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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第三章 ガデアント小国連合
35/42

地下倉庫での取引

 レノアスがアイスリンに超激辛料理を食べさせられ意識を失ったしばらく後。彼は見覚えのない部屋で目を覚ました。


「……ん……ここは……」


 レノアスは意識が徐々にはっきりして椅子に座っていることがわかり、立ち上がろうとしたが彼の腕は後ろ手に縛られ、身体ごと椅子に括り付けられ足首も縄で縛られていた。


「どうなっている? なぜ俺は縛られているんだ」


 レノアスの意識は思いもよらない状況に完全に覚醒した。彼はつとめて冷静に周囲の状況を観察しはじめた。

 窓は無くカビ臭い湿った空気とひんやりとした温度。だだっ広い部屋に木箱や布袋が置かれていて、レノアスの背負い鞄も近くに置いてあった。どうやら意識を失っている間に何者かにどこかの倉庫に監禁されてしまったようだ。


「確かアイスリンに激辛料理を口に放り込まれて……」


 レノアスは意識を失う直前にアイスリン達と食事をしていたため、彼女達が自分を縛って閉じ込めたのかと一瞬考えたが、そんなはずはないと考えを改めた。

 やがて妨害者達の隠れ家も倉庫だったことを思い出したレノアスは、彼らによって捕らえられたのだろうという考えに至った。


「とにかく、ここを出ないと」


 レノアスは倉庫の中に人の気配がないのを確認すると、創製で刃物を具現化し縄を切れるか試そうとした。


創製クレイディフ、摩擦係数ゼロの短剣」


 レノアスが唱えた途端に、倉庫の床全体に描かれていた譜文の文字が光を発して、彼の創製を阻害し短剣は具現化されなかった。


「銀術を阻害する譜文か。どうしたものか……」


 セレンジシアの式典会場で使われた広範囲な譜文より、効果範囲は狭い分、完全に術の発動を押さえるようだ。レノアスは手首を捻ったり、綱から力づくで抜け出そうとあがいていたが頑丈に縛られていたため無理だった。

 やがて倉庫の扉の向こう側から数人の足音がして、ガチャリと鍵が開いた後、金属の重い扉がゆっくりと開かれていく。

 倉庫に入ってきたのは、土色の外套を羽織った数人の男達だった。その中の短い金髪で眼鏡をしている目つきの鋭い男が、眼鏡の位置を直しながら椅子に縛られているレノアスに近づいた。


「はじめまして。私の名はザイルといいます」


 レノアスは言葉には出さなかったが、彼らからは血の匂いがしていた。おそらく人殺しを平気で行う集団なのだろう。


「俺といっしょにいた姉妹達は無事なのか?」


「ええ、彼女達がなかなかの強さだということは、すでに調べがついていますので、彼女達の隙をついて君を攫ってきたんですよ」


 レノアスはザイルの言葉を聞き一先ず二人は無事だということに安堵した。しかし、あの二人の隙をつくほどの手練が敵の中にいるということを知り、彼は気を引き締めた。

 ザイルは椅子に拘束されているレノアスを興味深げに見下ろし質問した。


「ところで、君は何者なんですか? あなたの戦う姿を見ていましたが、やけに場慣れしているし、ローザ嬢の顔をまともに見て魅了されないなんて普通じゃない。私たちには突然この町に現れた君の情報がないんです」


「お前達に教えるつもりはない」


「フフ。答えてくれないほうが私としては楽しめますけどね」


 ザイルは一人の手下に顎を動かし指示を出すと、その手下はレノアスの腹部に強烈な拳を打ち込んだ。


「ゔっ!」


 レノアスは腹の痛みにうめき声を出し顔を歪めた。

 ザイルはその様子をみて楽しそうに微笑んだ。


「それで、君は何者なんですか? ローザ嬢とどういう関係なんです?」


「……お前達に教えるつもりは、ない」


 すぐにザイルの手下はレノアスの頬を殴った。


「ぐっ!」


 レノアスの頭はその衝撃で弾かれ横をむき、頬の内側を切ったのか口の端から血が零れた。それから一時間もの長い間、レノアスはザイルに何度も質問され、その度に答えるのを拒否し腹部や顔を殴られ続けた。しかし、一向に気持ちの折れる気配がないレノアスに、ザイルは笑みを消して面白くなさそうに言った。


