恵みの雨
「歓迎するよ、レノアス! 我々『恵みの雨』へよく来てくれた!」
カイゼルトは茶色の髪に口ひげを生やした三十代くらいの男だった。
「この場所は恵みの雨に属する者たちの拠点の一つだ。君たちはこれから遺跡に行くのだろう? 私も行こう」
そう言うとカイゼルトは会議室の石壁の一部を押した。するとカタカタと歯車の動く音とともに壁が開き、さらに地下に降りる階段が現れた。
「仕掛け扉だよ」
カイゼルトは得意げにレノアスに教え、携帯型の譜文照明を持ち階段を降り始めた。レノアスは前を進むカイゼルトに質問した。
「カイゼルトさん、恵みの雨ってどういう組織なんですか?」
「君もここに来る途中で地下街を見てきたと思うが、この国は貧富の差が激しく、人として基本的な生活もできない者達が大勢いる。我々恵みの雨は彼らを援助し社会復帰させるのが目的だ。例えば職を紹介したり、困窮している者には住居や食事を提供したりしている。表向きはね」
「表向き、ですか。アイスリンとスノウラルも恵みの雨の一員なのか?」
「そうです。私と姉はさっき通ってきた地下街で育ち、傭兵として生計を立てていたんだけど、その経験を買われたというわけです」
「そうか。俺と年齢はそう変わらないのに、意外と苦労してるんだな」
「私たちはまだ恵まれたほうですよ。恵みの雨の活動のおかげで少なくはなりましたが、昔の地下街では餓死者が多くいたのですから」
レノアスは首都ミルドの地上は豊かで栄えているのに対し、地下街は貧しく見捨てられているような印象を受けた。彼はセレンジシアが皆平等にとはいかないまでも、貧困に苦しむ人はいなかったことを思い出し、この国はどうして貧富の差がここまであるのかと不思議に思った。
遺跡の入り口に到着して、カイゼルトが懐から銀の円柱状の鍵を取り、入り口を開いた。
「そういえば、人間族だけが遺跡を利用できるんだったな」
エンネアが遺跡の通路を進みながら答えた。
「はい、私たちアーファシステムを形成する十二人の姉妹とその施設は、元々異世界人に対抗するためにつくられましたので、異世界人にこの場所が悪用されないようにしているのです」
ここの遺跡の中はテトラのいた遺跡と同じ造りだったため、レノアスはセレンジシアの遺跡にいるような錯覚を覚えた。さらに通路を進むと窓越しに大勢の人がバトル・オブ・バトルズで訓練をしているのが見えた。
「あの人達は?」
カイゼルトは戦う人達を見ながら、レノアスの質問に答えた。
「彼らも恵みの雨の一員だ。エンネアに頼んで戦闘訓練のために、この部屋の機能を利用させてもらっている」
「ねえねえ、レノっちー」
「レ、レノっち?」
「レノっちさ、存在昇華だったかな? かなり強くなれるって聞いてるよ。そこの訓練部屋で私と手合わせしてくれない?」
「そう気軽にできるものじゃないんだよ」
「えー。一回くらいいいじゃん。ね、お願い!」
アイスリンは両手を合わせてレノアスに頼み込んでいると、スノウラルが呆れた表情で姉を諌める。
「アイ姉。前にエンネアさんから聞いたでしょ? 存在昇華は潜在能力を引き出してすごい力を得られる反面、その代償が大きいものになるってこと」
「あれ、そうだっけ?」
「そうなの! だから簡単になれるものじゃないのよ。そうでしょ、レノアス君?」
「ああ。俺の場合は寿命と精神が代償になってる」
「あらら、そうなんだ。一度存在昇華した相手と戦ってみたかったのに、残念。でもでも、その力を使ってセレンジシアでは大活躍だったんだって? 二十万の兵士を追い払ったとか」
「その話、私も聞きたいです!」
盛り上がる姉妹にカイゼルトが声をかけた。
「ほら二人とも、談話室の入り口が見えてきたぞ。話しは中に入ってからだ」
レノアス達は談話室に入り白い椅子に腰掛けた。
レノアスは全員が席に着いたのを確認しカイゼルトに質問した。
「……それで、恵みの雨の本当の活動内容って何なんですか?」
「我々の本当の目的はこの国の政治を根本から変えることだ。といっても改革派のように暴力的な方法をとれば、民の支持を得るのは難しいし、国という大きな力に押しつぶされてしまう」
「セレンジシアの事件を知っているんですね」
「まあね。『情報を軽んじる者は百万の軍勢を従えていても敗北する』とベベラシさんの名言集戦い編にも載っていたしな」
