アマグモ
「レノアス君! 君の相手は僕だ」
「ああ、わかったよ。最近俺とばかり戦うんだな」
「仕方がないだろう。相手になるのは君くらいなのだから」
実技訓練場で、レノアスとラディエルトが向かい合っている。
初めての対人戦授業で破壊された闘技場は一ヶ月ほどで修復された。あれから対戦相手に指名されることが多くなり幾度も戦ってきたが、ラディエルトが暴走することはなかった。
ラディエルトは片手を挙げ唱えた。
「創製! ウトラスの鏡!!」
ラディエルトの周囲に、手の平大で円形の縁に装飾が施された鏡が五十枚創製されていく。最初から全力で戦うようだ。
鏡が周囲の光を反射し怪しく銀光を発していた。
一枚の鏡から一本の剣が出てきて、ラディエルトはそれを両手で掴み取る。
「創製! 小さな立方体!!」
レノアスの周囲に一辺が五センチの立方体が五十個創られ宙に浮く。ラディエルトがレノアスを睨みつけ自信たっぷりに宣言する。
「今日こそは君に勝つ」
レノアスは腰を落とし戦う構えをした。
「ん? レノアス君。武器は創製しないのか?」
「ああ、そのうちするさ」
「……その余裕を後悔させてやる」
最初に動いたのはラディエルトだ。
無数の鏡から同時に剣や槍や矢を射出する。
一度に数十人分の攻撃がレノアスに迫る。
ラディエルトは声を発しながら剣を振り下ろした。
「発現! 敵を焼き切れ! 焰の風刃!!」
炎で覆われた風の斬撃を放つ術。
それは赤く燃えた高熱の刃となって空間を突き進む。
レノアスは飛んで来る数十の武器に意識を向け、その全てに立方体を衝突させ軌道を逸らした。
「創製! 耐熱構造の盾!!」
レノアスの両腕にそれぞれ半円形の盾が創製される。その表面はざらざらしており繊維が織り込まれたような見た目だ。
両手の盾を前方で一つに合わせ、大きな円形の盾にして赤い風刃を受ける。盾はその高熱を吸収し表面が赤くドロリと溶け始めたが耐えきった。レノアスは盾を左右に投げ捨て空中で霧散させ、ラディエルトに突進した。
「あの焰の風刃を防ぐのか!?」
再度鏡から連続で武器を射出。
かわされることに苛立つラディエルト。
「これならどうだ! 発現! 爆ぜて散れ! 焰の爆風、大!!」
突如レノアスの前方に光が集まり、轟音とともに大爆発を起こした。
闘技場の周囲では七番教室の生徒達が、戦いを息をのんで見守っていた。審判を務めるライラの横に珍しい人物が歩み寄る。
「学院長、どうしてこちらへ?」
学園長と呼ばれたのは白髪で腰の曲がった老婆だった。しわの多い笑顔を浮かべ二人の戦う様子を見ている。
「最近、ラディエルト君が学院に行くのを楽しみにしていると、彼の母親から聞いてな。ウトラス家とは彼の父親がここで学んでいた頃からの付き合いじゃからのう、気になって様子を見にきたんじゃ」
「最近の彼は落ち着いています。報告したように一度は黒鎧に呑まれそうになりましたが、それ以来自制を保っているようです」
「それは良かった。あの術はまだラディエルト君には荷が重いと考えておったが、あの人間族の少年が良い影響を与えてるのじゃろうな」
「ラディエルトはレノアスを好敵手として認識し、日々努力しています」
「そうか。ラディエルト君は類い稀なる天才。風と炎の発現を容易に使いこなしながら、血継創製も受け継いでおる。今まで彼が全力を出せる相手はいなかったから余計に意識するんじゃろうて。あの人間族の少年も驚くべき能力を持っているようじゃな」
「そうですね。レノアスは黒鎧化はできませんが、生身での戦闘力はこの王都でも五本の指に入るでしょう」
「二人の将来が楽しみじゃのう」
「はい、同意します」
爆風がおさまると、そこにはレノアスが耐熱の盾を構え立っていた。
