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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第1章 物語の始まり
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託されたもの




偵察役の団員が樹海の中から現れ、ゼラードに近寄り報告する。


「完全に囲まれています」


「おお、数はどうだ?」


「はい、団長の予想通りでした。平原側程じゃありませんが樹海にも多数の兵士が潜んでました」


「はん! どうやっても逃がさねえってか」


 レノアスは樹海を覗き不安な表情でつぶやく。


「逃げられるでしょうか……」


 レノアスの隣には不安で泣きそうな顔をしているラーナが、兄の手を強く握って立っている。


「俺たちを舐めんなよ、坊主。あんな奴らなんぞ朝飯前だ! それにもう依頼は受けたんだ。結果がどうなろうとやる事は変わんねえよ」


 朝日が平原を照らし長く人影を照らしていく。

 天気は快晴風もない。

 敵の大軍は隊列を整え始め、傭兵団を中心に約百メートルの距離をとって完全に包囲している。

 現場指揮官であるローデリアン男爵が馬上から叱咤激励している。

 敵にも殺気が漂い始め、いよいよ決戦の時。


「お前ら! 円陣を組め!」


 ゼラードが指示すると団員の皆が左右の仲間と肩を組み、腰を落として円陣を組み始める。ゼラードのいる場所を中心に何重にも円陣が組まれていく。

 レノアスはここにいる団員達の中に異様な落ち着きを感じていた。

 戦場には付き物の恐怖、焦燥、絶望、憤怒、そのどれでもないもっと強い感情。レノアスの研ぎすまされた感覚がその正体に気づかせる。

 それは信頼。人格も出身も過去も様々な男達。彼らが結ぶ信頼の繋がり。命のやり取りを共に戦い抜いて来た確かな絆。左右に並ぶ者達は皆命を預ける仲間達。

 彼らのお互いへの信頼はレノアスにも強さを与えた。

 自分に言い聞かせるように、艶やかな黒髪を撫でながらラーナに呟くレノアス。


「……必ず、生き抜こう」


 ゼラードが鼻息を荒くしながら、団員を奮い立たせる為に口を開く。


「敵は万の軍勢だが、勝つのは奴らじゃねえ。死なねえ奴が勝つ奴だ! 死にたくねえなら勝つしかねえ!!」


 ゼラードは団員の静寂を準備完了の返答と受けとり、眼をとじ息をゆっくりと吐く。

 次の瞬間一気に吸い込んで眼を見開き、声を張り上げ平原全体に届かんばかりに咆哮する。


「思い出せえ!! 自ら選んだ戦う理由わけをっ!!」


 団員達は戦意を増していく。それぞれの欲望の為に。


「吠え散らせえ!! 不撓不屈の漢のときをっ!!」


 大軍を前にして屈しない強靭な意志の力を膨張させる。


「幾千穿通されども這いつくばるな! 四肢裂断されども牙を剥け! 死地戦場に最後の一片まで命を燃やせ!!」


 彼らの胸には砕けぬ絆、強固な信頼は楔のごとく。


「我らは最強! くさびの傭兵団!! 敵陣の只中に」


「「「「「「「「「「 滅びを刻めえええええええええええええ!!!」」」」」」」」」」


 大気が震えた。樹海から驚いた鳥達が一斉に逃げ出す。

 彼らの鬨は戦闘準備を終了した王国の兵士達を飲み込み、その怒号に彼らの心が完全に怖じ気付く。

 慌てて指揮官のローデリアンが弓兵に射撃命令を出す。


「こ、攻撃開始!! 弓! 弓兵!! 射撃せよ!! 歩兵は前進開始!!」


 楔の傭兵団は最強と名高い傭兵団で、その名声は周辺の国にも伝播し、特に乱戦になる大軍同士の戦場では最悪最強の相手として恐れられていた。一人一人が達人といえる強者であり集団戦闘の経験も豊富。何より厄介なのが死なない戦い方だ。