「え!? 大先生の本がこの国にもあるんですか?」
「何を当たり前のことを。ベベラシさんの本は大人気でね。新刊がでたら即売り切れになってしまうほどだ。私の愛読書だよ」
レノアスはベベラシが国境を越えて人気があることに驚く。
「話を戻そうか。力づくではより大きな力に潰される。だから我々は徐々に権力者との関係を強め、この体制を変えていく方法をとっている。しばらく前にガデアントの特使の護衛として、アイスリンとスノウラルをセレンジシアに行かせたのは、我々の活動の一環だ。国の重要人物と信頼関係を築き、徐々に国の中枢に味方をつくっていくのだ」
「信頼関係……ですか」
レノアスはセレンジシアの王宮内でアイスリンが抜刀し、大問題になりかけたことを思い出し、生温かい視線を彼女に向けた。
アイスリンは口笛を吹く仕草をして目を逸らしている。隣のスノウラルが手を合わせ、気まずそうに謝まる仕草を小さくした。
レノアスはカイゼルトの言う方法では、目に見える結果がでるまでかなりの時間と労力が必要だろうと思った。しかし改革派のような人の犠牲の上に成り立つやり方よりは、よほどましなやり方だ。
エンネアが説明を引き継いだ。
「彼らは異世界接合点について知り、世界を門の出現による歪みから守ることに賛同してくれたのです」
「じゃあ、カイゼルトさん達は使徒なんですか?」
「はっはっは。我々はそんな大層なものではないよ」
「ほとんどの方が存在昇華の状態は不可能ですので、使徒にはなれません。恵みの雨の彼らは主に私の補佐として活動していただいています」
アイスリンは唇をとがらせてすねたように言った。
「ずるいよね! レノっちは。存在昇華できてさー。私だって使徒になりたいのにさあ」
「アイ姉ってば、また無神経にそんなこと言って!」
カイゼルトは言い合う姉妹に苦笑いを浮かべた。
「こんな私たちだが、世界の危機を放っておけなくてね。できる限りの協力を申し出たのさ」
レノアスはこれからの戦いを心細く感じていたが、恵みの雨のように協力してくれる人々がいることを知り不安が薄らいだ。
「ところでエンネア、さっきの恵みの雨の会議室でも、十分話しができそうだったけど、どうしてわざわざ遺跡の中まで来たんだ?」
「はい。話す内容が内容ですので誰にも聞かれないようにするためです。この遺跡は外部からの盗聴を防ぐことができます」
「ということは俺たちの会話を盗聴するような奴らがいるっていうことか?」
「実は、私達の活動を妨害する者達が存在します」
「でも、エンネア達はこの世界を守っているんだろ? それに敵する意図が分らないな」
「彼らは、過去の異世界接続点の開門で逃がしてしまった侵略者や、その子孫達です。彼らは異世界への帰還を目論み、門を閉じようとする我々の活動を妨害しています。妨害者達は使徒の抹殺を企み、執拗に命を狙ってくるのです。そのせいで訓練に影響がでています。早急に対処しなければなりません」
アイスリンが人差し指で上を指しながら話す。
「レノっちさ、酒場にくる途中で見なかった? 屋根の上で鬼ごっこしてる人達」
「そういえば、いたな。それがどうしたんだ?」
「その時追われてたのがここの使徒で、追っていたのがその妨害者達ってわけ。頻繁に鬼ごっこしてるから町の人達も見慣れちゃってさ、助けようともしてくれないんだよ」
「そんなに頻繁に? どうりで周りの人達は驚かなかったわけだ。そいつらはあまり人目をはばからないんだな」
「まあ、追われている理由は使徒だからっていう理由だけじゃないんだけどね……にゃはは」
レノアスはアイスリンの苦笑いが少し気になったが、本題から逸れそうなので深く質問をしなかった。
「それで、その妨害者達への対処はどうするんだ?」
「彼らは私たちが移動扉の情報を収集しているのを知っているので、競売会で妨害してくる可能性があります。そのため競売会前に妨害者達に対処しなければなりません。しかし、彼らについての情報は少なく、彼らの隠れ家や黒幕の調査が難航しています」
「頻繁に屋根の上を走り回っているんだろ? だったら直接捕まえて白状させたほうが早いな」
「私もその方法が良いと思います」
「わかった。見つけたら俺が捕まえるよ」
