選択肢のない質問
「託された唯一の絆を! 妹を! 失ってたまるかあああああああああ!!」
レノアスの表情から恐怖や痛みが消え、全身に力がみなぎる感覚に打ち震える。レノアスはささやくように唱える。
「創製、重く硬い立方体」
ゼラードはそこで大地をも陥没させるほどの鈍く重い斬撃を放った。
ガンッ!!
長剣が今までに感じた事の無い衝撃と共に拒絶され、ゼラードはよろめく。
長剣を防いだのはレノアスが無我夢中で創製した一辺が十センチ程の立方体だった。
ゼラードは怯まずに、立ち上がろうとしているレノアスにとどめを刺そうと、様々な角度から連続で斬撃を繰り返す。
「おららららららららあああああああああああああああ!!」
大きな長剣とは思えない速さ。
突きや創製した杭、あらゆる手を尽くし、彼は高速で叩き込む。
ゼラードの戦闘経験がここで仕留めないと確実に殺られると直感で知らせていた。直感が理解よりも速く身体に指令を出し、全力の剣戟に昇華させるが、立方体は次々に創製され斬撃の軌道を確実に防いでいく。
次第にレノアスを守る立方体が増えてゆき、ついには長剣を差し込む隙間が無い程にまで立方体が溢れ、圧倒的な高さの壁が出来た。
「なんだこの硬さは! 俺の愛剣が刃こぼれしてやがる!」
ゼラードが悪態をつくも傭兵団団長の器は伊達ではない。次の瞬間、生存本能が二メートルの巨体を後ろに飛び退かせた。
ゼラードがいた地面には数十の立方体が、鈍い震動と共に地面にめり込み、煤煙を上げて四角い穴を無数に開け地面に深く埋まった。
「はっ!? こりゃどういうことだ! まさか重いのか!?」
壁の向こう側に立っているレノアスの表情は遮られて見えない。しかしその気配は嬉々として戦う事に打ち震え、存在感を増して別人のようだ。
「……こりゃ、ちょいやりすぎたかもしれねえな」
ゼラードは警戒と焦燥で背中を冷や汗でびっしょりと濡らしている。
見ると無数の立方体で出来た銀色の壁が、徐々に散らばるように空中に飛散しレノアスの姿が現れた。
そこには現れたのは先ほどの逃げ惑い命乞いをしていた少年ではない。生気に満ち紅く光を含ませる瞳には、戦う闘志が確かに顕在していた。
「まっ! ま、ま、ま、ま、まじかよ!!」
紅い眼光に気を取られていたゼラードの頭上が、みるみる暗くなっていく。空中で創製され続けた数千の銀色の箱。とても数えられない。青かった空が灰色になり銀色の煌めきがまるで星空のように煌いている。
その美しい死の壁に、ゼラードの表情は青ざめ、驚愕に身体を縛られ微動だにしない。開かれた目と口が震えている。
すぐに我に返り、控えていた仲間に向けて必死な形相で助けを求めた。
「おっ、おい! おめーらあああ!! 見てないで助けろおおおおおおー!!」
絶叫するが仲間達も驚愕に足がすくんでいる。それに仲間達が動けたとしても既に手遅れだった。
キラキラと輝く銀色の星々はゼラードに高速で距離を縮めていた。
「ああ!? おいおいおいおいおい! まずいまずいまずいまずいまずい! こんなんくらったら死ぬ! 絶対死ぬ!!」
狼狽しながら後ずさりし逃げようとするも、背後を確認したゼラードは全身から力が抜けて立ちすくんだ。
その銀色の空は既にゼラードの周りを全方位展開し逃げ道を飲み込んでいたのである。
ゼラードは無表情になり死んだ魚の眼で小さく呟いた。
「あ、おわった……」
数千数万にも増えた重く硬い立方体は矢のような速度で撃ち放たれ、次の瞬間にはゼラードの絶叫が銀色の空に響き渡るのだった。
***
時は少し遡る。
レノアスとゼラードが戦闘を始めた頃。
ウィゼラント辺境伯領内の街道には、疾走する馬に跨がり東に向かう女がいた。
歳は十代後半で焦げ茶色の独特な文様の刻まれたフードを目深にかぶり、紅い髪色で少し鋭さを感じる黄金の瞳は瞳孔が猫のように縦長だ。
その瞳は王国内では珍しい獣人族の特徴である。
「ついに、ついに見つけた! 急ぎ皆に報告せねば!!」
その女は馬をかかとで蹴り急がせる。そのまま東に広がる深淵の樹海に消えていった。