「発現! 風よ脚に纏え!!」
瞬時に加速したラディエルトはレノアスの背後にまわり、剣を横なぎにした。レノアスはその剣に立方体を高速でぶつけ、剣の軌道を上に逸らし双剣を創製して反撃する。
ラディエルトは風を纏った脚により瞬時に距離をとり、全ての鏡を集合させ、一枚の大きな鏡に作り替えレノアスの進路を塞ぐ。
レノアスが鏡を断ち斬ろうとすると、大きな鏡から無数の長い槍が瞬時に伸び、彼は咄嗟に後ろに飛び退き距離をとった。
ラディエルトはさらに連続で発現する。
「発現! 舞い上がれ炎の防壁!! 全てを喰らい灰に変えよ、火炎の大蛇!!」
自分の周囲の全方向に炎の壁を発現させて守りを固め、上空に炎の大蛇を作り出した。その燃え盛る蛇は大きく顎を広げうねりながらレノアスを襲う。
「近づけさせない作戦か。それならば!」
レノアスは双剣を消す。
「創製、貫通の弓矢!」
銀の粒子が瞬時に弓矢を創り、レノアスは矢をつがえる。その矢の先は細長く、螺旋状に溝が刻まれている。彼は全力を込めて撃ち放った。
シュイン!
矢は高速回転しながら炎の大蛇の口に入り、風圧でかき消しつつ炎の壁ごと鏡を突き破ってラディエルトの胸に命中した。
「がはっ!!」
ラディエルトは場外に転がり、地面に打ち付けられた痛みに顔を歪める。胸には白い光の跡がついていた。
「絶対の防御なんてない。過信しない方がいいぜ」
ライラの一声が響く。
「勝者、レノアス!」
周囲からは歓声と拍手が贈られ、二人の健闘を称えた。
場外ではラディエルトが悔しそうに顔を歪めていた。土埃を払いながら起き上がったラディエルトに、学院長が近づいていく。
「ラディエルト君、見事な戦いじゃった」
「学院長。……負けてしまいましたけどね」
「常に学び続けることが成長に繋がるのじゃ。落ち込むことはないぞ」
「……はい」
「君の父は君程の才能はなかったが、努力し続け、自らの力で実技の成績は常に上位を保っておった。同じ教室にシュナーザ君もおったのう。二人はいつも張り合って共に切磋琢磨しておったもんじゃ」
「え、父が?」
「そうじゃ。シュナーザ君は優秀でのう。君の父は何度戦いを挑んでも負け続けていたのじゃが、卒業間際にようやく一勝できてな。……確か一勝百二十四敗だったはずじゃ。勝った時それはもう満面の笑みじゃった」
「勝てるまで努力し続けたんですね。父は」
「うむ。わしから見ても、あのレノアスの強さは底が知れん。先ほどの戦いでも遊びのように楽しんでおった。これからも強くなっていくじゃろう」
ラディエルトは唇を噛み締めた。
継承の儀で受け継がれた人間族への憎悪もあるが、何度も挑んでいるのに、勝てない自分に落胆し怒りを感じていた。悔しさにうつむき、黙り込むラディエルトの内心を見透かしたように、学院長は続けた。
「その歳で継承の儀を受けた精神的負荷は相当なものじゃろうて。人間族への憎しみが強ければ強いほど、黒鎧化したときの能力が上がる。黒鎧で強くなりたいかの?」
ラディエルトは顔を上げ迷わず即答した。
「いいえ。他の力で強くなっても、彼にはいつまでも勝てない。だから僕は父と同じ道をいきます」
学院長はラディエルトの表情を見て、シュナーザに負けた直後に彼の父が見せた不屈の表情を思い出した。
「そうかい」
学院長は安心し校舎に戻って行った。
闘志を燃やすラディエルトをよそに、レノアス班は賑やかだった。
「レノアス、また勝ったわね! これで何連勝かしら?」
「数えてないな。でも、良い戦いだったよ。俺も、耐熱構造をもっと改良しないと」
「……レノアス。どんどん強くなってる」
「ああ。勝ったとしても、ラディエルトとの戦いからは多くを学べるよ」