「よろしくお願いします。レノアス様」
「早速だが競売会での作戦を聞いてもいいか?」
「はい。それでは詳細をご説明したします」
エンネアの話しを要約すると、競売会は十日後に開催され、世界中から集められた貴重な品が競売にかけられる。芸術品や装飾品、遺跡からの出土品や珍しい生き物などが出品される予定だ。
ターデン王国の王子はレノアスと同じ十三歳で、この国では名の知れた珍獣収集家らしく、今回の競売会を楽しみにしている。王子は珍しい生き物に見境なく大金を積み、過去の競売会では出品された珍獣を半分以上落札したことも一度や二度ではないそうだ。世界には王子のような好事家が多く、そんな金持ち達を相手に珍獣専門の狩りをしている人がいる。
レノアスは一通りの作戦の話しを聞き終わると、不安そうな表情で一言こぼした。
「……本当にそんな作戦で王子に近づけるのか?」
「今回の作戦の成功確率は八十七パーセントと予想します。レノアス様、何か不安要素がおありでしょうか?」
「俺の役割についてなんだが……」
その作戦とは、レノアス自身が商品になり王子に落札されるというものだった。その後、王子と共にターデン王国に入り、移動扉の研究所の情報を手に入れるという流れだった。そのために恵みの雨の人達が協力してくれるという。
「俺が商品になったとして、絶対に王子が俺を買うかが心配だ」
「その件については問題ないと思います。テトラから報告された情報によると、レノアス様の創製の特殊性は十分珍獣に匹敵するレベルだと認識しております。競売会場でその能力を披露すればきっと王子の目にとまることでしょう」
「珍獣に匹敵って……。でもさ、他の奴に買われる可能性はあるんじゃないのか?」
カイゼルトが話に加わってきた。
「レノアス君、心配ないよ。そのために我々がいるのだから。王子が最終的に落札するように、会場に侵入した恵みの雨の構成員がひと芝居打つ手はずになっているからね」
「いや、しかし……」
アイスリンは自分の胸をドンと叩き、不安げに考え込むレノアスに声をかけた。
「大丈夫だって! このアイスリンちゃんがついてるから、絶対うまくいくよー!」
「それが一番の不安要素ね……」
スノウラルが眉間を指で摘みながらつぶやいた。
「作戦が成功したらさ、ターデン王国の暖かいお城の中で、創製するだけで三食付きの昼寝付きなんて、最高じゃーん!」
「ともかく、王子相手にうまく立ち回らないと情報収集は難しいだろうな」
不安の残るレノアスだったが、エンネア達を信じて作戦を了承した。
その後、皆で作戦の打ち合わせを行い、この国の概要なども教えてもらったレノアスは、首都ミルドでの滞在場所が決まっていないことを伝えると、スノウラルが提案してくれた。
「それなら、私たちの家に泊まるといいですよ。いいわよね、アイ姉?」
「レノっちなら大歓迎! 戦いの訓練もできそうだしね」
「いや、さすがに女性の家に男が泊まるのはまずいだろ」
「心配ないです。私とアイ姉は師匠と一緒に住んでいるので」
「師匠?」
「はい。私たちに戦い方を教えてくれた師匠です。今年で九十歳になりましたが、元気いっぱいなんですよ。以前レノアス君の話を師匠に話したら、一度会ってみたいとおっしゃっていましたので私から頼んでみますよ。どうしますか?」
「そうだな、お願いしようか」
「それじゃあ早速向かいましょう」
彼女達の家は町外れの畑が広がる耕作地のまん中に、一軒だけぽつりと立っており、周囲に民家はなかった。
その家の側の畑で一人の腰の曲がった老人が、クワを手に畑を耕していた。
アイスリンとスノウラルがその老人に手を振りながら声をかけた。
「じっちゃーん! 前に話したレノっち連れてきたよー!」
「師匠、ただいま戻りましたー」
その老人は二人の声に農作業を止めて振り向くと、首にかけてあった手ぬぐいで汗をふきながら顔を上げた。老人の肌は褐色で額に宝石のようなものがあり、恵みの雨本部の入り口にいた男と同じく、砂漠の民の種族だった。老人の側には七歳くらいの女の子も一緒に立っていて、その女の子はレノアスを見ると老人の背後に隠れてしまった。
「おお、お前達か。早かったのう」
レノアスは老人に近づき挨拶をした。
