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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第1章 物語の始まり
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小さな生きる理由




「ん? なにか騒がしくなったね」


 レノアスが視線を外門のほうにむけ様子を伺っていると、木の下にアルディスとセレイヤがやってきた。

 その二人に向けてレノアスは木の小屋から顔を出す。


「父上! 何かあったのですか?」


 アルディスとセレイアは木の上を見上げおままごとで遊んでいる事に気づき、笑顔で返事をする。


「分からないが大丈夫だ。愛しの息子と娘よ! 私たちが様子を見てくるから、お前達はそこにいなさい」


「ラーナもいい? ちゃんとお兄ちゃんの言う事を聞いて大人しくするんですよ」


 ラーナが「はーい! 兄様はラーナが守る」と少しズレた返事をしつつ、顔を出し笑顔を見せる。


「いいかい、レノアス。強い男には女を守る使命があるのだ。それを忘れずにな! 妹を頼んだぞ!」


「は、はい。努力します」


 お父さん役のレノアスが掃除や料理をして、帰ってきたお母さん役のラーナをねぎらったり、悪い奴らに捕まったレノアスをラーナが救い出したりしている事を知らずに、アルディスとセレイヤは門に向かう。

 ラーナが楽しそうならいいかと妹に甘いレノアス。


 アルディスとセレイアの二人が門にたどり着くよりも早く、大勢の領民が武器を手に門を通過し敷地に流れ込んだ。


「君たち! なんの騒ぎなんだ? ここは私の屋敷だぞ!」


 アルディスが抗議の声を上げるが、血走った目の領民達は止まらない。

 外門は領主トレザールの命令で開門され、がやがやと屋敷に入ってきた暴徒達に囲まれるアルディス夫妻。

 屋敷の方にも大勢が侵入し住み込みで働いていた使用人達も強引に表に引き出される。

 それから屋敷を物色していた人々が、魔神教の儀式道具と思われる道具を見つけ、領民達の集まる庭園まで運び出していた。もちろんトレザールの仕込んだものである。


「やっぱりお前らか! 魔神崇拝者共め! よくも俺の息子を!!」


 領民の一人が持っていた木の棒でアルディスの頭を強打する。


「ゔぐっ!!」と呻いてその場にうずくまるアルディスを、セレイアは叫びながら庇おうとする。


「あなた!! 私たちが何をしたというのですか!」


 突然の暴力を振るわれながらも無実を訴えるセレイアだったが誰も耳を貸さなかった。


「こいつらの話しには耳を貸すな! 魔神の呪いを受けるかもしれないぞ!」


 呪いを受ける等と教典にも記されていないが、今の彼らは過敏に反応しアルディス達が口を開く度殴打した。


「この異端者め!!」


「野蛮な人殺し共!!」


「女神の裁きを受けて死ぬがいい!!」


 そこには親切で平和を望む良心的な領民達ではなく、怒りに眼を曇らされ異端者に死を望む大勢の狂信者達がいた。

 数人の男に取り押さえられ地面に押し当てられているアルディスは、暴行を受けた身体の痛みに堪えつつ、目の前に歩み寄る上等な法衣を纏ったジルハ高等司祭に叫んだ。


「私達は魔神崇拝なんてしていない! 本当だ! 何かの間違いだ! ちゃんと調べてくれれば分かるはずだ!」


 豊かな白髭の老人は天を仰ぎ、汚らわしい物を見るかのようにアルディスを睨んだ。


「お主らが魔神崇拝者であることは既に確定しておる。今更何を喚いても女神アーフェの裁きからは逃れる事はできはしない」


「嘘だ! そんな、私たちが何をしたというんだ!」


「いまだにごまかそうとするのか。神に反逆せし魔神の使徒よ! お前達が殺した百人以上の人々や、見つかった魔神教由来の道具、お前達が儀式をしていたという目撃証人もおる。神は見ておられ裁きを下されるのだ!」


