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銀嶺の使徒  作者: 猫手猫の手
第2章 セレンジシア樹海王国
13/42

輝月祭

 



 ルシエの屋敷に招待された次の日。レノアスは朝早く起き、学院へ行く準備をしていた。昨日のルシエの態度がおかしかったことは教室で聞いてみようと思っている。身支度を済ませ、木製の扉を開き外に出ると、珍客がいた。


「おっ! 樹海大栗鼠じゅかいおおりすじゃないか」


 樹海大栗鼠は体長五十センチ位の、明るい茶色にふっくらした尻尾が可愛らしい動物だ。

 つぶらな瞳はつい保護欲をくすぐられるが、レノアスはその栗鼠に刺激を与えないようゆっくりと動き、王都の方へ向かった。

 この栗鼠は、見た目に反して実のところ、この樹海で最強の生き物だからだ。草食だが、怒らせると誰も止められないほどの強さで、俊敏で五感が優れ、変幻自在に形を変える尻尾での攻撃は、大木を切断し、大岩を粉砕し、大地をもえぐる凄まじいもの。

 普段は大人しく刺激しなければ襲ってこないので、レノアスは見つけても絶対に手を出さないようにしている。


 樹海大栗鼠をかわし、王都への道を狩りをしながら進むレノアス。いつものように大量に蛙の鞄に素材を詰め、素材換金所に入る。

 そこでも珍客が受付のケファさんと話し終え、出て行くところだった。


「あれ、ライラ先生? 珍しいところで会いますね」


「ん? レノアスか。素材の換金か?」


「はい。生活費と学院の授業料を稼ぐために」


「そうか。お前も苦労しているようだな」


「そういうライラ先生はなぜここへ?」


「私は依頼だ。必要な素材を収集してもらうために、依頼者として報酬を持参した。そういえばお前は樹海に住んでいるんだったかな?」


「ええ、もう五年近く」


「そうか。それならこれを見つけたら採取してくれ。今依頼を要請したところだ」


 そう言うと、ライラは腰につけた小袋から淡く光る小さなキノコを取り出し、レノアスに見せた。


「ん? これは、どこかで……。何に使うんですか?」


「簡単に言えば薬だな。非常に珍しいキノコでな、常に品薄でめったに手に入らないのだ」


 そのキノコを見つめて記憶を探ると、ラーナと樹海に飛ばされたときに見つけたキノコを思い出した。


「ああ、一度見たことがあるな。樹海を移動する際は意識してみますよ」


「助かる」


 そう言ってライラは換金所を出て行った。

 レノアスは素材を受付に載せ始めると、ケファが挨拶をした。


「おはようレノアス君。今日もいつもどうり大漁ね」


「おはようございます。これお願いしますね」


「わかったわ。任せて」


「それと、ちょっと聞きたいんですが」


「え、どうしたの?」


「ライラ先生の依頼のキノコって、どんな薬なんですか?」


「ああ、あれね。私も詳しくはないんだけど、なんでも闇属性への抵抗力を上げる薬、だったかしら」


「ふーん、ちなみにキノコ一つでいくらの報酬ですか?」


「ちょっとまってね」


 ケファは受付台にあった依頼書の束を手に取り確認した。


「えーと、一つ二十万ジエルね」


「に、二十万!? 高額だな」


「ふふふ、そうね。探しても見つからないことが多いから。樹海の奥まで行けばあるかもしれないけど、奥に行けば行くほど野獣も手に負えなくなってくしるね」


「……そうですよね」


 次から光るキノコを探しながらついでに狩りをしよう、と決意するレノアスだった。




 その後レノアスは学院に着き、校舎に入る。

 途中通り過ぎる生徒達が何やら浮き足立っているように感じて、今日は何かの行事でもあったかなと、思い出せないままに教室に到着した。

 前の席のフレイシアに、気軽に挨拶をかわす。


