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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第2章 セレンジシア樹海王国
16/42

父の背中を追って

 



「……ん……」


 窓から差し込んだ朝日が、早朝を知らせるようにシラスの顔を照らしていた。そとからは小鳥と馬車を引く馬の蹄が、いつもと変わらぬ軽快な音をたてている。

 寝台から這い出たシラスは身支度を整え始めた。

 いつも週末の休みには王宮に出かけるのが習慣だった。

 支度が終わり、自分の部屋を出て食堂に向かう。

 シラスは貴族の家系だが、領地を持たない貧乏貴族のため、屋敷はそれほど広くない。使用人も料理人と会わせて五人しか雇っていないが、毎日の炊事や掃除などは無理なく行われている。

 シラスが食堂に入るとすでに母が食卓に座っていた。


「おはようございます。お母様」


「はい、おはようシラス。今日の体調はいかが?」


「ええ、いつもと変わらず健康ですよ」


 このやり取りは毎朝のことだ。シラスが小さい頃、怪我をして長い間歩けなかった時の名残りで母はいつもシラスを気遣う。


「そう。それならよかったわ。もうすぐ食事が運ばれてきますから席についてくださいね」


「はい。お母様」


 席につくとすぐに使用人が食卓にパンとスープを置いてくれた。朝食はいつもこんな感じだ。


「いただきましょうか、シラス」


「はい。いただきます」


 パンをちぎって口に運び、スープをすくって音を立てずにすする。向かい側に座る母が尋ねる。


「今日はお父様のところへ行くのでしょう?」


「ええ。朝食を食べてから向かいます」


「そう、差し入れと手紙は忘れないようにね」


「はい。大丈夫ですよ、お母様。毎週のことですから」


 そうして食事を終え、使用人から袋を受け取り、外に出たシラスは振り返り屋敷を見る。


「……僕がしっかりしなければなりませんね」


 そうつぶやき、王宮へ向けて歩き出した。途中、行きつけの小さな書店に入る。シラスはここの常連で店主のおばあさんとは長いつきあいだった。


「おばあさん、おはようございます」


「あら、シラスちゃん。おはよう」


「うひひ。注文していた本、入荷していますか?」


「シラスちゃんは本当に本が好きねえ。感心だこと。昨日届いたばかりよ」


 そう言うとおばあさんは店の奥へ入り、動物の皮で装丁された厚い本を持って来た。表紙には「闇属性発現の基礎と応用」という文字が見える。

 おばあさんはにこにことシラスに本を渡す。


「シラスちゃんはお得意様だから、割り引いておくわね」


「え、いいんですか? でも……」


「遠慮しないでね。本を大事にしてくれる人に、読んでもらうことがわたしの喜びなのよ」


「ありがとうございます。おばあさん」


「今日は王宮に行く日かい?」


「ええ、いつものです」


「そうかい。最近行方不明になる人が増えてるっていう、物騒なうわさも聞くから、気を付けるんだよ、シラスちゃん」


「はい。それじゃあ、また来ますね」



 店を出た頃には、朝市に行く人や、仕事に向かう人、荷物を載せた馬車なども増えて、街に活気が出てきたように感じられた。

 シラスはそこから大通りに出て、王宮に向かって進んだ。門番に持参した許可証を見せ、敷地に入る。美しい装飾と朝日を受けて輝く色硝子の天井に目を奪われつつも、目的である地下へ下りていった。