***
あの屋敷の焼け跡での戦いから三日が過ぎた。
ウィゼラント辺境伯爵領の領主街にほど近いニドレラ平原の開けた場所。すぐ近くには樹海が広がり、豊かな樹木の壁で侵入者を防ぐ様に密集している。
ここには現在約三百人の傭兵達が野営の天幕を張り拠点としている。
楔の傭兵団は主にウィゼラント辺境伯爵領を中心とした、王国東側で依頼をこなす事が殆どだ。
広い王国内では多くの傭兵団が凌ぎを削っているため、大規模な戦場ではその限りではないが、お互いにある程度の棲み分けをしている。
怪我人や病人を治療するための天幕の中では、数人の男達が一つの寝台を取り囲み、沈痛な表情を向けていた。
その中の一人が治療担当の眼鏡の男の胸元に掴みかかり喚く。
「おい! あんた医者なんだろ。なんとかならないのか!」
凄まれた眼鏡の男は自分の無力さに視線を反らし眉根を寄せる。
「すまない。手は尽くした。これ以上は、もう……」
「そんな! つい先日まであんなに元気だったのに! どうして……!!」と、また別の男が地面に膝をつく。
その場の雰囲気は最悪だった。皆の瞳に絶望の暗い影がある。
するとその時、寝台に横になっていた彼は一瞬びくっとなり、そのまま静かに息をひきとった。
「お、おい! まだあきらめるな! お前にはまだやらなきゃならない事があるだろ!! おい起きろ! 起きろってば!!」
泣きながら寝台に縋り付く男。そんな痛々しい懇願を哀れに思い、泣き崩れる男の肩を励ますように叩く同僚。そして一緒に涙する。
周りの男達も皆、目に涙を溜めている。そう彼は天に召されたのだ。
そして一斉に無くなった彼の名を叫ぶ。
「「「「「ポチ〜〜〜!!!」」」」」
「さっきから喧しいわ!!! いででででで!! 重病人の横で騒ぐんじゃねーよ! あだだだだ」
怒鳴るのは隣の寝台で全身包帯を巻いて横になっていたゼラードだった。
眼鏡の男が素っ気ない態度で「あ、起きてたんですね、団長。ちゃんと寝てなきゃ治りが遅くなりますよ」と戒める。
「……お前らがうるせえから、いてて、目え覚ましちまったんだよ! あたた」
他の男達はそんな痛がるゼラードに見向きもせず、ポチの亡きがらを埋葬するべく天幕の外に出る。
「そもそも、自業自得ですから。少しは反省して大人しくしていてください」
包帯に覆われた顔からため息が溢れる。
「まあしょうがねえだろ、あんな事になるとは、さすがの俺も、あたたた、想像できねえ。……それより坊主達はうまくやれているか?」
「ええ、特には何も問題はありませんよ。妹さんのほうはまだ眠ったままですがね」
「それっていうのはやっぱり……」
「ええ、精神的なものでしょうね」
ゼラードは舌打ちして悔しそうにする。
「ちっ! いつになっても哀れなガキは減らねえもんだな……大丈夫そうか?」
「今のところはなんとも言えませんね。レノアス君のほうは忌み子になった以外は特に具合は悪くなさそうです。私も正気の忌み子に合うのは初めてですが、傷の治りの速さには驚きました。今後どうなっていくかは未知数ですが。今は丁度食事をしているところだと思います。呼んできましょうか?」
「ああ、頼む。いてて」
すると眼鏡の男はレノアス達を呼びに行った。
ゼラードは独り言をつぶやく。
「……坊主達には戦場はまだ早い、か」
しばらくすると、レノアスだけが入ってきた。
「おう坊主! 具合はどうだ?」
「僕は平気です。忌み子の能力なのか、あの後直ぐに怪我は治ったので。妹はまだ目を覚ましませんが、怪我も無いようなので大丈夫だと思います。……それより、ごめんなさい。何も知らなかったとはいえ、それと僕の名前はレノアスです」
レノアスは申し訳なさそうに言った。ゼラードは包帯だらけの顔をすこし歪めて笑う。
「そうかそうか、昨日意識を取り戻した時にも話したが、あれはお前のせいじゃないぞ! いてて。おれが仕組んだ筋書き通りに進まなかっただけだからな。実際坊主を怒らせたのは俺だしな! がははっあたたたた」