「おう、おはよう、フレイシア」


「おはよう、レノアス。昨日ルシエの家でごちそうになったんだって?」


「もう知ってるのかよ」


「さっきルシエが話してくれたわ。……顔を赤らめて」


 フレイシアは顔を近づけ小声で尋ねた。


「何かあったの? レノアスのこと話してるときのルシエ、様子が変だったのだけど?」


「え? いやあ、俺もよくわからないんだよな」


「でもね、顔を赤くしてもじもじしながら、髪をクルクル回したり、時々、ぼんやりして意識が飛んでいるようだったわ。何かあったとしか思えないのだけど?」


 詰め寄るフレイシアの勢いに押され、困っていると、シラスが茶化してきた。


「うひひ。フレイシアさん、レノアスさん。今日も朝から言い争いですか? 仲がいいですね。うひひひひ」


「はっはー! 言葉での駆け引きは貴族として社交界で生きるための、重要な能力だからな。しかし人間相手では役不足ではないかな?」


 フレイシアは声量を戻し、レノアスに何かを期待するかのように問う。


「え!? な、仲がいいだなんて、そんなことはないわよね。ね、レノアス?」


「ん? ああ、普通じゃないか?」


「……そんな言い方ってないんじゃないの?」


「いやいや、自分から聞いといてその反応はおかしいだろ」


  騒がしいやり取りをしていると、ルシエが近づいてきた。


「……レノアス」


「おう、体調は大丈夫か?」


「うん」


「そうか、よかったよ。少し心配だったんだ」


ルシエはレノアスのいつもと変わらない優しさにうつむいて顔を赤くした。


「それより、昨日お前に触れて電撃が出なかったことを憶えてるか」


「……憶えてない」


「そうか。ちょっと試していいか?」


 レノアスは握手をしようと手を伸ばすが、ルシエは一瞬、びくりと震え後ずさった。そしておずおずと顔を赤らめながら、レノアスの手にゆっくり自分の手を重ねた。


 バチッ!


「いって! あれ、おかしいな。昨日は大丈夫だったのに」


 ルシエはレノアスと触れた自分の手を見つめ、ぼーっとしている。


「……やっぱり、体調悪いんじゃないの? ルシエ」


 フレイシアはルシエを心配し声をかけたが、ルシエはうつむいたまま首を横に数回振った。


「もしかして、昨日レノアスにいじめられた?」


「おい。人聞きの悪いこと言うなよ」


「うひひ。すでに人間族のレノアスさんは評判は最悪なんですけどね」


「そのとおりだが、面と向かって言われると、さすがにへこむぞ」


「ふん。人間が蔑まれるのは当然のことだ。なにせ残虐非道の限りをつくした凶悪な種族だからな」


「でもよ、約千年も前のことだろう。なのにいまだに嫌悪感が消えないってどういうことなんだ?」


「ふむ、それも仕方がないであろう。継承の儀というものがあってはな」


「はあ? 継承の儀? なんだそれ」


「レノアスさんはまだ知らないんですね。継承の儀の話。そういえば今日の歴史の授業で学ぶはずですよ。うひひ」


 そうしていると授業が始まり、時間が過ぎて行った。その歴史の授業では継承の儀について取り上げられ、レノアスはなぜ強い敵意が自分に向けられていたのか、ようやく理解した。


 二千年前から続く記憶の継承は、繰り返された人間からの迫害の歴史そのものを、代々子孫に受け継いでいく。

 その記憶にどれくらい影響を受けるのかは個人差があり、中には強い精神的負荷により精神に異常をきたす者もいるが、ほとんど影響を受けない者もいるらしい。

 考えてみればイーサンも両親を亡くしているので、継承の儀は済ませているはずだが、レノアスと他の仲間との態度の差はあまり感じられなかった。影響が少なかったのか、もしくはあの図太い精神力のおかげかはレノアスにはわからなかった。