 地下は譜文照明があるものの薄暗く、日光が入らないためか少しカビ臭い。その地下道をしばらく進んで、二人の兵士にいつものように話しかける。


「おはようございます。ベルニトラ家のシラスです。いつもお疲れさまです」


 兵士はシラスの顔を確認すると表情を緩めた。


「ああ、シラス君か。今日もオルデムの面会かね」


「はい、そうです」


「荷物を確認してもいいかな?」


「ええ、どうぞ」


 兵士はシラスの持ってきた荷物を、近くにあった机に出し確認した。


「通っていいぞ」


「ありがとうございます」


 そう言ってシラスはさらに通路を奥に進んで行く。

 通路の両脇には、金属の太い棒で作られた格子で区切られた牢屋がいくつも並んでいる。囚人の銀術を抑えるために、鉄格子には譜文がうっすらと光っていた。


 シラスはある鉄格子の前で立ち止まる。


「お父様。おはようございます」


 声をかけられた男は、暗い牢獄の奥からジャラリと足かせの鎖を引きずり、シラスの方へ近づいてきた。


「おお、シラスか。いつも悪いな」


「いいえ。いつもの差し入れと、お母様からの手紙をもってきましたよ」


「ああ。助かる」


 頬が少しこけたシラスの父、オルデムは小さく笑顔を浮かべた。


「それで、身体の方は変わりないか?」


「ええ、問題ありません。お父様のおかげでこの通りですよ。うひひ」


 シラスはおどけて飛び跳ねて見せた。


「そうか、なによりだ。しかし油断は禁物だぞ。心に隙があると呑まれるからな」


「はい、肝に命じます。お父様」


 彼はシラスのはっきりとした返事を聞き、安心したように頷いた。


「学院での勉強は順調か?」


「はい。最近授業も楽しいです。同じ班の友人たちがよくしてくれるので。それに……ええと」


「好きな娘でもできたか?」


「ひゃあい!? いや、好きだなんて、そんなこと、ないとはいえないけど、まだ、そんな感じでもなくもないというか。うひひ」


「そうか。お前も成長しているということだな。相手はどんな娘なんだ?」


 と、オルデムは温かく微笑んだ。


「え、ええとですね。その、読書が好きで、先輩で、優しくて、いい人です……」


「ほう、お前と同じ読書好きなのか。それは相性が良さそうだな」


「そうなんです。一緒に本の感想を言い合ったりするのが楽しくて。それで、この間は、輝月祭に一緒に出かけることもできたんですよ」


「ほほう。輝月祭といえば、恋人達の定番だな」


「そうなんですか!? え、どうしよ、え、エリカナ先輩知ってるのかな……」


「ははは。そういえば私が妻に結婚を申し込んだのも、輝月祭だったな。あの時は私も若かったものだ」


「ええ!? それは初めて聞きました」


「私は緊張していて、うまく伝えられなくてな。それでも妻は気持ちをくんでくれて、承諾してくれたのだよ」


「……僕は知らないで誘ったとはいえ、なんだか恥ずかしいです」


「いいか、シラス。女性に告白する時は、雰囲気のいい所でするのが良いぞ。女性は皆そういうものに憧れると、妻も言っていたしな」


「こ、こく、告白なんて、そんな、うひひ」


「あとは真っすぐな気持ちがあれば、その娘もきっと応えてくれるさ」


「いや、でも、僕なんて」


「自信をもて、シラス。その機会は必ずくる」


 父に励まされ、シラスは少し心強く感じた。


「はい。がんばってみますね。お父様」


 やがて、カンカンと金属を叩く音が鳴り、面会時間の終了を知らせた。また一週間父と会えなくなる寂しい金属の音。

 オルデムはその音を聞いて、シラスの肩をしっかりと掴んだ。


「お母さんと屋敷を頼んだぞ」


 シラスはその言葉に大きく頷いて、了解の意思を伝えた。それを確認すると、オルデムは骨張った大きな手でシラスの頭をぐしゃぐしゃと撫で、暗い牢の奥に戻って行った。


 王宮を出ると日は高くなっており、街の大通りは朝よりずっと多くの人々で賑わっていた。その喧騒の中、シラスはぶらぶら歩きながら、父が牢獄に囚われている理由を思い出していた。


 シラスのベルニトラ家は代々闇属性の発現能力者が生まれる家系で、その能力の研究でも有名であった。当時の父は著名な研究者として注目されており、有用な成果を出していた。


