ガデアントの使徒
「あなたがレノアスさん、ですわね?」
レノアスが後ろを振り向くと、外套のフードを深くかぶり、口元を隠して目だけを覗かせた女性が立っていた。
「わたくしはガデアントの使徒です」
レノアスは彼女の琥珀のような美しい黄色い瞳を見ると、なぜか胸が高鳴り、その瞳に吸い込まれるような不思議な感覚を覚えた。
「俺はレノアス。レノアス・エルト・ウィゼラントだ。お前がガデアントの使徒か。屋根の上を走っているところは見たが、どうして俺が使徒だと分ったんだ?」
「わたくしの名はローザ・ヴァンティーネ。エンネアさんからあなたの外見を前もって見せていただきましたの。ビジョンで見たとおり冴えないお顔ですわね。確かウィゼラントという家名は、オルキスヴェリアの辺境伯だったかしら。その貧相な身なりでも一応貴族なんですのね」
レノアスはローザのあまりに率直な口ぶりに驚いたが、セレンジシアでは人間族に対するあからさまに拒絶的な言動をされていたこともあって、彼女の言葉はさほど気にならなかった。
「まあな。それより、ローザは妨害者達から頻繁に追われているって聞いたが、今日はいないのか?」
ローザは小さくため息をつき答えた。
「たぶんもうすぐ現れますわ。わたくし男性によく追われますの」
「追っているのは妨害者だけじゃないのか?」
「色々事情がありますのよ。ほら、噂をすれば何とやらですわ」
ローザが視線を向けた先から十数人の男達が走ってきた。しかし、彼らの姿はどう見ても一般人で、料理人や商人、農夫に旅人や貴族のような者もいる。彼らは一様に血走った目をローザに向けて猛獣のように追いかけてきていた。
「ローザさん! 僕とお付き合いしてください!!」
「オラの嫁になってくだせー!」
「僕たちの愛は永遠です!」
「私を選んでくれるなら絶対に不自由はさせないよ!!」
ローザは冷めた視線で彼らを一瞥すると、レノアスの手を引いて走りだした。
「レノアスさん! 逃げますわよ!」
「え? 俺も!?」
レノアスは引かれるがままローザの後を走る。そして二人は大通りの人ごみの間を素早く走り抜け、ひと気のない路地に入り、そこに積んであった木箱の後ろに潜んだ。
すぐに追って来た男達の声が聞こえてくる。
「ローザさーん! どこですかー?」
「こっちに来たと思ったんだけど」
「逃げられてしまったな。とほほ」
「絶対にあきらめませんよ!」
男達はそのままレノアス達に気付かず通り過ぎて行った。
レノアスはローザが男達に追われる理由がわからず、彼女に質問しようとしたその時、近くの屋根の上から風を切る音と共に矢が放たれた。レノアスは瞬時に小さな盾を創製し矢を弾いて屋根を見上げた。
「誰だ!」
屋根の上には土色の外套を羽織った者達が五人立っていて、彼らは矢が弾かれたのを確認すると、レノアス達を挟むように路地に降り立った。レノアスとローザは背中合わせになり、二人を挟み撃ちにしようとする敵に背中を見せないように立った。
「ローザ、こいつらが妨害者か?」
「ええ、そうですわ」
「さっきの男達といい、こいつらといい、どうしてそんなに狙われているんだ?」
「私が異世界人の末裔だからです」
「なんだって!?」
「その話しは後で話して差し上げますわ。今は目の前の敵を倒すのが先決ではなくて?」
「……そうだな。こいつらには聞きたい事もあるし、長旅でなまった身体の肩慣らしにはいいか」
レノアスは盾を消し武器を創製する。
「創製、二本の棒」
レノアスの両手には鋭利さがまるでない二本の棒が現れた。レノアスは流体術の修行のため、棒を使い力の流れを意識しながら戦った。敵は短剣を創製し横薙ぎに振ったが、レノアスはしゃがんでかわし、的確に敵の手首に打撃を加えて、敵の持つ短剣を地面に落とした。彼はそのまま敵の脇腹に強打を打ち込み、敵の身体を近くの壁に弾き飛ばして意識を失わせた。
「レノアスさん、意外とやりますわね。わたくしも加勢致しますわ」
レノアスは構えているもう一人の敵に向かって肉薄し、二本の棒の乱れ打ちをお見舞いした。敵の短剣がいとも簡単に弾かれて飛んでいき、腕、腹、首と高速の打撃が打ち込まれ、激痛に顔を歪めた敵は気絶して倒れた。