「なあ、イーサン。継承の儀ってどんな感じだったんだ?」


「……父が亡くなった時に、頭の奥に記憶が流れ込んできてな。意識が遠のいて頭痛がひどくなり、一瞬地べたを這いずり回りそうになった。しかし、貴族としての矜持を全うすべく、気品ある態度で耐えたのだ」


「そうか。その記憶って酷いものなんだろ? お前はあまり影響されていないようだが」


「はっはー! 当然だな。絢爛豪華な私の頭脳には少々血生臭すぎる記憶だったのでな。すぐに忘れることにしたのだ」


「そんな簡単に忘れられるものなのか?」


「うひひ。僕はまだですが、聞いた話によると、数日間は寝台から起き上がれなくなる程の衝撃らしいですよ」


「……そんなにか。でもイーサンは?」


「イーサンさんは倒れもしなかったようですが、なんででしょうね」


「イーサンだったら、なぜか納得できるわね」


「……そうだな。俺もそう思うよ」


「はっはー! 私には地に伏せるという概念は無い! 真の貴族たる私はいかなる状況でも屈しないのだ」


 腰に手を当て胸を張り、鼻穴を最大に拡げて宣言するその姿は、頼もしいようにも見えた。




 その日の授業も無事に終わり、帰路につく生徒達。帰ろうとしているとフレイシアが話しかけて来た。


「ねえ、レノアス」


「ん? なんだ、フレイシア」


「今日の夕暮れ時に行われる輝月祭きげつさいには来るの?」


「ああ、そういえばそんなのあったな」


「今まで見たことなかったんでしょ? すごく幻想的で綺麗よ」


 輝月祭とは満月の夜に飛び立つ月光蝶に合わせて行われる行事で、毎年多くの人で賑わう。蝶が旅立つ時間に巫女が舞を踊り、各々で用意した火の入った行灯を空に飛ばすというものだ。