「はじめまして。レノアスと言います」
老人は優しげな微笑みを浮かべた。女の子は老人の後ろからレノアスを睨んで警戒しているようだ。
「君がレノアス君か。二人から話は聞いておるよ。わしの名前はムーロイじゃ。この子はナーナといってわしの孫じゃ」
ナーナはムーロイに言われて恐る恐る声を出した。
「ナーナです。……はじめまして」
「俺はレノアスっていうんだ。ナーナちゃん、はじめまして」
「師匠、レノアス君はまだ滞在先が決まってないそうです。ここに泊まらせてもらえないですか?」
「畑仕事を手伝ってくれるなら、いつまで居てもかまわんよ」
レノアスは笑みを浮かべ頭を下げた。
「ありがとうございます、ムーロイさん。畑仕事ならしていましたし、お安い御用です」
「ほっほっほ。頼もしいの。ちょうど男手が欲しかったところじゃ」
アイスリンがぼそりと小さくつぶやいた。
「じっちゃんの畑仕事は男とか女とか関係なく、普通の人にはできないっての」
「何か言ったかの? アイスリン」
アイスリンは慌てた様子でごまかした。
「な、なんでもないです師匠!」
レノアスはムーロイの立ち振る舞いをしばらく観ていたが、ここに来る途中考えていた事をムーロイに伝えた。
「ムーロイさん」
「なんじゃ? レノアス君」
「二人からあなたの強さは聞きました。ここに泊めてもらっている間、俺にも稽古をつけてもらえませんか?」
ムーロイの瞳の奥に一瞬ぎらりとした光が宿る。
「ほう、こんな老いぼれに稽古してくれとな。理由を聞いてもいいかの?」
「はい。妹を取り返すためにどんな強敵にも負けない力が必要なんです」
ムーロイはレノアスの瞳の奥を覗きこむようにみつめた。
「ふむ。レノアス君は十分に強いと思うがのう。君が全力を出して戦えば、おそらくわしより強いのではないかな?」
「それは、俺が銀術を使えばの話ですよね? 銀術を使えないという条件下では、俺はあなたに指一本触れられないでしょう」
「ほっほっほ。相手の力量を見極められるか。その歳で幾多の死線を越えてきたようじゃな。例の遺跡で訓練したかの?」
「はい。五年以上訓練を続けていました。しかし、敵に銀術を封じられ大切な仲間を失いかけたことがあり、その時から考えていたんです。銀術を使えない状況でも、大切な人達を守れる強さが欲しいと」
レノアスは言葉に強い意志を込め、真っすぐにムーロイの目を見る。
ムーロイはそんなレノアスに再び優しい微笑みを浮かべる。
「わかった。わしで良ければ力になるぞ」
「ありがとうございます! よろしくお願いします、師匠!」
こうしてレノアスはムーロイの家に泊めてもらいながら、稽古をつけてもられることになった。
◆◆◆
次の日、太陽が昇り始めて間もない頃から、家の裏にある広場で稽古が始まった。ナーナも一緒に稽古をするようだ。
「レノアス君。昨日はよく眠れたかの?」
「ええ、ぐっすりです。久しぶりに疲れも癒されました」
「あの二人はまだ寝ているのかの?」
「そのようです」
その頃、アイスリンは大きないびきをかきながら腹を出し、スノウラルは夢の中で姉のいい加減な行動に突っ込みをいれつつ、うなされながら眠っていた。
「まったく、あの二人はたるんどるのう。なまじ傭兵として十分に稼げているから、これ以上自分の能力を上げることへの意識が低いんじゃろうな」
「彼女達はすでにかなり強いようですからね」
「そうじゃな。真面目に訓練すれば、まだまだ延びしろはあるのにもったいないことじゃ。……二人は放っておいて始めるかの」
「はい。よろしくお願いします!」
レノアスとナーナが柔軟体操や基本的な体力作りを終えると、ムーロイはレノアスに説明を始めた。
「君に教えるのは流体術というものじゃ」
「流体術?」
「そうじゃ。この世界は流れに支配されている。川や風などはわかりやすいものじゃが、種から芽が出て木になることも流れの一種じゃな。当然人間の身体の中にも様々な流れが存在する。その身体の中の流れを操作し戦いに応用したのが流体術じゃ」
ムーロイはそう言うと足元から石を拾い上げ、ナーナに握らせた。
「身体の力の流れを完璧に操作できるようになると、こんなことも容易くできるようになる。ナーナやってみせよ」
「うん、わかった」
