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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第三章 ガデアント小国連合
40/42

闇夜に光る紅き瞳

「レノアス君、次は花咲ワニにそこの藁束を与えてくれ」


「わかりました。飼育長」


 レノアスは藁束を肩に担ぎ、花咲ワニのいる水辺に向かった。そこに藁束を置くと水の中から数匹のワニが這い出し、置かれた藁を食べはじめた。花咲ワニは全長三メートルほどで体中から草花が生えている珍しい草食のワニだ。

 レノアスは藁を食む花咲ワニを見ていると背後から声がかかった。


「あら、レノアスさん。お仕事中ですの?」


 レノアスが後ろを振り返ると、ローザが木人種の少女フランと手を繋ぎ立っていた。


「ああ。今、花ワニに餌やりしたところだよ」


「そうでしたの。それにしても、ここには沢山の動物達がいますわね。一週間経った今でも見たことの無い動物と遭遇しますわ」


「そうだな。俺もまだ全ての動物を見ていないよ。飼育長が言っていたけど今回新たに追加されたのも含めて、この動物庭園には八十五種類の動物がいるらしいからな」


「そんなにいますの!?」


「動物を世話する使用人も百人以上いるんだからすごいよな」


「パスカル王子の動物好きは、わたくしの想像を超えていますわ……」


「ローザはフランと散歩中か?」


「ええ、フランさんの日光浴がてら庭園を散策していますの。わたくしとフランさんはもうお友達ですのよ。そうでしょう?」


 ローザはフランに微笑みかけた。フランもにこりと笑顔を返して小さくつぶやいた。


「ローザ、トモダチ」


「おお、単語の数も増えてきたな。まだ片言だけどだんだんと意思疎通もできるようになってきたから、滑らかに話せるようになるまで時間はかからないだろう。夕方からはいつもの言葉の勉強だな」


「フランさんは覚えがいいのですぐに話せるようになるはずですわ」


「そうだな、フランは賢いからな」


 レノアスは少しかがんでフランと目線を会わせ、彼女の頭をやさしく撫でると、彼女は幸せそうに目を細めた。


「レノアス、トモダチ?」


「ああ、俺もフランの友だちだ」


 フランはレノアスに笑顔をみせた。その時レノアスの脳裏にミルドの競売会後の舞台袖でフランが暴走したときのことがよぎった。フランが乱暴な係員に火を向けられたことで暴走し、あわや大惨事になるところだった。あれ以来フランから歪みの気配は感じられないが、折りをみて原因の解明が必要だろう。