「一度見たいとは思っているんだが、俺、人間族だからな。さっきの授業を聞いた後じゃ余計に行きづらいだろ?」


「顔を隠せば大丈夫よ。それに……」


「それに?」


「……今回、私が月の巫女役なのよね」


「月の巫女って?」


「亡くなった人々との良い思い出が消えないように、月へ思い出を導き届ける存在かな。そのために輝月の舞とよばれる伝統的な舞を踊るの」


「ん? でも継承の儀で記憶は子孫にしっかり受け継がれるんじゃないのか?」


「輝月祭は継承の儀よりもずっと前から行われてきたという話よ。だから記憶が子孫に受け継がれるようになってからも、輝月祭は続けられてきたんだって」


「そうなのか。どうしようかな」


 フレイシアは視線をレノアスからそらし、はずかしそうに頬を赤らめてつぶやく。


「……私の月の巫女姿、見てほしいかも、なんてね」


「ああ、そうだな。見てみたいな。まだ行ったことはなかったし。それに」


フレイシアの喜ぶ様子を見ながら、レノアスはにやりと笑みを浮かべ、わざとらしく続けた。


「フレイシアが晴れ舞台で失神しないように俺が見ててやらないとな!」


 フレイシアが恥ずかしさで顔をさらに赤くした。


「な!? あ、あの時は、その、たまたま、そう、たまたま調子が悪かっただけで、もうあんな醜態はさらさないわよ! 絶対に!」


レノアスは、赤面しむくれるフレイシアを見て吹き出した。


「ははは、冗談だよ。フレイシアの月の巫女姿を見てみたいから行くよ」


「……す、素直に最初からそう言えばいいのよ!!」


 フレイシアはレノアスが見にきてくれると分かり、心の奥が熱くなるような感覚をおぼえた。それは今までに感じたことのない深い充足感を彼女にもたらしてくれた。

 やる気に満ちたフレイシアは、月の巫女の準備のため急いで帰っていった。


「なあ、 お前達も輝月祭見に行くんだよな?」


 レノアスが声をかけたのはレノアス班の残り三人だ。


「はい、僕はエリカナ先輩と見に行く約束をしてますよ」


「え!? お前って意外と積極的に攻めるやつだったんだな」


「へ!? いやいやいやいや。偶然お互い一人で行く予定だったので、それなら一緒にということになっただけで」


「そうか、そうか。わかった! レノアス班の班長として協力は惜しまないからな。がんばれよ!」


「な、なにを!? いえ、あの、先輩とはそういうのではなくて、なんていうか趣味友だちというか。うひひ」


 くねくねと気味悪くもだえるシラスを放っておき、残りの二人に話しを振る。


「イーサンとルシエはどうするんだ?」


「はっはー! 私は弟達や妹達と向かう予定だぞ。季節の風情は上流階級の生活に潤いを与えてくれるのでな。毎年参加しているのだよ」


「……ルシエも。家族で行くから。ごめんね」


 ルシエは申し訳なさそうにうつむいた。

 レノアスは気に留めず、帰り支度を始める。


「ああ、気にしなくていいよ。祭りは大抵、家族で参加する行事だもんな」


 皆が浮き足立って見えたのは、輝月祭が原因だったのかと生徒達を横目に、彼はいつものように遺跡に向かった。夜まで時間をつぶすため訓練を長めに行う。遺跡内にある浴室で汗を流し、長い螺旋階段を上り終え外に出る頃には、すでに太陽は落ちて薄暗くなっていた。


 レノアスは輝月祭の会場となるセレンジシア創立記念公園に向かって歩いて行く。

 空には少し雲が浮かんでいるが、満月はしっかりと存在感をはなっていた。優しく清やかな光で王都全てを覆い照らしている。

 途中の街並みはいつもと違う雰囲気に満たされていた。

 譜文で稼働する街灯には、色とりどりの光の玉が輝いている。王宮から続く大通りには、出店や遊技場などもたち並び、多くの親子連れがひしめき合っていた。

 路上で奏でられた楽しげな音楽が、祭りの彩りをさらに引き立てている。


「賑やかだな。なんだか楽しくなってきた」


 彼が七歳までいた領主街マーラントでも、祭りは数回あったが、これほど賑やかで美しいものではなかった。

 どちらかというと儀式的な要素が多く、楽しむというよりは決められた行事を淡々とこなす印象が強かった。そもそも宗教が違うということもあり、祭りに対する見方にも違いがあるのかもしれない。