「縛られて身動きとれず銀術も使えないというのに、その落ち着き様。君、やはりただ者じゃなさそうだ。まあ、君が誰であっても計画に支障はないんですがね」


 自分が彼らと敵対している使徒ということが知られると、まずいことになると思いレノアスは口を閉ざしていた。

 ザイルの手下はさらにレノアスの腹部に拳を打ち込む。

 ザイルはその様子をしばらく見ていたが、そのうち興味がなくなったようにきびすを返し、倉庫から出ていこうとした。


「……お前達は、何者だ?」


レノアスがザイルの背中に向けて声をかけた。

ザイルは立ち止まり、レノアスを冷ややかな目で見た。


「大体調べがついているのでしょう? 私たちの組織の名は『囚獄ひとやの鍵』。君達が妨害者と呼んでいる者です」


「……俺を攫ってどうするつもりだ?」


「君に用はありません。用があるのはローザ嬢です」


「つまり、俺はローザをおびき出すための餌か。ローザに何をさせるつもりだ」


 ザイルはレノアスの質問には答えず小さく笑った。


「フフフ。君は大人しくしていればいいんです。そしたら命は助かる、かもしれませんね」


 ザイルはにやついたまま、倉庫に見張りとして手下を一人だけ残して去って行った。




 その頃、倉庫の前の街路ではアイスリンとスノウラルが禿頭の巨漢と戦っていた。その倉庫は旧市街のはずれにあるため他に人気はない。

 全身入れ墨の巨漢の男ローブンデは銀色の太い棒を肩に担いでいた。その形状は取っ手から徐々に太くなり、先端は木の幹ほどの太さになっていて棍棒と呼ばれる武器のようだ。周囲には大きく円形に陥没した跡が所々に見られ、その武器の威力の凄まじさを物語っている。

 ローブンデは姉妹達に幾度も攻撃をかわされ、苛立ったように眉間にしわを寄せて声を張った。


「すばしっこい奴らだな。早くぺしゃんこになったらいいと思う」


 アイスリンは長い針のような刺突剣を構えた。


「あたしはカイカイの干物は好きだけど、あんな風に薄っぺらくなるつもりはないよ」


 アイスリンの背後に立っていたスノウラルがため息をついた。


「……はぁ。アイ姉が激辛カイカイ料理を無理矢理食べさせなければ、こんなことにはならなかったのに」


「うっさいなあ。どっちみち攻め込む予定だったんだから、一緒じゃん?」


「そんなわけないでしょう! 敵の人数や戦闘能力を調査してからの予定だったのに、敵の情報が全くない状態で戦うことになったのよ!?」


「だからさー、恵みの雨の皆には迷惑かけられないって、私たちだけで来ることにしたんじゃん。皆やっつけっちゃえばいいんでしょ?」


「そう簡単にいけばいいけど」


「ていうかさー。気絶したレノっちを宿屋で寝かせたけどさ、レノっちが攫われたのは看病していたスーが居眠りしてたからじゃん?」


「だ、だってしょうがないでしょ!? お昼を沢山食べたら眠くなっちゃったのよ! それにまさか窓から侵入して攫っていくなんて思わなかったし。そもそもの原因を作ったのはアイ姉で」


 ドゴォォォォン!


 姉妹が話しているところにローブンデの棍棒が振り落とされた。

 姉妹は直前で飛び退きかわす。銀の棍棒は地面にめり込み大きく陥没させた。


「ごちゃごちゃうるさい。さっさと死ねばいいと思う」


 ローブンデは棍棒を軽々と横に振り回し二人を襲ったが、二人は軽快な動きで飛び上がってかわし距離を開けた。


「スー。いつもの作戦でいくよ!」


 アイスリンは刺突剣を構えながら地面を蹴り高速でローブンデに肉薄した。ローブンデは棍棒を縦に振り落としアイスリンを叩き潰そうとしたが、寸前で彼女はさらに速度を上げてローブンデの背後に回った。同時にスノウラルが発現を放つ。


発現エクセヴィレン! 地より絡み付け、氷縛ひょうばく!!」


 ローブンデはアイスリンの動きに翻弄され、足元から這い上がってきた氷をかわせず、両脚を完全に氷付けにされ動きを封じられた。

 スノウラルは間をあけず連続で唱えた。


発現エクセヴィレン! 刺し貫け! 氷尖ひょうせん!!」


 スノウラルは長さ二メートルの円錐形のつららを具現化し、ローブンデの心臓目がけて高速で射出した。

 アイスリンもそのつららがローブンデに命中するタイミングに合わせ、ローブンデの背中から心臓を狙って鋭い一撃を放った。


 ガン!!