 シラスはその家の長男として産まれたが、四歳の時路上で馬にはねられ大けがをした。幸い命に別状はなかったが、一人では歩けない身体になってしまった。

 息子の障害を治したい一心で、父はシラスのための銀術を研究し、一年かけてその方法を完成させた。シラスは歩けるようになり、その成果に他の研究者達は驚愕した。


 しかし、その技術が改革派と呼ばれ、鎖国を否定し圧力外交を提唱する組織にも知られてしまう。改革派がオルデムを執拗に脅した結果、とうとう彼は研究の資料を渡してしまった。

 改革派はすぐにそれを利用して、穏健派の最高権力者である当時の国王を王宮内で暗殺した。暗殺者達は逃亡に失敗し、王宮内で戦闘を繰り広げた。幼かったフレイシアもその騒動に巻き込まれ、精神的な影響を受けそれ以来よく熱をだし臥せるようになってしまった。

 結果として暗殺者達はその場で死んだが、改革派の関与した証拠は見つからず、真相はうやむやになった。

 国民には王の老衰による崩御として隠匿され、大きな問題になることはなかった。しかし、暗殺に使われた技術がベルニトラ家のものだと分かると、オルデムは責任を追及され、牢獄に入り今に至る。


 父は被害者なのに、と思うシラスだが、自分の足を動かすための技術が暗殺に使われたことを考えると、罪悪感を感じた。父はシラスの足を動かせたことに満足し、「気にするな」と言っていたが、シラスはやりきれない気持ちでいっぱいになる。父を牢獄から助け出したい。


「だけど、今の僕に何ができるんだろう。いつも皆に守られてばかりなのに……」


 シラスはそうつぶやき、今日手に入れた闇属性発現の本の表紙を見た。


「まずは、できることからコツコツですかね」




 それからしばらく経った休日、シラスはセレンジシア王立図書館に来ていた。

 この王立図書館は樹海王国中の本を収蔵しているため非常に広く、多くの本棚が所狭しと設置されていた。

 それら多くの本の中でも、シラスが特に気に入っているのは冒険の物語と旅行日誌である。

 主人公が世界を救う物語は、気弱なシラスを空想の世界の勇者に変えてくれる。正義の勇者が仲間と共に魔王を倒し、囚われた姫を助ける王道の物語。

 その勇者こそ、シラスの求めている自分の理想だった。

 旅行日誌はエリカナもよく読んでいたので、シラスは一層好きになっていった。

 多少の挿絵はあるものの、ほとんど文字のみで表現された旅行日誌を、シラスとエリカナは二人で想像し話し合う。最近はそうやってエリカナと本の話をすることが待ち遠しく、胸が高鳴る時間になっていた。