「創製、敵を貪り尽くしなさい! ブラッディベリー!!」
彼女の手に銀色の粒子が集束し、徐々に細長い深紅の棒が創製された。レノアスは目の前の敵が地面に倒れたのを確認してから振り返り、ローザの創製した棒を見て驚いた。その棒は彼女の身長ほどの長さがあり、棒をよく見ると全面に輝く光の筋が幾本もはしっていた。
ローザが深紅の棒を構えてからすぐに、三人の敵のうちの一人が彼女に襲いかかった。敵は命を取るつもりはないのか、短剣の刃のない背の部分をローザに振り落とした。彼女は後ろに下がってかわし、直後、流れるような棒さばきで巧みに敵の武器を弾き落とし、首筋に打撃を加えて意識を失わせた。残る二人の敵が即座に吹き矢から同時に針を放った。ローザは平然と細い針を見切り、飛んで来た二本の針を棒に当てて防御した。
「毎回同じ攻撃しかできないんですの? そんな単調な攻撃では、わたくしを捕まえるのに一万年はかかりますわね」
ローザは地面を強く蹴り二人の敵に迫る。敵が武器を創製するよりも速く、彼女の深紅の棒が瞬時に二人の敵のみぞおちに突き込まれ、敵達はその一撃で悶絶して地面に倒れた。
ローザは構えを解いて息を整える。
「まったく、手応えのない人達ですこと」
彼女がそう言ったのもつかの間、屋根の上に潜んでいた一人の敵がローザを捕らえようと飛び降りて来た。不意を突かれたローザはとっさにかわすが、目深く被っていた外套のフードを敵の男に掴まれ外されてしまった。
ローザの顔があらわになると、薄暗い路地の陰気な雰囲気が一変した。彼女は大輪の花が咲いたかのように錯覚する程の、目を見張る美貌の持ち主だった。彼女の橙色の髪がその場の殺伐とした雰囲気に彩りを添えるかのように艶めいている。彼女の整った目鼻立ちにきめの細かい肌、それに黄金色の瞳は見る者を虜にする魔性の力さえ感じられた。
ローザの顔を見た敵の男は、女神を崇拝するかのように地面に膝をつき、胸の奥から溢れ出る渇望を押さえきれずに、叫ぶように嘆願した。
「お、俺の女になってくれ! 頼む!!」
ローザはその男の言葉を無視して、深紅の棒を敵の男の股間に打ち込んだ。敵の男はうめきと悲鳴を合わせたような声を発し、その場で股を押さえながら倒れ込み、意識を失った。
レノアスはさっぱり状況が分からなくなっていた。なぜ敵の男が突然ローザに愛の告白をしたのか疑問に思いつつ、股間を強打された男の苦しみに歪む顔を見て少し同情した。
レノアスは誰かに男達が倒れているという現状が見つかる前に、急いで腰に結わえてあった水筒から水を男の顔にかけて意識を戻させた。
「おい、俺の声が聞こえるか?」
その敵の男のは少しの間、意識が朦朧としていたが、徐々に意識がはっきりとしてきた。
「お前達の隠れ家はどこだ?」
「……言うわけねえだろ」
「言わないとまた痛い目にあうぜ」
「ふんっ」
敵の男は顔を背け黙り込む。
「レノアスさん、わたくしにお任せくださいな」
ローザは赤い棒を黙り込む男の首筋に当ててつぶやいた。
「吸収! この者から生命の活力を!」
すると深紅の棒は怪しく光りを放ち、徐々にその光を強くしていく。その光と比例して敵の男の顔からは血色が失われていき、心なしか頬もこけて見えるようになってきた。レノアスはその光景を見て何が起こっているのか分らず様子を伺っていると、ローザが虫を見るような冷酷な目を、敵の男に向けて声をかけた。
「全身が冷たくなってきているのがおわかりですか? 今この棒であなたの活力を吸い取っていますの。このまま続けますと徐々に内臓が機能しなくなり、やがてあなたは身体の内部から腐り始め、狂う程の苦しみの後に命を落としますのよ」
敵の男はローザの冷たい視線にさらされ、自分に訪れるであろう壮絶な最後を想像して震え出した。
「……早くお話しになったほうが身のためですわよ。あと五分程であなたの内臓が……あ、あと一分でしたわ」
ローザのわざとらしい間違いの一言に、完全に動揺してしまった男は青ざめ悲鳴のような声を出した。