 彼女達の攻撃は突き刺さる事なく弾かれた。


「ええ!? なにこれ!」


 アイスリンはローブンデから距離をとりスノウラルの側まで戻り、身動きがないローブンデを凝視した。

 二人の姉妹はその異様な姿に目を見開いた。


「スー。……あの岩男、なに?」


ローブンデの全身の肌から岩石がごつごつと隆起している。


「し、知らないわよ! 私も初めて見るし、あんな肌。銀術でもないようね。もしかしたら異世界人特有の能力かもしれないわ」


ローブンデは拘束されていた足に力を入れ、氷を破壊して姉妹に向かってゆっくりと歩き出した。


「そんな爪楊枝で俺はやられない。そろそろ本気で潰そうと思う」


 彼は立ち止まるともう一つ武器を具現化した。


創製クレイディフ! でっかい銀の棒をもう一本!!」


 ローブンデは両手に銀の棍棒を持ち姉妹に近づいていく。

 アイスリンは再びローブンデに肉薄し、振り下ろされる二本の棍棒を軽快な動きでかわしつつ、彼の周囲を移動しながら様々な箇所に鋭い突きを何度も放った。しかし、その一つとして外皮の岩肌を突き破ることはできなかった。

 スノウラルもローブンデに鋭いつららを何本も発現して射出したが、その全てが彼の硬い皮膚に阻まれて衝突した瞬間に砕けてしまった。

 アイスリンは地面の土をローブンデの顔に投げつけ、彼の視界を少しの間塞ぎ、スノウラルが立つ位置まで戻った。


「あっちゃー、あの岩男には剣が通らないよ。久しぶりにあれやる?」


「それしかないみたいね」


 顔に土をかけられ苛ついたローブンデは、次の瞬間その巨体からは想像もつかないほどの速さで、姉妹に向かって突進し両手に持つ銀の棍棒を同時に振るった。


「へっ!?」「きゃっ!」


 二人は直撃の寸前で飛び退いたが、二本の棍棒が地面を叩き陥没されたときの衝撃波を受け体勢を崩し、地面を転がった。


「いてて、見た目でのろまだと思ってたけど機敏に動けたのね。急に動きが速くなるなんて反則だよ」


「アイ姉もさっきしてたでしょ。それより、あの攻撃をくらったら一撃で確実に死ぬわね。たぶん、お葬式に来た人達が目を背けたくなる程無惨な姿でね」


「そ、それは、いやだな〜。死んでからも可愛くありたい」


「だったら、いつも言っているけど、今回みたいな軽率な行動は控えてよね!?」


「は、はい。ごめんなさい」


 全身が岩肌のローブンデが二人を睨みつけ、再度ものすごい速さで二人に向かって突進してきた。

 アイスリンは武器を霧散させてからスノウラルに声をかけた。


「いくよスー!」


「今よ、アイ姉!」


 二人は息を合わせて同時に腰を落とし、利き手の平をローブンデに向けて流体術の構えをとった。それから二人は声を揃えて体内の力の流れに意識を集中した。


「「意思を力に、力をこの手に」」


 ローブンデは突進しつつ、その勢いを乗せた両手の棍棒を姉妹達それぞれの頭を目がけて振り下ろそうと腕を上げた。


「「反衝!!」」


 その瞬間、二人は振り下ろされた棍棒に手の平を叩き込んだ。銀の棍棒は一瞬にして粉々に砕け、破片とともに上空へ向けて爆散した。

 『反衝』は相手の攻撃力をそのまま反射する技で、元々は非力な人間が獰猛で巨大な野生動物に抗うためにあみ出された技だ。


「あ!?」


 ローブンデは棍棒が容易く粉砕されたことで混乱し、何が起きたのか認識が追いつかず、霧散していく銀の粒子を呆然として見ていた。

 その隙をつき二人の姉妹は鏡合わせのように同じ動きで、ローブンデの懐に入り込み地面を踏みしめ、岩のようになっている腹に再び手のひらを打ち込んだ。


「「内震!!」」


 ドフッ!! という鈍い音とともに二人が打ち込んだ手のひらから、ローブンデの身体の内部を波のように衝撃が伝い全身に広がった。直後ローブンデは白目をむいて鼻血を垂らし、大きな音を立てて背中から倒れ微動だにしなくなった。