「ありえない!! そんなこと!!」


 トレザールがアルディス達を囲む領民をかきわけ姿をみせる。その表情は悲痛さに歪み今にも泣き出しそうだ。

 兄を視界に捉えたアルディスは少し表情を明るくし助けを求める。


「兄貴! よかった、皆に説明してくれ! 私は魔神崇拝なんてするはずがないだろ!? な?」


 トレザールの表情は悲痛に歪んでいるように見えるが、眼には冷徹さがにじみでていた。


「……アルディス、本当に残念だよ。まさかお前が魔神崇拝に傾倒していたとは」


「何を!! 何を言っているんだ兄貴! そんな事あるわけがない! ちゃんと調べてくれ、そうしたら!」


「すでに調べたのだよ。目撃証人と惨殺死体、お前の依頼した品物と共に儀式用の道具も見つかっている」


「そんなものは知らない! 誰かの陰謀だ! 誰かが私達を陥れて……」


 一瞬動きを止め言葉に詰まるアルディスは、ゆっくりとトレザールに驚愕の視線を向けた。


「……兄さん、なのか?」


 絶望と不信が混ざったような声で呟いた。

 トレザールは動揺せず一瞬口元に笑みを浮かべた。それは誰も気づく事が出来ないほどの僅かな歪みだったが、木の上から見ていたレノアスには確かに笑ったように見えた。

 アルディスの質問に対する返答は無く、扇動していた高等司祭の男に耳打ちし何事かささやいていたが、そのままアルディス達を一瞥し群衆のなかに消えていった。その兄に向けて茫然自失となっていたアルディスは叫ぶ。


「おい! 答えろよ! トレザール!! おい!!」


 アルディスは力の限り暴れようとしたため、周囲の男達に殴打され腹部を蹴られ吐血しながら押さえつけられた。

 レノアスは咄嗟に隣で怯えて涙を溜めたラーナの頭を抱き寄せ、見せないように包み込む。

 セレイヤが夫への暴力をやめさせようと、容赦のない暴徒達に向けて悲鳴のような嘆願を叫んでいる。

 木の上にいたレノアスとラーナもついに引きずり下ろされた。


「この! 穢れたガキが!!」


 領民の一人がラーナを殴打しようとする直前、レノアスが間に入り身代わりになる。しかし小さな身体は簡単に殴り飛ばされる。


「ぐあ!!」


 レノアスは痛みをこらえながら必死に起き上がり、泣きじゃくり地面に座り込むラーナを守ろうと強く抱きしめた。

 それから何度もレノアスは殴られたが、ラーナを守ろうと必死に堪えた。

 アルディスは特にひどく痛めつけられていたが、全身の痛みに堪えながら顔を上げて声を絞り出す。


「……こ、こどもだけ、は、ゆるしてくれ、……おねが」


嘆願を遮りジルハは容赦なくアルディスの頬を豪華な装飾の施された杖を振るい強打する。


「ゔがっ!!」


 うめきとも叫びともとれる声を発し再び伏せるアルディス。それを見下ろしつつジルハは大勢に聴こえるよう声を張り上げ叫ぶ。


「子供や見て見ぬ振りをしていた使用人達も同罪じゃ。後で女神の裁きを受けさせる!」


 そんな暴徒の怒声と家族の悲鳴が響く異常な状況が、レノアスには信じられなかった。

 昨日まで元気にいつもの笑顔で笑いかけてくれていた父が、暴力を振るわれ傷と痣で無惨な状態になっている。

 いつも微笑みふわりと抱きしめてくれる母が、悲鳴と慟哭をあげている。腕の中では不安と恐怖でラーナが声を殺して泣いている。

 どうしてこうなったのか。なぜ人々はこんなに酷いことができるのか、驚愕と恐怖と混乱の渦が頭の中をぐるぐると巡り、信じられない信じたくない、と拒絶を示すように、ラーナを抱く腕に力が入った。


 ジルハが領民達に指示を出すと、彼らは焼き払うために持っていた松明を館に放り投げる。


「異端者アルディス! そしてその同族達よ! お前達は女神アーフェ様の怨敵である魔神の使徒となり心が穢された。よってアーフェ様の裁きにより救いがもたらされる!」


 すると斧をもった男達が群衆の中から数人司祭のそばに立ち、司祭が空を仰ぎ大仰に続きを語る。


「お前達が現世で犯した大いなる罪は女神アーフェの深い慈悲によって死後の世界に持ち越されることはない! 歓喜せよ罪人よ、感謝せよ不義の道を歩んできた者達よ! それは穢れた心が死をもって浄化されることで真の救いとされるのだ!」