「うひひ、お見事でした。いつも余裕ですね、レノアスさん。まあ、あの遺跡での訓練を思えば当然ですが」
「はっはー! 勝者になっても示す謙虚さは、貴族にとって大切だ。貴族への道に足の小指一本踏み込んだようだな、人間」
そこでライラが全員に指示を出す。
「今日の対人戦授業は終わりだ。教室に戻ったら、いつものように自分の改善点と、達成できた点を用紙に書いて提出。後日私からの助言を伝える。解散!」
生徒達が教室に戻りはじめた。レノアスも戻ろうと歩き始めた。
「レノアス」
振り向くとラディエルトが立っていた。
「何度負けても、最後はお前に勝ってみせる」
「ああ、何度でも受けて立つさ」
ラディエルトはレノアスを追い抜き教室に帰って行った。
その後ろ姿にレノアスは独り言を言う。
「あいつ、少し雰囲気変わったか?」
対人戦の用紙を提出したレノアスは、前の席で帰り支度をしているフレイシアに声をかけた。
「なあ、フレイシア」
「どうしたの?」
「もう少しで建国記念式典じゃなかったか?」
「ええ、今日も王宮で式典の打ち合わせをする予定よ。国内の貴族達が集まるし、王位継承式典と同様の大きな式典だから忙しいの」
「おい、また寝ないで無理してるんじゃないだろうな?」
「ふふふ。大丈夫よ、私の薬師さん。今回の式典は難しいことはないの。お父様以外の王族は見ているだけよ。だからぐっすり眠っているわ」
「そうか、安心したよ」
二人の話を聞いていたルシエが、レノアスに質問した。
「レノアス、式典出る?」
「いや、一度見てみたいけど貴族以外参加できないからな」
「それなら、ルシエと一緒に座る? お父様に頼む」
「はは。俺は嬉しいが、シグレイさんは許可するかな」
「大丈夫。レノアスのこと気に入ってる」
「じゃあ頼んでくれるか?」
「うん。任せて」
フレイシアが小さく独り言をもらした。
「わ、私には、王族席があるのよね……」
「フレイシア? 何か言ったか?」
「いいえ、何でもないわ。うん、何でもない」
帰路の途中、フレイシアは馬車の中から空を見上げる。
「……夕方には降りそうね」
今まで青かった空にだんだんと雨雲が流れてきていた。
その日の放課後。
麦畑ではレノアス班の男三人が、ギンジから紹介された害虫退治の真っ最中だった。シラスは研究費用のため、イーサンは家の再興資金、レノアスは生活費のために共に狩りに出ていた。
王都にほど近い樹海を開墾し、樹海大麦という大量に収穫できる品種が一面に栽培されていた。
「そっちに行ったぞシラス!」
「ひゃい!」
シラスはゲルーネに指示を出す。
「ゲルーネ! あのイナゴを足止めして!」
ゲルーネがその粘液状の体を薄く広く伸ばして捕獲用の網となると、そこに樹海疾走イナゴが高速でぶつかった。
このイナゴは体長一メートルと大きく、普通のイナゴと違い飛ぶのではなく高速で走り、その早さは放たれた矢のように早い。樹海大麦が好物で食べ尽くすため討伐依頼が出される害虫だ。
シラスはゲルーネの粘液で動けないイナゴに、短剣でとどめを刺し、証拠部位の触覚二本を切り取ってからため息をつく。
「ふう。これで百匹以上は仕留めましたね。イーサンさんはうまく狩れているでしょうか」
視線を向けるとイーサンが十数匹のイナゴの群れと対峙していた。
「発現! 荘厳な美しき響きを奏で開幕せよ! 優美な超音の歌劇!!」
イーサンは両手のひらを顔の前で叩き合わせた。
パン! という音の直後、疾走していたイナゴ達は次々に地面に突っ込み、痙攣しながら脚をばたつかせていた。
イーサンはレノアスに声をかけた。
「十五匹動けなくしたぞ、人間。私の華麗な技で倒れた哀れなイナゴのとどめをさす権利を与えよう。光栄に思うがよい」