レノアスはぺこりぺこりと頭を下げて謝っている。
実は三日前の戦いはゼラードが事前に団員達と示し合わせていた試験のようなものだった。
つまりゼラードは初めからレノアスを殺すつもりは無く、意思疎通ができない化け物なら討伐し、戦力になると判断できれば仲間に引き入れ傭兵団の戦力アップを狙っていたのであった。
しかし意思疎通ができたまではよかったのだが、レノアスは予想以上に冷静で戦闘力を計れる雰囲気ではなかった。故に死の恐怖によって生存本能に直接訴えかけて挑発し、戦わせようと強引な手段を選んだ。
その結果は包帯を全身にまとい、痛みに堪えている大男から分かる通りである。要はやりすぎたのだ。
「それよりもだ」
ゼラードは今までの軽薄な雰囲気を一変させ、低く、真剣な声で尋ねた。
「坊主、俺たちの傭兵団に入らねえか?」
「え?」
討突な申し出に驚きを隠せないレノアス。
「心配するな。依頼は簡単なものからやればいい。徐々に慣れていけばいいぞ」
「いや、でも、そういう事ではなく」
言いたい事はまず言ってから話を聞くのが団長ゼラードだ。
「三食飯付きで寝床も完備、給金も出るし、気のいい仲間と危険溢れる有意義な仕事の大盤振る舞いだぞ!それに暇なやつ引っ張ってきて戦いの稽古をつけてもいい。俺が許す」
レノアスは少し呆れたように眼を細める。
「……えっと、危険溢れるっていうのは好条件になるんですね……」
その指摘は豪快に無視される。
「それに入団条件はただ一つだ。それはな……」
ゼラードは寝台の横に立っていたレノアスの胸に握った拳を添える。
「仲間に託すのは自らの命、仲間から託されるのは決して緩まぬ信頼の楔だ! あいたたた」
最後は少し残念な声が聞こえたが、つまりは仲間と共に命がけで戦い、仲間を守れ。そうすれば仲間も命がけで応えてくれるというものだ。
王国内外で有名な傭兵団がこの一つの掟で維持されているというのは驚きの事実であった。
「でも、僕は忌み子ですよ。勧誘しちゃっていいんですか? あの、王国法とか、討伐依頼とかいろいろ……」
「なあに言ってやがる。天災級の忌み子を手なずけたとなれば、討伐したよりも目立って女にモテそうじゃねーか? うはははははっ!」
ゼラードは大笑いしたあとにすぐ「あいててててて!」と騒いでいたが思ったより元気そうでなによりだ。
「女にモテそうって、王国からの信頼とか傭兵団の評判に傷がつくとか考えたりは、しなさそうですね」
「だははははは! そんなもんあっても飯は食えんし、モテないじゃないか! 何を当たり前な事を」と、本気で気にしてないゼラードに呆れるレノアスであった。
「それで、返事はどうなんだ?」
レノアスは一瞬悩んだがすぐに答えは出た。
しばらくは妹と二人で生きていかなければならず、両親から託されたラーナをレノアスの短い寿命が尽きる前に、信頼できる相手に預けなければならない。どちらにしても先立つものが必要だ。渡りに船である。
「あの、こんな僕で良ければ、どうかよろしくお願いします」
「おうよ! 期待してるぜっ坊主! あたたたたっ」
ゼラードはレノアスの胸に当てた拳を軽く突いて声を張り上げた。
こうしてレノアスは楔の傭兵団に入団し共に過ごす事になった。
楔の傭兵団団長ゼラードからの誘いから更に数日経った。
傭兵団に迎え入れられたレノアスは、初めはギクシャクしながらも徐々に仲間と打ち解けてきた。
当然レノアスに恐れや敵愾心を態度で表す者達もいた。単純に化け物じみた力を恐れる者や、忌み子に家族を殺された過去を持つもの等だ。
ゼラードはそんな他人の反応にまだ慣れていないレノアスに声をかける。
「気にするな! 世の中いろんな奴がいるもんだ。頭で分かってても、心が分かりたくねえ事もある!」
と笑い、バシン!と背中を叩かれて痛かったが、少しは心が晴れた。
そんな事よりも今は、ようやくラーナは目覚めたものの、声が全く出せなくなっていることにレノアスは悩んでいた。本人は出そうと頑張っているのだが、息が漏れる音と極小さい悲鳴のような声しか発することができない。