 その司祭の眼はどこか遠くを見ているように焦点を合わさず、あたかも神の裁きを下す代理者であるかのような態度で、片手に持った豪華な装飾の杖を頭上に掲げた。

 その杖には刃こそないが一度振り下ろされると異端者達を裁く断罪の斧と化す。

 命を奪うであろう鈍い光を放つ無骨な斧が家族や使用人達の首に狙いをつける。




 レノアスはその時、今までの幸福な生活を思い出していた。

 幼さゆえに世界は幸福で満たされているのだと疑わなかった日々。日常の全てが輝いていた日々。

 いつも家族のように接してくれる使用人達、温かな微笑みで全てを包んでくれる愛情深い母セレイヤ、いつもレノアスを誇りに思い、努力するレノアスを褒め、不器用に愛してくれた父アルディス。

 思い出されるのはそんな楽しい記憶ばかりの優しい世界。魔神崇拝なんてしていない。

彼の天才児としての知能の高さは、この後強行される悲劇を推測できていた。大好きだった家族や使用人達が恐怖を噛み締め血を滲ませ、死を目前に泣いて叫んで絶望している。七歳の少年の心にはその衝撃は大きすぎた。

 レノアスは表層では思考停止になりつつも、心の奥、さらにその根の部分で答えを出せない自問自答を繰り返す。


 なぜ、ありえない、あの、みんなで、いつも、幸せで楽しい、日々がなんで、『その力で』、どうして、ひどい、なんで、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ…、そうだ、ぼくがみんなを、どうやって、どのように、力をつかって、何を、誰を、この人たちを、『敵に』、痛い、いたい、こんなこと、だれか、誰を、てきだ、敵、敵を、敵に『滅びをくれてやれ』。


 思考の奔流に呑まれていたレノアスの心に、何者かの声が混ざり込み導く。

 その不自然なくらいに神々しい声には逆らえない、否、逆らいたくない。逆らうことは悪、逆らうことなどありえない。

 愛する人々の死を受け入れず拒否反応を起こすように、ドクリドクリと脈動を打ちながら少年の精神が徐々に、徐々に紅く暗く染みが広がるようにその声に汚染され混濁していく。


 振り下ろされていく命を絶つ凶器。


 地面に転がされる何か。


 既に周囲の匂いや風、温度も感じない。


 ゆっくりと意識が遠くなっていく。


 目の前の全てが紅く染まっていく不思議な感覚の中、恐怖、怒り、絶望、悲しみ等の負の感情が爆発的に高まり、身体の奥底から膨大な力を感じた瞬間。


 心の防壁となる様に強く大きく、やさしい父の声が頭の中で響いた。


『しかし何より大事なのはかっこいい事ではなく、かっこ悪くても愛する者達を最後まで守りきる事だ。これは絶対に忘れるなよ!』


 その言葉は過去の記憶の断片。するりと真っ赤に染まったレノアスの心の奥深くにしみ込む。


『いいかいレノアス、強い男には女を守る使命があるのだ、それを忘れずにな! 妹を頼んだぞ!』


 忘れてはいけないすごく大切で重要な言葉。


 意識が遠くなっていく。


 底なし沼に引きずり込まれるように意識が、記憶が、自我が沈んでいく。


『完全にとはいかないか、それでも契りは交わされた。我はこの世界の摂理の一つ。代償によってお前に力を与える者』


 最後にその神々しくもおぞましい声はそう言った。


 そこでレノアスは完全に意識を手放した。




 それからどれくらいの時が過ぎたか分からない。レノアスが気がつくと焼け焦げた屋敷の跡地で目が覚めた。全身が煤にまみれているらしく黒く汚れている。

 時刻は昼くらいだろうか。意識をすぐそばにある気配に向けると、そには筋肉隆々の大男が強面の笑みを浮かべていた。

 レノアスはその大男が何を目的としてここに立っているのか想像できたが、レノアスが意識をなくした後の事を聴くと簡単に話してくれた。


「坊主はな、忌み子っていうのになっちまったんだ」


 レノアスは使用人達や家族の首が一つずつ地面に転がるのを放心状態で眺める中、忌み子に変化したらしい。


 忌み子とは十歳以下の少年少女に稀に起こる状態だといわれている。

 幼い少年少女の家族や近親者などが目の前で大勢凄惨な死を遂げたとき、瞳が赤く鈍光を発し、身体能力と五感の異常活性が表れる。

 小さな身体に異常な能力の活性が負担になるのか、忌み子状態になると長くても一年ほどで死ぬことが確認されており、その危険性は王国中で知られている。

 危険な理由は、今まで確認された忌み子は全て、自らの異常な能力を制御できず精神に異常をきたし、大抵は多くの人間を巻き込んで、破壊の限りを尽くし暴れまわるという記録が残っているためだ。