レノアスは高速で走り回るイナゴにタイミングを合わせ、双剣で攻撃したり、立方体をぶつけて胴体に穴を開けながら、イーサンに答えた。
「今ちょっと取り込み中だよ! シラス頼む!」
レノアスは次々とイナゴの死体を増産していく。
「あ、はい。今行きますね」
シラスはゲルーネを消してからイーサンの所まで行き、短剣でとどめをさし、イナゴの触角を切り始める。
「うむ。素晴らしい働きだ、シラス君。我が家の専属イ」
「専属イナゴ狩り師は遠慮させてもらいます」
「ふむ。遠慮深いのだな、シラス君は。気が変わったらいつでも言うがよい。はっはー!」
「というか、そんな職業ないと思うんですけど」
イーサンが高笑いをしている間に、シラスが触覚を切り終え顔を上げると、レノアスが触角の詰まった鞄を背負って近づいてきた。
「そっちは片付いたか?」
「ええ、終わりましたよ」
「よし、依頼達成だな。帰ってギンジさんに報告して報酬を受け取ろうぜ」
「うむ。民の生活を守るのも貴族の務め。手間はかかったが有意義な仕事であったぞ」
「端から見ればイーサンさんは手を叩いているようにしか見えませんでしたけど。うひひ」
「はっはー! 真の貴族たるもの、苦労は他人に見せないのだよ」
レノアスはイーサンをジト目で睨む。
「言うだけ苦労していないと感じるのは俺だけか?」
三人は王都に戻るため街道をしばらく歩く。空を見ると濃い灰色の雲が空を覆い尽くして今にも雨が降りそうだった。
「これは、降るかもな」
そのつぶやきが天に届いたかのように、すぐに大粒の雨が降り出し、三人は近くに開け放たれた農具用倉庫を見つけて駆け込んだ。
「うわ、すごい雨ですね。王都の門まであと少しなのに」
「ふむ。できれば濡れずに帰りたいものだ。上等な服を汚したくないからな」
「俺の創製で大きな傘でも作ろうか?」
「……それって、男三人で相合い傘ってことですよね。それはちょっと」
「相合い傘は貴族らしくないので却下だ、人間」
レノアスは二人の反応の悪さにため息を吐く。
「それなら、三人入れる大きな板でもいいし、一人ずつに傘を創製してもいいぞ」
「ふむ。真の貴族は降りしきる雨音を優雅に楽しめるのだ。急ぐ必要は無い。私の妹達が焼いた菓子でもどうかな?」
イーサンは懐から菓子の入った袋を取り出し、中身を二人に見せた。
「うひひ。美味しそうですね。形は芸術的ですけど。では一つ頂きますね。……ん、おいしい!」
「はっはー! そうだろう。妹達の菓子は王都一美味だからな。それに小さいうちから料理を嗜むなら、きっと良いところに嫁げるだろう」
レノアスは二人ののんびりとした会話に口をはさんだ。
「おい、しばらく止みそうにないぞ。じゃあ、ずっとこの倉庫で待つつもりなのか?」
「そう言われると、迷いますね」
「はっはー! 私は待つ。優雅に生きる上級貴族には常に余裕が必要なのだ」
三人はしばらく待つも雨は降り続いている。
レノアスが無言で外を見ていると、シラスが声をかけてきた。
「ところでレノアスさん」
「何だ? シラス」
「フレイシアさんとルシエさんのどっちが好きなんですか?」
「はあ? どういう意味だ?」
「え、そのままの意味ですよ」
「どっちも好きだけど?」
「いえ、そういう好きではなくてですね。恋愛感情とか、そっちの好きですよ」
「ああ、そういうことか。……そんなこと今まで考えたことなかったよ。自分のことで精一杯だからな」
「たぶん二人はレノアスさんのこと好きだと思うんですよ。最近二人の行動がおかしい時があるし。レノアスさんはどう思いますか?」
「どうって言われてもなあ。お前さ、またエリカナ先輩と喧嘩したのか?」
「え! どうしてそれを!?」