「ひっ!? わっ、わか、わかった! 話す! 話すから、そ、その棒を退けてくれ!!」
レノアスは彼女の尋問の手際のよさに感心していた。
二人が敵の男から必要な情報を聞き出したとき、先ほどローザを追いかけ回していた男達の一人が路地にいるレノアス達を見つけた。
「あっいた! ローザさん!! 僕と結婚し」
その男の言葉が言い終わる前に、ローザは尋問していた敵の男を片手で持ち上げ、求婚を申し込んだ男に投げつけた。
「レノアスさん! 騒ぎが大きくなる前にここから離れますよ!」
「わかった。行き先は任せるよ。俺はまだこの町に詳しくないから」
「じゃあ、わたくしについていらして!」
レノアスとローザは急いで路地を奥に走って行き、人通りの多い大通りから離れていった。ローザに求婚した男も地面から起き上がり、遅れて二人の後を追いかけた。
その二人の後ろ姿を少し離れた屋根の上から見つめる三人がいた。彼らは先ほどレノアス達を襲った六人と同じ土色の外套を羽織っている。その中の一人は身長が二メートルを超えていて、禿頭で全身に独特な模様の入れ墨をした巨漢の男だった。彼は大きく脂肪で膨らんだ腹をぽりぽりと掻きながら、隣に立っている丸眼鏡の男に声をかけた。
「ザイルの兄貴。追わないのか? 追ったほうがいいと思う」
ザイルと呼ばれた男は短い金髪を真ん中で綺麗に分け、細い金縁の眼鏡をしている目つきの鋭い男で、両手には白い薄手の手袋をしている。ザイルは走り去る二人を射るように見つめ、眼鏡の位置を直しながら答えた。
「今日は彼らの実力を測りにきただけです。予定外の行動は謹んでくださいね。ローブンデさん」
「だけど、あんなガキんちょ、ちゃっちゃと始末すればいいと思う。イオリの姉御もそう思うだろ?」
イオリと呼ばれた女性は艶のある長い黒髪で、彼女の外套からは、豊満な胸を強調するように胸元が開いている服が見えていた。彼女は自分の右手の爪に塗った赤い塗料を見つめながら、投げやりな態度で答えた。
「好きにすれば? 私はどっちでもいい」
ザイルはやる気のない態度のイオリに対して苛立った。
「イオリさん。今は仕事中ですよ。お洒落するのも場所をわきまえてもらわないと」
イオリはザイルからの忠告を気にした様子もなく、次は左手の爪の色の具合を確かめる。
ザイルはため息をつき呆れたように首を横に振った。
「あなたの実力は、あの方のお墨付きなので信用していますが、そんな調子でいざという時に戦えるんでしょうね?」
「給料分は働くわよ」
「イオリの姉御は強い。あんなガキんちょには負けないと思う」
「だといいんですがね……。すぐに下の六人を回収して帰りますよ。あの使徒の二人を迎える準備をしなければなりませんから」
ローブンデは地面に倒れている六人を軽々と持ち上げてから肩に重ねて担いだ。ザイルを先頭に屋根の上を音もなく彼らは住処へ帰って行った。
その頃レノアス達はミルドの町の郊外に向かって走っていた。ローザは追われるのに慣れているのか逃走経路も迷いがなく、時折背後を見て尾行されていないか確認した。そうして二人は町の中心部から徐々に離れていった。
しばらく進んでいると、二人は貴族や金持ちの豪華で広い屋敷が立ち並ぶ地域に入った。警備のためか街路には兵士が数人巡回していた。
「ここまで来れば大丈夫ですわね」
ローザは羽織っていた外套を脱ぎ自分の腕に掛けた。彼女の腰まである鮮やかな橙色の長い髪は、毛先になるほど螺旋状に縦巻きになっていて、優雅さが漂う髪型をしていた。彼女の服装は赤を基調とし、レースを多用した女性らしいドレスだった。レノアスはローザがドレスを着たまま、深紅の棒を操つり戦っていたことを知り唖然とした。逃げ回っていた時とは違い、上品に先を進むローザにレノアスは声をかけた。
「へえ、ドレスを着たまま戦っていたのか。よくあれだけ動けたな」
「どうということはないですわ。わたくしの家は古くから続く大商家ですの。成功を妬む人達や金銭目当てに誘拐を企む者たちが時折襲撃してきますので、ドレス姿での戦闘訓練は必須ですのよ」
「そういえば、昨日エンネア達にこの町のことを聞いたとき、ヴァンティーネ商会の名前が出てきていたな。お前の家がそうなのか?」