 レノアスも祭りの雰囲気にのせられ、耳を見られないよう用心深く出店の食べ物を買って食べる。


「なかなかうまいな。うお! こっちも甘くて癖になりそうだぞ」


 両手に数種類の食べ物を持ち、食べながら人ごみを歩く。

 過ぎ行く人の言葉から、公園での輝月祭はもう少し後になるらしい。

 レノアスは祭りの喧騒を楽しみながら歩いて行くと、向こうから聞き慣れた大きな声がした。


「はっはー! 今日は祭りだ。気品ある振る舞いができるなら、 何でも好きなものを食べてもいいぞ、兄弟達よ!」


「お? イーサンじゃないか?この子達はお前の兄弟か?」


「ん? おお、人間か。外套を被っていたので誰かと思ったぞ。紹介しよう。私の愛する兄弟達だ。心して記憶に焼き付けるがいい」


 イーサンから紹介された子供は六人いた。


「ええ!? 兄弟こんなにいたのか? それにみなお前に似ているな」


「ふん。何を当たり前なことを。兄弟だから当然ではないか」


「まあ、そうか。俺はレノアス。よろしくな」


 レノアスが軽く挨拶すると、子供達はわらわらと寄って来て質問攻めにする。


「お兄ちゃんと一緒の学院?」

「ねえ、レノアスって人間なの?」

「なんで外套かぶっているの?」

「強い? 兄貴とどっちが強い?」

「みんな、レノアスが困ってるよ」

「兄様がいつもお世話になっております」

「お兄様のお友達?」

「お腹減った」

「はっはー! よろしくです」


 何がなにやら分からない状況にたじたじになるレノアスは、視線でイーサンに助けを求めた。


「はっはー! お前達そろそろ行くぞ。迷子になるのは貴族らしくないからな。皆で手を繋いで進むように。それではな、人間よ。また何処かで会おうぞ。はっはー!」


 イーサン一家は喧騒のなかでもやけに響く高笑いをしながら、人ごみに消えて行った。

 レノアスは呆気にとられていたが、すぐに我に返り公園を目指す。


 広い公園は、もうすぐ輝月の舞が始まるというので人でごった返していた。

 人々の手にはろうそくの火が入った行灯がある。その構造から察するに空に飛ばすものだろう。


 公園内は必要最低限の譜文街灯だけで、月明かりで足元が見えるくらいに調整されていた。これから始まる輝月の舞に注目を集めるために、わざと周囲の照明を消しているのだろう。

 中央部分には飾り付けられた舞台が設置されていたが、照明はまだついていない。今も準備が進んでいるようだ。


「……ん? あれは、蝶か? あんなに沢山」


 レノアスは公園内外の木々にすごい数の蝶が羽を休めているのに気づいた。

 それは月光蝶という青白く光る蝶で、この時期の満月の日に飛び立ち、大陸間を移動する蝶だ。


 舞台の側まで来てみるとフレイシアが巫女の衣装を身にまとい座っていた。白を基調とした衣装に青や黄色の半透明の布地が飾られ、腰には帯が巻かれてる。もともとの容姿の美しさも相まって、神秘的な印象をかもし出していた。

 フレイシアはレノアスに気づくと緊張の表情を和らげた。


「あっ! レノアス。こっちよ、こっち!」


「おお、それが巫女の衣装か。よく似合ってるじゃないか」


「え、そう? ふふふ。……来てくれてありがとう。レノアス」


 レノアスは、月明かりで照らされた彼女の微笑みにはっとした。視線を向けられ、一瞬見とれてしまったレノアスはすぐにごまかすように会話を続ける。


「……あ、ああ。元従者として応援致しますよ。フレイシア王女殿下」


「レノアスが丁寧な話方をすると、照れるわね。なぜかしら」


「緊張をほぐそうと思って。……すまん」


「大丈夫よ。何度も輝月の舞は練習してきたし、もう完璧よ」


「そうだな。期待してる。それで、いつ始まるんだ?」


「予定ではあと一つ時くらいなんだけど……」


「ん? 何か問題でもあるのか?」


「舞台を照らす特注の譜文照明が遅れていて、時間通りに踊れないかもしれないわ」


「でも、多少の遅れは問題ないんじゃないのか?」


「それが……、輝月の舞は蝶の旅立ちに合わせて行うものなのよ」


「それってまずくないか?」


「そうなの。このままじゃ楽しみにしていた人たちをがっかりさせてしまう……」


 不安と焦燥で暗くなるフレイシアを見つめ、レノアスは考えていた。

 この輝月祭は一年に一度の国を挙げての大行事だ。その巫女に選ばれたフレイシアは王族の代表として、ここにいるのだろう。

 フレイシアは頑張っている。疲労で倒れるくらい、いつも全力で取り組んでいる。今回も自分のことより、他の人々の愉しみに応えたいと努力してきた。

 その優しい思いやりを無駄にはさせたくない。

 