 故に指揮官ローデリアンは傭兵団を仕留める可能性を考慮して、完全に圧倒できる一万もの軍勢を用意したのだ。


 数千の創製された銀矢が弧を描いて包囲網の中心に飛来する。しかし傭兵達は中心部のゼラードとレノアス達三十人を残して姿は無い。

 彼らは放射状に約百メートルの距離を一瞬で突撃し、既に敵兵に接敵していた。

 団員達は兵士を数人仕留めた後に、反撃を盾で捌きながら数歩引き下がりまた突撃する。近くの団員との連携も慣れていて、その技術は見事なもの。多人数を相手にしながら圧倒していた。

 レノアス達は創製の最大質量で大きな盾を創製し、数千の死の雨を難なく凌ぐ。

 彼らは未だその場所から動かない。

 それから何度も数千の銀の矢が襲いかかるが完璧に防いだ。

 ローデリアンは苛立つ。


「こざかしいわ! まとめて吹き飛ばしてくれる。遠距離発現射撃隊、一度に全力を込めて撃て!!」


すると弓兵達の後方にいた白い法衣のような服を来ていた者達が発現を開始する。

手の平には白く輝く直径三十センチの光の玉が徐々に出来上がり、一斉にゼラード達目がけて約五十個の光弾が山なりに飛んで来た。

それを確認したゼラードがぼやく。


「光弾かよ、めんどくせえな」


すぐに五十もの光弾が降り注ぎ団員達の頭上で炸裂し、鈍く大きな爆発は多数の爆風の嵐を生み出す。あまりの衝撃に地面が吹き飛び、土ぼこりが舞い上がりゼラード達を覆い隠す。