 シラスは本を取り、途中すれ違った司書の人におじぎをしていつもの席に着く。

 その席の隣にはすでに先客がいて、シラスが席に着いたことに気付くと小声で話しかけてきた。


「おはよう、シラス君」


「おはようございます、エリカナ先輩。今日も読書なんて、本当に本が好きですね」


「そういうシラス君だって、ほとんど毎日図書館に来てますよね?」


「そうですね、僕も同じですね。うひひ」


 二人は声を抑えて笑い合う。


「シラス君はどんな本を読むつもりですか?」


「え、ええと、これは南大陸の個性ある生物達っていう本です。挿絵が多くて見やすいし、さっき少し中身を見たんですが、不思議な生物ばかりで面白かったですよ」


「ふふ。楽しそうね」


「エリカナ先輩は何を読んでいたんですか?」


「私は東大陸の生活と習慣という本を読んでいました。樹海とは違う人々の暮らしが書かれていて、とても興味深いです」


「ああ、東大陸っていったら山ほどもある巨獣が生息する大陸ですよね。巨獣と共存する暮らしか。なんだか大変そうですね。うひひ」


「少し読み進めてみたけれど、案外巨獣とは平和な関係が築けているみたいですね」


「うひひ。その本も読んでみたくなりました」


「それじゃあ、読み終わったら本を交換して、二つの本の感想を話し合うのはどうかしら?」


「いいですね。そうしましょう」


 二人はほほえむと、本を読むために集中した。

 図書館には紙の摩れる音だけが響く。


 シラスはふと、手元の本からエリカナの横顔に視線を移した。

 図書館でよく会い、本を丁寧に扱う仕草、目を輝かせて内容を語る優しい笑顔。

 そんなエリカナをいつの間にか好きになってしまった。

 しかし、シラスはここでも同じ問いにぶつかる。

「自分に何ができるのか」と。

 授業では自分の弱さを思い知り、いつも迷惑をかけてばかりだと感じていた。

 エリカナ先輩が困っていたときも、レノアスの力を借りなければ助けられなかった。

 物語の勇者のように大勢の人を助けることはできなくても、たった一人なら、その人の笑顔を守るためならば、弱い自分でもできる気がした。いいや、しなければならないと思った。

 シラスの心には強い決意の光が差していた。それは大切な人を守りたいという意思と、障害へ立ち向かうための勇気の光。その光を今は心の奥に秘め、視線を戻して読書を再開するのだった。


 二人がしばらく本を読んでいると、館内が慌ただしい雰囲気になっていることに気付いた。

 館内を静かに保つ書司達が、動揺しせわしなく動いて、緊張した表情で何やら話している。

 そこに険しい顔の図書館の館長も加わり、ただ事ではないことを証明した。

 そのことにエリカナも気付いたようだ。


「……何かあったんでしょうか」


「どうでしょうね。ちょっと僕聞いてきますね」


 シラスは席を立つと、付き合いの長い館長に近づいた。


「館長さん、何かあったんですか?」


 館長と呼ばれた白髪の眼鏡をかけた男性は、シラスに気付くと緊張感のある声で答えた。


「ああ、シラス君か。……それがね、先ほど封印譜文の更新作業で地下の禁書庫に行った司書が、禁書が動き出したと言っていてね」


「え、き、禁書は封印してあるはずでは……」


「そうなんだよ。禁書庫にはそういった本が厳重に封印されていて、いままでそんなことは一度もなかったんだがね」


「妙ですね……」


 シラスはあごに手を当て思案した。


 禁書とは人の強い意志の力が本に宿り、奇妙な現象を起こす本のことで、この王立図書館にも多く収蔵されていた。その殆どが貴重な内容であるこため、焼却することもできず、ゆえにそれらは譜文により厳重な封印を施されていた。

 譜文はある程度の時間がたつと、込められていた力が無くなり作用しなくなる。そのため定期的に譜文の更新を行う必要があった。その作業事態は安全なもので、失敗しても封印が解けることはない。