レノアスはこの状況を打破するため深く思案していると、脳裏に一つの情報が蘇った。

 照明が届かないか周囲の状況を確認しているフレイシアに、レノアスは尋ねた。


「フレイシア。光があればなんとかなるんだな?」


「……ええ、見に来てくれたみんなに、輝月の舞が見えるようになれば大丈夫なんだけど」


「ちなみに舞いは動きが速いものか?」


「え? いいえ。動きはゆっくりね。飛んだりもしないわよ。どうしてそんなことを聞くの?」


「俺に考えがある」


 そう言ってレノアスはフレイシアに考えを説明し、何処かに行ってしまった。

 この重大な行事を成功させたいフレイシアは、先ほどのレノアスの言葉を信じて待つことにした。


 輝月の舞の開催時刻まであとわずかとなる。照明は間に合わないだろうと周囲の人々が諦めかけた時、レノアスが両脇に液体の入った、大きな硝子瓶を抱えて戻って来た。


「フレイシア! 時間は?」


「あと少しで予定時刻よ。それがレノアスの言っていたもの?」


「ああ、間に合ったみたいだな」


 そう言うとレノアスは瓶を輝月祭の係員にわたし、急いで指示を出す。


「舞台の柱と床に、それとフレイシアの衣装にも付けてください!」


 公園はすでに足の踏み場もないほど人で埋め尽くされていて、多くの家族連れが輝月の舞を今か今かと待っていた。

 その観客の中にシラスとエリカナもいた。エリカナはあの怪しい人物が自爆した事件以降も、とくに問題なく学園生活を送っている。

 読書が好きな彼女は、まるで物語のような輝月祭の美しさに魅せられ、毎年祭りに行くことが恒例となっていた。


「もうそろそろですよね、エリカナ先輩」


「そうですね。シラス君も毎年見に来るんですか?」


「ええ、もちろんですよ。満月で明るい夜の中、照明に照らされて舞を踊る風景は、まるで物語の一節を見ているように感じるんですよね。おおげさでしょうか」


「いいえ。おおげさではないと思いますよ。私もシラス君と同じで、空想の世界のようなこの日を、毎年楽しみにしているんです」


「僕たち趣味が合いますね」


「そうですね」


二人はくすくすと笑い合う。


「そろそろ時間ですが……照明がついてませんね。どうしたのでしょう?」


「そうですね。いつもならすでに照らされていてもいい時間なのに」


 観衆全体もざわめき出した。

 その不安が空にも伝わるかのように、流れる雲がじわじわと満月の半分以上を隠していく。


 シラスが何かに気づいたようだ。


「あ! みてください、エリカナ先輩。暗くてよく見えないけど、舞台の上に人影がありますよ」


「本当ですね。照明も付いてないのにどうしたのかしら。何か問題があって舞を踊れないとか?」


 蝶が一匹、また一匹と舞台に集まり始める。


「……あ! エルカナ先輩……これって」

「……え! シラス君…………これは」


 月明かりだけの薄暗い舞台の上には人影が一人。

 厳かな笛の音が響く。


 その音色に合わせ、影はゆっくりと輝月の舞を踊り始めた。


 すると光り輝く月光蝶の数百数千という群れが、付近の木々からいっせいに飛び立ち舞台に集い始める。


 蝶は柱や床、舞を踊る巫女の衣装に取り付き、青白い光が彼女と舞台を包み込んで、幻想的な心象世界に変えた。


 満月が蝶に力を吹き込むかのように、次第に輝きを増し、華やかに輝月の舞を際立たせる。


 流麗な笛の音に合わせ美しい巫女は、蝶と一緒にふわりと踊り、別れを惜しむかのように寄り添っては離れる。その洗練された所作と蝶をまとった姿は光の化身のようだった。


絶句するほどの神秘的な光景に、その場に集まった観衆全てが一心に舞台を見つめ、身じろぎ一つしない。

 舞を踊るフレイシアは蝶の光の中で、レノアスへの感謝で一杯になっていた。


 夜空も巫女にこたえるように、纏っていた雲をゆらりと脱ぎ捨てた。

 すると大地はその瞬間を待っていたかのように、光の奇跡を空に放つ。