 レノアスの暗い表情に気付いたフランが慣れない口調で質問した。


「イタイ?」


「ん? いいや、痛いところはないよ。どうしてそう思ったんだ?」


「レノアス、カオ、イタイ」


「俺の顔が痛い? どういう意味だ?」


 ローザはフランの言いたいことを察してレノアスに説明した。


「おそらく、レノアスさんが暗い表情をしていたので、どこか痛いのかと勘違いしたようですわね」


「そういうことか。大丈夫だよ、ちょっと考え事をしていただけでどこも痛いところはないから。フランは優しいな」


 レノアスはフランの頭を再び撫でた。


「そういえば庭園の中央にある大樹の根元の烏鷺に住んでいるんだよな。気に入ったか?」


「キニイタ?」


 フランは少し考えるように首をかしげた。


「好きかっていう意味だよ」


「……スキ」


「俺も前に木の根元に部屋を造って住んでいたんだ」


「オナジ?」


「ああ。フランと一緒だな」


「ウフ」


 ローザはレノアスに近づき顔を寄せ小声になった。


「ところで、アイスリンさんとスノウラルさんとに連絡はとれましたの?」


「ああ、あいつらは正規の手続きで使用人として入ることに成功したよ。相変わらず口喧嘩をしていて元気そうだった」


「まったく、お二人ともぶれないですわね。ともかくお城で働くことになってよかったですわ」


「王子直属の使用人の俺達ほど自由に城内を動くことはできないけどな」


「あとはお城の見取り図の入手かしら」


「そうだな。書庫の場所は調べてあるから、今日フランの勉強が終わってから行ってみるよ」


「わかりましたわ。それではわたくし達は散歩に戻りますわね」


 その後レノアスも動物達の世話を再開し、仕事を終えてから五階にある書庫に向かった。中に入るとカウンターがあり、そこにいた女性に入室許可をもらった。


「さてと、見取り図は建築関連の棚……あ、あそこだな」 


 レノアスは書棚に近寄り目的の書類を探したが、目当ての資料は見つからなかった。


「ないか。別の書棚かな」


 レノアスがうろうろと棚の周りを行ったり来たりしていると、ほうきとちり取りを持った腰の曲がった老人に呼びかけられた。


「君、何を探しているのかな?」


 レノアスが声の方に振り向いた。


「あなたは?」


「わしの名はハスラバス。この城を掃除しとるただのじじいじゃよ。皆からハス爺と呼ばれておる」


「俺はレノアスといいます。最近、第四王子パスカル様から動物の飼育員として雇われました。ええと、ハス爺さんもこの城の使用人ですか?」


「まあ、そんなもんじゃよ。そんなことより何かの資料を探しているじゃろ? わしが場所を教えてやるぞ。この城で長いこと暮らしてるからの。この城のことなら何でも知っとるんじゃ」


「ご親切にありがとうございます。実はこの城の見取り図を探しているんですが、見つけられなくて」


「それは当然じゃ。城の見取り図などは一般の書庫ではなく兵士に護られた非公開資料庫で厳重に保管されておるんじゃ。ほれあそこじゃ」


 ハス爺の指差す先を見ると二人の兵士が護る頑丈そうな金属製の扉の部屋があった。


「城の内部情報じゃ、よからぬ輩の手に渡れば悪用されかねないからの。どうしてそんなもの探しておるんじゃ?」


「それは……この珍しい城の構造に興味がありまして」


「そうか、そうか。その気持ちはすごくわかるぞ、レノアス君。太古の昔から残る謎の遺跡。男なら興味がわき探検したくなるのが自然じゃよ。わしも昔は城中冒険しまくったもんじゃよ」


 ハス爺は虚空を見つめ過去を思い出しているようだった。


「まあ、そんなところです。でも、非公開なら借りる事はできませんよね」


「できるぞい」


「え? 本当ですか?」


「わしはいろんな方面に顔が効くんじゃよ。わしが頼めば一発じゃて。はっはっは!」


「それならぜひお願いします」


「頼んでやってもよいが……それには一つ条件がある」


 ハス爺はレノアスの瞳を覗き込み、にやりと口角をあげた。


「条件?」


「そうじゃ。わしは賭け事が大好きでな。わしと賭けをして、レノアス君がわしに勝てたら見取り図を持ち出してきてやろう。わしが勝ったらレノアス君が城内の掃除をわしの代わりに一日行うというのはどうじゃ? 勝負するかな?」


 レノアスは、見取り図なしに侵入するよりは、ハス爺と勝負をして見取り図を手に入れたほうがリスクが低いだろうし、仮に負けたとしても掃除を言い訳に、自由に動けると考え、勝負することにした。


「はい。それでお願いします」


「はっはっは! そうこなくてはな。では簡単に硬貨の表と裏を当てる勝負でよいかの」


 そう言うとハス爺はほうきとちり取りを書棚に立てかけ、懐から銀色の硬貨を取り出してレノアスに裏と表を見せた。そして右手の親指で空中に弾き左手の甲に落とし、硬貨が見えないようにすぐに右手でふたをした。