「前にお前がエリカナ先輩を怒らせた時も、同じように恋愛だの何だのって言ってたからな。今回もそうか?」
シラスは驚いた後、膝を抱えて座り込んだ。
「実は最近、モヘジさんとずっと研究していて、図書館に行っていなかったんです。久しぶりに図書館に行ってエリカナ先輩に声をかけたら、なにやら怒っているようでして。は、話しかけても口もきいてもらえなくて。……どうしましょう、レノアスさん!」
「そんなの簡単じゃないか。許してもらえるまで謝ればいいんじゃないのか?」
「そもそも、どうして怒っているのかわからないんですよお!」
「それはお前が研究ばかりで、エリカナ先輩を放っておいたからだと思うぜ」
「え!? それってつまり……僕に逢いたかったと?」
「だろうな。前に図書館に行った時、エリカナ先輩に聞かれたんだ。シラスはどうして図書館に来ないのかって」
「え、ええ!? ええと。え!? あの。えええええ!!?」
「だから、謝れば許してくれるさ」
「どど、どうしよう! あ、謝らなきゃ!」
慌てふためくシラスを見ながら、レノアスは先ほど言われたことを考えていた。フレイシアとルシエが、自分をどう思っているかは正直わからない。もしシラスの言うとおり自分に好意を寄せてくれていたとしても、今はそれに応えることはできない。ラーナを助けるという命がけの目標があるからだ。
シラスがイーサンに助言を求めた。
「イーサンさん。こ、こんな時、真の貴族なら、どうしたらいいんでしょうか!?」
レノアスとシラスが同時にイーサンを見ると、器用に目を開いたまま、鼻ちょうちんを出し入れして眠っていた。
「……寝てるんだよな」
「……寝てますね」
「目を開けたまま眠れるものなんだな」
「というか、鼻ちょうちんって物語にしか出てこない怪現象かと思っていましたよ。この目で見られるなんて」
その時、何かが爆発したような轟音と地揺れが起こった。
「ん! 何だ!?」
イーサンの鼻ちょうちんがパチンと弾け、目を覚ましたと同時に開いたままだった目を閉じた。
「ううん? よく寝たと思ったら、周囲は真っ暗だ。もう夜か。かなりの時間寝てしまったらしい」
「イーサンさん!? 目蓋の使い方逆ですよ!! 起きてる時は開くんです!」
二人を残して、レノアスは状況を確認するため雨の降る外へ出た。
「雨蜘蛛!?」
そこには、先端が鋭く尖った八本の脚をもつ巨大な蜘蛛がいた。胴体だけでも五メートルはあり、脚の長さも合わせると二十メートルほどの大きさだ。紺色の体に八つの赤い目で、森から飛び出てきたのか麦畑に覆いかぶさっていた。樹海の方角に頭を向けシャー!という警戒音を出している。
「こんな人里に雨蜘蛛が出るはずがない! どうしてこんなところにいるんだ!?」
レノアスの驚きの声を聞きつけてシラスとイーサンも外に飛び出し蜘蛛を見つける。
「ええ!? な、なな、なんですか、あの巨大な青い蜘蛛!? 」
「あれは樹海雨蜘蛛といって、樹海の深部に雨の日だけ現れる珍しい蜘蛛だ」
「ほう、雨が好きとは珍しい虫だ。人間と行動を共にすると、様々な動物に出逢えて愉快であるな」
「呑気に感心してないで、逃げるぞ!」
レノアスは急いでその場から逃げようとすると、樹海の方角から嫌な気配を感じ取った。
「この気配は……」
降りしきる雨で視界は制限されていたが、遠くの存在に気付く。
「黒い奴らか」
そこには外套から覗く手足が真っ黒な三人が立っていた。彼らはレノアス達を見つけると立ち止まり、そのままゆっくりと樹海に戻っていった。
「俺達が目的ではないということか。蜘蛛が目的なのか? でもどうして……」
シラスがあわてて叫んだ。
「レ、レレ、レノアスさん! 蜘蛛が僕らを睨んでますよ!? これって、そういうことですよね……」