『内震』という技は衝撃を対象の内側に送り込む技で、いくら外皮が硬くても内部を破壊することができる攻撃技だ。

 二人の姉妹は構えを解いて向かい合い、手を頭上にあげてから手のひらを叩き合わせた。


「「やったー!」」


 その戦いを固唾をのんで見ていた『囚獄ひとやの鍵』の男達は、巨漢のローブンデを倒されたことで怖じ気づき後ずさった。

 その集団の中から軽く拍手しながら歩み出てきたのはザイルだった。彼は不敵な笑みを浮かべ眼鏡の位置を直した。


「お見事ですね。あの頑強なローブンデさんを倒すとは。あなた達の戦闘力を見誤っていたかもしれません」


 アイスリンが額の汗を払いながらザイルに問いかけた。


「あんたがここの親玉?」


「フフフ。そのとおりです。親玉というよりは、支部長といったところでしょうか」


「見た感じそんなに強そうには見えないね。あの岩男より弱そう」


「はい。私は彼よりは弱いですよ。殴り合いの喧嘩ではね」


「じゃあさ、降参してあんた達が攫ったレノっち返してよ!」


「ローザ嬢が来るまでは、あの少年にはいてもらいますよ」


「レノっちに酷い事してないでしょうね」


「先ほど少し痛めつけましたけど、まだ死んではいませんよ。まだね。フフフ」


「あんたっ……!」


 アイスリンは顔を怒りで歪め、ザイルを射殺さんばかりに睨みつけた。今にも飛びかかりそうなアイスリンをスノウラルは腕で制した。


「アイ姉、落ち着いて」


「でも! レノっちが!!」


 アイスリンはスノウラルの手が怒りで震えているのに気づき、走り出そうと踏み出した脚を戻した。


「私たちが下手に動いたら、彼が増々危険にさらされるわ」


「う〜!」


「フフフ。あの少年を盾にしようなんて考えていませんよ。あの少年、いくら痛めつけても泣き叫ばないので、少々退屈していたところなんです」


「ふざけんなよ! レノっちを傷つけたあんたは絶対に許さない! あんたを叩きのめしてレノっちは返してもらうから!!」


 姉妹二人は戦う構えをとった。


「いいでしょう」


 ザイルは心底嬉しそうに口角をあげ不気味に笑みを強めた。ザイルは両手にはめていた白い薄手の手袋をとり、上着の内側にしまった。


「フフフ、始めましょうか。苦痛という名の遊びを」


 ザイルは片手を姉妹に向けた。五本の指にはそれぞれ古代語の数字で一から五までが刻まれていた。




 その頃、地下倉庫に閉じ込められているレノアスは、ローザに危険が及ぶ前に脱出しようとしていた。

 彼は見張りに気付かれないよう縄を解こうとしてみたが、痛い程に締め付けられていて縄は一向に解けない。

 レノアスは腹部と頬の痛みに堪えつつ脱出方法を思案していると、倉庫の前に人の気配がして二十代くらいの女が扉を開けて入って来た。

 その女は長い黒髪で大きい胸が目につく女性らしい体型だった。彼女はゆっくりとした口調で見張りの男に声をかけた。


「あの子の見張りは私がするから、あなたはもう戻りな」


 見張りの男は少し驚いたようだったが、黒髪の女のほうが権威が上なのか、すんなり言う事を聞いて倉庫から出て行った。

 男の気配がなくなるのを確認した黒髪の女は、レノアスの顔を見つめながら彼に近づいた。


「ひどくやられたわね、レノアス君」


 レノアスは自分の名前を彼女がすでに知っていることに不思議に思った。ローザに名前を呼ばれたのを聞いていたのかもしれない。

 その女は何をするでもなくレノアスの瞳をしばらくじっと見つめた。


「……私の名前、わかる?」


「今日初めて会ったのに分るわけがないだろ」


「そうよね」


 彼女の瞳に一瞬だけ悲しみの色が浮かんだが、レノアスにはその悲しげな瞳の理由を理解できなかった。

 それからその女は覚悟を決めたように真剣な表情になった。


「……私と取引しない?」


「取引?」


「そう。私がレノアス君をここから逃がしてあげる。その代わりに私のお願いを聞いて」


「……ここから出たいのはやまやまだが、その取引の内容によるな」


「簡単なことよ」


 その女は土色の外套の内側から銀色の懐中時計を取り出し、レノアスの目の前にぶら下げた。


「これから先あなたの前に、この懐中時計と形は同じだけど色違いをもつ少女が現れる。そしてその少女は遥か遠くに旅立とうとするわ。その時、その少女が旅立つのを絶対に止めてほしいの」


