第十三話
<ロシア戦略ロケット軍第33親衛ロケット軍第51親衛ロケット師団>
MZKT-79221八軸十六輪型重トラックに積載されたRT-2PM2“トーポリM”は、最大射程11,000km、平均誤差半径300mを誇る高性能大陸間弾道ミサイルだ。その再突入体は宇宙空間ならびに高層大気圏での軌道変更能力と侵攻支援用の電子欺瞞装置ならびにチャフキャニスターを備え、核出力はTNT換算で550キロトン。10発もあれば中華人民共和国の主要都市を全て放射能溜まりに変えることができる。
人民解放軍シベリア侵攻に際し、ロシア連邦軍参謀本部より即時応答体制が下令され、このイルクーツク郊外の第51親衛ロケット師団も即応態勢をとりつつあった。耐核掩蔽壕から基地内のGPS参照地点へと進み出た重トラックは、その弾頭部の慣性誘導装置に最新の測位情報をアップデート、目標座標リストを北米大陸からシベリア東部および中華人民共和国へと変更し、そのまま広大な原野に散開。起立発射機を起こし、赤外線偽装網を展張してモスクワからの指令を待った。各トラックには師団指揮所より敷設された大容量の通信ケーブルが繋がれ、オムスク司令部との間に二重セル式リンクが確立され、大統領からの発射命令が下れば即座に、燃焼室下部のイリジウムイグナイターが過塩素酸アンモニウムと末端水酸基ポリブタジエンからなるハイパーコンポジット推進剤に点火することになる。
一度燃焼が始まれば燃え尽きるまで止まることのない固体燃料ロケットは、その発射即応性、整備の容易さ、そして経年劣化への耐性から、主に徴兵された兵士で構成される戦略ロケット軍において“入隊半年の徴募兵でも扱える核兵器”などと称され、親しまれてきた。この日も年数回おこなわれる演習と全く同じ手順が繰り返され、規定の時間内に部隊展開を終えた。
「……早いとこ北京に打ち込んじまえばいいのになぁ」
運転台の座り心地の悪いシートを最大限に傾け、顔の上にマニュアルを載せて目を瞑りながら待機するソコロフ上等兵が呟く。隣には昨冬入隊したばかりのカリャーキン兵が、そのマニュアル通りにガスマスクを装着し、曇りがちなゴーグルの下に青褪めた表情を張り付かせていた。もし奴等が本格的な核攻撃を始めたら、その応酬を真っ先に受けるのは戦略ロケット軍最東に位置するこの基地に違いない。せめて山沿いのサイロの部隊に配属されていれば、地下20mに作られた堅牢な発射管制センターに入ることもできたのに、こんな外気も防げぬ適当な造りのトラックで待機していては、着弾と同時に蒸発させられるのが関の山だろう。
ここ数日、部隊内では噂が広がっていた。国営テレビのニュースでやっているような“人民解放軍3年ぶりの大規模機動演習”とは、実際にはシベリア侵攻のための部隊移動に他ならず、露中国境沿いの国境警備隊からは、アムール川対岸に大規模な機甲戦力が集結し、師団規模の砲兵隊が“北向き”に布陣しているとの報告が届いている、などというヤツだ。ロシアにおいて噂とは真実であり、真実とはしばしば目を覆いたくなる類の現実である。
カリャーキンにとっての現実は、せっかく就職できた市営バス運転手を休職して服さねばならないこの1年の兵役において、せめて歩兵部隊以外の配属先を希望した結果としてのこの配置であり、大型車両を狭い街路で手足の如く操れる技倆の無駄遣いであり、マニュアル通り一時間に一回、偽装網の展張具合を確認するために降車するというルーチンワークでしかなかった。
「……じゃ、行ってきます」
「おー、蚊が入ってこないようにしろよ」
世界最深にして最古の淡水湖。ユーラシアプレートとアムールプレートの境界に位置し、今も年6mmのペースで深度を増しつつある地溝帯。イルクーツク南側に広がるバイカル湖の上を吹き抜ける湿った南風が連れてくる二つの厄介モノ。精密な誘導回路基盤を侵食する湿気と防護服の分厚いゴムをも貫く巨大な蚊。
固体燃料の燃焼時に発生する大量の塩化水素ガスを防ぐために支給されたこのゴム引き防護服とマスクは、一年の半分以上が平均-15℃以下というこの土地の気候にあわせ、必要にして充分な防寒性能を備えてはいたものの、常識はずれの高温が続く7月の陽気のもとで装着し続けることは体力の消耗と判断力の低下を招く行為でしかなく、偽装網の伸張ロープのかかり具合を確認するカリャーキンの足元はおぼつかなかった。
通信ケーブルの接続パネルのところまで来た時、通信状態を示すランプが瞬いていることに気がつく。マニュアルに照らせば指揮所に連絡を入れ、ケーブルの再接続を試みなければならない状況だ。おおかたコネクタにゴミでも入ったのだろう。さもなければ先週交換したクズ基盤のせいだ。運転台の後ろの段ボールにまだ5枚残っているそれは、この防護服同様、夏のイルクーツクの温度と湿度を全く考えなかったか敢えて無視した代物だった。基盤ケースに記されたキリル文字はどことなく妙なバランスで、この故障頻度の高さからしてもおよそ正規品とは思えない。おおかた補給部隊の上層部が調達で誤魔化しているのだろう。パネル横の受話器を上げ、通話が指揮所に繋がるのを待つ彼の耳にカチリという音が届く。
次の瞬間、イグナイターが作動し推進剤が燃焼を始めた。発射機底部から噴出する超高温の排気に晒され、防護服とマスクが燃え尽き、自らの身体が骨も残さずに焼け落ちるまでの僅かの間、カリャーキンの脳裏には“どこで手順を間違えたんだろう?”という疑問がよぎっていた。