「さあ、レノアス君。硬貨が今どうなっておるか当ててもらおうか」


 レノアスはあることを見逃さなかった。


「硬貨は今、手の中にはありません」


「んん? どうしてそう思うんじゃ?」


「硬貨を手で押さえてから指の間から銀の粒子が霧散する時のかすかな光が見えたからです」


 ハス爺はレノアスの洞察力に驚いて目を丸くした。


「ほう、よく見ておったの。ほとんど見えないようにしていたつもりじゃのに」


 ハス爺は右手を開けると硬貨は無くなっていた。


「創製物が消える時の光の粒子はかすかなものなので、始めは勘違いかと思いましたが、あなたの言葉で確信しました」


「というと?」


「あなたは俺に硬貨は今どうなっているかと質問しましたが、こういう時の質問は普通、表か裏か聞くものですからね」


「よく気がついたの。わしの完敗じゃ」


 ハス爺は楽しそうに笑った。


「約束どおりこの城の見取り図は持って来てやるぞ。ちょっと待っとれ」


 ハス爺はそう言うと書庫の受け付けまで行き、なにやら話しをしてからレノアスの近くまで戻って来た。


「話しはついたぞい。今用意させとるから、もう少ししたら受付で受け取るがいい」


「ありがとうございます」


「礼はいらんよ。勝負に勝ったのはレノアス君じゃからの。それじゃわしは掃除に戻るかの。また機会があったらわしの暇つぶしにつきあっておくれ」


 ハス爺はほうきとちり取りを持ち満足そうな笑顔を残して書庫から出て行った。

 レノアスは受付で見取り図の巻物を数巻受け取った後、自室に戻った。そこにはすでに自分の仕事を終えたローザが紅茶を飲みながらレノアスが帰ってくるのを待っていた。


「レノアスさん、お帰りなさい。その巻物が見取り図ですの?」


「ああ、運良く手に入ったよ。さっそく広げてみよう」


 レノアスは応接机に数巻ある見取り図を広げた。


「この城は地下十階まであったんだな。でも、どんな用途で使われているかは書かれていない。ん? これは……」


「どうかなさいましたの?」


「全ての階の中心部に空洞が造られているんだ。ほら、ここ」


 レノアスの指差す塔の中心部をローザは見ると、全ての階の中心部には同じように空白があった。


「あら、ほんとうですわね。この部分が全階層にわたり空洞だということは、吹き抜けかしら。一体何の意味があるのかしら。それに最上階は庭園になっていて中心部には大樹があって吹き抜けなんてなかったはずですけれど……」


「全ての階の通気口がこの吹き抜けにつながっているようだし、元々は最上階にも吹き抜けがあったけど、長い年月をかけて大樹がふたをするように塞いだのかな? なぜこんな構造になっているのかは少し気にはなるが……今は研究室の位置を探すのが優先だな」


「そうですわね」


 レノアスはローザと話していて彼女の顔が少し赤らんでいることに気付いた。


「ローザ、少し顔が赤いが、熱でもあるんじゃないのか?」


「え? 言われてみれば少し熱っぽいかしら」


「体調が悪いならすぐ横になったほうがいいぞ」


「平気ですわ。小さい頃からの持病のようなものですから」


「そうか、それならいいんだが。無理はするなよ」


 その時、部屋の扉を軽く叩く音がしたので、レノアスは急いで巻き物を隠した。夕食の時間なので、いつものようにメイドが食事を運んで来たのだろう。


「お食事をお持ちしました」


「時間通りだな」


 台車に食事を乗せて部屋に入ってきたのはメイド服姿のアイスリンとスノウラルだった。二人はレノアスとローザに食事を運ぶ係になっていた。


「レノっちとローザっちー!がんばってるね!!」


 アイスリンはローザに駆け寄って抱きつき、彼女の両手を握りぶんぶんと上下させた。スノウラルは慌て開いていた扉を閉めた。


「アイ姉!親しげに話すのは扉を閉めてからにしてよ! ……私たちの関係がばれたらただじゃ済まないんだから」と、スノウラルは声を低く落として言い、アイスリンの尻をつねった。