 数年前に、ある堅牢な城塞都市で忌み子が暴れ、都市が半壊し多くの犠牲者が出たことがあった。その知らせは王国中を震撼させ、忌み子の異常な能力や死の恐怖を人々に植え付けた。


 王国元老院では忌み子を天災同等の危険度と位置づけ、発生時には王国軍の即時出動を可能にした最優先討伐対象とする新たな王国法が可決された。

 力ない平民ができる対処法として、発見したらすぐに王国軍に報告し、忌み子から出来るだけ避難する事も明記された。


 紅く光る眼を見た領民達は忌み子に恐怖したが、すでに半狂乱だった領民達はレノアスに襲いかかる。しかしレノアスは彼らを素手で弾き飛ばした。

 それを見た彼らは青ざめ、領主トレザールや扇動していたジルハ達を含め領民全てが大急ぎで隣町に避難したのだった。

 そこに偶然近くに拠点を構えていた傭兵団が急遽、王国の依頼でレノアスを討伐しに来たのであった。

 レノアスは大体の巻末を聞き終えると、煤だらけの顔を俯かせ見知らぬ大男に質問した。


「あの、ラーナは、…ぼくの妹はいませんでしたか?」


「ああ、そいつなら俺らが保護したぜ」


「……そう、ですか。よかった……」


レノアスは呟くと寝ていた身体をゆっくりと起こし立ち上がる。


 ふと気づくと大男の少し離れた位置には大勢の武装した男達が緊張した表情で事の成り行きを見守っている。

 館には焼けた煤の焦げ臭い匂いがいまだ漂っている。それとは対照的に延焼を免れた庭園の花々が、過去になってしまった優しい記憶の残滓をその香りとともに運んできた。


 レノアスは忌み子について本を読んで知っていた。いつ狂うか分からない存在で今までに多くの犠牲者と損害を出している事、討伐する為に軍が派遣されるという事、寿命がもって一年という事も。

 おそらく目の前にいる男とその後方で控えている男達は、自分を討伐に来た討伐隊だろうと冷静に推測する。格好から察するに王国に雇われた傭兵達のようだ。


 王国内で活動する多くの傭兵団は王国や貴族や商人などから依頼を受け、戦での追加戦力や害獣の討伐、護衛や警備なども行う。

 使い捨てとして扱われるのが普通で正規雇用の兵士と比べると死ぬ危険度が高い。そのため傭兵を生業にする者は総じて、荒くれ者や孤児や貧民出身者が殆どだ。


 目の前には自分を殺そうとする者がいるにもかかわらず、レノアスの心は落ち着いていて爽快な気分だった。一片の雲も無い澄んだ大空のような気持ち。

 近くの木で羽を休める小鳥の気配、風に揺れる草葉のすれる音、男達の緊張を含んだ視線など周囲の全てが明確に認識できる。

 これが忌み子になった事による感覚の活性というものだろうかと考えていると、近くに立っていた大男が歩み寄る。

 身長は二メートルはあるだろう大男の服装は鉄の傷だらけの胸当てだけの軽装備。無精髭をはやし短い黒髪で荒々しい印象の男で、後方に控えている男達も同じような軽装備だ。

 大男が見上げる高さから太々しい視線を落とす。


「一応聞くが坊主、俺たちがここにいる理由は分かるか?」


レノアスには動じた様子は無い。


「……はい、ぼくを、忌み子を討伐に来た討伐隊、ですよね」


「ほう、話しもちゃんとできるんだな。それにちっちぇーのに学もあるのか」


 大男は感心したように頷く。

 レノアスは思い出したように辺りを見回し家族の亡がらを探すが、見当たらない。レノアスの視線に気づいた大男が考えを察して説明する。


「お前の家族の亡がらなら、司祭のじじい達が持っていったぜ。なんでも穢れた死体は清めて火葬しなきゃならんのだとよ」


「……そうですか」


 家族の亡がらを見たいわけではないが、最後の別れができなかったという事が胸に痛みを感じさせる。

 意識を無くす直前ラーナと一緒にいた事を思い出し質問した。


「僕の妹に、怪我は?」


「ああ大丈夫だ、今は眠ってる。でも、もう会えねえと思うぜ。忌み子のお前はここで俺に討伐されるんだからな!」


 そういうと大男は銀術を行使する。


創製クレイディフ! どんな敵でもぶったぎる漢の長剣!!」


 その瞬間、覇気とでもいうのか目に見えない重圧がレノアスに迫った。ピリピリとする空気、背筋をなでる寒気、これが幾多の戦場を生き抜いた強者の気配というものなのか。殺される、確実に殺される。自分の本能が警笛をならす。