レノアスは頭を切り替える。
「そういうことだな!」
赤色の八つの大きな単眼にレノアス達が映り込んでいる。長い脚を地面に突き立てて近づいて来た。
『シャァァァァァァ!!』
その鳴き声は雨が地面を打ちつける音の中でも耳に届く。
「まずいな、この人数であいつを仕留めるのは難しい。逃げるぞ!!」
言い終えないうちに大蜘蛛がレノアス達を飛び越え、王都に繋がる街道の真ん中に着地して轟音と地揺れがした。
「……俺たちを逃さないつもりだな」
「はっはー! やるしかないようだ。愛する家族の元に戻るため私は目の前の障害を華麗に打ち砕こう」
イーサンの目にも真剣さが宿り覚悟を決めたようだ。
「うう。あ、あんな大きいのと戦うんですか!?」
シラスは戦い慣れていないせいか、足が震えていた。
「やらなきゃ、やられるぞ!」
「で、でも。僕、あんな大きい化け物と戦ったことないんですけど」
「大棘鼠と戦っただろ? それに、このままだとエリカナ先輩と逢えなくなるぜ」
シラスははっとして震えている足に力を込めた。
「それは、絶対に嫌です!」
覚悟の決まったシラスを見て頷くレノアス。
「よし! まずは俺の考えた作戦を聞いてくれ」
二人はレノアスの作戦を聞きすぐに理解する。彼らは樹海での授業を幾度も経験したので、即興で作戦を立て実行することに慣れていた。
「ふむ。理解したぞ。人間自ら立案した作戦だ。私の足を引っ張らないようにな」
「りょ、了解です。が、がっが、がんばります!!」
レノアスは二人の返事を聞くと蜘蛛に視線を移した。蜘蛛の胴体は地面から三メートル程の上の位置にある。牙の蠢く口からは獲物を待ちきれないのか、唾液が垂れているようだ。
レノアスは強い意志を込めて雨の中叫んだ。
「創製! 摩擦係数ゼロの大太刀!!」
レノアスの背丈より長く鍔の無い大きな剣が現れ、剣を横に構えて走り出す。
その姿を見たシラスは強く頭の中で想像する。そしてそのイメージを自分の脚を介してモヘジに送り、両者のイメージの融合を果す。
「融合! 呼ばれて飛び出ろ! 粘液生物ゲルーネ!!」
銀の輝きが集まり形をつくっていく。現れたのは体長二メートルのゲルーネだった。
「へ? いつもより大きいですね」
脳内に声が響く。
『今は雨っこが降ってるから、水属性のゲルーネは元気なんだべ。オラは雨いやんだから今日はここで大人しくしてるべ』
『水属性だったんですね。というか、いつも大人しくしててもいいんですけど!』
シラスはゲルーネに指示を出す。
「あの蜘蛛の足止めをして!」
ゲルーネはプヨヨンと動きで返事をして、飛び跳ねながら蜘蛛に向かった。
すでにレノアスは蜘蛛の足元まで近づいていて、大太刀を横なぎにした。蜘蛛は脚を上げて器用にかわし、他の三本の脚でレノアスを突き刺そうと連続で攻撃する。レノアスは最低限の動きでかわし続けて街道から外れた時、足をぬかるみにとられてしまった。
「あっ!」
容赦なく尖った蜘蛛の脚が彼を襲う。そこにタイミングよく飛び込んできたゲルーネが、蜘蛛の背中にドロリとまとわりつき蜘蛛の動きを鈍らせた。好機と見たレノアスは脚に向かって走り大太刀で切断した。
『シャシャァァァァァァ!!』
蜘蛛は見るからに怒り狂い攻撃速度が速くなり、後ろの二本の脚で体を支え残った五本の脚で攻撃を再開した。レノアスは蜘蛛の猛攻をぎりぎりでかわし後方に逃げる。シラスの横で傍観していたイーサンが唱えた。
「発現! 万民が知る愛の調べ、柔らかな旋律で夢の世界へ誘え! 幼子への子守唄!!」
イーサンは口を開いているが音は聞こえない。人には聞こえない音域の声をだしているようだ。さらに蜘蛛の動きが鈍り脚での攻撃が緩慢になった。