「いった! いったーい! わかってる、わかってるって」


 スノウラルはさらに諌めようとして口を開きかけたが、あまり時間がないことを思い出し苦言をため息に変えた。


「はぁ。私たちはこの部屋に食事を運んできただけだから、怪しまれないように長居はできないわね。レノアス君、何か進展はあった?」


「ああ。見取り図が手に入ったよ」


 レノアスは先程の見取り図を姉妹達に見せた。


「さすがレノアス君ね。調理場で何枚も皿を割るアイ姉と違って仕事が早いわね」


 アイスリンはムッとした顔になりスノウラルを睨んだ。


「スーだってちょっと兵士に尻を触られたくらいで、その兵士をガチガチに氷漬けしてメイド長に怒られたくせに!」


「あれは正当防衛よ! ああいう輩を許しちゃいけないの! それを言うならアイ姉だって」


「まあ、まあ、それはお二人とも大変でしたのね。お時間もありませんし本題の作戦会議を始めませんか?」


 ローザは口喧嘩が始まり罵り合う姉妹の間に入った。


「「ふんっ!」」


 ようやく姉妹が落ち着いたところでレノアスは話しを切り出した。


「二人が来る少し前から見取り図を見ていたんだが、この城は地下十階まであることがわかった。でも、地下がどういう用途で使われているかは見取り図には載っていない」


「ということは、扉の研究施設があるとしたら地下ですね」


「たぶんな」


「それなら、あたしが城で迷った時に地下への階段を見つけたよ。でも、その階段の前にはめちゃくちゃ強そうな兵士が完全武装で警備してた。あれは絶対何かあるね」


「いよいよ研究施設が地下にある可能性が高いですわ」


「そういえばレノアス君、周辺の地図を表示できるビジョン? だったかしら。それで調べることはできないんですか?」


「それは試してみたが、表示するのは広範囲の地域だけで、建物の内部構造なんかは見れないようなんだ」


「では仕方がありませんね。でも、警備が厳重な場所にどうやって侵入するつもりなんですか?」


「侵入経路についてはここを見てくれ」


「ん? レノっち、城の中心部がどったの?」


「なぜかはわからないが、この部分は地下まで吹き抜けの空洞になっているんだ。警備の厳重な階段を下りるより、ちょっと危険だが空洞を降りる方が気付かれずに地下に行けると思うんだ」


「確かにそうですわね。レノアスさんの銀術で足場をつくりながら下りるのですね?」


「そういうことになるな。今俺たちがいる十六階もそうだが、全階層の通気口は全て吹き抜けに繋がっているみたいだ。通気口に入って吹き抜けまで進み、地下まで下りてから、また通気口を通って地下の階層に侵入できるだろう」


「さすがレノっち。それでいつ侵入するの?」


「今夜、皆が寝静まった頃に行くつもりだ。地下十階まであるから少しずつ慎重に調べてくるよ」


 ローザは期待に琥珀色の瞳を輝かせレノアスに顔を近づけた。


「わたくしもご一緒しても?」


 レノアスはローザのやる気に満ちた迫力に気圧され一歩後ずさった。


「わ、悪いが今回は俺一人の方が動き易いし、樹海生活で隠密行動に慣れているからな。俺だけで行くよ」


「でも、わたくしの魅了の力があれば何かと役に立つと思うのですけれど」


「確かにローザの魅了の効果はすごかったよ。だが、一度使ったら大騒ぎになるだろうから、本当に必要になった時まで温存しておきたいんだ」


 レノアスと一緒に城の地下を探検してみたかったローザはがっくりと肩を落とした。


「そう、ですか……確かにレノアスさんのおっしゃる通りですわ。旅行記にも記されていない遺跡城の地下に行ってみたかったのですけれど……遊びじゃないですものね。でも、残念ですわ」