その状況ににやけたローデリアン。


「はーはっは! あれだけの大きさの光弾を一カ所に降らせたのだ。生きてはいまい!」


巻き上げられた土煙が晴れて行くと、余裕のローデリアンの表情が引きつった。

そこには銀色の大きなとんがり帽子のようなものが無数に立っていた。すっぽりと人一人がその銀色の三角錐の中に収まって爆風をやりすごしていた。


「し、射撃やめえい! 目標は団長と小さなガキだ! それ以外は後でいい! 奴ら優先で仕留めろ!!」


 しかし既に前衛と接敵している団員達がそれを許さない。徐々に押されてはいるが、攻撃を繰り返し防壁を全うしている。

 ローデリアン男爵は歯ぎしりし苛立ちを隠せない。一万の軍勢をもってしてたかが三百の盗賊紛いを攻め切れないのだから当然だ。


「なんだっ! 奴らは!! 突撃せよ! なんとしてでも防衛戦を突破しろ!!」


 さすがに達人級の強さとはいえ全ての兵士を押さえられず、団員の防衛線を突破しレノアス達に数十人が迫る。


「いいかお前ら! 一人につき三本だ! それ以上手間かけたら一本増えるにつき一杯、俺に酒を奢る事! 団長命令は絶対だ!!」


 敵兵が五メートルまで近づいたその時。

 ズドドドッ!という音とともに敵兵の頭に長さ十五センチの杭三本が突き刺さる。兜もろとも突き抜け間違いなく致命傷だ。

 他の兵士達も同じように倒れ伏していく。次から次へと襲い来る兵士は五メートル以内に近づけない。狙いは正確だ。


「おいおい、お前ら腕上げたな。一杯も稼げやしねえ」


 そういうゼラードは口角を上げ余裕の表情で、一本で一人の割合で額を打ち抜いている。

 レノアスは重い立方体を周囲五メートルに連続で射出し、敵兵の勢いを殺すとともに体制を崩させ、そこに団員達の杭が的確に突き刺さる。初めての集団戦とは思えない連携だ。


 ラーナはレノアスの背中に顔を埋めて震えている。

 戦士達の叫びが轟く戦場でレノアスはそんな妹に優しく声をかけた。


「大丈夫だよ。ラーナには近づかせないから」


 レノアスは握っていた手に力を込める。

 ラーナは少し頷くと手を握り返し、唇を噛み締め恐怖に耐える。

 レノアスは立方体を動かしつつゼラードの合図を待った。


 次から次へと敵の死体を増やしていく傭兵団だが、生き残る為の戦いをしている彼らに死人は出ていない。

 しかし団員の防衛戦が五十メートル程に押し込まれたのを境に、戦場の様相は突然に変貌する。

 現場指揮官であるローデリアンは怒りに顔を赤くし喚き散らす。


「おのれ!! 小汚い下民共が! 私の手を煩わせおって!! 歩兵だけで勝負をつけようと思っていたが仕方が無い! 騎馬兵全騎出せ!!」


 その指示を受け後方に控えていた長槍を持つ騎馬兵およそ千騎が、包囲網の数カ所から数列に分かれて突撃しようと進軍し出した。

 それを待ってましたと言わんばかりに、にやりと恐ろしい笑みを浮かべるゼラードは、団員達に作戦の第二段階を告げる。


「全員! 樹海の中に逃げ込めえええええええ!!」


 その合図により全ての団員達は後ろを振り返らずに、邪魔する敵兵は躱して深淵の樹海に逃げ込んだ。

 一瞬兵士達が呆気にとられ戦意を削がれたが、直ぐに追撃を始めた。

 ローデリアンも負けじと叫ぶ。


「今が好機!! 追撃、追撃せよ! 糞虫共は一匹たりとも逃がすな!!」


 既に全団員は樹海の中。潜む敵兵を狩りながら奥に進む。それでも数が多く苦戦する。


「全員! 坊主達を守りつつ東に進め! 包囲を突破する! 楔型陣形!!」


 それに呼応した団員達が陣形を組む為、周囲の兵士を倒しながら移動する。

 三百人の団員達がレノアス達を中心に、矢のような三角形の陣形を組み、樹海の中を疾走しながら包囲網を切り開いて行く。

 楔型の外側には剣と盾を持った団員、内側には杭を使い近距離射撃を行う団員、先端はゼラードが務める。その突撃をうけた兵士達は胴体を両断され、穿たれ、はじき飛ばされ死体の絨毯を敷いて行く。

 強靭な巨体の男は圧倒的な攻撃力でまさに刃となって進む。


「どおりゃああああああああ!!」


 ゼラードの横薙ぎが立ちふさがる三人の兵士を一度に上下両断にする。

生い茂っている木の幹ごとに斬りつける。

少し距離があれば杭。

密集していれば爆風。

剣士には不利と言われている樹海林戦で敵を蹂躙する。

 他の団員も多少の手傷を負いながらも、敵が放つ杭や投げ槍等を盾で的確に弾いて陣形を維持している。

 しかし、未だ敵兵の数は多い。かなり進んだがくさび型の突撃の勢いも徐々に殺されていく。敵兵は防御に徹し道を塞ごうとしているのだ。騎兵は侵入できないが陣形の後方からは未だ数千の大軍が追って来ている。