 周囲の木々全てから数千数万という月光蝶がいっせいに旅立ったのだ。


「…………すげえ」


 レノアスはあまりの神秘的な光景を、目に焼き付けようと瞬きせずに全てを見守っていた。


 その蝶の大群にあわせて、小さな子供が手作りの行灯を手放すと、蝶と一緒に上っていく。

 青白い光の群れとろうそくの赤い火が視界に入り、人々もまた、一つ一つ故人の記憶の象徴である行灯を手放していく。


 夜空は青白い光と行灯の光で満たされ、静かに人々の思い出は月に送り出された。




 輝月の舞が終わった公園では舞台の片付けや、周囲の掃除などが行われていた。着替え終わるフレイシアを待つ間、手持ち無沙汰なレノアスも掃除を手伝っていた。


「お待たせ、レノアス」


「ああ。大変だったな」


「そうね、一時はあきらめかけたけど。やっぱり優秀な従者レノアスが助けてくれたわね」


「たいしたことはしてないよ。フレイシアが踊れるように準備を手伝っただけだからな」


「あれはどういう仕組みだったの?」


「簡単さ。朝スズランっていう花から取った蜜は、月光蝶の好物で、それを舞台やフレイシアに塗っただけさ」


「それで集まって来て照明の代わりになってくれたのね」


「そうそう。簡単だろ?」


「さすがね。何でも知ってるのね」


「何でもは言い過ぎだな。たまたまだよ」


 フレイシアは照れくさそうに謙遜するレノアスに、温かい感謝の笑みを浮かべた。


「……ほんとに。ほんとうに、ありがと……」


 その時小さく透明な雫が月光に照らされた少女の顔をつたう。フレイシアは胸がいっぱいになって泣いてしまった。緊張の糸が解けたのかもしれない。

 先ほどまで、駄目かもしれないと本気で思い、王族としての責務を果たせず、亡くなった母へ申し訳なく感じていた。祭りを楽しみにしていた多くの人の、がっかりした表情が何度も頭をよぎった。

 自分の無力さに押しつぶされそうになっていた時、レノアスは助けてくれた。

いつもふがいない私に寄り添い、背中を押してくれる暖かい存在。

 だから、泣き顔ではなく笑顔で感謝を伝えなければと思った。しかし涙を抑える心の壁が崩れてしまったようだ。


 フレイシアは自分の泣き顔を見られたくなくて、強引にレノアスに抱きついた。

 レノアスは一瞬戸惑ったが、泣きじゃくるフレイシアの背中を優しく撫で続けた。

 ぽたぽたと溢れる涙は温かく熱を残したまま、レノアスの肩に吸い込まれていく。フレイシアは少しの間泣き続けた。

 ようやく落ち着き、レノアスからはなれたフレイシアは、目元は少し赤くなっていたが、すっきりした表情をしていた。

 レノアスが元気になったフレイシアに微笑んで頷く。

 フレイシアも笑顔でかえした。恥ずかしさを悟られないようにフレイシアが声をかけた。


「で、でも、よくあの短時間で用意できたわね」


「ああ、それな。この前ルシエの部屋に入った時に、朝スズランの蜜の香りを感じたんだ。それで香水だっていうから、なんとなく店の場所を聞いてさ。今回その店に無理を言って香水になる前の蜜を譲ってもらったというわけさ」


 フレイシアは蜜のことよりも、ルシエがレノアスを自分の部屋に招いていたことに驚愕してしまった。


「ええ!? レノアス、あなた、ルシエの部屋に入ったの?」


「そこかよ。ぬいぐるみが動いていて面白かったぞ。ルシエが屋敷を案内してくれて、その時見せてもらった」


「……そう」


 フレイシアはなぜかルシエに今までで感じたことのない脅威を感じた。あの娘、侮れない。

 はっと我に返ったフレイシアは、友人のルシエに対抗意識を燃やしてしまったことで、自分の気持ちに気づいてしまった。


「……私、レノアスが……」


静かになった空では、満月は二人を優しく包むように照らしていた。

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