 アイスリンがにやりと口元を緩めレノアスにすり寄った。


「ところでさぁ、レノっち。ローザっちとの同棲生活はどうよ?」


「どうって、特に何もないよ」


「この部屋に二人で寝泊まりしてるんでしょ? あんなことやこんなことがあったりするんじゃないのー?」


「ちょっとアイ姉、なに聞いているのよ。レノアス君に失礼でしょ!?」


「何もないよな、ローザ?」


「レノアスさん、あんなことやこんなことってどんなことですの?」


「え、そ、それはだな……質問した本人に聞いてくれ」


 ローザは質問の意味がわからず、きょとんとした表情でアイスリンに視線を向けた。アイスリンはローザが世間知らずのお嬢様だった事を思い出し、答え辛い話しを振ってしまったことを後悔した。


「えっ、いやー、それはそのー、あれはあれだよ。これはこれでー、えーと……物知りスーさんのほうが詳しいからスーに聞いて!」


「ええっ!? ちょっとアイ姉、私に振らないでよ!」


 アイスリンはヘラヘラと笑顔を浮かべながら出口の方へ後ずさった。


「そ、そーいえばー。 あたし、まだ仕事が残っていたよー、すぐに行かなきゃー。じゃ!」


「あっ! 逃げるなアイ姉っ!」


 アイスリンとスノウラルは逃げるようにバタバタと部屋を出て行った。ローザは姉妹がいなくなったので、レノアスが答えてくれると期待し彼に視線を向けた。


「お、俺は調査に行く前に汗を流すかな」


 レノアスもそそくさと浴室に入っていった。

 ローザはその場に一人取り残された。


「聞いていはいけなかったのかしら……わたくし、まだまだ知らない事がたくさんありますのね……」




 ※※※




 時刻は深夜。城内を巡回する警備の兵士以外、ほとんどの人が寝静まった頃、レノアスは這って進むのがやっとの通気口に入り、十六階の中心部にある吹き抜けに向かっていた。通気口をしばらく進んでいると空洞に辿り着いた。その地下まで続く空洞は見取り図で見た印象よりも巨大な空洞だった。通気口とは違い吹き抜け内はぼんやりと光っていてある程度周囲を見渡せた。この城の壁の材質は光を発する特殊なものらしい。


「かなり広い空洞だな。まずは足場を創って降りないと」


 レノアスは通気口から這い出し、小さな声で創製をはじめた。


創製クレイディフ、足場になる銀の板」


 レノアスの声に従い足元に人一人が乗れるほどの銀色の板が具現化し、レノアスはその板に乗り徐々に高度を下げ始めた。吹き抜けを地下に向かって下りていくと、壁に他の部屋につながる幾つもの通気口を見つけた。


「よし、このまま地下まで行けそうだ」


 レノアスはゆっくりと下降し、もうすぐ地下の階層だというところまで降りた時異音を感じ取った。


「この音は……」


 レノアスが異音を警戒した瞬間、どこからともなく赤く細い光線が彼の頭をめがけて放たれ、反射的に頭を傾けたレノアスはその光線の直撃を寸前で回避したが、頬をかすめてしまい鋭い痛みを感じた。


「つっ!」


 レノアスの頬は火傷をしたように赤くひりひりとした傷を負った。レノアスは急ぎ足場になる銀色の板を創製しながら上方へ退避した。


「侵入者用の罠か。やっぱり、すんなり侵入させてはもらえないようだな」


 レノアスは赤い光の発せられた方向を見ると、通気口の中から拳大の白い球体がいくつも出てきた。その球体からは音量は小さいが高音の音が発せられており、地下へ侵入させまいと空洞を塞ぐように一定間隔で整列し浮遊している。