 遂に楔の陣形が速度を止める。先端のゼラードも完全に防御に特化した数十人相手では攻めきれない。

 再び円形に陣形を戻す。周囲は多くの敵兵に囲まれている。

 セラードが声を張り上げる。


「爆風できる奴らはこっちに来い!!」


 集団の中心で団員を集めると、ゼラードはいつもの凶悪な笑顔をレノアスに向ける。


「坊主達、ひとまずここでお別れだ。準備しろ」


 ゼラードの表情には優しさが滲む。怖がるラーナの頭を出来るだけ優しく撫でた。

 レノアスは背中に太い紐でラーナを括り付ける。それと数日分の食料が入った背負い鞄もいっしょに括り付ける。


「本当にこの状況を回避できると?」


 レノアスの言葉はゼラード達を疑うものではなく、自分に対するけじめが欲しいだけだ。

 その証拠にその瞳には信頼の情が溢れている。


「ああ、そういえば言ってなかったな」


 ともったいぶるゼラード。

 訝しむレノアス。


「実はな、俺は最強の傭兵団の団長なんだわ!」


ゼラードは大声で笑った。周りの傭兵達が戦いながらも一斉に笑い合い、にやける。

 敵兵達は戦意を維持しつつも笑い合う団員達に戦々恐々とする。

 レノアスはそんないつも通りな団員達に参りましたとばかりに笑って答えた。


「そういえば、そうでしたね」


 他の団員達がそれぞれに声をかける。


「次に会う時は俺らに酒奢れよな!」「あ、はい!」


「風邪ひくんじゃねーぞ!」「気を付けます!」


「妹ちゃんも元気でな!」ラーナが頷く。


「初めは少し怖がってすまん!」「いえいえ、こちらこそすみません」


 なんだか戦闘中なのを忘れてしまいそうだとレノアスは嬉しくなった。

 ゼラードが一通り済んだのを確認すると、表情に真剣さが帯びる。

 次の瞬間ゼラードの大声が腹の底から発せられる。


「レノアス・エルト・ウィゼラント!! お前からの依頼はここで完遂する。報酬は出世払い。生き残った奴が山分けとする! 俺たち楔の傭兵団の為にも死ぬまで生き抜けろ! 契約は必ず果される!!」


 最後に「契約破りの罰は決めねえ」そう言うとレノアスの胸に握った拳を当て銀色に覆う。呼ばれて来た団員達も同じようにする。


「仲間に託すのは自らの命。仲間から託されるのは決して緩まぬ信頼の(くさび)!」


 戦いの最中、空間に響く契約の言葉。

 レノアスは短い間だったが傭兵団から教わったこと、世話になったこと、そして忌み嫌われる存在の自分と妹を仲間と呼んでくれたことに感謝する。


 レノアスは知っていた。楔の傭兵団は非道な仕事はしないことを。レノアスは気づいていた。ゼラード達への報酬の半分が孤児や貧民街の人々の生活を支えていることを。レノアスは知らない振りをしている。傭兵団が出世払いで依頼を受けたことは無いことも。

 今は溢れる感謝の気持ちを精一杯込めて。絶対に生き抜いて帰って来るという誓いの思いを込めて。


「はい! 仲間の為に命をかけて!!」


 レノアスは溢れ出る感謝と別れの辛さを押さえきれずに泣いてしまった。

子供だから仕方が無い。子供だから。

 ゼラード達は少し恥ずかしそうにしながら頷く。

 レノアスの胸には既に銀色の盾が創製され、その上には仲間の拳。


「歯を食い縛れよレノアス! ここからはお前が選択したお前の戦場だ!」


「「「「「発現エクセヴィレン!拳に纏う爆撃!!」」」」」


 次の瞬間、強い光とともに轟音が発生し、内臓を抉られる程の衝撃波が周囲の空気ごと爆ぜた。それは多人数同時発現の爆発。

 それによってレノアスとラーナを空に弾き上げた。


「「ぐぅっ!!」」


 ものすごい勢いで地面から飛ばされる瞬間、力強い呟きが聞こえた。


「…生きろよ」


 その声とともに目に入って来たのは、いつも見せていた強面の笑顔ではなく、最強の傭兵団を束ねる漢の顔だった。

 二人は一瞬で樹海の枝葉の間から空に消えて、見えなくなった。

 爆風と共に弾かれた二人を見届けたゼラードは不敵な笑みを浮かべた。


「よっしゃ! ここからは子供には見せらんねえ、大人の時間だ!!」


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」


 団員達もゼラールの咆哮に答えるように、本能に従うように鬨を上げる。

 楔の傭兵団はこの後も王国軍に奮戦し、一万の大軍を半数以上減らすという大損害を出した。その後の彼らがどうなったのかは記録に残っていない。




 レノアス達はゼラード達にかなりの上空に送られた。

 未だ身体にかかる負荷は強く高度は上がり続けている。

 その衝撃は強力で忌み子でなかったら耐えられなかっただろう。

 ラーナはレノアスの背中で意識を失っているようだ。この作戦が知らされたとき、身体にかかる負担が大きくラーナは気絶するかもしれないと、医師の団員が言っていた事を思い出す。

 涙を袖で拭うレノアス。

 ここからは助けは無い。ラーナを守られるのレノアスだけ。今一度心の中で覚悟を決める。

 後ろ向きに飛ばされているため進行方向は見えないが、勢いがあるうちはこのまま飛んでいようと思うレノアス。

 あまりの爆音に耳鳴りがしているが、視界の下には青々とした広大な樹海と、その更に先には戦場になっていたニドレラ平原の東端も見える。

 ふと横を見ると白い渡り鳥の群れを追い越したようだ。


「それにしても無茶苦茶な作戦だ。今更だけど」


 空中にいながらも独り言を言えるくらいには、自分も傭兵団に馴染んだのかもしれないと考えるレノアス。一人で物思いにふけっていると、一瞬身体が浮いた感じがして徐々に落下し始めた。