 レノアスは目の前の女が予言めいたことを頼んできたので、セレンジシアのヴェストン公爵のように、ある程度の未来を予知できるんだろうかと思った。


「未来を予知できるような口ぶりだが、本当にその少女が現れるのか? いまいち信じられないな」


「必ずあなたの前に現れるわ」


「……もしその少女が現れたとして、それはいつ頃なんだ?」


「それは言えない」


 レノアスは要領の得ないこの取引に警戒しながらも彼女の手にぶら下げられた懐中時計を見た。

 それは全体が銀色で細かな細工が施してあり、ふたの中央には菱形の家紋のような図柄が彫られていた。

 オルキスヴェリアやガデアント地方では、大型の時計を所有できるのは貴族か大金持ちだけで、小型の時計を持つものはその中でもさらに少ないというのが常だった。

 もしかしたら目の前の女は相当に身分の高い人物なのかもしれない。


「その少女に出会ったとしても、俺が約束を守るとどうして言える?」


 女は黒く長い髪を軽くかきあげ口元に微笑みを浮かべた。


「心配ないわ。あなたは約束を守る人だもの」


 彼女がそう言い切ったことにレノアスはまたしても違和感を覚え、彼女が会ったばかりの自分をなぜ信頼できるのか分らなかった。

 レノアスは少しの間、彼女との取引について考えていたが、ここから抜け出す方法は存在昇華による強引な突破しかないことは明らかだった。それはレノアスの命を削るものなので、可能な限り存在昇華の状態になるのは避けたかった。


「……わかった。その取引を受ける」


「そう。よかった」


その女は懐中時計をしまうと、腰に指していた鍔のない短剣を手に持ち、レノアスを拘束している縄を切断していった。レノアスは拘束が解かれるまで警戒を緩めなかった。


「これで縄は解けたわ。後はここから抜け出すだけ。……そういえば、あのうるさい姉妹が迎えに来てたわよ」


 彼女がそう言ってから間もなく、鈍い轟音がして、倉庫全体が揺れ天井から土ぼこりが落ちてきた。

 すぐに先ほど出て行った見張りの男が戻ってきて、彼女に状況を伝えた。


「姉御! ローブンデさんが恵みの雨の小娘達にやられました! 今ザイルさんと交戦中!」


 黒髪の女はすばやく男に近づき、その男の首の後ろを軽く叩いて意識を失わせた。


「おい、そいつはお前の仲間じゃないのか?」


「べつに仲間じゃないわ。私は雇われているだけよ。だから、私が何をしようと私の自由なの」


 レノアスは彼女が組織を裏切ってまで自分を解放したことで、この取引が彼女にとっていかに重要なものであるかを理解した。


「この倉庫から出て階段を昇ったら気を付けて。あいつらがいるから」


「お前は行かないのか?」


「ええ、私は大丈夫よ」


 その時、再び揺れを伴う鈍い轟音が響き、レノアスは倉庫の扉に一瞬視線を向け、ふたたび黒髪の女に視線を戻すと、すでに彼女の姿は跡形もなく消えていた。


「え……消えた……?」


 レノアスは倉庫内を見回してみたが彼女はやはりいなかった。


「……なんだ、あいつ。でも、今はそれどころじゃないな。早く地上に出ないと」


 レノアスは自分の鞄を背負うと急いで階段に向かった。その通路の天井の高さは三メートル程あって、階段までに彼が監禁されていた倉庫と同じような部屋が幾つもあった。

 レノアスは階段を上り様子を伺うと男達の会話が聞こえた。


「おい!? 外にいる相手は全部で何人だ!?」


「例の姉妹だけだ!奴らが暴れていて、さっきローブンデさんがやられちまった。ザイルさんが姉御を呼んで来るように命令したんだが、姉御は何処に行ったんだ?」


「姉御は捕虜の様子を見てくるって言って地下倉庫に行ったぞ」


「そうか、わかった」


 そう話していた男が地下へと続く階段を下りて通路を走ろうとした。その時、レノアスが天井から男の後ろに降り、その男の首を素手で強打して気絶させた。

 レノアスは創製した短剣を石壁に突き立て、天井に張り付き潜んでいたのだ。

 レノアスは再び階段を昇り気配を消して一階に侵入し、その場にいたもう一人の男も背後から襲い失神させた。一階は木造で天井までは二階建て程の高さがある広い倉庫になっていて、多くの荷物が山積みになっていた。