治療担当の眼鏡の団員が言うには、強い精神的な衝撃を受けると時折煩ってしまう心の病らしい。
あの惨状を目の当たりにしたら無理もないと思いつつも、一瞬でも忌み子となって意識を失い、ラーナの側にいてやれなかった弱い自分に落胆した。
それからレノアスはラーナの声が出なくても会話するように心がけた。
「ラーナ、今日の昼ご飯は美味しかったね。樹海から彷徨い出てきた大猪の肉なんだってさ」
ラーナは少し微笑んで首を縦に振る。
「それでね、小さな山ほどもある猪の突進をね、団長が一人で受け止めて仕留めたのはいいんだけど、そのとき足を捻挫してまた皆に笑われてたよ。可笑しいよね!」
レノアスはクスクス笑うとラーナもつられて静かに笑う。
「僕も団員の皆に戦闘の稽古をつけてもらってるから、早く強くなってラーナにもっと美味しいものを食べさせてあげるからね」
そう言うとレノアスはラーナの頭をなでる。
ラーナは少し黙って撫でられていたが、小さな雫が一つまた一つと落ち始めた。
それを見たレノアスはラーナが元気になるのはずっと先かもしれないと考えながら、しっかりしなきゃと自分に言い聞かせ、妹が寝息を立てるまで撫で続けた。
比較的簡単な依頼を紹介してもらい、レノアスはひたすらそれをこなした。害獣の退治、食料の調達などである。
無用な騒ぎを起こさないため、傭兵団から支給された草色のフード付き外套で顔を隠し行動したが、さすがにウィゼラント伯爵の領主街には入る事はなかった。
通常傭兵団への依頼は情報担当の団員が付近の街や村を巡り、高難易度で報酬の高い依頼を受けてくる。ゼラードがちまちま稼ぐのを面倒くさがるというのは周知の事実だった。
しばらく団員達に稽古をつけてもらっていたレノアスは、武器を使わない対人格闘術、武器を用いた戦闘術、基本的な銀術の扱い、野営の基本知識や狩りの仕方なども難なく覚えていった。
それとゼラードを倒した時のように、銀術を行使できなくなっている事も分かった。
重い立方体を三十個作るのがせいぜいで、やはり銀術は思いの強さと関係し、死に瀕していたからこそ出来たのだと納得する。
発現については何度か試したが、少しも発現できなかった。稀に適正が無い人もいるらしい。レノアスが立方体をいくつも宙に浮かして動かすと、ラーナが楽しそうにしてくれるのが唯一の救いだ。
そうして一ヶ月経った。
傭兵団はニドレラ平原の、樹海を背にした位置で設営している。
時刻は夕方、太陽が沈む頃。
そこに軍馬とともに王国軍の使者三人が書簡を持ってやって来た。その使者はいかにも騎士という全身鎧の格好で、二人の従者と共に指揮所の天幕に入ってきた。
ゼラードと団員達に依頼の達成報告をしていたレノアスを見て、一瞬目を見開き後ずさったが平静を装って名乗りを上げる。
「わ、我が名は、イワン・シュタッツ・エルト・ローデリアン男爵である! こ、ここの指揮官はどなたか?」
いきなり現れた騎士達にゼラード達はギョッとしたが、訝しむ顔をすると声を張る。
「俺がここの団長ゼラードだ。何か用かい、騎士様よ」
従者の騎士がゼラードの太々しい態度に舌打ちし顔を少し歪めたが、ローデリアン男爵は構わず続ける。
「オルキスヴェリア王国軍からの出頭命令である! 心して聞け! 楔の傭兵団と行動を共にするレノアス・エルト・ウィゼラント並びにラーナ・エルト・ウィゼラントの両名は、ここから西に展開する王国軍第二師団に出頭せよ! 期限は明日の夜明けまでとする」
レノアスは驚いて目を丸くした。
ゼラードが顔をしかめて騎士に問いつめる。
「おい、騎士さんよ。もし出頭したら二人をどうするんだ?」
「忌み子と異端者は処刑だ。決まっている!」
「なんだそりゃ。そんなんじゃ行かせられねえな」
「もし両者が出頭を拒否するのであれば、一万人の兵力をもって討滅される」
同時に傭兵団が庇うのであれば、重大な王国反逆罪と認定すると伝えてきた。要は二人を渡せ、さもなくば傭兵団ごと殲滅するという事だ。