次の瞬間、パン! という音とともに岩が粉々に砕け、ナーナの小さな手の中には、粉々になった石の破片しか残っていなかった。
「え……? 力を入れているようには見えなかったのに、どうなってるんだ……」
「この子が今したのは全身の力を全て集めて、手のひらに集中させたのじゃ。見てのとおり小さな子供でも石を砕ける」
「すごい……」
ムーロイはその後、流体術の起源についてレノアスに説明してくれた。
彼ら砂漠の民は、創製と発現の両方を苦手とする種族特性のため、幾度も多種族との戦争で負け続け、ガデアント地方から海を越え南に向かった大陸に逃げ込んだ。その場所は人が住むには過酷な砂漠が広がっていて、砂漠に生息する生物と戦う力が必要になった彼らは、銀術に頼らない武術を長い年月をかけて開発した。それが、流れを支配する流体術である。一度その術を使えるようになれば武術だけではなく、他の様々な事にも応用がきく。
「まずは、剣の腕を見せてもらおうかの。敵が目の前にいると仮定して、剣を振ってみてくれんか?」
「わかりました。創製、摩擦係数ゼロの双剣」
瞬時に銀の粒子が集束し二つの剣が具現化した。それを見たムーロイは驚く。
「その剣の周囲の流れが剣を避けておる」
「そういうことも分るんですか?」
「うむ。その剣はいわば物体を寄せ付けぬ剣じゃな」
「はい。そのとおりです」
レノアスは双剣を構え、敵を想像しながら動き回り剣を振る。レノアスはしばらく空を斬っていたが、真剣な顔で眺めていたムーロイが静止の声をかけた。
「もういいぞい」
レノアスは剣を消してムーロイに向き直った。
「お主の剣術は我流じゃな?」
「はい。剣術の基本は傭兵団にいた時に教わりましたが、銀術を併用した戦い方は我流です」
「そうじゃろうな。君は剣に頼り過ぎておる」
「頼り過ぎ?」
「うむ。身のこなしは見事なものじゃが、剣の尋常ではない切れ味を前提とした力の入れ方になっておって、身体の中の力の流れを完全に無視しておる」
レノアスはムーロイから言われて初めて気付いた。確かにほとんど何でも切断できる剣を創製できるため、力の入れ方などを気にしたことはなかった。
「これは、思った以上にやっかいじゃな。五年という訓練期間の長さが逆に障害となるじゃろう」
「ど、どうすればいいでしょうか」
「うむ。そうじゃのう。まずは日常生活の全ての行動で力の流れを意識することじゃ。例えば、動くという意思が神経を伝い筋肉へ、筋肉の収縮から骨を介し手先へ。その力が作用したものがどうなるかもしっかりと意識するのじゃ」
「全ての力の流れを意識する……か」
ムーロイは地面に転がる石を拾い上げ、レノアスに渡した。
「力の流れを意識できるようになったら、その流れを一点に集める。これができれば石ころにひびが入るじゃろう。じゃが、そこまでできるようになるのに、部屋で寝ている二人は二年。若い頃のわしでさえ半年はかかったんじゃ。気長に精進することじゃな。それができてから初めて流体術の稽古に入るかの」
「やってみます」
レノアスは渡された石に力を込めてみるが、一向に割れる気配がなかった。
「力強く握るのではなく、力を全身から集めて流すという感覚じゃよ」
「はい!」
そうして太陽が真上に昇る頃までレノアスの訓練は続いた。
皆でスノウラルの作った昼食を食べた後、レノアスはミルドの町に向かい大通りを進みながら露店を見て廻り、時折屋根の上に妨害者達が走っていないか確かめた。
「……こんなに広い都だもんな。都合よく出くわすわけないか」
レノアスは都の中心部にある王城の城壁の側までやってきた。その城壁の高さは八メートルほどで、譜文が所々に刻まれているのが見える。敵の侵入を防ぐ何らかの機能が備わっているのだろうと、レノアスは見上げながら考えていると、後ろから女性に声をかけられた。
「あなたがレノアスさん、ですわね?」
レノアスは後ろを振り向くと、外套を深くかぶり目の部分だけを開けて顔を隠した女性が立っていた。
その女性ははっきりとした口調で言った。
「わたくしはガデアントの使徒ですわ」
レノアスは彼女の琥珀のような黄色い瞳を見ると、なぜか胸が高鳴り、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。