 本が禁書になってしまう理由は、人の強い感情が宿ることが原因だとされ、闇属性の発現が人の感情に作用することを応用して、オルデムが禁書専用の封印譜文を完成させた。

 シラスも一度父から禁書を見せてもらったことがあるが、難解な古代語が書かれた帯をぐるぐる巻きにして、本全体が覆われていた。


「ぼ、僕が何とかしましょうか?」


「え! できるのかね!?」


「たぶん、大丈夫です。父の研究を手伝っていましたし」


「そういえば、君はオルデムの息子だったね。もしできるのならお願いしてもいいかな?」


「はい、わかりました。やってみます」


 シラスはそう言うと、こちらを伺うエリカナの所に戻り、事情を説明した。すると意外なことを言い出した。


「……あのう、シラス君。私もついていっていいかしら?」


「ふえ!? 先輩がですか?」


「ええ。……私の発現が役に立つかもしれないし。それに……」


 シラスは、エリカナは禁書と禁書庫を見てみたいのだと察した。禁書庫は一般には開放されていないので、本好きな彼女の好奇心を刺激するには十分な理由だった。


「わかりました。館長さんに頼んでみますね」


「え? 本当に? ありがとう」


 エリカナは小さな子供のように満面の笑みを浮かべ喜んだ。

 そこに聞き覚えのある声がした。


「俺も見てみたいんだが、いいか?」


「あ、レノアスさん。わかりました。ちょっと待っていてくださいね」


 無事館長の許可を得た三人は、地下の禁書庫へ降りて行った。地下の奥にある禁書庫の扉は、金属でできていてかなり重厚なものだった。

 数人の司書と図書館の警備隊が、少しだけ開いた扉を緊張しながら覗いている。


「あの、僕はシラスといって、館長に頼まれて禁書を封印しにきました。禁書はどうなっていますか?」


 警備隊の男がシラスに向き直り敬礼をして答えた。


「い、いま食事をして落ち着いたところです」


「へ?」


 本が食事をするという、意味のわからない発言をした警備隊の顔を、三人は唖然と見ていると警備隊は続けた。

 彼自身、奇妙なことを言っている自覚があるのか、戸惑いつつも説明した。


「何か食い物をよこせと喚き散らしていたものですから、私が昼食用に持参していたパンとハムを渡したところ、今は大人しくしています……」


 エリカナとレノアスも確認のために質問する。


「え、ええと。それは本ですか?」


「はい。本であります」


「この国の本はパンとハムを食べるのか?」


「普通は食べません。ですが美味しそうに食べたのであります」


 シラス達は困惑し顔を見合わせたが、ここにいても埒があかないと考えて禁書庫の中に慎重に入った。

 書庫はそれほど広くなく本棚が壁を背にして立っており、そのため部屋の中央は空間が開いていた。

 その部屋の真ん中に白い装丁の怪しく光を放つ本が一冊、宙にゆらゆらと浮いていた。


「あれ、ですね」


「そのようだな。俺はこういうのは専門外だから任せてもいいよな? もし襲ってきたら協力する」


「はい、それでお願いします。レノアスさんがいると心強いですね。うひひ。エリカナ先輩はちょっと離れててくださいね」


「ええ、わかりました。気を付けてね。シラス君」


「はい」


 シラスはゆっくりと近づき、いつでも発現できるよう心の準備をした。

 その気配に気付いたのか、本はページを唇のようにパカパカと開いて話しかけてきた。


「……おめえさんは誰だあ?」


 そのなまりの強い口調にたじろぎながらも、シラスは答える。


「え、ぼ、僕の名前はシラスといいます。はじめまして、禁書さん」


「オラは、モヘジっちゅうもんだあ」


「も、モヘジさんですか。今日はどうしましたか? 何か困ったことでも?」


 シラスは冷や汗を拭い、おかしなことになったと思いつつ、丁寧に話を聞きだした。

 封印するのは簡単だが、強引に抑えてもまた動き出したら意味がないからだ。


「おお、聞いてくれるだか! じつはな、オラの……」


 なまり口調で三十分は話し続けるモヘジ。

 その話を要約すると、彼は辺鄙な山奥に住む画家の下書き用の本だったらしい。その画家は世界を旅して、その土地の景色や動物をその本に描きながら旅をしていたという。しかし、彼は世界の全てを描きたいという志半ばに亡くなってしまい、もっと描きたいという情熱が本に宿って、長い年月をかけて具現化し、先ほど目覚めたようだった。


「……というわけだあ」


「はあ、長かった。そうですか、その画家の方の強い思いがモヘジさんを形作ったということですね。それで何か望みはありますか?」


「オラ、絵が描きてえ」


「え? 今、なんと?」


「オラは絵が描きてえだ。いっぱい、いっぱい描きてえだああ!」


「あの、でも、モヘジさんは、本ですよ?」


「それでもオラは描きてえ。描きてえ、描きてえ。描きてえ、描きてえ、描きてえ、描きてえ! 描きてえ、描きてえ、描きてえ、描きてえ、描きてえ!! 描きてえだあああああ!」


 だだっ子のように白いページをバサバサとばたつかせ書庫を飛び回る本にシラスは困ってしまった。

 恐らくモヘジさんは封印を破るほどの、描きたいという思いを抱いているので、このままでは封印はできないだろう。でもこの調子で暴れて手に負えないなら、後は焼却処分するしか無いが、モヘジさんに宿った思いもわからないでもない。