「いよいよか……」


 呟くとすぐに空中で身体を捻り進行方向に顔を向ける。見える景色一杯の樹海。何処までも続いているように感じる程の深淵の樹海。

 降下していくと徐々に樹海の緑が近くなってくる。

 ここでレノアスは盾を消して、新たに創製を開始する。


創製クレイディフ! 軽くて大きな鷲の翼!」


 するとレノアス達の腹の位置に横幅五メートル程の大きな翼が現れた。

 レノアスはその翼に掴まり、身体の体重移動で姿勢を調整しながら滑空して行く。さっきの爆風でかなり飛んで来たが、少しでも王国軍から遠くに逃れるためだ。


「ふう、なんとかなったみたいだ」


 額の冷や汗を拭い、レノアスは翼を懸命に操作した。

 ゆっくりではあるが風に乗り確実に進んでいる。動物百科事典で見たり実際に鷲を観察したことがあったので、羽ばたくわけではないが銀色の翼はうまく滑空している。


「よし! このまま、このまま」


 しばらく進むと高度が低くなり、木々の枝葉が間近に迫って来た。そのまま木の枝をバキバキと折りながら衝撃を吸収し、葉の中に入る。

 同時に銀の翼が枝に引っかかって止まり、特に怪我も無く枝の上に停止した。

 そこから地面を見て高さを確認。


「うーん、ざっと三十ってところかな。まずは創製を解いてっと」


 瞬時に銀の翼が消えるとそのまま落下し、途中枝を蹴って着地の衝撃を無くし無事に地面に着地する。

 レノアスは飛んで来た方向の深い樹海を眺めた。


「戦いの音は聴こえないな……。かなり遠くに飛んできたみたいだ」


 今度は五感を研ぎ澄ませ周囲の気配を探る。


「……小動物が多い。他に少し離れた所に鳥や樹海亀や大猪か。危険はなさそうだな」


 ようやくラーナを括り付けている紐を解き、柔らかい草の上に寝かせた。

 意識は無いが息はしている。大丈夫だろう。


「ラーナが起きるまではここで待機かな」


 レノアスは周囲の気配を探りつつ近くにあった木の根に腰を下ろす。


「ふう、……皆大丈夫だよね、あんなに強いし」


 レノアスは団員達を思い出し、不安を振り払うよう努めた。


「この場所は少し開けてるみたいだ。ええと、いろいろ生えてるな。図鑑では知っていたけど、実際に樹海に入るのは初めてだな」

 

この辺の樹海の木々は三十から四十メートル位で種類も豊富だ。真っすぐ伸びる木や捻りながら伸びる木もあり、生い茂った枝葉は太陽光を遮りひんやりした空気をつくっていた。地面にはレノアスの背丈ほどの草木が生え、木の根が入り組んで地上に顔を出し凸凹だ。


「これは朝スズランかな。それとこっちは胃腸薬になる緑根菊で。ん?あの蔓植物は確か切断面から水が出て来るんだったかな、十分な水も用意してきたけど、無くなっても不自由はなさそうだな」