「……教会の犬め」
ゼラードがギロリと睨み威圧すると騎士達は一瞬怯んだが気勢を張る。
「そ、それはどういう意味かな、団長どの。王国の秩序の象徴である教会を侮辱する言動は、この私が」
「ああん? 騎士様が何をするって? ええ?」
ゼラードが威圧全開に見下ろし、極悪人のような目つきで射抜く。
周りの団員もやる気満々な雰囲気で歩み寄る。
騎士達が後ずさり、そそくさと帰っていった。
「お、おぼ、覚えていろ下衆共が!」という捨て台詞を残して。
レノアスが団長達を見ると、皆笑いを必死に堪えている。
「だーはっはっはっはっはー! 見たかあの騎士様達、気勢だけは張れるようだが、入って来てからずっと逃げ腰でやんの!」
周りの団員も一緒になって笑っている。レノアスはそれを見て諌める。
「笑うなんて可哀想ですよ。誰だって団長を見たら怖いですよ」
レノアスの指摘に一瞬笑いが止まったゼラード達だが、また一斉に爆笑しだした。
「うーはっはっはっはっは! 腹痛えー! 坊主本気で言ってんのか? あいつら皆お前を怖がってたんだよ、気づかなかったか?」
「え!? そうなんですか? てっきり団長が恐ろしかったんだとばかり」
ゼラードは凶悪な顔をさらに歪めて笑う。
「ぶはははは!忌み子に言われちゃ俺もまだまだ捨てたもんじゃねえな!」
レノアスは神妙な顔つきで問いかける。
「そんなことより、どうするんですか? 二人を差し出せって……。たぶん団長の言っていた教会が絡んでますよね。僕はいいとしてもラーナは全然関係ないのに」
「どうもしねえよ。お前ら次第だ! 二人で立ち向かうもよし、逃げるもよし。どちらにしろ俺達は協力するぜ! 自分の戦場は自分で選ぶ! これが傭兵の基本、だな!」
「……でも、もし反逆罪になったら」
「まあ、捕まって処刑だろうな。がははははは!」
「そんな簡単に……」
レノアスは全く気にした様子のないゼラードに唖然とする。
レノアス達が出頭したらすぐに処刑か、教会に引き渡された後に結果的に処刑。
行く当てがなく忌み子のレノアスにとっては、逃げるにしても飢え死にか捕まって死ぬ事になるだろう。
そんな事を考えているとゼラードが得意げに昔話を始めた。
「昔な、俺がまだ駆け出しの傭兵だった頃、三国会議に来てた長耳族の王子を護衛した事があってな。その王子がまた変わり者でよお」
ゼラードに変わり者って言われた王子可哀想、とか団員にちゃかされて笑いつつ話を続ける。
「帰りの道中の数日間、一緒に酒呑んで騒いだりして盛り上がってな、意気投合したわけよ。今度仕事以外で飲み明かそうってな。その後お互いの子供を許嫁にしようだの、抱いた女の数を競うだのバカばっか言っていたが、まあそれはいいとして」
口はにやけているが目には真剣さが宿る。
「そんときによ、俺の名前を出せば長耳族の王都に入れるように伝えておくって言うんだよ。まあ、十五年も前の話だから、もう忘れられてる可能性もあるがな。あーはっはっはっはっは!」
つまりレノアス達に樹海に逃げろというのだ。
その王子がゼラードの事を忘れていなければ、何かと面倒を見てくれるかもしれないと言う。
レノアスは少し考えたいと返事をして天幕を出た。そのままラーナのいる兄弟二人の天幕に行くと、ラーナに事情を説明する。
「……という状況なんだ、ラーナはどうしたい?」
あまり選択肢のない質問をして妹の意思を尋ねる。ラーナは一瞬思案したが、レノアスと手を繋ぎ、蒼い澄んだ瞳でレノアスの目を真っすぐに見た。その瞳は何かを決意した時の強さを含んでいた。
「いっしょに、樹海に行こうラーナ。僕が絶対守るから!」
ただでさえ心に病を抱えている妹を守りながら、未知の樹海の中へ行く。それがどれだけ大変な事かは想像に難くない。
しかし、幼い兄弟にとってこの選択肢以外は全て死を意味し、茨の道でも歩かなければならない。
ラーナは小さく頷きレノアスに微笑みながら抱きつく。言葉は発せなくても伝わる思い、伝えられる思い。そんな人と人との繋がり方の一つを知ったレノアスは少しだけ大人になった。