 シラスも世界中の景色や動物を本から知り、幾度も実際に目で見てみたいと思ったからだ。

 その時、一緒についてきていたエリカナがシラスに尋ねた。


「モヘジさんが絵を描けるようにシラス君が手伝えないかな?」


「え!? 僕がですか? 僕、絵なんか描いたことないですよ」


 その二人のやり取りを見ていたモヘジは一層纏っていた光を強くした。


「それがいいべ! そうするべ! それしかねえべ! じゃあさっそく、おいこらしょっと!!」


 そういうとモヘジは次第に光を強くしていき、銀色の粒子になってシラスの方へ流れこむ。シラスは驚いて、その場で腰を抜かして尻餅をついた。

 あわててレノアスは剣を創製しシラスを守ろうとしたが、その銀の粒子はレノアスの足元を蛇行して、シラスの足に吸い込まれていく。

 レノアスは焦りながらも剣を振るったが、相手が粒子なので手応えがまるでない。何度か剣を振るうがその努力も虚しく、シラスの足に全ての粒子が吸い込まれ、モヘジの光は無くなった。

 何が起きたのか分からず硬直し沈黙する三人。

 レノアスはシラスを心配して声をかけた。


「おい、無事か? あいつがお前の足に入っていったように見えたぞ」


「え? ええ。そう見えましたね。うひひ」


「シラス君、大丈夫なの? 立てる?」


 シラスは立ち上がり、自分の足を触って異常がないか確認した。


「大丈夫そうです。いったい何が起きたんでしょうか」


 するとシラスの頭の中に声が響く。


『よお、オラはモヘジだ。聞こえっか?』


「えっ!? モヘジさん? どこですか?」


 レノアスとエリカナは、独り言を言うシラスを怪訝そうに見る。


『いまはおめえの中だ。というより、足かな。オラの思ったとうり、おめえの足に入れただ。なんか居心地いいな」


「ええ!? たしかに人の精神と親和性のある闇属性の技術が使われていますが、……もしかして、それで」


『ああ? オラは詳しいことはなんにもわからねえ」


「……これは! かなり貴重な体験かもしれません。うひひ!」


 レノアスとエリカナにモヘジの声は聞こえなかった。

 シラスが興奮気味に柱にむかって話している姿に心配になる二人。


「お、おい、シラス。大丈夫か? さっき頭を打ったのか?」


「シラス君。しっかりして! 私のことわかりますか?」


 二人の必死な様子に気付いたシラスは説明を始めた。


「あ、大丈夫みたいです。簡単に言うとモヘジさんが僕の足に取り憑いたようです。それでその声は僕にだけ聞こえるようですね」


 レノアスは一層不安な表情で詰め寄った。


「取り憑いただって!? 本当に大丈夫なのか? 何か心を浸食されるような感覚とかないか?」


「ええ、そんなに心配はいらないようです。心に取り憑いたならまだしも、足ですからね。うひひ」


 いつもどうりのシラスに、胸をなでおろす二人。


『なあ、シラスどん』


「どんって何!?」


『シラスどん、何か描いてくれねえだか?』


「……僕は絵筆さえもったことがありませんよ?」


『ああ、大丈夫だあ。思い描いてくれれば、オラがそれを描くから』


「え、そんなことできるんですか? 紙と筆は?」


『このままでいいから、お願いするだ』


「そ、そうですか……」


 シラスは言われたとおりに心の中でさっき読んでいた南大陸の動物を思い描いてみた。なんだか銀術を使うときみたいだなと考えながら。

 すると、……何も起きなかった。


「……何も起きないんですが」


『ぬあ? 根性が足りないんだああ! もっと気合いいれでもう一回やってけれ!』


 根性と気合いだけでは無理だろうと思うシラスだが、ふとあることを思いつき、意識を集中して言葉を発した。


融合ハルムナイゼ! 呼ばれて飛び出ろ! 粘液生物ゲルーネ!!」


 その瞬間、シラスから銀色の光る粒子が放たれ、禁書庫の部屋の真ん中に集まり出した。

 突然の出来事にレノアスとエリカナは警戒しながら後ろにさがる。

 その粒子は煌めきながらゆっくりと何かを形作っていった。


「あ、できた……」


 シラスの間抜けな声とともに現れたのは、本の中に載っていた粘液の生き物、ゲルーネだった。銀術の一種である融合はシラスの脚を動くようにした術で、モヘジと自分の脚が一体化したことで思いついた方法だった。