 レノアスは目を見開き恐れのあまり後ずさりしながら男を見ると、手には徐々に創製で作り出された無骨な長剣が現れた。かなり大きく重そうだ。男の身長に合わせた長剣なのか厚く長い。


「俺の名はゼラードってんだ。今から自分を殺す男の名前を覚えておくんだな!」


 ゼラードはレノアスから視線を外さずに後ろの仲間達に大声で指示を出す。


「お前ら! 手え出すんじゃねーぞ! この坊主は俺の獲物だ!!」


 殺気が高まる。レノアスはその獣のように獰猛な眼に気圧され動けない。手も足も震えている。

 ゼラードがゆっくりと歩み寄り、長剣を上段に構えた。


「坊主、避けねえと身体が二つになっちまうぜっ!!」


 ゼラードの剣はゴオッ!という風切り音を出してレノアスの頭に一撃を放ち、恐怖で動けないレノアスを両断、できず空を切って、地面を穿ちそのまま深く食い込んで放射状に地割れを造った。

 黒い木片と土埃が飛び散る。

 レノアスは尻餅をつきつつも無意識に回避していた。長剣が残した痕跡を見てその凄まじさに死を回避した事を心底安堵する。

 ゼラードの口元がニヤリと歪み「おいおい、逃げたら殺せんだろうがよ、坊主」と地面から剣を引き抜く。その瞳には容赦の色は感じられない。


「次は逃げられねえように速攻で穴だらけにしてやるよ!」


野太い声で言い放ち、腰を低く落とし突きの構えになった。

今度こそ殺されると活性化された五感が危機を知らせる。

 レノアスは咄嗟に立ち上がる。


創製クレイディフ! 短剣!」


両手に銀の短剣を創製。唱文を読んでいる暇はない。次の瞬間には巨体から繰り出されたとは思えない素早い突きの連続がレノアスを襲う。いくつもの残像を残すほどの瞬撃。男の表情には余裕の笑みが見てとれる。

 レノアスは超感覚を最大限使って後ずさりつつ一対の短剣を交互に長剣に当てうまくいなす。だが強化された感覚と身体能力でもいなすだけで限界だった。ゼラードの突きは更に速くなっていき肩や腕にかすり傷が増えてきた。