レノアスはこの後自らした約束の重さを知る事になる。
東の地平から朝日が顔を出し、低木や草花を照らし始めた広大なニドレラ平原。
いまこの平原では、わずか三百人程の男達を狩る為に、一万人以上の兵士が包囲していた。
広大な樹海を背に半円に囲まれ、一見絶体絶命のその状況にも関わらず、男達の表情には恐れも焦りも無い。彼らは幾多の死線を越え、多くの仲間を失い、それでも戦場に立つことを選んだ戦士達だからだ。
レノアスの瞳は獰猛さを紅く滲ませて周囲を包囲する敵兵を睨んでいる。
「おい坊主! 覚えてるか? 俺と交わした漢と漢の熱い約束を!」
ゼラードはレノアスの胸に握り拳を当てると、忘れたとは言わせねえぜと凶悪な笑顔で歪ませた。
「…はい、覚えていますよ。この傭兵団に入団した時の契約のようなものですよね?」
「おうよ! 魂と魂が交わした唯一無二の契約! それが俺達楔の傭兵団には結ばれているのだ!! いつでもそれを忘れんようにな!」
ゼラードは当てた拳を軽く突く。別れを惜しむかのように二人は最後の時を談笑する。
やがて周囲を観察していた団員から知らせが入った。
「報告します! 敵の隊列が整ったようです。徐々に武器や盾の創製を始めています」
「おお! そうかそうか、待ちくたびれたな!」
ゼラードは自分の手のひらを見つめて精神を集中し始める。
「創製! どんな敵でもぶったぎる漢の長剣!」
すると虚空から銀色の粒子が徐々に集まり剣の形を形成していく。やがてゼラードの得意武器である長剣が手のひらに現れ、その剣の出来を確認してから同じように盾も作り出す。
「創製! 身を守るすんげえ硬い丸盾!」
ゼラードが武器を握りブンブンと素振りを始めたのを皮切りに、他の団員達もそれぞれの武器と盾を創製させ戦闘体制を整える。
「おっしゃ! 今日も愛剣は絶好調だな、惚れ惚れする輝き!」
剣に頬擦りするゼラードを横目にレノアスも創製を始める。
「創製、一対の短剣」
「坊主! いつ見ても創製速度がばかすげえな!」
「ありがとうございます。でも団長達もさすがですね。こんな状況でも皆怯えた様子も無く笑ったりしてるし」
「まあな、伊達に捨て駒傭兵団として生き残っちゃいねえって事よ! うはははは!」
レノアスは捨て駒という言葉に団員達の境遇を思い出し、今この状況を作っている貴族達の冷酷さに表情を暗くした。
ゼラードはレノアスのそんな曇った表情に気づき少し柔らかい表情になる。
「そんなに気にすんな坊主! この生き方は誰でもねえ俺たちが選んだ生き方だ。どんな死に方だろうと、どんな使われ方だろうと、俺たちが選びとって来た俺たちだけの戦場だ。いまさら死ぬ覚悟の出来てねえやつはいねえよ」
レノアスはそれでも親しくなった彼らに死んでほしくはなかった。まだ子供だからかゼラードが満足げに語る理由はよく分からない。
ゼラードは団員全体に眼を配り、全員がそれぞれの武器と盾を創製したことを確認する。
決戦は近い。
団員達の敵軍へ向けた殺気が膨れ上がっていき、砕けた日常の顔から歴戦の猛者の顔に変わっていく。
彼らの背中からは恐怖も焦燥もなく、ただ生き残るという本能だけが強く感じられた。
レノアスは仲間達の強まる殺気を感じつつ自分が傭兵団に入るまでの出来事を思い出していた。
ゼラードが緊張するレノアスに声をかける。
「作戦は昨日伝えた通りだ。成功報酬は生き残ったやつらに出世払いでがっぽりとな、頼むぜ依頼人!」
「なんだか、変な気分ですね、僕が依頼人なんて……」
「先でも後でも金さえ払えばどんな奴でも依頼人さ! 実はみんな期待してんだよ、坊主の出世払いによ!」
周りの団員達も一緒に笑い、直ぐに戦士の顔に戻る。
ここにいる大勢の生きたいように生き、死にたいように死ぬ事を選べる人たちは、もしかしたら心が強い人たちなのかもしれないと思うレノアス。
そんな大人たちの背中を眩しく感じていると、偵察役の団員が森の中から現れ、ゼラードに近寄り報告する。
「完全に囲まれています」