『よす! できたでねえか。シラスどん!』


「はは、は。なんかできましたね。でも……こいつ気持ち悪いですね。僕こんなに忠実に想像してないんですけど」


『それはな、オラの記憶だあ。お前の想像とぴったりしたものがあったんで描いてみただ。うんうん、やっぱり描くってすんばらしいべー!!』


 頭の中で興奮して叫ぶモヘジを無視し、目の前のゲルーネに注目していると、まるで「なんでも命令してね」というかのようにプルプル動いている。


「……え、ええと。飛び跳ねることはできますか?」


 ゲルーネは数回飛び跳ねた。


「うわっ、すごい。……それじゃあ、特技? とかありますか?」


 すると一瞬動きを止めたゲルーネは、次の瞬間大きく飛び上がり、石床に向かって数十本の触手を鋭く尖らせて、連続で打ち込んだ。

 石床は鈍い音とともに砕け、次々に繰り出す触手によって穴が大きくなっていく。

 シラスは粘液の生き物が、石を砕くほどの攻撃をすることに驚き呆然としていたが、すぐに我に返った。


「は! や、やめてえ! もういい、もういいから!」


 ゲルーネはすぐに大人しくなった。

 モヘジは機嫌良くハミングしていたが、シラスは禁書庫の床を大破させてしまったことにひどく動揺した。


「わ、わわ! どうしよう。床を壊しちゃった……」


 シラスは涙を袖で拭き、銀術のように、慌ててゲルーネを消せるか試してみると、あっさり消えた。


「……おい、シラス。何がどうなってるんだよ。今のドロドロは何だ?」


「え、ええと。あれは南大陸に生息するゲルーネという生き物です。僕は本で知ったんですが、モヘジさんの記憶にもあったようで、モヘジさんがそれを忠実に再現してくれました」


「へえ。化け物でも具現化できるのか」


「普通はできませんよ。通常創製できるのは単純な道具で、発現は現象に限られますから。炎や風を出したりですね」


「そうか。それをモヘジとシラスでやってのけたということだよな。すごいじゃないか、シラス!」


「シラス君、すごいです! 本の中の生物を目に見えるようにできるなんて!」


 レノアスと瞳をキラキラさせるエリカナに褒められて照れるシラス。


「うひひ。いやあ、偶然ですよ。まだ分からないことも多いので、これから研究ですね」


 シラスは余計な心配をかけないために、融合で回復した自分の足について、家の外では誰にも話したことはなかった。先ほどの術でわかったことは、シラスの足に使われている闇属性の融合技術を介して、モヘジの記憶とシラスの知識を融合させゲルーネを具現化したということだ。

 シラスは足が少し重くなっているのを感じた。融合でゲルーネを具現化した反動だろう。

 融合も未だ完全ではないと、開発者の父も言っていたので、慎重に実験をしなければ術に呑まれるかもしれない。


 モヘジさんが足に取り憑いたことで、本自体はなくなってしまった。そのことを館長さんに言うと、「封印できないほどの禁書は、どうせ焼却処分になるから手間がはぶけた」と笑って言った。


 その後三人は解散し、シラスも自分の屋敷に戻った。

 屋敷の地下には以前父が使っていた研究施設が残っている。


「使えなければ、強みにならないからな」


『シラスどん。ばんばん使ってくんろ。オラはもっと描きてえよ』


「うひひ。言われなくても、お願いしますよ。実験は途方もなく時間のかかるものですからね」


 シラスは未知の能力への不安と、この力がエリカナや友人達の助けになることへの期待を胸に、ほこりを被った父の研究室の掃除に取りかかった。







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