シラスがレノアスを援護するためゲルーネに指示を出した。
「胴体を攻撃して!」
ゲルーネはポヨンと体を震わせてから蜘蛛の背中で小さく跳ねると、石の床を砕くほどの強烈な打撃を打ち込んだ。ドフッ! という鈍い打撃音が続き蜘蛛の体が地面に打ちつけられる。蜘蛛はたまらず暴れ狂い、ゲルーネを振り落としてから空高く飛び、空中で尻から水の玉を広範囲に射出した。その射速は矢よりも少し遅いくらいだが、人の頭ほどもある水弾である。直撃を受ければ、ただではすまないだろう。水弾は数百という数で地面に降り注ぐ。この攻撃を初めて見た人が雨蜘蛛という名前をつけたのも頷ける。
かわせないと瞬時に判断したレノアスは、シラスとイーサンの立つ位置まで戻って叫んだ。
「創製! 撥水構造の壁!!」
瞬時に三人を覆う銀色の大きな壁が創製され、怒濤のごとく落ちる水弾から三人を守った。
「はっはー! たまには庶民の水遊びに付き合うのも一興」
「一つでも当たれば重傷の水遊びだけどな。それよりイーサン作戦どうり頼んだぞ」
「ふん。すぐに終わらせようではないか。帰ってから上等な紅茶で冷えた体を温める必要があるからな」
水弾が止み蜘蛛が地面に轟音とともに着地する。壁を消したレノアスは、走りながら摩擦係数最大で超重量の立方体を創製した。先ほどの水弾を吸収して体長四メール程にまで成長したゲルーネにシラスは指示を出し、蜘蛛の脚三本にまとわりつかせた。続けてシラスも発現する。
「発現! 出てこい黒雲! 視界を覆う闇の雲!!」
訓練によって強化されたシラスの闇の雲は、効果範囲が大きくなっており、八つの目を全て覆った。そこに追い打ちとばかりにレノアスが立方体を蜘蛛の残りの脚に密着させ、全ての脚の動きを封じる。蜘蛛が完全に動きを止めた。
「イーサン! 今だ!!」
レノアスが上空を見上げると、イーサンが蜘蛛目がけて落下していた。レノアスの創製した足場を使い、イーサンは上空に飛んでいたのだ。
イーサンは身動きのとれない蜘蛛の背中に着地し、とどめとなる発現を高笑いとともに叫ぶ。
「はっはー! 発現! 不協和音の優美な一撃! 華咲くように弾け飛べ! エレガントパンチ!!」
イーサンは拳を蜘蛛に打ち放ち、地面に飛び降りた。急いで三人は蜘蛛から距離をとる。
巨大な蜘蛛の胴体が徐々に膨らみ、花火のように爆散し、肉片と緑色の体液が周囲にまき散らされた。
レノアスは大きな傘を創製し、三人に体液が降り掛からないように防いだ。
「イーサンさん、結局三人で相合い傘になっちゃいましたね。うひひ」
「ふん。私の優美な貴族服に、虫の体液など付けられないからな」
空を見るといつの間にか晴れ間が見え、雨が止んでいた。
レノアスは二人から少し離れ、黒い体の三人について考え事をしながら歩いている。
あの黒い体はライラ達が使っていた黒鎧というものだろう。しかし、大蜘蛛を追う理由がわからなかった。機会があればライラに聞いてみよう。
「そういえば、イーサンさん。遺跡のライブラリで見た貴族仮面エレガンティーの技名使ってましたね。うひひ」
「はっはー! 華麗に悪を討滅する必殺技だ。シラス君も鉄脚戦士ケリンガーの技名を使ってみるがよい。発現の効果が上がるようだ」
「僕も格好いいのを考えてみます! ケリンガーのこういうポーズはどうですか?」
「うむ。もう少し足を開き腕を真っすぐにすると、より勇ましさが伝わるのではないかな」
「こうですか?」
「いや、もう少し上に。そう! それだシラス君!」
シラスとイーサンは正義の味方について熱く語り、動きを交えながら、王都への街道を歩いていった。
二人の後についていくレノアスの心には、不安が雨雲のような暗い影を落としていた。