 視線を近くの木の根に向けると、そこには薄ら光る小さなキノコが一つだけあった。


「うん? なにか光ってるけど、辞典に載ってなかったな」


 後で調べてみようと手に取り腰に付けてあった小袋に入れた。

 そうして見たり採取して時間をつぶしているとラーナが目を覚ました。


「大丈夫? どこか怪我はない?」


 ラーナは無事に樹海の中に着地していることに安堵したのか、レノアスの胸の中に飛び込み泣き始めた。

 ラーナの涙が収まった跡、二人は樹海の奥へと入って行く。


「ラーナ、足元に気を付けてね」


 ラーナは必死な顔で頷く。

 ここは既に長耳族の王国内。ここまで来れば王国軍は追って来れないため、逃げ延びることは出来たようだ。

 ゼラードの話だと馬車で五日、子供の徒歩では十五日は歩かなければならない。

 鬱蒼とした樹海の地面は想像以上に歩きにくいので、まずは長耳族の村か街まで続く街道を見つける必要があるなと考えていると、ラーナのお腹が鳴った。


「そろそろ食事にしようか」


 ラーナは少し恥ずかしそうに頷く。

 食料を入れて来た背負い鞄から、パンとハムを取り出し二人で食べる。

 疲れていたためかラーナはそのまま寝てしまったので、レノアスがおぶって歩き出す。

 太陽は既に真上に来ているはずなのに、樹海の枝葉が太陽光を閉ざし薄暗い。

 何度か遠くに大きい野生動物の気配を感じたが、出来るだけ近づかず見つからない様に慎重にやり過ごした。


 そうして三日位進んだ所で馬車の通れる位の街道を見つけた。手入れはあまりされていないようだが、ようやく歩きづらい樹海の凸凹から解放された喜びで、二人で顔を見合わせ微笑んだ。


 街道をさらに東に進むこと五日ほど、聞いてはいたが人一人とも出会わない。山菜を採ったり、小川で水浴びしたりとなんとかやってきたが、この頃になるとラーナは疲労の蓄積であまり歩けなくなってきた。仕方がないのでレノアスがおぶって進む。


 現在オルキスヴェリア王国と長耳族のセレンジシア王国とは重要な会議以外に交流は無い。宗教的な理由や他種族蔑視の影響が強く、特に長耳族は交流に消極的であった。


「本当に五日間以上も誰も通らない道なんて……」


 レノアスが疲れた表情をしているとラーナがおぶられたままレノアスの頭をなでて慰めた。


「あ、大丈夫だよ。忌み子になってから疲れ知らずだしね」


 そうして暗くなるまで歩き続け、道の真ん中でレノアスが創製で天幕を具現化する。ここ数日同じようにしてきたので慣れてきた。

 夕食も終えた頃、天幕の中では既にラーナが寝息を立てている。

 レノアスは今後のことを考える。


「まずは王様に会わないとな。それからゼラードの話しをして、僕たち二人のことをお願いしないと」


 そんなに簡単にいくだろうか。

 ゼラードや傭兵団のような人達ばかりではないのだ。どうしても相容れない考えの相手だっているはず。そういう時にラーナのために戦えるだろうか、と考えつつ眠りにつくレノアスだった。


 それから更に四日経ち、予想ではあと二日の距離まで来ていた。

 ラーナはもう限界に近くおぼつかない足取りだったが、とうとう小さな石につまづいてしまった。


「おっと!」


 すかさずレノアスが受け止める。ラーナがほっとした表情で微笑むが、やはり小さい子供に歩きの旅は辛い。表情にも力が無く、レノアスがラーナを背中におぶろうと考えたその時、何かの気配に気づいた。


「ん!? すごい速さでこちらに向かって来ている。人? いや……」


 その気配は少し離れた所で止まりこちらを見つけたようだ。


「王国の兵士……じゃない。もっと動物的な何かだ」


 立ち上がり静かに両手に短剣を創製する。

 突然その存在から甲高い音が聞こえた。聞こえたといっておそらく人には聞こえない程の高い音。

 レノアスの強化された五感でなければ聞き取れないだろう。

 すると直ぐに別の気配が、音を出した存在の周囲に集まってくる。


「仲間を呼んだのか……」


 レノアスは緊張に顔をしかめる。

 背後にはラーナがいる為、戦闘になると巻き添えになる可能性がある。だからといってラーナをおぶり逃げようにも、あの速度では直ぐに追いつかれるだろう。

レノアスが考えていると、その気配達はすごい速さでこちらに近づいて来た。レノアスは瞬時に短剣を構えて、いつでも戦闘ができる状態にした。

 集団はレノアス達の周囲に到着すると、木の影から一人だけ進み出て荒れた街道に姿を見せた。

 焦げ茶のフードつき外套に文様が見える。

 紅い髪。ではなく紅い毛の二足歩行の虎……。

 レノアスは驚きで目を見開いた。人の様だが人ではない。それは種族辞典に記載されていた獣人だった。


「え!? じゅ、獣人!?」


 初めての対面だったが、レノアスが暮らす王国内でも見る事はまずないだろう。

 なぜなら彼らは出自が不明な種族で、何処で暮らしているか分からないのである。たまに一人二人捕まることがあっても彼らはすぐに自害してしまうため、住む場所も文化も何も分からないままらしい。