 レノアスは試しに立方体を創製し重力にまかせて落としてみた。すると白い球体から無数の赤い光が放たれ自由落下する立方体を撃ち抜き穴だらけにしてしまった。


「赤い光か……なら」


 レノアスは再び創製した。


創製クレイディフ、反射率最大の板」


 レノアスの眼前に自らをくっきりと映し出す鏡のような板が創製された。それを自由落下で落とす。白い球体から再び赤い光線が放たれたが反射して周囲の壁に当たった。


「よし、いけそうだな。創製クレイディフ、俺を包み込め、鏡面の繭!」


 レノアスの唱言によって彼の周囲に銀色の粒子が集まり瞬時に彼を繭のように包み込んだ。その繭の表面は先ほどのように鏡になっており周囲の景色を反射していた。鏡面の繭が完成するとレノアスは繭に包まれた状態のまま高度を下げていき降りていった。全ての白い球体は銀色の繭を異物と判断し、全方向から赤い光線を放つが、その全てが反射されていく。

 そうして赤い光線が止むと、それを察知したレノアスは銀色の繭を霧散させて消し、球体が浮遊する上方を見ながらつぶやいた。


「とりあえず、侵入成功だな」


 レノアスは地下一階へと続くと思われる通気口に入り地階の調査を開始した。通気口を這いながら幾つもの部屋に出ては、頭の中に記憶しマッピングをしていく。そのようにして研究室を探したが、地下一階は備蓄倉庫として使われているらしく、一時間ほど調査をしても研究室らしき部屋は見つけられなかった。まだまだ先は長い。


 レノアスは調査を切り上げ誰にも気付かれないよう気配を消しつつ、細心の注意を払いながら自分の部屋に戻り扉を閉めた。ふわりと風の流れを感じたレノアスはテラスの方を向くと、部屋の明かりは消えていたが、月明かりに柔らかく照らされたローザがテラスに佇んでいるのがわかった。彼女はレノアスが帰って来たのに気づきゆっくりと振り向いた。

 その瞬間、レノアスは金縛りにあったように体が痺れ身動きがとれなくなり、ローザの瞳から目がそらせなくなってしまった。彼女はレノアスが存在昇華の状態になったときのように瞳が妖しく赤い鈍光を放ち、普段のローザの雰囲気とはまるで違い、恐怖すら感じさせる妖艶さを全身から漂わせていた。姿形はローザのままだがまるで別人。戦闘経験豊富なレノアスでさえぞっとするほどの重苦しい力の気配。ローザはゆっくりとレノアスに歩み寄り、身動きのとれないレノアスの腰に腕をまわして抱きつき、耳元に口を寄せるとささやいた。


「待ちわびたぞ、レノアス」


 その声は間違いなくローザのものだったが、普段の彼女の口調とは違っていた。

 レノアスは声を出そうとしても喉も動かず声が出ない。当然、創製する時のきっかけである古代語の唱言も言えなかった。

 赤い光を瞳に宿すローザはレノアスの首筋を味見をするかのようにぺろりと舐めた。


「お主からは甘く熟れた極上の果実のような香りがするの。わらわの食欲を掻き立てる」


 彼女は興奮しているのか、息を荒くしつつレノアスの頬を舐めると、そのまま口づけしようと顔を寄せてきた。彼女の美しく端正な顔立ちは今や、獲物に食らいつく獣のように野性味が溢れ、捕食者特有の獰猛さがにじみ出ていた。レノアスは樹海生活で捕食者が獲物を噛み殺す瞬間を幾度も見てきた。本能が危険を知らせるがなにもできない。唇と唇が触れる寸前、ピシッ! という何かが弾ける音とともに彼女の瞳の赤い光が徐々に弱まり、レノアスの腰に回していた腕から力が抜け、すぐにローザの全身の力も抜けて、そのまま彼女は床に崩れ落ちた。