「その通りですわ。ですから、いつ何時襲われてもいいように、日頃からドレスを着用して訓練しておりますの」
ヴァンティーネ商会は首都ミルドのみならず、ガデアント小国連合の加盟国全てで成功している唯一の大商会だ。
「なるほど、あの棒術も身を守るために習得したというわけか。さっきお前が創製した赤い棒といい、敵の男を尋問した時の不思議な力といい、お前が異世界人の末裔なのと関係があるのか?」
「ええ、そうですわ」
「今、遺跡で訓練中なんだろう? 異世界人は遺跡での訓練はできないんじゃないのか?」
「わたくしの遠いご先祖様に異世界人の方がいらしたようですけれど、長い年月をかけて異世界人の血が薄まった結果、遺跡のシステムはわたくしを人間族として認識していますの」
「そうだったのか。ところで、ローザが異世界人の末裔ということと、追われることはどう繋がるんだ?」
レノアスがその質問をするとローザが立ち止まり、彼女は振り返って美しい琥珀色の瞳でレノアスを見つめた。
「……わたくしを見て、何か思う事があるのではなくて?」
レノアスはローザの問いの意味が分からず首を傾げた。
「何かって、なんだ?」
「ですから、最初にわたくしを追って来た男達のように、無性にわたくしを抱きしめたくなったり、求婚したい衝動を押さえられなくなったりしませんの?」
「ちょっと意味がわからない。まあ、可愛いとは思うけど、追いかけ廻したいとは……。お前って自己陶酔型なんだな」
ローザは自分の言ったことに赤面した。
「い、いえ、その……。わたくしが自分の事を美しいと思っているから、ということではないのですよ。で、でも、おかしいですわね。レノアスさんには私の魅了の力が効かないのかしら。こんなこと初めてですわ」
レノアスは、前にも同じようなことを言われたなと、ふとルシエと喧嘩のような別れ方をしてきたことを思い出した。
ローザは自分の能力について説明し始めた。
「……実は、わたくしは異性を魅了させる特殊な体質なんですの。自惚れではなくて列記とした能力ですわ。一族の皆は私のこの力を先祖帰りと言っていますの。大昔の異世界人のご先祖様が、そういう力の持ち主だったとか」
レノアスはローゼと出逢ったときに、不思議と胸が高鳴ったことを思い出した。レノアスには魅了の効果が薄いようだが、彼女に異世界人の先祖から受け継いだ何らかの能力があるのは確かだろう。
「わたくしの創製した深紅の棒、ブラッティベリーも血によって受け継がれているものですの」
「ああ。血継創製だろ?」
「よくご存知ですこと」
「セレンジシアの一部の貴族や王族が使うところを見たからな」
レノアスとローザは再び歩き始め、しばらく進むと丈夫そうな鉄格子の門の前で止まった。その門の左右には武装した二人の女兵士が門番として立っていた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「お疲れさま。何か異常はあったかしら?」
「いえ。特に問題はございませんでした」
「そう。いつもありがとう」
ローザは女兵士と話終えるとレノアスに視線を向けた。
「ここがわたくしの屋敷ですわ」
門から敷地の中を覗くと、街路樹に挟まれた道の奥に二階建ての豪邸が建っていた。
「あなたのお話しも聞きたいですし、お茶でも召し上がっていきませんか?」
「そうだな。今頃騒ぎになっているだろうし、ほとぼりが冷めるまでそうさせてもらうよ」
二人の女兵士が門を開けてくれたので、レノアスとローゼは敷地の中を屋敷に向かって歩いて行った。屋敷に向かう途中数人の庭師や使用人が広い庭園で作業していたが、その誰もが女性だった。ローザが異性を魅了してしまう体質のため、男性は雇っていないようだ。
レノアスとローザが屋敷の入り口に近づくと、扉が開き屋敷の中から執事服の人物が現れた。その人の服装は執事そのものだったが肩まである金髪で二十代前半の女性だった。姿勢よく完璧な所作でローゼにお辞儀をした。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「ただいま。今日はお客様をお連れしたの。後で応接間にお茶とお菓子を運んでちょうだい」