 レノアスが記憶している辞典にはそう載っていたが、なんとも謎な種族だと頭のなかで考える。

 すると目の前の獣人に驚くべき事が起きた。

目の前で獣人が人の姿に変わっていく。その変貌は銀色の粒子が周囲に溶ける様にして美しく消え、やがて獣の姿を美しい女の姿に変えた。いや戻ったのかもしれない。


「……綺麗だ」


 レノアスは無意識に呟いていた。

 その燃えるように紅い髪は肩ぐらいまであり癖毛、黄金の瞳は瞳孔が猫のように縦長になっている。

 その瞳は紛れも無い獣人の特徴である。

 レノアスの呟きに女は驚いたように頬を紅くしたが、気を取りなして口を開いた。


「は、初めてお目にかかる。私の名はムジカ。氏族名はハバナギノキバ。ムジカでいい」


 そういうとムジカは自然な動作で歩み寄る。

 レノアスの強化された感覚に頼るなら、ゼラードを遥かに凌ぐ強さのように感じる。周囲に潜む者達も同じ位だろう。

 レノアスは緊張する。今の自分には到底敵わない相手だからだ。しかし悪意は感じない。


 ムジカは金色の瞳でレノアスの目を真っすぐに見る。

 レノアスは、はっとして自分は名乗っていない事に気づく。


「あっ! 僕はレノアス、レノアス・エルト・ウィゼラント。今は忌み子です」


 ムジカは少し首を傾けた。


「忌み子とは何かは分からないが……」


「あ、すみません、気にしないで下さい。他の人たちは仲間か何かですか?」


 レノアスの何気ない質問にムジカは目を丸くし驚いた。


「お前気配を察知できたのか?」


「ええ、まあ少しなら。他に九人。円形に囲んでますよね。今来た遠くの木の上に一人追加で」


 ムジカは唖然とした。なぜなら獣人族は総じて気配を消すのが上手く、野生動物の至近距離に近づいても気づかれない程だからだ。

 ムジカはレノアスを見る瞳に畏怖を含ませる。次の瞬間指をくわえ先ほどの甲高い音を少し波長を変えて出すと、木の上の一人を除いて周囲の九人がゾロゾロとレノアス達がいる街道に集まった。

 その姿は様々でムジカは紅い虎。他には狼に熊、狐に図鑑に無い種類の巨体の黒い猿、あとは猫など。

 彼らは人に変わる気はないようだ。じっとレノアスを見ている。

 彼らにムジカが話しかける。


「……彼はレノアス。小さいのにお前達全員気配を気取られたぞ」


 その発言で全員が驚くように動揺した。大きな猿の獣人は動じていないようだが冷や汗が出ている。

 狐の獣人が男にしては高い声を出した。


「ほんとかよ、何者?このちっこいの」


 ムジカが戒めるような視線で狐獣人を射抜く。


「おい、口の聞き方に気を付けろ! 木の上のセドでさえ気づかれている。見た目で物事を見る者は身を滅ぼすぞ!」


「ええ!? お、おいおい、信じられねえが、冗談言わねえムジカが言うんだから、本当のようだな……」


 その場がどよめく。ムジカが他の皆を手で制して鎮めると本題に入った。


「……頼みがあって来た」


「はい?」


「単刀直入に言おう」


 ムジカの金色の瞳が輝いたような気がした。周りの獣人達にも緊張の色が見える。

 樹海の枝葉がサワサワと静かに揺れる音。土と木の混ざったような匂い。どれも心地よくレノアスの五感を刺激していたが、彼女の次の言葉がその全てを引きずり込むように色を失わせる。


「そこにいるお前の妹を寄越せ……」




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