 徐々に押され長剣の間合いから逃げる事もできず焦る。

 死にたくない死にたくない死にたくないとレノアスは念じるように心で叫ぶ。

 空中に刃のかすった後の血しぶきが飛ぶ。そのとき一瞬ゼラードが足元を踏み外しバランスを崩す。

 長剣の突きが一瞬止みレノアスは長剣の間合いから飛び出すように横に飛ぶが。


「なーんてな!」というふざけた声がゼラードの回し蹴りと共にレノアスの腹部を強打。

「がはっ!!」と肺の中の空気といっしょに蹴り飛ばされ、無惨に焼け残った煤柱に背中から激突した。柱をへし折って身体が止まる。

 あまりの激痛に顔を歪め咳き込むレノアスは声も出ない。殺気を垂れ流すゼラードがゆっくりと歩いてくる。


「あんな子供だましに引っかかるとはな。ああ、まだ子供だったな。そりゃ騙されるわな!うっはっはっはっは!」


 レノアスは命の危険を感じつつ必死に痛む身体を全力で従えさせ、這いずるように遠くに逃げようと足掻く。

 苦しい、痛い、なんで自分だけ。視界に映る煤だらけの燃え残りが逃亡の邪魔をして先に進めない。

 ゼラードがすぐ後ろに迫る。死の気配を感じたレノアスはゼラードに向き直り震える声で懇願する。


「た、たすけ、てくだ、さい!」


レノアスは肉体に感じる痛みよりも、目前の死への恐怖によって本能的に救いを求めるが、ゼラードは取り合わない。


「おいおい、忌み子って強いんじゃなかったのかよ。俺も討伐任務受けてるんでな、逃がすわけにはいかねえ。生きたければ自分の力で勝ち取りな!!」


「っ!まっ!」


「次は避けてもぶっとぶぞ!!」


ゼラードが長剣を構える。


発現エクセヴィレン! 剣にまとう爆発!!」


 ゼラードは這いつくばるレノアスに向かって跳躍し爆発を付加した斬撃を全力で叩き込もうと両手で長剣を振り落とす。

 レノアスは身体を捻り直撃を回避するが、紙一重の位置を穿った一撃は地面で爆風を発生させレノアスと直下の煤木もろとも弾き飛ばした。

 ふたたび「ゔあ!!」と呻きながら爆風に吹き飛ばされ転がる小さな身体。

 痛みと衝撃で意識が飛びそうになるのを恐怖でごまかして、レノアスはよろよろと立ち上がり逃げるために距離をとる。


「坊主、俺らが剣だけで戦場を渡り歩いていると思っちゃいないよな!」


 ゼラードは唱える。


創製クレイディフ! ぐっさり刺さる細い杭!!」


 するとゼラードの近くの空中に長さ十五センチ程の銀色の杭が創製されていく。数は十本。


「俺はあんまり使わねえんだが、チョロチョロとうざいんでな。飛んでけええええ!!」


 その十本の杭は真っすぐ地面と平行に高速で突き飛ぶ。

 レノアスに振り返る余裕は無い。鋭さの宿った十本の凶器が肩や背中、太ももやふくらはぎに突き刺さる。


「ぐっ!!あああああああああああ!!!」


 突き刺さってもその衝撃は殺されずレノアスの身体を前方に飛ばし、そのまま彼はうつ伏せに地面に叩きつけられた。

 顔を激痛で歪ませ黒い地面に擦り付けながら声なく叫ぶ。その背中や足からは痛々しく血が垂れ出している。頭の中は苦痛で埋め尽くされ全ての感覚が痛みに支配される。

 ゼラードが殺意しか含まない視線をレノアスから外さず一歩一歩近づく。


「もう、終わりか?」


 全身の激痛で動けず血を流すレノアスに、ゼラードは長剣を両手で握り上段で構え、太い筋肉で覆われた両腕に全力を込める。


「お前の妹がこれからどうなるかは分からねえが、まあ、忌み子の坊主への最後の慈悲だ。生きながらえてもただ辛い人生はここで終わらしてやるぜ」



 妹という言葉に苦痛に溺れていたレノアスは我に返った。


 次の一撃を受ければ間違いなく骨が両断されるだろう。


 大量の血が吹き出し死の激痛を伴いながら果てるだろう。


 目の前で殺された両親や使用人達のように肉体と精神が破壊されるだろう。


 痛い、痛すぎる、痛いまま殺される、本当に殺される、今度こそ死ぬ、死にたくない、死にたくなんてない、生きたい、生きていたい、生きていきたい、父上、母上、それが過ぎ去った過去の辛い記憶に縋り付いてでも。


 死の濃厚な気配を悟りレノアスの心が痛みよりも本能の言葉に耳を傾ける。

 すると心の奥底に隠れていた生存本能が呼び覚まされ、全能力の活性が始まる。


 ゼラードの気配や周囲にいる傭兵達の気配、それに紛れてラーナの気配を感じる。そうだ、レノアスにとってただ一人の家族は生きている。

 ラーナを託してくれた両親はもうこの世に存在しないからこそ、心の中に覚醒した何より優先されるただ一つの欲求。


 『「ラーナを守りたいほしければうばいとれ」』


 その声が、その思いがレノアスに踏み超える力を与えた。


 ここまでの思考は限りなく無いに等しい一瞬の逡巡。レノアスの生存本能が極限状態で異常な集中力を発揮した。

 狂いそうな激痛を意思の力で押さえ、間近に迫る死の恐怖を跳ね飛ばし、両腕に力を込め、痛む両足を踏み堪え、立ち上がろうと全身全霊をもって、自らの力で守るために奮起した。

 レノアスは叫んだ、生まれて初めて心の奥深くから吹き出す渇望のまま叫んだ。


「託された唯一の絆を! 妹を! 失ってたまるかあああああああああ!!」





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