「かしこまりました」
その女性の執事はレノアスに向き直り、姿勢を正して自己紹介をした。
「はじめまして、執事兼お嬢様の護衛をさせていただいてる、オリヴィアと申します」
「レノアス、です……」
レノアスはオリヴィアのかもし出す雰囲気に、冷や汗をかき極度に緊張していた。セレンジシアで存在昇華の状態になってから、さらに鋭敏に物事を感じ取れるようになったレノアスの感覚が、オリヴィアの尋常ではない強さを教えてくれたのだ。
オリヴィアは屋敷の扉を開き、二人を屋敷の中に通した。レノアスはそのまま応接間に案内され、オリヴィアはお茶の準備のために席をはずした。
レノアスはオリヴィアの只ならぬ雰囲気に呑まれていたが、ようやく緊張していた肩の力を抜き心を落ち着けた。そして彼は屋敷の内装や調度品が質素なことを意外に思った。周囲を見回すレノアスの視線に気付いたローゼは説明した。
「父は無駄な事にはお金をかけない主義ですの。連合で一番の商家なのに質素で、意外に思われたでしょう?」
「ああ。正直、もっと派手だと思っていたよ」
ローゼは部屋の真ん中にある長椅子に腰掛けた。レノアスも彼女の向かいの椅子に座った。
「わたくしの父は仕事でこの国にはおりませんが、見栄を張るためのお金があるのなら、商品をもっと多くの人に買ってもらえるようにお金を使え、と常々申していますわ」
「ローゼの父親は根っからの商売人のようだな」
「ええ、そのおかげでヴァンティーネ商会は、数ある商会の中から発展し、規模を拡大することができましたの。……そんなことより」
ローゼの瞳にはレノアスに対しての好奇心が浮かんでいた。
「レノアスさんの事を聞かせていただけませんか? わたくし異性の方とまともにお話しできたのは、お父様以外では初めてですわ」
ローゼの話しでは、今まで彼女に近づいた全ての男性が、異常な好意を示し、会話もままならなかったらしい。気絶させるか数時間放置すると魅了の効果は切れるそうだ。
レノアスは彼女の求めに応じ、オリヴィアが運んできた紅茶と焼き菓子を食べながら、生まれ育ったオルキスヴェリアでの出来事や、セレンジシアでの学院生活、樹海での暮らしなどもローゼに質問されるがまま答えた。彼女はレノアスの話しを聞き、時には笑い、時には感極まって瞳に涙を溜めてレノアスの話しに耳を傾けていた。
彼女は時折辛辣なことを口走るが、それは彼女が単に正直な性格なのだということも分った。
レノアスは自分と同じ使徒としての役目を負ったローザが、仲間として長く付き合えそうな女性であることに安堵していた。
レノアスとローザがお互いの話しで盛り上がっていると、扉をコンコンと叩く音がして、扉の向こうからオリヴィアの声がした。
「お嬢様。ご歓談のところ申し訳ありません。そろそろお時間です」
ローゼは一瞬表情を曇らせた。
「そう。もうそんな時間ですのね……。レノアスさん。わたくし所用がありまして、お話しの続きはまた次の機会でよろしいかしら?」
「ああ、分った。お茶も菓子も美味しかったよ」
「そうですか。それはよかったですわ」
レノアスはローゼに別れを告げ、オリヴィアに付き添われ屋敷を出たところで、オリヴィアが表情一つ変えずにレノアスにだけ聞こえるようにつぶやいた。
「お嬢様を悲しませるような事をすれば、全身を少しずつ切り刻んで家畜の餌に致しますよ」
そうつぶやいたオリヴィアからは、凍えるほど冷たい殺気が放たれた。レノアスはその迫力に蛇に睨まれた蛙のように身動きひとつとれなかった。彼女はすぐに礼儀正しい執事に戻り、完璧な礼をして屋敷の扉を閉めた。
レノアスはその場で少しの間立ち尽くしていたが、エンネアに妨害者達から聞き出した情報を伝える必要を思い出し、来た道を戻り始めた。
ローザの屋敷が見えなくなった頃、レノアスは大きくため息を吐いた。
「はぁ。……殺されるかと思った。世界にはいろんな人間がいるんだな。……ローザにはできるだけ優しくしよう」




