分に気を使ってくれる懐の深い一国の王、ではなくそんな立派な王に数日の同行だけで気に入られ、信頼に足る人物として認識されているゼラード団長に。

 短い間だったが、ゼラードの大音量の笑い声しか印象に無い、呑気な毎日の価値を再認識せざるをえなかった。

 釈然としなかったが、実際目の前の長耳族の王はゼラードを信頼して、レノアスに助けを差し伸べているのだ。

 レノアスは現実に意識を戻し考える。王なら大抵のことは叶えてくれるだろうが、欲張ってゼラードの顔に泥を塗るような行動は当然出来ない。

 まず自分は何を求めていたか。ラーナの救出だ。ラーナを取り返す方法はあるんだろうか。


「……ちなみに、僕の妹を取り返す方法はご存知ですか?」


「悪いが余は知らんな。なにせ獣人族とは千年近く交流が無いのでな。古文書に詳しい学者がいるので、そやつにでも聞くが良い」


「そうですか、そうします」


「それだけか?」


 夢の中の声の主は言っていた。ラーナを助ける為には力が必要だと。つまりは自分を高めること。自分を高めて行けば救いの道筋が見えると。今は他に道はない。だからレノアスは迷わず本心を告げた。


「……では、強くなりたいです」


そのレノアスの異例な要望に、謁見の間は静寂に包まれた。


「その為の協力をぜひお願いします」


 王は推し量るようにレノアスを見つめ、口角を上げにやりと笑った。

 ここに集う人々の中で最も小さい少年が、そんな王の視線から逃げず、可愛い妹ラーナの為に精一杯のことを申し出た。天井の色硝子から降り注ぐ光の芸術にも負けない、強い意思の輝きを双眸に宿して。

 王はこの国の最高権力者として、この場に集まった家臣達に、逆らうことは許さないと言わんばかりに決然と告げた。


「……よかろう」




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