 レノアスは金縛りが解けたのを感じとり、倒れて意識を失ったローザの側に膝をつき彼女の上体を起こした。


「ローザ? おい、ローザ! しっかりしろ!」


 ローザはレノアスの声に意識を取り戻し、深い眠りから覚めたばかりのようにまどろんだ意識のまま答えた。


「ふぁ? レノ、アス、さん?」


「大丈夫か?」


「もう朝……ですの? あれ、わたくし、どうして床に……寝て?」


 ローザは自分の様子がおかしかった時のことは覚えていないようだった。

 ローザはレノアスの肩を借り朦朧としたまま立ち上がった。


「おかしいですわね……確かに寝台で横になっていたはずですのに……」


「お前、さっき瞳が赤く……」


 ローザは自分の瞳が赤く光ったと知り目を見開いた。


「ほ、本当ですの?」


「ああ、雰囲気や口調もまるで別人だった。あれは一体なんだ?」


「……封印」


「封印?」


「ええ。わたくしはご先祖様の力を濃く受け継いでいると、前に話しましたわね」


「ああ。元は異世界人の祖先の話しだろ?」


「はい。ここ数年その力が抑えきれないほど大きくなってきていますの。それでもオリヴィアが封印譜文で溢れ出るご先祖様の力を抑え続けていたのですけれど、最近はそれも効果が弱まり力の暴走が時々起きているのです」


「さっきのお前の状態が力の暴走ということか」


「そのとおりですわ。力が暴走している間の記憶は飛んでしまい何も覚えていないのですけれど、わたくしレノアスさんに失礼な事はしていませんでしたか?」


「金縛りにあって身動きはとれなかったが、とくに危害はなかった……」


「そ、うで、したか……それ、は、よかった……」


 ローザの瞳に再び赤く燃えるような光が宿った。すると次の瞬間赤目のローザはレノアスを押し倒し馬乗り状態で強引に口づけをした。


「んっ!?」


 再び金縛りで身動きのとれなくなったレノアスはどうにか彼女を正気に戻そうともがくが金縛りが解ける気配はない。赤目のローザはレノアスと唇を合わせるとレノアスの口の中に自らの舌を侵入させ、舌と舌をからめて濃厚な口づけを始めた。さらに彼女はレノアスを床に押し付け息を荒げ興奮状態が高まっていく。

 その時レノアスに異変が起きた。レノアスは体から力が抜けていき体温も下がり意識が朦朧としていくのを感じた。彼はその異常事態に命の危険を感じ必死の抵抗をしようとしたが、ローザのむさぼるような口づけを止めることはできない。レノアスは視界さえも薄暗く感じ始め意識が失われる直前というところで、ようやく赤目のローザの唇が離れ金縛りも解けた。しかし、彼の意識は消えかかるろうそくの火のように弱くなっており、全身にも力が入らず体が動かなかった。赤目のローザは恍惚とした瞳でレノアスを見下ろし名残惜しそうに舌なめずりをした。


「わらわが健在していた頃でも味わったことのない至高の味であったぞ、レノアス」


 レノアスは気力をふりしぼり弱々しい声でローザのようでローザではない存在に問を投げかけた。


「お前……お、れに、何を、した……?」


 先ほどよりさらに瞳の赤い光を爛々とさせたローザが妖しく微笑んだ。


「わらわの名はイスラミルド。お主の生命力を喰らったのじゃ。なあに心配するでない。命までは取らぬ。せっかくの極上の味を長く楽しみたいからの。しかし、あまりに美味ゆえ夢中になり危うく搾り尽くしてしまうところじゃった」


 レノアスに馬乗りになって呼吸を荒げているイスラミルドは愛おしそうにレノアスの頬を撫で、軽く口づけをした。


 レノアスの気力と意識は限界になっており、彼の意識はゆっくりと眠りの中に落ちていく。

 レノアスの意識が途切れる間際、イスラミルドが耳元で優しくささやいた。


「いずれまた逢おうぞ、我が愛しのレノアスよ……」


 月明かりだけが差し込む暗い室内には赤い双眸だけが残された。ようやく自らの興奮を抑え、息を整えたイスラミルドの瞳から徐々に赤い光が失われていった。





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