「出口はあっちか」


 レノアスは大きな木箱の影に隠れながら出口に向かい、途中何人かの男達に気配を悟らせないまま気絶させ倒していく。


「よし、六人目っと。なんとかここまではやって来れたな。樹海での経験が役に立ったぜ。まだ外も危険のようだがな」


 レノアスは痛む身体をかばいながら外に出てみると、そこにはアイスリンとスノウラルが傷つき呻きながら倒れていた。


「アイスリン!? スノウラル!!」


 レノアスは二人に急いで駆け寄ろうとしたが、二人の近くにザイルが立っているのに気付き踏みとどまった。

 ザイルはレノアスに気付くと小さくため息をついた。


「はぁ。君があの状況から逃げ出してきたということは、彼女の仕業ですね。いやはや、彼女が何を考えているのかわからない。まあいいでしょう。新しい人質が二人できましたから」


 ザイルはそう言うと倒れているアイスリンの腹部に蹴りをいれた。


「がは!」


 アイスリンは蹴り飛ばされた痛みで顔を歪めうずくまる。

 レノアスは怒りを込めて叫んだ。


「おい! やめろ!!」


 ザイルは叫ぶレノアスを気にせず、苦しむアイスリンとスノウラルを眺め愉悦に表情を緩ませていた。


「フフフ。これ、これですよ。やはり人が苦しむ姿はいいですね。特に女性の美しい顔が痛みに歪むのを見るのは格別です」


 ザイルはスノウラルに視線を移し彼女も蹴り飛ばそうと足を上げた時、レノアスはそうはさせまいと、武器を創製しながらザイルに斬り掛かった。


創製クレイディフ、摩擦係数ゼロの双剣!!」


 ザイルはレノアスの斬撃を軽くかわして距離をとり、倉庫の前に立った。


「邪魔をしないでもらえますか? まだお楽しみの最中なのでね」


「お前の相手は俺がする!」


「……君を痛めつけても面白くないんですよ。でも、もう君を生かしておく必要もないですから、死ぬまで痛めつけたら少しはいい表情をしてくれるかもしれませんね」


 ザイルは気味の悪い笑みをレノアスに向けた。


「どこまで耐えられるか見物ですね。フフフ」


 ザイルは数字の刻まれた片手をレノアスに向けつぶやいた。


「イチ。歩くのはあざの道」


 そのつぶやきと同時にザイルの周囲の地面が薄らと光を放った。レノアスは普通の術ではないことを察知し、双剣を構えザイルに向かって一歩踏み出した。その途端、踏みしめた地面が強く光り銀柱が突き出した。

 レノアスは足元から突き出た銀柱を体を捻ってかわそうとしたが、かわしきれず肩に当たり体勢を崩してよろめいた。足をついた先の地面がまた光り、銀柱が突き出てきてレノアスの腹部に直撃した。


「ぐはっ!」


 レノアスはその銀柱に打ち上げられて飛ばされ地面に倒れた。彼は腹部の痛みに顔を歪めながら立ち上がった。

 ザイルはにやついた表情で眼鏡の位置を直しレノアスに声をかけた。


「先ほどの尋問のときの痛みが残っているようですね。なかなかいい表情ですよ」


 ザイルの術は決められた条件で自動的に発動する術のようだった。

 レノアスは今立っている地面を何度が踏みしめ、その場所では何も起きないことを確認した。


「お前を中心にある程度の範囲の地面を踏むと、術が発動する仕掛けがあるようだな」


 地面を踏めないならばとレノアスは空中に足場を幾つも創製してそれを蹴り進んだ。しかし、ザイルは動じることなく違う術を発動した。


「二。飛ぶは切り傷の空」


 その言葉をザイルが発した直後、空中の足場を蹴り進むレノアスに、無数の鋭く小さな風の刃が前方から飛んで来た。


創製クレイディフ、摩擦係数ゼロの大盾!!」


 レノアスは全身を隠せるほどの大盾を創製し、襲い来る無数の刃を防ぐ。しかし発現に対しては効果が半減してしまう彼の盾は徐々に削れていった。ぼろぼろになっていく盾を擦り抜けた風の刃が、レノアスの腿や腕にかすり傷を付け始め、彼はたまらず先ほどの位置まで飛び退き着地すると風の刃は止んだ。


「今度は空中の発現か」


「まだまだ、お楽しみはこれからですよ。フフフ」


 ザイルは薄気味悪い笑みを浮かべたまま、さらに違う術を発動した。


「サン。動かざるは刺し傷の雨」


 ザイルがその言葉を発するとレノアスの頭上で鋭利な銀色の針が幾本も創製し、レノアスに向かって雨のように降り注いだ。






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